白銀の輪舞(中編)香坂幸緒御堂が正気に戻ってから…一ヶ月の月日が過ぎた。 どれだけ苦しくても、必死になって身体を使い…身の回りの事は自力でするように 努力したおかげで、驚異的なスピードで回復していた。 指先の感覚がきちんと戻り、長時間立っていても…足先から力が抜けるような事は もうない。 その為…御堂は克哉が使用している和食メインの料理本を開きながら…本日は夕食作りに チャレンジをしていた。 「ふむふむ…包丁をこう使ってニンジンは大きめにザクザク切って…と…」 本に書いてある通りの調理法を忠実に守りながら、肉じゃが用に ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、シラタキ等を丁度良い大きさに切っていく。 一応一人暮らしをしていた期間が長い為、御堂は一通りの料理は 作る事が出来ていたが…イタリアンやフレンチ系のレシピが多かっただけに 肉ジャガなどは…殆ど作った事がない。 あったとすれば…学生時代の調理実習でくらいだろう。 「見てろよ…佐伯。今日は私が夕食を予め作っておいて…びっくりさせてやろう…」 何とも凶悪な笑みを浮かべながら、肉じゃがに必要な材料を全て切り終えていく。 克哉は日中は…御堂の分の朝食と昼食は用意しておいて…自分が帰宅してから 二人分の夕食を作っていた。 いつまでも克哉に食事を作って貰っている状況に、いい加減に焦れたので 本日…久しぶりに御堂が包丁を握っている訳だ。 克哉への対抗意識が、今はみなぎる程のやる気に繋がっている。 子なべに火を掛けて、ゴマ油を落としていって…それを軽く熱していく。 少し湯気が出て来たくらの頃にブタ肉を切ったのを入れて丁寧に炒めていき 一通り熱が通ったら…ニンジン、ジャガイモ、タマネギの順に投下して火を通していった。 手順は完璧だ、と動くようになった自分の手先に満足しながら…仕上げに 麺ツユや日本酒、みりん等を入れてシラタキも投入していく。 これで一煮立ちさせて…蓋を閉じて、暫く蒸らして置いておけば美味しい 肉じゃがの出来上がりだ。 仕上がりを想像しながら…次は何を作るか頭を巡らしていると…ふいに 背後から抱きすくめられて、ぎょっとなった。 「なっ…!」 「ただいま、御堂…良い匂いだな…?」 …十数分間、作る事に没頭していたおかげで…いつの間にか克哉が帰って来ていた事に 気づいてなかったらしい。 御堂の髪にそっと顔を埋めて、項に軽く唇が触れていく。 その感触に、思わずぎょっとなって…叫んでいた。 「さ、えき…それ、くすぐったいから…離れ、ろ…」 「嫌だね。俺の為にせっせと料理してくれている可愛い姿なんてみたら… あんたを抱きしめたくなって、当然だろう…?」 「だ、誰がお前の為なんか、に…!」 「違うのか?」 背後から御堂を抱きすくめた状態のまま、意地の悪そうな微笑を浮かべて 克哉が問いかけて来る。 それに対して顔を真っ赤にしながら…御堂はぶっきらぼうに答えた。 「…いつまでも、お前に食事の世話になっているのが嫌なだけだ。これは私の 分だけを作っているだけだ…」 「へえ? その割には…小鍋いっぱいにあって…どうやっても二人分以上は ありそうだけどな…?」 図星を突かれて、御堂はぐっと答えに詰まっていく。 彼の予定では…克哉が帰宅する頃を見計らって夕食を用意しておいて びっくりさせるつもりだったのだ。 私は、お前の世話ばかりになっている訳じゃないぞ。 ここまで回復したんだぞ、と…そう訴えたくて、料理する事に踏み切ったのだ。 しかしその製作途中に相手に見つかっただけじゃなくて…こんな風に背後から 抱きしめられたら、まるで新婚夫婦みたいである。 それを自覚して、更に顔が火照り始める。 「…別に、一度に沢山作っておいても良いだろう…? その方が手間が省けて 面倒ではないし…」 「…くくっ、いい加減…認めろよ。俺の分も…作ってくれていた事実を、な…」 「そんな事…っ!」 と、相手の方を振り返った途端…唇を塞がれていた。 一瞬…状況が理解出来なかった。 しかし…視界いっぱいに相手の顔が移り、柔らかいものが唇に触れている事を 自覚した瞬間…御堂の頭は真っ白になり、抵抗も反論も一切出来なくなっていた。 「ん、んっ…」 やんわりと唇を舐め上げられて、甘く吸い上げられる。 わざと御堂の口内には侵入させず…唇の裂け目の浅い処や、輪郭を 辿るようにしながら…舌を這わせていく。 その感触に鳥肌が立つくらいに…感じていく。 相手のスーツの袖を咄嗟に掴んで…その感触に耐えなければ…そのまま 膝から崩れ落ちそうになるくらいに…感じてしまっていた。 「あっ…」 久しぶりにされる甘いキスに…酔いしれそうになる。 この一ヶ月…克哉は御堂の世話は欠かさずやっていたが…性的な意味で 触れてくる事はしなかった。 最初の頃は入浴も少し手伝ってもらっていたが…二週間を過ぎる頃には 一切手を借りる事もなくなっていたし…肌を見せる事もなくなっていた。 同時に…こうやって触れられることもまったくなかった。 「やっ…だ…さ、えき…や、め…」 「嫌、か…?」 声の振動が唇に伝わってくる距離で、低い声で囁かれる。 一瞬…眼鏡の奥で目を細めていた相手の瞳と目が合って…言葉に詰まっていく。 こんなキスをされたら、そこから腰から下が蕩けそうになって…力が 入らなくなる。 それに…今、自分を支えている…彼への怒りや憎しみ。そういった感情が 綺麗に消え去ってしまいそうで…困惑した表情を浮かべていく。 克哉はそれを拒絶と取ったのだろう。 …ふっと目を伏せると腕を解いて…御堂から身体を離していく。 「嫌…なんだな。悪かった…御堂…」 「えっ…あ、あぁ…」 つい、頷いてしまっていたが…こうあっさりと相手から解放されて、御堂の方も 困ったような表情になる。 以前の彼であったのなら…自分が嫌だと言おうが泣き叫ぼうが、このまま行為に 及ばれていた事だろう。 しかし今の克哉は違う。 こちらが答えに詰まっているだけでもそっと腕を離して、解放してくれる。 あまりの態度の違いに…御堂の方も、呆然とするしかなかった。 (いや、じゃないから…困っているんだ。…判ってくれ。それくらいは…) 声にならない叫びを胸の奥に宿しながら、御堂は視線を戻していく。 手に持っていた鍋の状況を見てぎょっとなった。 「わっ!! 佐伯の馬鹿! 火を使っている時に妙な事をしたから…肉じゃがが 少し焦げたじゃないか!! それに私が手を滑らせて鍋をひっくり返したりしたら どうするつもりだったんだー!」 慌てて火を止めて、ガスコンロから小鍋を開けていったが…中身の下の方が うっすらと焦げて何とも香ばしい匂いが部屋中に漂っていく。 危なかった…後、30秒も放置していたら香ばしいではなく、焦げた匂いになって 味も著しい劣化を免れなかっただろう。 「…すまない」 「判れば、良い。後…お前は座っていろ。今夜は私が夕食を作る。いつまでも お前の世話になっているのは御免だからな」 「…あぁ、楽しみにしている。あんたの手料理なんて…初めてご馳走になるからな。 心して食べさせてもらおう…」 「あぁ…」 そうして、相手の身体が遠ざかり…背面の状態のまま、克哉が部屋に 消えていく気配を感じ取った。 「…急に、あんな風に抱きしめるな…バカ…」 短く、相手に向かって文句を言っていく。 まだ心臓がバクバクと鳴っているのを自覚して、悔しそうに御堂が呟く。 「…一ヶ月も、私に何もしなかった癖に…」 背中に少しだけ残っている相手の温もりを思い出し…それを振り払うように 頭を何度か横に振った後…御堂は夕食の準備に戻っていく。 微かに残った相手の残り香が…余計に寂しさを強く感じさせる。 何故、克哉が以前のように自分を抱かない事を…切なく思うのか 自分でもその理由を掴み切れず、御堂はギュっと瞼を閉じて…その感情を 抑えていくしかなかったのだった― 身体を投げ出していくと…克哉は深い溜息を突いていた。 もう自分を抑えるのは限界だと、心底感じていた。 御堂を致命的に壊した日から一年近く。 抱いても反応を返さない彼をいつしか抱く事も性愛の対象にする事はなくなっていた。 愛してはいたが…何をしても眉一つ動かない人形のような彼を抱いても、決して満たされる 事はないと思い知らされていたからだ。 しかし目覚めた日から…徐々に以前の姿に戻っていく御堂を見て、克哉は心から 愛しいと感じ始めていた。 ―愛しいから触れたい。抱いてどこまでも啼かせて自分に縋り付かせたい そんな凶暴な欲望と、二度とあんな風に壊したくないという想いがこの一ヶ月… 克哉の中で渦巻いていた。 さっき、自分の為に夕食を作っている姿なんて反則だ、といっそ呪いたくなった。 キスした時、本当はその場で組み敷いてその身体を貪りたかった。 「くそっ…!」 御堂の温もりと僅かな時間だけ触れた唇の感触がどうしても忘れられない。 あれから何度も身体が滾って、風呂場で一人で沈めた。 それでも燻りは消えず、むしろ酷くなっていた。 自分の中の凶暴な獣が、解放を求めて暴れ狂っているのが判る。 ベッドの上で何度も寝返りを打ちながら、少しでもその欲望を逃がそうと試みていく。 「…こんな夜は、一杯引っ掛けて…眠るに限るな…」 アルコールは血管の拡張作用があり、飲んだ当初は体温を急激に上げていく。 それから暫くすると一気に体温が下がっていく為に…眠れない時の睡眠の導入には 確かに効を成す。 しかし同時に飲む事で4〜5時間後には眠りの浅くなる周期を呼び込み、熟睡の妨げに なる一面もある。 しかしこのままでは眠れない…という時には、眠りが浅くなっても少しは寝た方が 身体の為ではある。そう判断し…ベッドから起き上がって台所を目指し始めた。 面倒に思って、電灯はつけないまま…手探りで薄闇の中を動いていく。 御堂の身の回りを面倒見る為にいつしかここで寝泊りするようになっていたが… 暗い中で動いても問題ない程度にはいつも片付けてある。 闇に目が慣れたこともあって、スイスイと台所の方まで向かっていくと…何か 声が聞こえた。 「………っ!」 それは微かな呻き声だった。 何かを必死に耐えているような切羽詰ったものを感じさせる。 怪訝に思って…微かに開いていた御堂の部屋の扉の前に立ち、中の様子を 伺っていく。 ベッドの上の布団が、ゴソゴソと蠢いて…僅かな衣擦れの音を響かせていた。 「ぁ……っ…」 僅かに漏れる声は微量で、夜の静寂の中でなければ耳に届かないほど か細かった。 こんな声を漏らす行為は、心当たりは一つくらいしかない。 先程自分が風呂場でしていたように…御堂もまた、同じように思って 今…そこで自らを慰めているんだろうか? ドクン、ドクン、ドクン、ドクン… 己の心臓の音が、うるさいぐらいに高まっていく。 宵闇が全てを覆い尽くしているせいか…想像ばかりが大きく膨らんで 制御を見失いそうだ。 「ぁ…さ、え……っ…き…!」 暫くその場に立ち尽くしていると、今までよりも少しだけ大きな声が ベッドの上にいる御堂の唇から漏れていく。 それが決定打、だった…。 「………御堂…っ…」 もう、我慢が効きそうにない。 己の中の獣が鎖を食いちぎって…解き放たれたのが判った。 暫く誰の温もりにも触れていない、という理由もあった。 御堂が壊れてからは、MGNの人間も八課で一緒だった人間も全て 彼の面倒を見ることを優先して…一切の付き合いを絶っていた。 誰とも深い交流をする事も、バカ騒ぎをする事もなく過ぎていた一年間。 その孤独もまた…彼の中の凶暴な衝動を育てる一因となっていたのだ。 大事にして二度と傷つけるような振る舞いはしない。 克哉がこの一ヶ月、ずっと抱いていたその戒めも今は何の意味も成さない。 ただ、御堂を思うが侭に貪り尽くしたい。 その強烈な欲望に突き動かされながら、御堂の部屋の扉を乱暴に開け放った。 バァァァン!!! 荒々しく克哉が扉を開け放った音が、静寂の中に響き渡った。 御堂はその音にはっとなって、自慰行為を中断して身を起こしたが 声を出す間もなく組み敷かれ、唇を塞がれていく。 「っ…!!」 噛み付くような、乱暴なキスだった。 強く唇を食まれて、何度も痛いぐらいに唇を食まれて…気づけば 血の味が微かに混じり始めていった。 状況が判断出来ない状態で、強引に身体を弄られて…足を大きく 開かされて、身体を割り込まされていく。 相手の膝が、寛げて露出していた性器を性急に擦り上げていけば… たったそれだけの刺激で、溢れんばかりの蜜が相手のズボンを汚し始めていった。 「なっ…! や、め…ろっ! ど、うして…!」 無理やり身体を開かれそうになって、懸命に身を捩って御堂は 抵抗していく。 しかし…克哉は獰猛な光を瞳に称えたまま…こちらを射抜くように きつく見据えて…パジャマの襟元の部分に手をかけて…手荒く布地を 引き裂いていった。 「ひっ…! あっ…あぁ!!」 硬く張り詰めていた胸の突起を両方同時に押し潰されるように愛撫されて 痛みと快楽の入り混じった感覚が全身を走り抜けていく。 余裕なく零される悲鳴は、相手に貪るように深く口付けられて… 封じ込まれていった。 「御堂…み、どう…っ!!」 今の克哉はまさにケダモノ、としか形容しようがなかった。 御堂という美味しそうな香気を放つ獲物を前に理性を失い、それを 貪り尽くしたいという欲だけが彼の心の中を支配している。 熱い舌先が、御堂の口腔を縦横無尽に舐め尽し…御堂の舌を 容赦なく絡め取って…息苦しくなるぐらいに吸い上げていく。 御堂の硬く張り詰めている性器に、克哉の欲望が何度もぶつかり 自己主張していく。 あからさまなソレに、御堂は恐怖心と…言いようのない身体の疼きを 覚えていた。 (ど、うして…こんな酷い事をされて…私、は…感じている、んだ…?) 相手が己を求めて、昂ぶっていることに悦びを感じている自分がいる。 それと同じくらいに…今の克哉は、恐かった。 想いを伝えてくれる言葉の一つも口にせず、ただ…こちらの身体を煽って 高め上げていく。 …この一ヶ月で克哉の事を好きになりつつあるからこそ…言葉一つなく 無理やり身体を開かされる事に抵抗を覚えて、何度も何度ももがいて 相手の腕の中から抜け出そうと試みていく。 「御堂…俺を、拒むな…っ! そんなに…俺が、嫌、なのか…!」 「違う、佐伯… ち、がう…んだっ! ひゃあ…!」 今の克哉には、御堂の言葉を詳しく聞いていられる程の余裕はない。 相手の性器をギュっと強く握りこんでいくと…根元から棹の部分を何度も 扱き上げて…脆弱な鈴口を執拗に攻め上げていく。 ただでさえさっきまで自らの手で追い上げてビンビンに硬くなっていたのだ。 他人の手でそんなに強い刺激を加えられたら…ひとたまりもない。 「だ、だめっ…や、だ…こんなに、乱暴なのは…っ! 嫌、だぁ…!」 克哉が、嫌な訳じゃない。 事実先程まで…自分は彼にどこかでこうして欲しいと思ってペニスを 慰めていたぐらいなのだから…。 御堂が必死になって訴えているのは、愛情の確認もなく強引に身体を 繋げるのは嫌だ…という事なのだ。 しかし欲望で頭に血が昇りきっている今の克哉にはその細かいニュアンスを 判断して分析出来るほど、冷静になりきれてなかった。 ただ…相手からの「嫌」と「だめ」という言葉だけで…己が拒絶されているように 感じられて切なげに瞳を伏せていく。 「俺じゃ…やはり、駄目…なのかっ!? 」 「違…っ…佐伯、お願い、だから…聞い、てっ…くっ…れ…! あぁぁぁ!!」 いつの間にか性急に下着ごと、パジャマのズボンが剥ぎ取られて 恥ずかしく収縮している蕾まで相手の前に晒されていた。 其処に無理やり、蜜を塗り込められて…鉤状に曲げた人差し指を 奥深くまで突き入れられたのだから…堪らない。 前立腺の部位を的確に指の腹で探り、擦り上げていくと…御堂は 全身を大きく痙攣させて、その甘美な攻めに耐えていく。 「………っ!!」 ふいに、御堂の顔が恐怖心で強張った。 焦燥に駆られて暗く獰猛な眼でこちらを見つめてくる克哉の眼差しが こちらが正気を失う寸前の…陵辱行為を繰り広げていた恐ろしい彼の 瞳と被さっていく。 その瞬間…穏やかな日々で塞がりつつあった筈の心の傷が…パクリと 開いてどっと血が吹き出し始めていった。 ―御堂の心は、一瞬にして過去の記憶に囚われていった。 「あっ…あっ…あぁぁぁぁっ!!!!」 忘れていた筈の恐怖心がどっと吹き出して、涙が零れ始めていく。 御堂の瞳は瞬く間に虚ろになり、ガラス玉のように力ない…無機質な ものへと変わり果てていく。 その変貌に、克哉は焦燥感を覚える。 こんなに愛しいと思っているのに! これだけ欲しいと言う気持ちでいっぱいだというのに!! 御堂自身にそれが届く事も、受け入れられる事もなく。 行き場のない強い想いは逃げ場を失い、強烈な奔流となって 克哉を突き動かす衝動へと変換されていく。 「御堂っ! 俺を拒むな! 受け入れて、くれっ…!」 まだ慣らしてもいない場所に、ペニスを強引に宛がって 先端を挿入しようと試みていく。 その行動によって、御堂の身体は一層強く強張る。 御堂の拒絶するような反応が、克哉の心を余計に焦らせて 彼から冷静な判断力を奪い去っていた。 「嫌だっ…お願い、待って…くれっ! さ、えきぃ…!」 快楽に抗うように必死に喘ぎながら、体制を立て直す為の 時間を御堂は求めていく。 多分、恐怖の感情が呼び起こされている状態では…せっかく身体を 繋げても悲しい結末を招くだけだ。 好きだから、そうなりたくない。 その一心で叫んでいるのに今の克哉にはその言外の気持ちが 正しく伝わる事はない。 「そんな、に…あんたは…っ! 俺が、嫌いなのか…!!」 引き絞るように克哉が叫んでいく。 あの傲慢で冷たかった男が涙を瞳に滲ませながら、こんな事を 口にするなど…以前は考えられなかった。 同時に、信じられなかった。 (違う! 佐伯…違う、んだ…っ!) 必死に頭を振りながら、否定の意思を示していく。 けれど…トラウマが目覚めている状態では、舌がもつれて…言葉が 上手く紡ぐ事が出来なくなっていた。 喉の奥から、くぐもった呻き声しか漏れず…虚ろな眼差しだけしか 返せない自分が恨めしかった。 この一ヶ月の日々でようやく取り戻した己のコントロール権が… 一気に奪われていく。 恐らく、このまま…無理やり抱かれれば、恐怖の感情が再び 御堂の心を壊して、外界への扉は閉ざされて暫く帰って来る事が出来なく なってしまうだろう。 かつて、克哉が御堂に与えた仕打ちは…それだけ陰惨で 酷かったのだから…。 「助けっ…!!」 「御堂っ!」 やっと出てくれた言葉が、それだった。 克哉は必死になってその身体を掻き抱いて…泣きそうな顔を 浮かべている。 指を引き抜いて、熱く滾ったペニスが宛がわれた。 少ししか解されていない其処を割り開くように腰を進め始めていく。 御堂は必死に括約筋に力を込めて、克哉の侵入を拒んだ。 「今は…ダメ…だ…止め…!!」 力なく涙を零しながら…消え入るような声で訴えていく。 けれど暴走している克哉は…もう止めれない。 好きだから御堂が欲しいだけなのだ。 なのに、相手に拒絶されてしまっている。 その悲しみと憤りが…悲しいすれ違いを生んでいく。 紛れもなく今は両思いな筈なのに…僅かな気持ちの行き違いが 悲しい結末を呼び起こそうとしていた―。 『そんなのはダメだ…!!』 ふいに、頭の中から声が聞こえた。 最初は幻聴かと、思った。 しかしその一言ははっきりと克哉の脳裏に響き渡り 次の瞬間、更に大きな音が響き渡った。 パリィィィィィィン!!!! それは大きなガラスが盛大に砕け散る音に良く似ていた。 まるでタマゴから雛が孵り、もがいて内側からその殻を突き破るような ―そんな感覚だった。 白いイメージが、一気に克哉の意識を駆け巡って…光輝く 何かに…自分の意思が覆われて、包み込まれていく。 「お前、は…っ!」 克哉の瞳が驚愕で見開かれていく。 次の瞬間、ブレーカーが落ちるように…いきなり身体から力が抜けて 御堂の身体の上に倒れこんだ―。 「…さ、えき…?」 暫くして…御堂が力なく問いかけるが…克哉の身体はいきなり 活動を止めて…彼の身体の上でぐったりとなっていた。 「おい! 佐、伯…一体…どうした、んだっ!」 必死になって御堂が呼びかけるが、克哉の身体はピクリともしない。 その身体からは…今は完全に、意識は失われてしまっていたのだった―。 ―ずっと、この一年間二人を見守っていた。 もう一人の自分は…オレを必要としていない事ぐらい判っていた。 だからずっと大人しく息を潜めて…彼の内側から、自分は見守り 続けていた。 時々、彼と繋がって…夢の中で言葉を掛けた事があったが、それに 決して甘えることもなく、こちらが手を伸ばしても受け入れられる事もなく。 傍観者でいる事しか、出来なかった。 (やっと…貴方に手を伸ばせる…!) 久しぶりに肉体のコントロール権が戻って、何分かは動けずにぐったり しているしかなかった。 だが指先から…徐々に動かせるようになると、もう一人の克哉は― 銀縁眼鏡をゆっくりと外し始めた。 「…君、は…」 御堂は、ぎょっとなった。 一瞬で…自分を無理やり抱こうとしていた男の表情が豹変したからだ。 どこか鋭利で冷たい印象を持つ顔が、あっという間に穏やかで頼りなげな ものに変わっていく。 (そういえば…初めて会った時の佐伯の顔は…こんな感じだったな…) あの本多という、暑苦しくて体育会系まっしぐらな男と一緒に自分の処に 乗り込んで来た時は何て使えそうにない奴だ、としか思わなかった。 眼鏡を掛けた瞬間から…まったくの別人のような印象になって ―そして、自分の苛立ちが生まれるキッカケとなったのだ。 「本当に…御免なさい。御堂…さん…」 「………さん、だって…?」 目覚めてからはずっと、佐伯は自分の事を「御堂」と呼び捨てにしていた 筈だった。しかもさっきまでと全然声まで違う。 こんなに情けない様子の佐伯の声なんて…随分前に聞いたきりだ。 状況についていけずに困惑の表情を浮かべていると…強い力で 抱きしめられていく。 ―それはどこまでも暖かい抱擁だった。 「さ、えき…君は…一体…」 なんなのだ? という問いかけはすでに言葉にならない。 ただどこまでも優しく抱きすくめられて…それでやっと、身体の力が 抜けていく。 こんな風に…彼に優しく抱きしめられた事など、初めてだった。 性的な意味合いを持たない、慈愛に満ちた腕の中は…御堂の中にあった 憎しみの感情を容赦なく溶かしていく。 もう一人の克哉は…泣いていた。 ただ静かな涙を頬に伝らせて…切ない表情を浮かべながら、御堂の 顔を優しく撫ぜ続けていた。 「御堂、さん…」 穏やかな、声で何度も飽く事なく…御堂の髪や頬に指を滑らせていく。 相手の涙が…御堂の頬に静かに落ちた。 顔がゆっくりと寄せられて…その唇が静かに重ねられた。 ―それを拒む事なく、静かに御堂は受け入れていた。 (…この一年、ずっと…見ていた。どれだけもう一人の俺が…貴方を 愛していたかを…) 口は、上手く動いてくれない。 だから…克哉は、態度で相手への愛情を示し続けた。 自分は傍観者だった。 それだから、客観的な視点を持って判断出来た。 この人は紛れもなく…眼鏡を掛けた方の自分を想ってくれている。 あれだけ献身的に一年以上も世話を焼き続けていた、もう一人の自分の 努力は…実り始めていたのだ。 だからこそ、壊したくなかった。 やっと二人の間に芽生えた愛情の芽を守りたいと思った。 その強い想いが…強固な殻を突き破り…ほんの短い時間だけでも こうして一年ぶりに表に出る事が出来たのだ。 「佐伯…私には、君が判らない…」 御堂も泣きそうな声で、呟いていた。 しかし…先程無理やり自分を貫こうとしていた克哉の性器が今は静まって 力を失っているのに気づくと…初めて、自分から彼を抱きしめていく。 こんなに…彼の身体を暖かいと思った事など、初めての事だった。 「…御堂、さん…これだけは…聞いて、欲しいんです…。どんなオレでも… オレは、貴方を心から愛している…と…それだけは、忘れないで…下さい…」 本当は、自分が言うべき言葉ではない…と判っていた。 しかし…もう一人の自分は実は凄く不器用だという事も、知っていた。 眼鏡は酷く慎重になっていて…多分…御堂に想いを伝えるにはかなりの 時間を要するだろう。 けれど今の御堂ならば…たった一言、こちらの方から確かな想いを口にすれば… 心を開いてくれる筈だ、と確信があった。 それは人の心を読み取るのに長けた…穏やかな方の克哉だからこそ 判った事だった。 「…私、も…だ…」 御堂も、力なく応えて…こちらの身体をぎゅっと抱きしめていた。 それを感じて…急速に、意識が消えていくのが判った。 涙を流しながら、克哉はしっかりと…御堂を抱きしめていく。 自分がこうやって、表に出て…この人に触れる事はもう二度と 出来ないのかも知れない。 けれど、自分はそれでも良いと思った。 もう一人の自分も…紛れもなく自分自身なのだ。 どれだけ別人のようであったとしても…自分たちは確かに繋がっていて。 彼の悲しみは、自らの悲しみであり。 彼の喜びは、自分の喜びでもある。 例え二度と…こうして表に出る事は叶わなくても。 この二人が幸せならば…それで良い、と…克哉は思っていた。 (さようなら…御堂さん。もう一人の俺とどうか…幸せになって下さい…) 心からの願いを込めて…もう一人の自分に、この身体を返していく。 そのまま…穏やかな眠りが、御堂と…克哉の間に訪れた。 静かにその身を寄せ合って…ただ、間近に相手の体温と寝息を 感じ取っていく。 目覚めてから一ヶ月間、初めて二人の間に…こうして穏やかで 優しい時間が生まれたのだった―。 白銀の輪舞(前編)へ 白銀の輪舞(後編)へ |