遠い日のカケラ



香坂幸緒





                 
 小学校の卒業式の日、謎の男から眼鏡を受け取ってから数日が経過していた。
 その間、克哉は毎晩のようにうなされ続けていた。
 あの日知った親友の裏切りと、涙。
 Mr.Rが与えた眼鏡の力で表層意識からその記憶が消え去っていても…無意識の
世界ではそうはいかない。
 起きれば忘れる悪夢。
 目覚めた時の気分は毎朝、最悪以外の何物でもなく。
 それはまだ12歳の克哉を苦しめ、追い詰めるには充分だった。

(…眠りたく、ないな…)

 心の底からそう思っても、夢は何度も繰り返す。
覚えていない分だけ、暗澹たる気分は晴れる事なく毎夜降り積もり。
 いつしか…夜が来るのが少し憂鬱になりつつあった。

(けど…徹夜はもっと後で辛くなるしな…仕方ない。寝よう…)

 真新しいパジャマに身を包み、ベッドの上に身を投げ出していく。
 暫く眠れずにウトウトしていたが…瞼を閉じて身体の力を抜けば…そのままゆったりと、
眠りの波が訪れていく。

「…どうか今晩くらいは、悪い夢を見ませんように…」

 そう心から願いながら、克哉は深い眠りに落ちていった―

                      


 親友が泣いている。
 酷い言葉を紡ぎながら、それでも苦しそうに顔を歪めていた。
 大切な友達だった。
 それなのに、裏切られた。
 自分が自分でいたが為に知らず傷つけていて―そんな悲しい行為と、
顔をさせていた。

『泣かないで…くれ、よ…』

 夢の中の自分は必死になって、彼に手を伸ばしていく。
 それでも決して…彼の涙を拭う事も、肩を叩いて慰める事すらも出来やしない。
 だんだん、親友の姿が遠くなっていく。
 必死になって追いすがるが、その距離は縮まる事はない。

「待てよ! 待てったら!!」

 夢の中で相手を必死になって追いかけている内に…克哉は知らない内に…だんだんと
自分の心の奥底に足を踏み入れていく。
 そこは渡された眼鏡を掛けた事によって生じた、禁じられた領域。
 自分の心の奥底に眠った…もう一人の自分が、来たるべき日まで…眠り続けている、
心の深い深い深遠。
 其処に辿り着いた時、ヒヤリとした感覚が…背筋を走っていった。

「何だろ…ここ。凄く…恐い…」

 夢の中で克哉は心細そうに、辺りを見回していく。
 まるで旅行中に家族とはぐれて、一人ぼっちになった時のような感覚だった。
 その場から逃れようと、踵を返して元来た道に戻ろうとしたその時―克哉の腕は、
誰かに強い力で掴まれていた―

「だ、誰だ!」

 振り返った時にはもう遅かった。
 ふわふわした漆黒の地面の上に、気づいたら引き倒されていた。
 自分と同じくらいの体格をした少年に…押し倒され、身体の上に圧し掛かられる。
 どうやら眼鏡をしている事ぐらいは判ったが…辺りが薄暗いせいで、その顔は
はっきりと見る事は出来ない。
 ただ…その目がどこまでも怜悧で、今は剣呑な光を宿しているという事だけは判った。

「…お前ごときが俺に誰何を聞くのか?…人がせっかく…ゆっくりと眠っていたのに…
ドタバタとここに踏み入って、俺を起こしたのは…お前だろう…」

「えっ…そうなの? それは…御免なさい…」

「…謝って済む問題だと思うのか? おめでたい奴だな…。まあ良い…俺を不機嫌にした
責任はきちっとお前に取ってもらうとするか…」

「責任って…ちょっ、と! 何をするんだ…!」

 いきなり両腕を掴まれて、頭上で一つに纏め上げられたかと思ったら…相手の
もう一方の手は…克哉の下肢に伸びて、やんわりと性器を握りこみ始めた。
 その状態のまま…相手の唇が首筋から鎖骨の辺りを戯れに彷徨い、舌で舐め上げられたり
唇を滑らされていく。
 物心をついてから、そんな処を悪ふざけの時以外に他人に滅多に握られた経験が
なかった為に…克哉の背中はビクン、と跳ねた。

「…責任を取ってもらうって言っただろ? せいぜい…啼いてもらおうじゃないか…」

「啼くってどういう意味だよ! おい…やめろ、ってば…!」

 相手の体の下で必死になってもがくが、それでもビクともしない。
 そうしている内に相手に握り込まれて揉み込まれている性器が次第に熱を帯びて…
硬く張り詰めていく。その身体の変化に、ぎょっとなった。
 今まで自分のモノがこんな風に変化した事がない為に、克哉は軽い
パニック状態になっていた。

「やっ…やだってば…! 離せ、よっ…んんっ!」

「…ほう? 今更やめたら…お前が辛くなるだけだぞ…。こんなに硬く張り詰めている癖に
…何を嫌がっているんだ…?」

   相手の言う通り、克哉のペニスは病気なんじゃないかと疑いたくなるくらいに…
熱く硬く他人の掌の中で硬くなっていた。
 相手の指が裏筋や…亀頭の周辺を彷徨えば、それだけで電撃が走ったかのような
衝撃が背筋に走り抜けていく。

「やっ…やだっ! もう…止めて、よ…っ! 恐い、から…っ!」

「止めたら…お前が辛くなるだけ…だがな。強情な奴だ…」

 からかうような声の響きが耳元で囁かれると同時に、耳朶を強めに噛まれて…
尿道を抉るように爪を軽く立てられた。
 先程まで、初めて快感を知ったばかりの性器は…強い刺激によってそれだけで
もう我慢が効かなくなった。

「やぁ! あぁっ!!」

 一際高い声で克哉が啼くと、その熱い精の飛沫の全てを掌で受け止めていく。
 まだ未成熟な身体は…ささいな性的な刺激だけでも、昂ぶり…どうしようもなく
追い上げられてしまうのだ。

「…随分と早いな。まあ…お前にとって、こういう事は初体験だからな…
無理もないか…くくっ…」

「言うなってば…むっ…ぐっ…」

「…うるさい、奴だ…」

 自分が反論するよりも先に唇を塞がれていく。
 それがキス、という行為だと気づくのに数十秒を要した。
 低い声音で…言葉の振動が伝わる距離で囁かれて、ゾクリとした悪寒に似た感覚が
背筋を走っていく。
 熱い舌先が…克哉の口腔を縦横無尽に蠢き、嘗め回し…そして、吸い上げられた。
 その息苦しさに、本気で気が狂いそうだった。

「…お願い、だから…止め、て…苦し、い…っ!」

 射精も、大人のキスも…まだ12歳の克哉にとっては、知識としてはあっても…
まったく未知の領域のものだった。
 あまりに強烈な感覚に、流されそうになる。

  「うるさい奴だ…せっかく、気持ちよくしてやっているんだ…。その快感をせいぜい…
楽しんだら、どうだ…?」

「ひゃあ!」

 いきなり首筋に強く吸い付かれて、鋭い痛みを感じる。
 それと同じ動作を幾度も繰り返されて…その度に、克哉の背中は何度も海老のように
跳ねていった。
 そのまま唇は降下して、胸の突起に及んでいく。
 果実のように瑞々しい突起を舌先で執拗に弄られて…それだけで、さっき放たれた
ばかりの性器がまた熱を帯びていく。
 その身体の反応に、克哉は瞳にうっすらと快楽の涙を滲ませていった。

「…い、やっ…。あっ…はぁ!」

 何度も頭を振って、相手の与える感覚から逃れようと試みるが…すでに強烈な悦楽に
よって身体の芯から力が奪われてしまっていた。
 頭が、再び真っ白になっていく。
 まともな思考回路が掻き消えようとしたその時…眼鏡は、克哉のズボンから下着を
一気に剥ぎ取って…下半身の全てを外気に晒していった。
 その足を大きく押し開かれて、耐えようもない羞恥を感じさせられる。

「な、何するんだよ! こんな、事…どうして、するん、だよ…っ! あっ…!!」

「…お前が、俺の安らかな眠りを妨げたからだ…と最初に言っただろう。
おかげで俺は大変に不愉快だし、イライラしている。だから…お前に責任を取ってもらう、
と最初に言った通りだ。…恨むなら、不用意に俺の領域にまで踏み込んだ…
己の浅はかさを恨むんだな…」

「だから、責任って…えっ! 何…こ、れ…っ!」

 いきなり足を大きく開かされて、圧し掛かられたかと思ったら…自分のアヌスの周辺に
何か硬いものが押し当てられていた。
 …一応、小学校卒業の時点で最低限の性教育は受けている。
 さっき、実際に自分のモノだって同じようになっていた。

 それでも…そんな処に、他人の硬くなった性器が押し当てられる事が異常だって
事ぐらいは判っている。
 蒼白になりながら…相手の顔を見る。
 しかし…逆光になって殆ど見ることが敵わない相手の顔は…愉快そうに笑みを
刻んでいる事だけは…判って、克哉はぎょっとなった。

「あぁっ!」

 そのまま…一気に深い処まで刺し貫かれる。
 克哉と同じくらいの体格であるせいか…大人のモノを受け入れさせられる事を思えば…
負担は少なかっただろう。
 それでも…克哉にとっては、こんな行為そのものが初めての体験である。
 しなやかな少年の肢体が、闇の中で艶かしく揺れた。

「い、や…痛、い…」

 先程は気持ちよくて、生理的に流れる涙だったが…今度のは、本来受け入れるように
出来ていない器官で無理やり受け入れさせられた事による苦痛の為だった。

「…我慢しろ。人の領分を勝手に侵すような真似をする奴は…それ相応の、罰を喰らうべき
だからな…。これは俺を不用意に起こした…罰、と受け入れるんだな…」

「だから、何だよ…それっ! んぁ!!」

 深い場所で、相手の性器を受け入れさせられる苦痛に…克哉の顔が歪んでいく。
 それでも眼鏡は決して、身体を揺さぶり…深く穿つ行為を止めようとはしなかった。
 キツキツに締め付けてくる内部は最初は痛いぐらいだったが…何度も抽送を繰り返して
いる内に…少しずつ変化が訪れていく。

「んっ…ふっ…ぁ…」

 何度か往復している内に、克哉の反応が甘くなる場所を探り当てて…眼鏡は何度も
其処を注意深く擦り上げていく。
 その度に、克哉の四肢はピンと張り詰めて…背筋を大きく仰け反らせていった。

「やっ…恐い! やだ…っ! やだってば…!」

「…もう少し、自分に正直になったらどうだ…? 此処は初めて男を受け入れる割には…
俺のを貪婪に貪っているぞ…?」

「そ、んなの…知らない、ってば…やっ!」

 最奥を犯されながら、再び性器を強く握り込まれて…克哉は悲鳴を上げるしかなかった。
 12年間生きてきて、まだ精通すら知らなかった身体にはあまりに強烈過ぎる感覚で…
もうすでに逃げる事も抗う事すら出来ない。
 ただその暴力的な行為に飲み込まれ、翻弄されるしかなかった。
 相手の熱い塊が、克哉の感じる部位を容赦なく攻め続けていく。
 こうなった以上、必死になってその背中に腕を回して…その猛烈な快感に
耐えていくしか術はなかった。

「ん、もう…やだっ! いやだってば…! おかしく、なる…っ!」

 切羽詰った克哉の声が、闇の中に木霊していく。
 それでも眼鏡は決して容赦はしない。
 不必要に起こされた苛立ちや、疼きの全てを相手の中に叩きつけるかのような
激しさで腰を使い、相手を追い上げていった。

「んんっ!! あっ―!」

 ついに堪えきれずに、克哉が再び絶頂に達していく。
 先程の性器だけで齎された快感とは桁違いの感覚だった。
 全身が、奥まった箇所が小刻みに震えて…息する事さえも苦しくなる。
 そうしている内に…自分の中に、ドロリとした熱いものが勢い良く注ぎ込まれて、
ぐったりとしながら…それを受け止めていった。

「…悪くない味だった。結構…淫乱の素質があるのかも知れないな…お前は…」

 熱い舌先で、唇を舐められて…達したばかりの敏感になった身体がピクリ、と跳ねる。

「…淫乱って、どういう…意味?」

 ぼんやりとした眼差しで相手を見つめ返すが…やはり、まだ…その顔は見えない。
 荒い息を突いている自分の頬を戯れに撫ぜていきながら…眼鏡の少年は、
強気の笑みを口元に称えていた。

「意味が判らないなら…今は良い。まあ…今夜はこれで、お前の不法侵入の件は…
不問にしておいてやろう。今度からは、安易に俺の方まで足を踏み入れるんじゃないぞ…?」

「…うん。判った…」

 本当はこんな相手の言う通りにするのは癪な部分があった。
 それでも…もう散々好き放題にされて、逆らう気力すら今の克哉には残っていなかった。
 だから一応、頷いていくと…ふいに、唇に柔らかいモノが触れていった。

「良い子だ…。とりあえず…いずれ時が来て…会う日まで、な…」

「んっ…」

 不思議な事に…さっきまでは相当に意地悪だった癖に…その最後のキスだけは
とても優しく感じられて、急に…さっきまで渦巻いていた憤りみたいなものが抜けていく。
 その瞬間…はっきりと見る事が敵わなかった相手の顔が、一瞬だけくっきりと見えた。

(…オレと…同じ、顔?)

 自分の顔など、毎朝鏡の前くらいでしか見ていないので確証は持てなかったが…
自分を無理やり犯した少年は、こちらと瓜二つの容貌をしていた。
 その少年は…悠然と微笑みながら、もう一度…こちらの瞳を覗き込んでいく。
 どこまでも深く冷たい瞳に、意識が囚われた
 その目から…どうしても、克哉は目を離す事が出来なかった。

『また、な…<オレ>』

 その言葉を聞くと同時に、克哉はそのまま意識がまどろんでいくのを感じた。
 達した事による、心地よい疲労感と余韻がジインと全身に広がって…睡魔へと変わった。
 最早、眠りたくないとかそういうレベルではなかった。
 猛烈な消耗によって…肉体は睡眠と休息を必要としている。
 最後にその言葉を聞くと同時に…克哉の意識は、眠りの深淵へと緩やかに落ち、
溶けていった―。
                                  
 *


 翌朝、克哉が自室のベッドの上で目を覚ますと…酷い疲労感と、
軽い頭痛に悩まされていた。

「ん〜…何か昨日も、すっごい夢見が悪かった気がするけど…どんな夢を見ていたのか
思い出せないや。…はあ…」

 これで何日連続で、夢見が悪かったんだろうか…その現実に深い溜息を突くと、
ベッドの上から身を起こそうとした。
 その時、何か気持ち悪い感触がして…つい、布団を巻くって自分の下肢を眺めていった。

「うわっ! な、何これ…! パンツから、ズボンから…シーツまで、ぐっしょりだ…!」

 それは克哉にとって、初めての夢精だった。
 学校で教育されて、自分くらいの年齢から男性はこういう事がある…という知識ぐらいは
知っていたが、いざ実際に目の当たりにすると…死ぬ程恥ずかしい。
 思わず顔が真っ赤に染まっていった。

「も、もしかして…昨日、いやらしい夢を見たのかな…オレ。うわっ、母さんに何て
言えば良いんだよっ!」

 股間を抑えながら、ベッドの上で克哉は途方に暮れるしかなかった。
 年頃の男としては仕方ない事だと判っていても、親にこんなのを始末して貰うのは
非常に恥ずかしい上に居たたまれない。

「自分で洗うしかないのかな…。恥ずかしくて死にそうだよ…」

 涙目になりながら、克哉は一旦着替えようと…ベッドの上から身を起こして、
汚れた衣類の数々を脱いで着替え始めていく。
 その時、最後に聞いた言葉だけがふいに…頭の中で再生されて、背筋がゾクンと
粟立っていった。

『またな…<オレ>』

 これは…克哉自身すら覚えていない、遠い遠い少年時代の話。
 …もう一人の自分と出会い、快楽を与えられる夢を見た日。
 記憶の上で再生される事はない思い出のカケラ。
 それでも確かに、彼らは出会い、触れ合い…そしてまたな、と約束していたのだ。
 無意識の深い夢の領域で―

 佐伯克哉が、この日の事を思い出すのは…十数年後の未来の事、だった―





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