Andante sostenuto




14




「ただいまー、かなでちゃん。帰ってる?」
 あおいが帰ってきたらしい。幸福なソプラノが寝不足できりきり痛む頭に心地よかった。
 定時で仕事を上がり、音速で帰りついた岡田家のベッドの中、電気もつけずにうつぶせになっていたかなでは答えた。
「帰ってる……おかえり、あおい。」
「暗っ」
 部屋とかなでの状況にぎょっとしたらしく、あおいは慌てて部屋の中に入ってきた。ベッドに彼女の体重がかかり、それから後頭部にやさしく触れてくる手のひらを感じる。
「部屋も暗ければ声も暗い! どうしたのー、何かあった? また具合わるい?」
「少し。うん、疲れた……だけ。ごめんね、居候の身なのに」
「居候だろうがなんだろうが関係ないよ。どしたの? また会社でなにかされた?」
「ううん。それはどうでもいい。幼稚すぎて取り合う気にもなんない」
「じゃあどうしたの?」
「……面倒くさい。」
 ぜんぶ、と付け足すと、あおいが息をゆっくり止めたのがわかった。
あたしはずるい、とかなでは自分で自分を罵る。あおいがこの場所を知っているから、わかってくれると甘えている。寂しくて切なくて悔しくてやりきれない、息するのが辛い、頭が痛い、胸が痛い。ぜんぶやめたい、だけどやめたら生きられない。
 誰とも決して分かち合えないこの感覚を、分かって欲しいと思ってしまう。それはとても、とても残酷なことなのに。
「辛いね」
「……ごめん」
 かは、と息を吐き出してかなでは涙ぐんだ。もはや体の調子が悪いのか心の調子が悪いのか区別できないほど苦しかった。あおいの髪のいい匂いがすぐ側から香った。
「どうして謝るの?」
「思い出させてごめん。」
「大丈夫だよ。そんなに弱くないから。ねぇ、お茶飲む? なにか食べないと。お昼ちゃんと食べた?」
 まるで本当の姉妹のようなその言い草に、かなではやっと少し笑うことができたが、その笑みは細い草花のようにすぐに枯れた。
「ほとんど食べてません。ごめんなさい」
「もお!」 
 あおいは打てば響くはやさで憤慨し、いきなり部屋の電気をつけた。そしてそのまぶしさに思わずたじろいだかなでに対してまくしたてる。
「かなでちゃんは自分で自分を不幸にしてる気がするわ! あのね、今日お母さん夜勤だからあたしが夕飯作るのね。何が食べたい? 材料買ってくるよ。藤原くんも来るって。ご両親がまた留守だから拾ってあげるの」
「拾ってあげるって……え、っていうか、いいよあおい。仕事帰りで疲れてるでしょ、無理しないでよ。」
 自分が居候であると片時も忘れたことはないかなでは慌てて身を起こして言った。頭がズキズキして眼がうまく開けられないし、食欲はほぼない。それでもこの温かい空間を与えてくれた目の前の女の子に迷惑をかけたくないという信念は、かなでに律儀にこう言わせた。
「ほんと、気、遣わないでいいから。」
「遣いたいのよ。誰がどう見てもかなでちゃんの方が無理してるじゃない。顔色が土色なの自分で気がついてる? いいのよ、甘えてよ。あたしもママもちゃんと考えてかなでちゃんをうちに呼んだのよ。勢いだけで言ったわけじゃない。ね、お願い、届かないかな。気を遣わないでねって言いたいのはこっちよ。あたし達だってお父さんやお兄ちゃんがいなくなっちゃって寂しいし、だからかなでちゃんを呼んだ部分があるし、利用してるのよ。だから利用していいのよ。お願い、焦って、ひとりでぜんぶ抱え込んじゃわないでね。恐怖を一人で押し殺してしまわないでね。何が食べたい? 腕によりをかけて作りますわよ」
「……あおい」
 どうしてそんなにお人よしなの、と本気で言いたくなった。かなでは、もう社会人として収入を得ている一人前の女であるし、人間が一人生きていくためにどれだけの金や手間がかかるかということを知っている。客観的に見て岡田家は極貧というわけではないだろうが、決して金持ちでもない。
 食費とか、朝起きて他人がリビングをうろうろしている違和感とか、自分はとっくに眠っている時間に隣の部屋の人間はまだ起きているという生活習慣の違いや、そういう小さな問題たちにあおいが気がつかない筈はないのだ。
 つまり、彼女と彼女の母はそれらを全て受け入れて、その上でかなでを遇していると言うことなのだ。お人よしな彼女たちに問題は無く、あるとしたら、それをいつまでたっても受け入れられない頑なな自分だった。
 ずん、と怖くなった。
 わたしはもしかしたら、自発的に孤独を選んで生きているのかもしれない。
 まずいと思った。栓が外れる。嘘だと言って欲しかった。孤独を何より恐れるかなでがこんなに一人ぼっちなのは、かなでがそれを望んでいるからだなんて、そんなひどい話はないではないか。
 沈みそうになる心を慌てて両手で救い上げる。笑って、はしゃいだ声を出した。
「ありがとう、うれしい。じゃあ、お言葉に甘えようかな。あたしカツ丼食べたい」
「うわ、また重いものを! でもいいよ、藤原くんもカツ丼好きだしね。冷蔵庫に豚あったかなー。なかったら買ってこなきゃ。かなでちゃん、起きれる? よかったら一緒にスーパー行こう」
「うん、行く行く。ねえ、デザート買わない?」
「いいねえ。プリンとか」
「ケーキとか、エクレアとか。みたらし団子なんかもいいわね」
 かなでは起き出してあおいと共に階下に下った。足元がふらついて想像以上に自分が具合が悪いことを知ったが、今更退けないし、あおいが元気付けてくれようとしているのが痛いほどわかっていたのでついていった。
それに、今の状態で誰もいない家に置き去りにされるほど辛いことはなかった。しんどいし、誰とも喋りたくない気がするが、誰かに側にいて欲しい。矛盾しているが、生粋の女であるかなでの孤独はそういう形をしていた。アンバランスなのだ。
孝輔がやってくるのを待ち、彼の車で買い物に行って食材をたんまり買い込むと、家に戻ってきて結局三人で料理をした。あおいの料理が上手いことをかなでは知っていたが、孝輔までもがかなり上手に包丁を操るのを見て驚いた。今日の彼は潔い紺色の、ざっくりしたセーターを着ていた。
「ずっと一人暮らししてるし、家にも親いることの方が少ないからね。自炊は得意」
 孝輔はさらりと笑ったが、かなではその何気ない発言の裏に潜んだ彼の寂しさを嗅ぎ取り、だから彼はあおいが好きなんだわ、と一人納得した。
 孝輔から直接聞いたわけではないが、彼の家庭は父親が医師で母親が社交界の花である関係上、昔から家族がひとつところに集うことがあまりなかったらしいのだ。孝輔と彼の兄は医師になるべく育てられたがどちらも結局その道は選ばず、中学生頃にはすでにイギリスへ留学してしまったということだから、その身に抱く虚無の大きさたるや想像を絶するものがある。
 あおいは光を纏う子だ。どんなに忌々しい事件がその身に降りかかり、汚れて臭い世界の路地裏を覗き込むことになろうとも、純粋に人を愛する気持ちを守り抜くことができる子だ。ところどころ痛めつけられた白い翼を広げ、いつだって大好きな人たちのために奔走する。
 精神の限界ギリギリから彼女の全力を持って放射される、そのあまりに危なっかしい明るさ。
 果てのない夜道をずっと一人で歩いてきた孝輔が惹かれ、そして同時に守ってやりたいと思ったのは、ごく当然の成り行きだったのだろう。

「あれ、かなでちゃん、寝ちゃった?」
 三人で一致団結して作った大量の夕飯をたいらげ、孝輔がみやげとして持ってきた酒(彼は酒好きらしく、かなり美味しい酒だった。)を飲みながら談笑していたところ、いつのまにか眠りに落ちてしまっていたらしい。
かなでは気が付いたらソファに半身を突っ伏していた。
少し遠い場所で、あおいと孝輔が控えめに言葉を交わしているのが聞こえる。
「うん。疲れてるみたいだね」
「かわいそうに。毛布、そのあたりにあるでしょう? 掛けてあげてくれる?」
「オーケー。寒いからね」
「うん。凍えてしまわないように」
「……心もこうやって、簡単に助けてあげられればいいのにな。」
 友達の前で眠ってしまうなんてダサすぎる、と一度は起きようと思ったかなでだったが、ふたりがあまりに優しく自分をいたわってくれるのがわかって身動きが取れなくなった。
 背中からふわりと温かさが広がり、体を包む。顔が見えない体制であるのをいいことに、かなでは少しだけ浮かんだ涙を拭わず流した。
 静かな、夜だ。この家だけを残して世界が消えうせてしまったのではないかと思われる。見開いた視界は自らの影によって染められ、何も見えず、時折星のような粒子がさあっと流れていくのが感じられるだけだ。
 酒のせいなのか、疲れのせいなのか、横たわりながらも足元がぐらぐら揺れている。
 こういう瞬間、かなではいつも、世界がちゃんと存在しているのかどうか疑いたくなる。
 だって誰にもわからないことだ。咲く花が、流れる水が、まばたきした次の瞬間にも消えずにしっかりそこに在るかどうかなんて。
 ガラス細工のようなこの世を歩いていくことが、怖くてたまらない。
 日々をやり過ごす勇気を、皆はどこから得ているのだろうか。
「かなでちゃんは綺麗ね。」
 しんと静まり返った静寂をやぶったのはあおいだった。
かちゃかちゃと陶器の立てる音をさせながら、かなでの背後のテーブルにやってきたらしい。孝輔がくすくすと低く笑った。
「嫉妬させようとしてるの、岡田?」
「ちーがいますうー! 何でそんな姑息な手段つかわなきゃいけないのよっ。
そうじゃなくて、かなでちゃんはこんなに綺麗で、素敵な女性……ただの一人の女性に過ぎないのに、身のうちには彼女自身でさえ受け入れられない巨大なものがあるのよ。それってひどい、本当に残酷なことだと思わない? 神様は何を考えてるのかな」
 せっかくお邪魔虫が寝てるんだから、もう少し恋人同士で甘い時間を過ごせばいいのに、とかなでは思った。
なんでふたりとも、あたしなんかの話をしてるのよ。
「巨大なもの……孤独? 寂しさ? 中途半端な強さ、みたいなものか。」
 孝輔が言った。本気で考え込んでいるらしいことは、そのしゃべり方、ゆっくり間をおきながら言葉を選ぶ様子で容易にわかった。あおいも答える。
「そう。傷ついても歩いていこうとしてしまう力。誰にも頼らずに。自分で自分に振り回されてしまうの」
「人間なら誰しもそういう部分があるんだろうけどな。かなでさんとかお前みたいに、気がついてしまうと辛いんだろう。きっと気がつかない方が幸せなんだ。俺みたいに」
「藤原くんだって、そういうふうに、自分で自分を追い詰めるふしがあるじゃない。」
「大事なひとを失うっていう、この世でもっとも悲しいことを、俺はまだ経験していないよ。したくないけど、いずれきっとしなきゃいけない。自分にはまだ遠いことだからこそ、お前たちがすごく強く見える。」
「強い、か。強さってなんだろうね」
 紅茶をポットからティーカップに注ぎいれるこぽこぽという音がして、いい香りが鼻先にまで漂ってきた。
タヌキ寝入りを続けるのは精神的にも肉体的にも結構つらいものがある。
自分ではそうと思っていなくても、やはり後ろめたさに全身が緊張しているらしく、ごくかすかに腰や肩を動かすたび骨がきしんで悲鳴を上げたくなる。
 かなではそれらの痛みを受け流しながら目を見開いていた。友が語るひとつひとつの言葉が彼らのデリケートな内面を映し出している気がして聞き逃せなかった。
 あおいも孝輔も、普段は人のことばかりで自分をあまり省みない。不健康とも言えるほどお人よしな彼らの心の声を直に聞けるこの機会は、かなでにとってものすごく貴重なチャンスだった。だって、お互いの痛みや吐き気を知らないで通い合わせる感情などただ綺麗なだけで何の真実も伴わないではないか。
 彼らを心底愛しているからこそ、かなでは彼らの本音を聞きたいと切望していた。
「悲しみに順位はつけられないし、どんな経験をした人が偉いとも言えないと思う。だけど、私は確かにもう、お父さんを失う前のわたしとは違う。それが強くなったということなのかはわからないけど、死っていう、ひとつの決定的な停止を経験したことによって世の中を違う風に見るようになったのは確かよ。だからかなでちゃんが今どんな場所にいるかすごくよくわかるわ。ぜんぶ自分でしなければいけない。誰も迎えに来てくれない。雨が降ったら、」
「うん。自分で帰り道を見つけないといけないんだよな。」
「……そう。」
 言葉少なに自分の話を聞いてくれる孝輔が、あおいは本気で好きなようだった。そのことが彼女の発する声でわかる。細く、柳のようにしなり、常に指先をいっぱいに伸ばしている。
 身を襲う嵐を消滅させる力なんて誰も持っていないが、このカップルはきっと、それぞれ物凄くまじめに自分たちの痛みや快楽と向かい合い、あるときは風に当たってみたり、あるときは相手をかばってやったり、あるときは共倒れしたりして、双子のようにおなじ時間をわかちあって生きていくのだろう。
 今更ながらお似合いだ、とかなでは胸を熱くしながら感激した。
「あの頃のお前はいつでも、途方に暮れたような顔をしてたよな。今、思い返すからそう感じるのかもしれないけど。でも寂しそうだって、会った時から思ってたよ。世界に対して色々なことを感じていて、言いたいことがたくさんあるのに、誰にぶつけていいのかわからないみたいな。よく、泣きそうな顔をしてた。」
「覚えてるの?」
「覚えてるよ。ずっと見てた、お前のこと。眼が離せなかったから。前になんか進みたくないのに、周りの期待に応えて頑張ろうとするお前と、だけど本当はそうしたくない傷ついて疲れたお前。なんか、二人の岡田を見てた気がする。」
「いちばん嫌なわたしを見られちゃったのね。でも、見られてよかったのね、きっと。あたしはそういう自分の二面性みたいなのを家族にさえも見せられなくて結局限界まで心を硬化させてしまったから、あのころ藤原くんと会うたびすごく息が楽になった。その前はあたし、目も耳も真にはなにも感じられなかったのよ。人と会うのがすっごく億劫で、だけど寂しくって、家族はうざいから部屋にこもって音楽ばっかり聞いて。でもクラシックは聴けなかったのよね。生傷えぐられる気分で」 
「そりゃそうだろう、習慣って呪縛なんだから。どんなに大人になって、どんなに距離を置いてもぜったい脳細胞から消えることはないんだ。自分ではそう思ってなくても、ふとした瞬間に目の前にたちはだかったりして。ぞっとさせられる。」
「英才教育は罪だよね。」
「そう思う。でも、逆に言えばさ、小さい頃ってそれだけあらゆる物事を絶対的に捕らえられるんだから、愛された記憶も忘れないものだと思うんだ。きっと皆それを頭ではわからなくても体では知ってて、大事にしてもらった自分と、大人になるにつけて寂しさだの世知辛さだの金だの学歴だのってものにまみれちまった自分とのジレンマに苦しむんだよ。」
「その意見はすごーく納得できる、というか理解できる、けど、でも藤原くん。世の中そんなに殊勝なひとばっかりだったら地球は今ごろ楽園になってると思うよ。」
「ま、だからさ、始めも言ったみたいに感性の問題だよ。かなでさんとかお前はやっぱり友達になるだけあって感受性が近いかたちをしてるんだろう。」
「誠さんもいいセン行ってるよね。でもこれからって感じもする」
「うん。そうだね」
 えらそうな意見を述べながらふたりはくすくすと仲良く声をひそめて笑った。
「かなでちゃんとうまく行けばいいね。お似合いじゃない? あのふたり」
「誠さん、立ち直ればなあ。光に属する人だと思うんだけど。岡田と一緒で」
「わたし?」
「そう。俺はどっちかというと闇だと思う。かなでさんも」
「ああ……言われてみるとそうかも。性質がね。どちらがいいとか悪いとか、そういうことではないんでしょう?」
「うん。人はみんな、自分に絶対ないものに憧れるんだよ」
 憧れる。
 孝輔の言葉にかなでは驚愕して目を見開いた。わたしが笹井さんに?
 そんなことはありえない。何故なら今の誠はどう考えても情けないだけで、人に何かを与えるとか、影響を及ぼすとか、そんな有り余るエネルギーを持ち合わせていないからだ。疲れて階段から転げ落ちたところをかなでに発見され、その後かなでの前で男泣きし、更にかなでと飲んで悪酔いしたという、情けなさ三冠王なのである。
 彼の性格が好きとか見かけが好きとか、なにかはっきりした理由からこの恋が始まったわけではないということをかなではよくわかっていたので、孝輔の言葉は全く腑に落ちなかった。大体、憧れから恋に入ったことなど無い。
 恋愛にそんな多くを求めても無駄よ……。
ながく寝たふりを続けていたためにまた本当に眠くなりながらかなでは思った。恋人同士といえど所詮他人だ。どんなに深く心を通い合わせても自分が相手になれるわけではないし、完全に理解し合えることはない。そのときめきや、お互いの体温は確かに胸を熱くさせるが、時が経てば結局誰もがそれぞれの道に戻っていく。人は自分ひとりの人生しか歩めないからだ。
 わかっている。そのことを誰よりよく知っているのに、なのに誠の笑顔がここで浮かんできてしまう。
それこそが本当にどうしようもない愚かな恋というものだ。誠実な思慕の情だ。相手の幸福を願ってしまって手放せない。
「ねえ、できる限りでいいからね、何かくるしくなったら言ってね。絶対に分かち合えないものがあるなら、逆に分かち合える部分は教えて欲しいの。わたしのエゴだけど」
「努力するよ。男はそういうの、うまくないけどな」
「誠さんもそうかな?」
「俺よりたぶんタチ悪いよ。今朝、泣いてたし。」
「きっと、会いたいのよ。失ってしまった人にまた会いたくて、だけどそう口にするのがあまりにも自分に対してフェアじゃなさすぎるから、その気持ちが涙に代わっちゃってるんだわ。」
「かなでさんと似てるな。共鳴してるんだろうな」
「うん。二人ともいま、夜が長いとおもう。」
 夜のしじまに響く友の声に、かなでの心は溶けていく。体はあいかわらず、ひどくぐったりしていたが、息だけは少し楽になった。涙がぽろぽろとこぼれてセーターの袖をぬらした。
 神様、どうか。
 かすかに身じろぎをして、泣いていることがばれないように顔を隠しながらかなでは祈った。神の存在を信じたことなどほとんどないし、むしろ逆にその非情さを恨む機会のほうが多かったが、今この夜を与えてくれていることはとても嬉しいと思えた。世界の隙間に存在するようなやさしく透明な時間。
 素直になって、嘘などつかないで、傷を見せて、傷を癒す時間。
きっとこういう時間を繰り返して人は再生していくのだ。
 だからどうか神様。
彼らがいつまでも仲良しでありますように。不幸など寄り付きもしませんように。
そしてできればその未来に、わたしも同席できますように。
 ほんの少しでいい、勇気をください。
 今はこんなに弱くても、わたしはまだ、彼らと出会えたこの日々をあきらめたくないの。
「優しく、しようね。トンネルを抜けて笑えるようになるように」
「そうだね。うんと」
 そして這うように今日もまた、一日を乗り越えるのだ。







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