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Diary
―――999年1〜3月の雑感―――


1999/1/4(月)

 大晦日から正月の三が日にかけては、一日に近所に神社(歩いて10分)に初詣に行った以外は、ほとんど家にいました。去年の年末にやっとスキャナーを買ったので、写真を取り込んで遊んでました。今までは会社のスキャナーをこっそり使っていたので、これからは自分の家で写真の取り込みが出きると思えば、とても嬉しいです。

 実のところ、デジカメにしようかスキャナーにしようかかなり悩んだのですが、今までとり貯めた写真の整理もしたかったし、今デジカメを買っても多分春まではほとんど使わないと思ったので、デジカメは次の機会にしました。これでHPの方も、少しは画像が増やせるのではないかと思います。

 今年の目標は『月に一度はコンサートに行こう』
 とにかく、ゆとりの時間を上手に作ること。美術館や博物館もできるだけ行こうと思います。去年病気になったのも、仕事を頑張りすぎたから、かどうかは別にしても、会社と家の往復だけでは寂しすぎるので、あちこち行ってみようと思います。



1999/1/17(日)

 阪神大震災から4年がたってしまったんですね。ニュースで流れた火事や被災者の様子は鮮明に記憶にあるのに、現在の被災者の様子はこの日の近くにならないと思い出せなくなっていることに、けっこう忸怩たるものがあります。

 あの地震があってから1ヶ月後に、我が家でも銀色の「非常持ち出し袋」を買いました。最低必要と思われるものを袋に詰めて、すぐ手の届くところに掛けてあります。毎年、1月17日に袋の中身の点検と、食料品の入れ替えをします。だから、今日のお昼は乾パンと缶詰でした。ついでに4日ほど、朝は乾パンと紅茶にスープという献立になります。

 こういう風にでもしておかないと備えが必要なことさえ忘れてしまいそうなので、この年中行事はまだ続けるつもりです。人間は本当に忘れっぽい動物ですね。もし、今札幌で大地震があったとしたら、阪神のような大火事は起こらないかもしれません。けれど、ガスも電気も1週間使えない状況に陥ったとしたら、凍死者が続出する事だけは確実だろうなと思われて、背筋が寒くなってくることがあります。

 友人には、考えすぎだ、とよく言われますが、比較的大きな地震が起きている北海道の中で、札幌はほとんど大きな地震が無い(大きくて震度3程度)地域だけに、怖いものがあるような気がします。もう少し楽天的な性格だと、楽だったんですけどね。



1999/1/22(金)

 去年の暮れごろから自宅で使うPCを買い換えようと思っているのですが、母のコンピュータゲームをどうするかの話し合いがつかなくて、未だに購入する予定がたちません。

 そもそもの事の起こりは、6年ほど前に手に入れた「上海」という麻雀牌のゲームです。けっこうはやったコンピュータゲームですから知っている方も多いと思いますが、麻雀牌があるルールに従って積まれていて、それを上手に2個ずつ取っていくと最後には全部無くなって上がりになる、という非常に単純なゲームです。
 これに母がしっかりはまってしまいました。放っておくと2時間でも3時間でも、下手をすると半日くらいやってます。足かけ6年やっていて、未だに飽きる気配を見せません。

 で、問題は何かというと、これがNECのDOSでしか動かないゲームだ、という事なんです。つまり、コンピュータとしてはNECに限定されて、おまけに現在のNECの主力商品であるNXシリーズでは動かないゲームなんですね。

 「上海」にはWINDOWS版も出ているのですが、母はこれではほとんど遊びません。少なくとも、私が家にいる時しか遊ぼうとしません。これに関しては、どいうも私が「フリーズした!」とか「落ちた!」とか「また再インストールだ!」といってコンピュータを使っている様子を見て、私でもトラブルのであれば、自分が触ると絶対に壊れると思っているようなんです。おまけにWINDOWS版の「上海」だと、まずWINDOWSを立ち上げてからアイコンをダブルクリックしないとゲームが始まらないわけで、WINDOWSを立ち上げるのはまだしも、アイコンをマウスでダブルクリックしたり、ゲームを終えてからWINDOWSを終了させるなんてことは、自分では絶対やりたくない、と言うんです。
 その点DOS版だと、フロッピーディスクをディスクドライブに差し込んで、電源を入れればすぐゲームが始まるし、終了させるにはフロッピーを抜いてから電源を切れば良いだけの話なので、母にはすこぶる楽なわけです。

 NECは旧タイプの機種も細々ながら作っているのですが、使っている方はわかるでしょうが、NECの旧タイプはWINDOWSとはかなり相性が悪い上に、計算やデータベースなどの演算処理がものすごく遅くて、DOS/Vと比べるとお話にならないくらい色々な処理がまだるっこしいです。だから、私としては、次に購入するのはぜひともDOS/Vタイプにしたいと思っています。

 でもそうすると、母はゲームが出来なくなる、かといって、我が家にはコンピュータを2台置いておくスペースは無い、ノートパソコンだと拡張性に限界があるので私の仕事の方に支障が出る、ということで、どうすれば良いのか2人で頭をひねっています。
 なんにしても、5月までには買い換えないと本当に仕事に支障が出るので、何とか決着はつけるつもりです。でも、実のことを言うと、結果は目に見えているんです。自宅でPCを使う時間は、ゲーム機としてであっても母の方がずっと長いんですから。



1999/1/29(金)

 気がつけば、今月もあと2日で終わってしまうじゃありませんか。なにやらどたばたやっているうちに、いつの間にか1年の1/12が終わってしまいます。最初の月から今年の目標が守れないなんて!(爆)。守れる、と思う方が甘かったかなあ。
 この一週間は、コンサートに行きたいよ〜! CDを聴きたいよ〜! 本も読みたいよ〜! 散歩にも行けてないぞ〜! とわめく毎日をすごしてます。ここで吠えてもどうしようもないんですけどね。

 ところで、今日は、ものすご〜く久しぶりにハードカバーの新刊本を買いました。ハードカバーを買うなんて、去年の今頃に高村薫の「レディ・ジョーカー」を買って以来です。何を買ったかというと、ここのところfigaro77さんのところの掲示板でも話題になっている、平野啓一郎氏の『日蝕』です。

 基本的に、賞をとった作品は、それ以前に雑誌などで読むのは別にして、文庫版になるまではめったに読まない、という天の邪鬼の性癖がある私としては、非常に珍しい行動です。ここ2年ばかり、小説誌はまったく購入していませんでしたから、平野啓一郎という作家は、芥川賞を取るまで全く知らない人でした。ですから、まず普通なら絶対買わない種類の本なわけで、ひとえにこれは、figaro77さんflowerさんに煽られた結果のたまものです(笑)。
 帯に「三島由紀夫の再来」なんて書かれていると、とたんに買う気が失せる傾向があるんですが(だって、○○の再来なんて、まるでその人のオリジナリティが無いみたいに聞こえるじゃないですか)、flowerさんの「一月物語」があまりに熱くて、熱気であてられたみたいですね。とにかく、読むのが楽しみです。

 明日は一日『日蝕』を読んで過ごすつもりです。たとえ急なSOSの電話がかかって来たって、絶対に職場になんか出かけてやるもんかい!!



1999/1/31(日)

 無事(笑)、平野啓一郎氏の『日蝕』を読了しました。正直なところ、読んでいる途中より、読み終わってからが楽しかった本でした。

 時代背景は宗教改革以前、イタリアではルネサンス期の絶頂期でダ・ビンチの時代に重なります。音楽史的にいうと、ジョスカン・デ・プレやハインリッヒ・イザークやピエルー・ド・ラリューが活躍した、フランドル楽派の盛期です。その同じ時代のフランス、リヨン近くの村が舞台になっています。文章から感じられる村の様子はとてもルネサンス盛期とは思えない、陽光の薄い寒々しい印象を与えます。その村で起こった、一種神秘的な事件のあらましを一人のドミニコ会修道僧が回想する、というのが『日蝕』という物語です。

 難しい漢字で書かれてはいますが、擬古文というのとも少し違う、これはこれで新たに擬擬古文とでも言いたくなるような何とも不思議な文体。その、どう読み取ったら良いか判断に迷うような漢字の羅列に浮かび上がる《錬金術》と《異端》の物語は、多くの謎を提起しつつ、絢爛たる日蝕のクライマックスへと読者を導きながらも、何の結論も提示しないまま、読者によっていかようにも考えられる余地を残したままで、その小宇宙を閉じてしまいます。

 この本は、ダンテの『神曲』やキリスト教(ローマ・カトリックと異端審問)についてある程度知識がないと、何が書いてあるのかよくわからないかもしれません。けれど、修辞の向こう側を透かして見れば、確かな物語が息づいているのが感じられます。一種サスペンスめいた展開の物語なので、作品の細部はネタばれになるためあえて書きませんが、少なくとも、読み終わった後でこれほど色々なことを考えさせられた本というのは、かなり久しぶりでした。でも、純文学というよりは、ファンタジーとの境界線の文学とでも分類したい気もしましたけれど。

 これは多分に“いびつ”な物語です。そして、いびつであるがゆえに、これからどう花開くかが楽しみな平野氏の才能を感じます。作者の経歴やビジュアル面からセンセーショナルに取り上げられる平野氏ですが、それらに押しつぶされることなく、このまま自分の信じる物語を書き続けて行ってもらいたいと思いました。

 さて、来週は「新潮」の12月号を図書館に探しにいかなくちゃ。



1999/2/6(土)

 今週は、5日の金曜日から札幌雪祭りが始まりました。昨日今日と時折雪が激しく降ったり風が吹いたりで、見物の人は大変だろうと思います。

 今年は雪祭りが始まって50年ということで、いつもより少し多く新聞やテレビに取り上げられているような気がします(もちろん、ローカルでの話しです。全国ネットにはあんまり乗らないでしょう)。

 実のところ、私が雪祭りをきちんと見物に行ったのは小学校まででした。図工の時間に毎年必ず「雪像を描く」という課題が出されたので、仕事が忙しかった母に無理を言って連れていってもらったことを覚えています。

 なにせ年中行事ですし、自分で作るならいざ知らず期間中はただ雪像を見物するだけですから、現地の人間には感動の薄い行事と言えるかもしれません。雪像の思い出というと、中学校や高校でのグラウンドで行ったクラス対抗雪像作りの方が強く記憶に残っています。

 市民が一般に参加できるのは小雪像作りです。それも数や場所が限られるので、参加したい人間が全員参加できるわけではありません。大雪像はほとんど全部を自衛隊が作ります。札幌市民の大部分は、参加もしないし見物にも行かないお祭りと言えなくもありません。
 会期が3日から1週間になり、会場が「大通り公園」と「自衛隊真駒内駐屯地」の2カ所に「ススキノ」会場が加わるなど、観光客を獲得するために大規模になればなるほど、市民からは遊離していったように思います。

 会社の行き帰りに雪像を横目で眺めつつ、最初は札幌市民の楽しみとして始まったはずだろうに、と思うこのごろです。



1999/2/20(土)

 我が家は昔から“紅茶党”です。一番最初の紅茶についての記憶は、まだ幼稚園に行く前のころのものです。そのころ同居していた母方の曾祖母が“急須”で入れてくれた、甘い、赤っぽいお茶が「紅茶」でした。

 25年前に92歳で無くなった曾祖母はとてもハイカラな人でした。紅茶と、カレーライスと花が大好きで、同居していたころの庭には、曾祖母の丹精した花がいつも咲いていました。植物と紅茶についての母と私の嗜好は、たぶんにこの曾祖母の影響が大きいように思います。

 当時は、ティー・バッグの紅茶は普及してきていたものの、リーフ・ティーを飲むという習慣を持った人間がそうは多くなかったはずで、曾祖母がいつ頃からリーフティーを飲みだしたのか考えると、なんとなく恐ろしい(?)感じもします。おまけに、レモン・ティーではなくて、イングリッシュ・スタイルのミルク・ティーかストレート・ティーが普通でした。

 食事は父の好みで純和風でしたが、3時のおやつは曾祖母と母と私でビスケットと紅茶、というのが父が生きていた頃からの習慣でした。母によると、あのころはティー・ポットと言えば輸入品の大きくて高いものにしかお目にかかれなかったそうで、当然そんなもの買えなくて、玉露用の急須でひとり分ずつ入れていたということでした。

 その後父が亡くなって、母の収入だけでは3人を養うことが出来なくなってしまったので、曾祖母は函館の叔父(曾祖母の息子)の家庭に行きましたが、どうもお嫁さんと折り合いが悪かったらしく、我が家に来る度に「また一緒に暮らしたいね」と言うのが口癖のようになっていました。「また、毎日お3時が出来るといいね」と。

 その望みがかなわ無いままに、曾祖母は函館で無くなりました。父が死んだときは気丈に振る舞っていた母が、お葬式の前も後もずうっと泣いていた様子が今でもしっかり記憶に残っています。

 今は母と二人で朝に紅茶を飲みます。私が休みの日には3時のお茶もします。3時のお茶うけはビスケット、それは今も変わりません。時々母が思いだしたように、「今なら一緒に暮らせるのにね」と紅茶を飲みながらつぶやくことがあります。私は黙ってうなずきます。

 明日は曾祖母の命日です。だから今年もいつも通り、仏壇には紅茶をお供えして、夕食にはカレーライスを作る予定です。



1999/2/27(土)

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫 全8巻)を再読しました。多分、4年ぶりに読み返したのだと思います。

 ネット上で親しくおつきあいを頂いているある方が、この小説に興味を持っていると知ってから少しずつ読み返そうとしていたのですが、いかんせん、まとまった読書の時間がとれなかったために1ヶ月かけて1巻目も読了しませんでした。ところが、昨日の晩は久々に頭がすっきりしていたのか、午後10時から1巻目を読み始め、眠り込むことなく全8巻まで読み通してしまいました。

 気づいた時には午前3時を回っていたのは、今日も出勤する身としてはさすがに頭が痛かったです。
 高校時代に山本周五郎にはまって以来、連綿と歴史小説を読んでいますが、どういうわけか司馬遼太郎の歴史小説は読み始めるまでに時間がかかります。どうやら、司馬遼太郎の本に対して、私はどことなく苦手意識を持っているらしいのですが、そのくせ、興が乗ってしまえば一気に読めてしまって、8巻、10巻という本でも途中で置くことができません。「竜馬が行く」然り、「跳ぶが如く」然りです。おかげで、司馬遼太郎の小説にはまると、必ず寝不足になることになります。司馬遼太郎の本が全部長編なわけではないのですが、どういうわけか私の好きなのは3巻以上の長編ばかりなのです。

 「明治」という時代を、正岡子規と日本陸軍騎兵隊の創設者である兄、好古(よしふる)、日露戦争でバルチック艦隊を破った日本海海戦の設計を行った海軍名参謀の弟、真之(さなゆき)の秋山兄弟を軸として書き表したこの本は、司馬遼太郎の本の中でも代表作のひとつだと思います。日露戦争を中心に置いて、それを取り巻く日本、ロシア、イギリス、アメリカなどの国や人々の思惑がらみの動きを追って、歴史的事実を注釈的に挟み込みつつ、きちんと小説になっているところが司馬遼太郎のすごいところで、明治という時代の気分にどっぷりとつからせて貰いました。

 貧しいながらも、開明期を迎えて上昇しているはずの国家を信じ、それを肯定し、自分も国家と同じく上昇していくのだと信ずる楽天家達の集まりが明治という時代であり、明治を生きる人々であったと司馬遼太郎は書き綴っています。特に正岡子規という人物の中に、その明治を強く感じ取ることが出来るような気がします。
 そして、その後の負ければ国が滅びる、という崖っぷちに立った日露戦争を準備する中で、せいぜい頑張っても五分五分がやっとだろうと思われるそれを、なんとか六分四分しようと頑張る軍人達や外交官達もまた、常識でもって物事を成し遂げる、変な精神論におちいることない健やかな精神を持った人々でした。
 自分を信じることをためらわない人々の物語、それが「坂の上の雲」という物語かもしれません。そこに描かれているのは、懸命で、可憐で、いとおしさに満ち満ちた、鮮やかに個性的な「常識人」達なのです。

 そんな「坂の上の雲」の登場人物の中で、私のお気に入りは秋山真之です。彼は正岡子規と子供の頃から友達であり、小学校から大学予備門まで子規と同じコースを歩いた仲間であり、ともに文学をする事を盟約しながら、家庭の事情によって授業料のいらない海軍兵学校に転じて、『天才』と言われる戦術家になりました。小柄で目つきが鋭く、自信家で多くの奇癖を持った彼は、同時に、日本海海戦の後では海軍をやめて出家しようとするひ弱さを合わせ持った人でもありました。
 日本海海戦を勝利に導き、日露戦争の国際的な評価を決定づけた彼が、決して超人ではない「唯の人」であるからこそ、私はこの本がとても好きなのだと思います。



1999/3/08(月)

 いつの間にか3月、あっという間にお雛様も過ぎてしまいました。うちには一応“姫”がふたり(!)居ることは居るんですが、雛人形を飾ることは耐えて久しいです。

 父方の方から代々伝わった(といっても、5代くらいですが)の6段飾りの雛人形があることはあるんですが、飾るスペースがないので母方の親戚の家に預かってもらってはや20年になりました。今頃は、納屋でネズミにかじられているのではないかと思われます(合掌)。私が縁遠いのも、この辺に原因は――ないですね。

 まあ、それでも、3日の夕食にはちらし寿司を作って食べました。けっこうこのへんは、けっこう律儀かもしれない(うちの母が……)。私は自分の誕生日も忘れるくらいの人なんですが、母は年中行事はめったに忘れません。母のおかげで、なんとか世間並みには年中行事をこなしているような気がします。



1999/3/14(日)

 今日は久々にパンを焼きました。

 久々の休日で昼過ぎに起き出して、ピザトーストと紅茶で腹ごしらえをしていたら、急にイングリッシュ・マフィンが食べたくなって、ほぼ半年ぶりにパンを焼く気になりました。
 私も母も、イングリッシュ・マフィンとスコーンだけはおいしいと思える店を知らないので、このふたつが食べたくなった時な自分で作るしかないのです。久しぶりにイーストを溶かして、強力粉とショートニングと塩と砂糖を加えてこねまくりました。

 パンづくりの最初の叩いてこねての1時間は、ストレスを発散させるにはなかなかいい方法だったりします。特に、テーブルに叩き付けるときは、思いっきり憎たらしいと思う人間の顔を思い浮かべてやると効果満点です。

 今日作ったマフィンを味見した母によると、半年ぶりとは思えないほど良い出来だったそうです。そう言えば、今日はこねるときにかなり力が入りましたから、いつもよりしっかりこねられたのでしょう。明日は、かなりすっきりとした気分で出勤できそうです。

 仕事も佳境に入って来ていて、いかにしてストレスを発散しつつ仕事をするかを考えないと、今月はちょっと厳しいものがありそうです。とりあえず、また1週間頑張らなくては。



1999/3/20(土)

 サイトを立ち上げて一年近くたつと、さすがに色々なことが起こるものだなあ、と思います。
 いつも、「リンクをしたい」と言う方が現れるたびに、うちみたいな所でも、本当にリンクをしていただいても良いのだろうかと悩むのですが、18日(木)にクラシック・サイトの中でもメジャーな老舗の「CLASSICA」の飯尾洋一さんがいらっしゃって下さって、勿体なくもリンクのお誘いをして下さったのには、本当に度肝を抜かれました。

 去年の今頃は、自分がサイトの運営をする立場になるなんて、本当にまったく考えてもみませんでした。その後、なんとなく弾みでgeocitiesに登録をし、よく考えもしないうちに開設してしまった結果が、今の Stock Book と言うことになります。

 それにしても、去年、参考書と首っ引きで「古楽の楽しみ」の『グレゴリオ聖歌』のページを作っていたときに、後ろから覗いていた母に「こんなの読む人がいるの?」と言われた時のことが思い出されます。
 「そんなに多くはないでしょうね」と返事をしたのですが、今思うと、何やら感慨深いものがあります。こんな地味なサイトでも、根気よく来て下さる皆様のおかげで、なんとか続けてこれたのだと思います。

 どれくらいの間このサイトの運営を続けて行けるのか自分でもよくわかりませんが、少しでも皆さんの期待にこたえられるよう、頑張ってみようかと思います。



1999/3/31(水)

 先週末、3泊4日で京都に行きました。仕事がらみの出張だったので自由時間はほとんどありませんでしたが、雪の札幌から行くと、あたりまえとは言え緑の色が目にしみました。
 羽田から関空について、そこからJRの『はるか』で京都まで行きましたが、車窓から見える瓦屋根や菜の花、こぶし、桃の花、実がびっしりついたミカンの木等々に、「本州に来たんだなあ」という思いを強くします。本当に、これで同じ国だというのだから、けっこう日本は広いです(笑)。

 泊まったのは「都ホテル」で、今までに泊まった京都のホテルの中では、部屋の作りが一番ゆったりしていました。朝食のバイキングでは、パンと紅茶がとても美味しかったです。朝食のバイキングを食べて幸せな気分になれたのは、かなり久しぶりのことでした。パンやコーヒーの美味しいところは多いですが、紅茶が美味しいと思えるホテルは結構少ないのです。

 滞在中、あまり天気には恵まれませんでした。土曜は雨で、風もあってそこそこ肌寒かったのです。けれど、最終日の日曜は晴れで、それまで2,3分咲きだった桜が一気に5分咲きくらいになりました。
 帰りの飛行機を午後の便にしたので、日曜日の朝からお昼までが自由時間になりました。疲れと乾燥から扁桃腺を腫らしてしまっていて、ちょっと具合はよくなかったのですが、出来る範囲で歩いてみることにしました。

 都ホテルは徒歩で南禅寺や平安神宮へ行ける所にあるので、朝食後、手荷物を京都駅に運んでもらう手続きをとった後、チェック・アウトをしてまず南禅寺に行きました。桜の見頃にはまだちょっと早いようでしたが、5分咲きの桜もなかなか風情があってよかったです。まだ人も少なくて、ゆっくり散策できました。
 その後、南禅院、天授庵を巡ってから、琵琶湖疎水記念館をかすめて美術館の方へ行きました。京都市美術館に入ってみたかったのですが、ちょっと人混みは勘弁、といいう気分だったので、向かいの京都国立近代美術館に入りました。ちょうど次の特別展の準備期間で常設展しかやっていませんでしたが、タダでピカソを見てきました(笑)。ここも人が少なくて、貸し切りに近い状態でゆっくり見ることができました。

 美術館を出てから、近くの喫茶店で一服しました。疲れたのか甘い物が欲しくて、緑茶とぜんざいをいただきました。ぜんざいの箸休めにゴボウのみそ漬けが来たのですが、これは京都なら普通なのでしょうか? 京都でぜんざいを食べたのは初めてなので、この辺のことがよくわかりませんが、甘ったるくなった舌を戻すには良い方法だな、と思いました。

 喫茶店を出た後は、南下して青蓮院・知恩院前を通って円山公園を抜けて西行庵まで行きました。西行の庵かと思うと、それだけでありがたいような気になるのが変と言えば変ですね。その後来た道を円山公園までもどって、八坂神社に行きました。本殿は改装中で(始まったばかり)、手前に真新しい借り本殿が出来ていました。御利益があるのかなあ、と思いつつ、100円お賽銭を上げてきました。

 ここまで来て丁度昼時になったので、四条通りで食事をしました。ふっと入った中通りで目に付いた蕎麦屋(うどん屋じゃありません)は、うどんもやっていましたが、なんとなく蕎麦が食べたくて「鳥なんば(鶏肉と長ネギ)」の蕎麦を注文しました。京都の蕎麦は不味いと聴いていたので、どのくらい不味いのか試してみたい気もあったような気がします。
 出てきた蕎麦のつゆは、確かに「うどんつゆ」のように薄味でしたが、鶏のだしが良くきいていてとても美味しかったです。個人的には、東京で食べた蕎麦よりも美味しいと思ったくらいです。我が家はかなりの薄味の家系なのかもしれません。

 お腹がいっぱいになって、そろそろ京都駅の方に行こうかどうしようか、と思いながら四条通りを八坂神社の方に戻る途中で「何必館 京都現代美術館」というのを見つけました。普通のお店とお店の間に挟まれた5階建ての細長いビルで、本当に美術館なのかしら、と思うような建物でしたが、入館料1000円の立派な美術館でした。建物が小さいので展示品は少ないのですが、本当に人がいなくて、貸し切り状態で見ることが出来ました。
 地下の魯山人の焼き物をゆっくり見たあと、2〜3階の絵(誰の絵か、名前をメモしてくるのを忘れました)を見て、最後に4階に行ったら、エレベーターを出たところに、どどんと大きなソファがおいてありました。ソファの前にはガラス1枚隔てて梅の木が植えてあって、梅の足下にはシダが風にゆれていました。天井が円く切り取られていて、どうやら吹き抜けになっているようでした。ソファに座って風に揺れるシダや木を見ていたら、もうそれだけでゆったりしてしまって、30分くらいぽけっとして見とれていました。何も音がしなくて、なんだか別天地にいるみたいな気分になれました。

 気分をよくしたところで時間も丁度になったので、美術館を出てからタクシーで京都駅に向かい、行きと同じ旅程を逆行して春まだ遠い札幌に帰って来ました。2年に1回くらいは京都にいくのですが、今回と同様、なかなかゆっくり見られないので、来年はゴールデン・ウィークにでもゆっくり行ってみたいです。

 それにしても、私がぽけっと梅を見ていた間、他のお客はひとりも入ってこなかったんですが、あの美術館はあれで採算がとれているのかしら?


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