[今月] [目次]

Diary
―――1998年10月〜12月の雑感―――


1998/10/09(土)

 ほとんど毎日おじゃましながらも、書き込みが出来ないでいる二つのHP(WING & WAVEBlown with the Coriolis' Wind)のBBSで、最近、某サッカー選手が“君が代”をワールド・カップの予選で歌わなかった、という話題をきっかけに、国歌や国旗からはじまって、従軍慰安婦や強制連行、国民としてのアイデンティティーの問題などなど、非常に興味深い話題が取り上げられていました。どちらのBBSも泥沼に陥ることなく、参加された皆さんがそれぞれの意見を傾聴し合って話し合う、という大人の態度を貫かれているので、とても有意義でためになる内容になっていました。これは多分、HPを開設されている深井俊寛氏とfigaro77氏の人柄が繁栄されたためだと思われますが、活発に議論がされている間、本当に良い物を読ませていただいた上に、色々なことを考えさせらる日々でした。
 私自身も、これらの様々な問題に対していろいろ考えるところがあるのですが、人にわかってもらえるほど理路整然と書く自信が無いのと、なんとなく表だって話すことにためらいがあって、どうしても逃げ腰になることが否めません。ただ、従軍慰安婦や朝鮮人の強制連行という話題については、「そういうことは無かったんだ」とする論調の本を読んだり発言を聴いたりすると、いつも思い出す話があります。それは、まだ母方の祖母が生きていた頃に、昔の話だけれど、といって、私が中学生の頃に話してくれた物です。

 祖母が嫁いだ先は何人もの小作農を抱えた、比較的大きな農家だったのですが、5,6q離れた所に石切場がありました。祖母はある日、その石切場から逃げて来たらしい、ぼろぼろの服を着た痩せこけた男の人が、納屋の隅に隠れているのを見つけました。男の人は片言の日本語で、一晩だけ納屋で休ませて欲しいと祖母に懇願しました。
 ビックリした祖母が母屋に帰って、舅(私の母方の曾祖父)に相談したところ、舅はしばらく考え込んでから、「そのままにしといてやれ。ついでに、握り飯でもこしらえてやれ」と、祖母に言いました。それを聞いた祖母が大きなおにぎりをこしらえて持っていってあげると、その男の人は、ぼろぼろ涙を零して受け取ったそうです。その男の人がどうなったかはわかりませんが、その後も、年に2〜3人、同じように逃げ込んでくる人が終戦になるまで続いたと言います。
 祖母の嫁ぎ先の農家は、そのあたりでは珍しく犬を飼っていなかったので、逃げ込みやすかったのだろう、と祖母は言っていました。本当は、逃げてきたらしい人を見つけたら、必ず警察に届けることになっていたようなのですが、舅はいつも「握り飯を持っていってやれ」としか言わなかったそうです。

 だから何なんだ、と言われそうな話ですし、祖母もハッキリとしたことは言いませんでしたが、多分その石切場で働かされていた労働者は、朝鮮から強制連行された人たちだったのではないだろうか、と私は思っています。北海道には、あちらこちらに朝鮮人がつくったという橋や道路が沢山あります。また、朝鮮人が働かされていたという場所も沢山あります。そんな事を見たり聴いたりするにつけ、「もう日本人ではないのだから」といって戦後補償の話をうやむやにしてきた、そして今もうやむやにしようとしている日本政府というものに怒りを感じると同時に、そういう国に育った日本人である自分自身についても、何だか哀しくなってくるときがあります。



1998/10/24(土)

 やっと仕事が目鼻が付いてきて、少し余裕が出てきました。また、12月になると忙しくなりましが、まずは一安心、と言ったところです。日記も3週間ぶりですが……。余裕の無さがもろに現れてますね。毎日書くだけの根性は無い私ですが、せめて一週間に一度くらいはどうにかしたいもだ、と思います。

 ここ2週間ばかりは、音楽も優しいものを中心に聴いていました。最後には、キングス・シンガーズによる「ビートルズ・コレクション」まで引っぱり出したのには、我が事ながら笑ってしまいました。
 これは、キングズ・シンガーズ(イギリスの男性6人のボーカル・グループで、ポピュラーからホーム・ミュージック、古楽までなんでもこなしてしまいます)がアカペラでビートルズの曲を歌っているディスクなのですが、8年前に購入したときに聴いて以来、買ったことすら忘れていたようなディスクでした。それを、どういうわけか突然に思い出して、3時間くらいかけて探し出して、昨日は一日中これを聴いていました。
 アカペラの男性合唱によって、全19曲のビートルズのスタンダード・ナンバーが録音されています。軽妙で品良く編曲してありますが、それでもやっぱりビートルズらしさは失われていないところがなんとも言えません。どんな演奏をしてもバッハがバッハであるように、ビートルズはビートルズなんだと確認しつつ、とてもいい気分で仕事が出来ました。
 特に『Mother nature's sun』『Yesterday』『Erenor Rigby』『Black Bird』は、とても気に入りました。ひょっとすると、オリジナルより好きになったかもしれません。曲によっては、達者すぎてわざとらしさが先に立ってしまい、聴いていて辛くなった曲もありましたけれど。
 でも、『Can't buy me love』や『You've got to hide love away』のマドリガル風の編曲は思わず笑ってしまいました。

 ビートルズやサイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、ジェネシス、ポリスなど、高校時代好きだった外国の懐かしのポップスをまた聴いてみようかと思います。ただ、どこにしまい込んでしまったか、探し出すのがちょっとばかり大変そうですが。



1998/11/01(日)

 やはり、秋は妙にセンチメンタルになります。やたらルネサンス期のアカペラの宗教曲が聴きたくなるし、西行や芭蕉が妙に恋しくなるし、中原中也などを引っぱり出してみたくなるしで、いつもと思考回路がやや違っているような気がします。

 何を見ても悲しい、というのではないけれど、何かに悲しみの種を感じ取りやすい状況になっているのは確かなようです。ポツポツと小説もどきを書いると、そのどれもが『死』とか『生』とか『時間』など、妙に哲学的な、または美学的な、いつもなら絶対手を着けないようなテーマになっているので、愕然としてしまいました。
 そんな重いものが今すぐ書けるはずもないのですが、書きたい欲求だけは膨らんで来るので始末におえません。しかたがないので構想だけメモしておいてありますが、ひょっとして、明日からでもせっせと書き始めそうな気もして、戦々恐々としています。

 それにしても、何かを作りたい、という人間の欲求はどこから湧いてくる物なのでしょう。HPを立ち上げてはや6ヶ月をすぎて、モニターの前でらちもない文章を綴りながら、去年の自分とのあまりな違いにめまいがしそうな気分です。



1998/11/09(月)

 初雪が降って以来、雨の日と、天気とは言えないまでも穏やかな日が交互にやって来ます。マンションの窓から見える札幌近郊の、1,000m前後の山々は黒っぽいし、日中の温度は10℃前後あるので、本格的な冬になるのはもう少し先になります。でも、一雨毎にだんだんと植物たちは秋から冬へと身支度を整え出していて、一日置きの雨が雪に変わるのも、本当にもうすぐです。

 さすがにこの時期になると、なかなか外に出辛くなりますね。雨も冷たくなっているので、濡れながら歩くと風邪をひきそうで、家を出ることすらおっくうになります。いっそ、雪が降った方が、散歩はしやすいくらいです。雪が降っていても、体はめったに濡れませんから。北海道の雪の日には、傘はめったにいりません。

 本格的に雪が降り出すまで、多分あと一ヶ月余り。うっとおしいような、待ち遠しいような、そんな気分で過ごす日々がはじまりました。

 でも、今週末はなんとか、晴れてくれないものかと思います。雪が降る前に、もう一度公園に行きたいんです。でも、長期予報は雨または雪なんですよね……。



1998/11/14(土)

 去る11月11日午前8時7分、映画解説者の淀川長治さんがお亡くなりになりました。「日曜洋画劇場」の“サヨナラおじさん”として、物心付いたときから、テレビを通してずいぶんお世話になった方でした。
 私に、洋画のおもしろさを教えてくれたのは淀川さんです。毎週、日曜洋画劇場は欠かさず見ました。何かで映画そのものは見られないときも、前後の淀川さんの解説だけは、何とか見ようと努力しました。淀川さんの映画評論が読みたいばかりに、中学生になってからはスクリーンやロードショーといった映画雑誌を買っていました。チャップリンの映画にはまったのも、やはり淀川さんのおかげでした。
 映画のアラを捜す評論が多い中で、どんな映画でも、出来るだけよいところを見つけて、応援しようするその姿勢が好きでした。同時に、どんなに人気があって観客動員数が多い映画でも、それが淀川さんの基準から見て駄作であれば、きっぱりと「あれは、ダメね」と切って捨てる明確さはもっと好きでした。映画の見方は淀川さんから習いました。
 物事には、良い面も悪い面もあるけれど、出来るだけいいところを捜した方が幸せになれる。そうすれば、好きな物をもっと好きななれる。そんなことを、淀川さんの解説から学んだような気がします。

 「ハイ またお会いしましたね」
 「素晴らしかったですね」
 「ビックリしましたね」
 「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」

 もう、あの声を聴くことは出来ません。ちょっと早口で、けれど、映画が好きで好きでたまらない、という想いに溢れた優しい顔を見ることもできません。だからこそ、淀川さんの示してくれた映画の見方は、いつまでも忘れたくないと思います。



1998/11/21(土)

 ここのところ、3日連続の真冬日です。最低温度も最高温度もマイナスで、北海道各地とも、11月としては、平年より4℃〜6℃くらいは低い状況です。
 幸い、私の住む地域は雪は降っていないので、車道はすっかり雪が無くなっていますが、歩道や家の庭や空き地は真っ白になっています。
 このまま寒波が続くと、ひょとして、ことしはこのまま根雪になるのかなあ、と、外を見ながら溜息をつく毎日ですが、今年は春が早かった分、仕様がないかな、とも思っています。大体において、1年間に降る雪の量は、トータルするとほとんど差がないので、早く積もってしまえば、雪解けも早いはずですから。

 昨日の夜から、大通り公園と札幌駅前通りで、「ホワイト・イルミネーション」がはじまりました。ライラックや木やその他、色々なものをかたどった光のオブジェが、札幌の夜を照らしています。
 最初は、大通り公園の一角だけで行われていたものが、年々規模を拡大して、今年も、不況とは思えないほど(不況だからこそ、かもしれませんが)盛大に行われています。
 今年は、公園に積もった雪に映えて、いつもより何倍もきれいに見えます。

 でも、確かにきれいだし、観光誘致にも一役買っているとは思うんですが、エネルギーの消費という観点から考えると、見ていて複雑な気分に陥ります。けっこう、贅沢な遊びですよね。

 とりあえず、大通り公園は1月初旬まで、駅前通りは2月中旬まで、この催し物は毎晩続けられます。札幌の冬の風物詩のひとつ、になりつつあるでしょうか。ちなみに、大通公園の方が早く終わるのは、もう一つの風物詩である、雪祭りの準備のためです。



1998/11/28(土)

 今週は、火、水、木の3日間、連続でコンサートに行きました。
 フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮、パリ・シャンゼリゼ管弦楽団、コレギウム・ヴォカーレによる3夜連続の演奏会で、1年ぶりのクラシックコンサートでした。
 本当に久しぶりだったし、予想していたよりも良い演奏を聴くことが出来たので、疲れも上司の嫌味もなんのそので、3日間かなり幸せな状態で過ごしました。でも、さすがに3日目が終わったときには、疲れ果てて、金曜日は仕事をするのも辛かったです。さすがに、年とともに体力も気力も落ちているな、と感じさせられました。今回は、病み上がりというおまけも付いていましたが。

 ところで、3日間通って気になったことに、お客の入りがあります。
 3日間とも、札幌市中央区の中島公園にある札幌コンサートホール「Kitara」で行われたんですが、そのうち1日目と3日目は2008席ある大ホールが使われました。
 1日目は、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮のコレギウム・ヴォカーレによる、バッハ一族とシュッツのモテットのみのプログラム、3日目はフィリップ・ヘレヴェッヘ指揮、パリ・シャンゼリゼ管弦楽団、コレギウム・ヴォカーレによる、ベートーヴェンの第9番交響曲ということで、かたやマイナー、かたやメジャーなプログラムという違いがあるのは重々承知はしています。それでも、1日目はどうみても客席の半分以上はガラガラ、3日目は9割以上入って満員御礼状態。
 なんというか、悲しいとか寂しいとかいうのを通り越して、怒りさえ感じてしましました。

 日本人の第9好きはわかります。1日目のプログラムに、馴染みがなかったのもわかります。連休明けの火曜日で、仕事が忙しくて来たくても来られなかった人もいるだろうとは思います。それでも、もうちょっと、音楽を柔軟に聴く姿勢というのが、あっても良いんじゃなかろうか、と思わざるを得ません。
 考えてみると、2日目のパリ・シャンゼリゼ管楽合奏団(パリ・シャンゼリゼ管弦楽団の木管部)のコンサートも、453席しかない小ホールが、満席というわけではなかったんです。

 第1日目が非常に良いコンサートだっただけに、派手にレコード会社が宣伝している音楽家が、良い音楽家だというわけじゃないし、メジャーな楽曲だけが、良い音楽じゃないんだぞ、と管を巻いてみたくなったしだいです。
 それとも、これってやっぱり、古楽を聴く人間の僻みかなあ。




1998/12/05(土)

 私がメインじゃないんですが参加をしている仕事で、12月中に納期のものが1本在ります。おかげで今月は、なにかとドタバタと忙しくなって来ました。ところがこういう時に限って、仕事以外のことが猛烈にやりたくなるんですよね。
 いわゆる、現実逃避というやつですが、今年は現実逃避中にやりたくなる事に、『HPの原稿書き』が加わりました。

 この趣味の困るところは、とりあえずコンピュータかワープロに向かって出来るので、一見すると仕事をしているように見える、ということです。
 おかげで、仕事をしている裏側で、メモ帳に原稿を書き付けるのが最近の習慣になって来ました。この前の会議の時は書記役だったせいもあって、3時間余りの間に音楽史の次のページを8割がた書いてしまいました(それでも、ちゃんと議事録が出来ているところが何とも……)。

 基本的に物を作るのは嫌いではないので、今の仕事自体は気に入っています。でも、プレッシャーがきつい時とか、意図しない方向に転がっている時とか、人間関係(特に上司との)で行き詰まっている時は、適当に息抜きがないと、それこそ、こっちがまいってしまいます。
 それでも、これぐらい普通だよね、と思いつつも、休日出勤の職場でこういうものを打っている自分を振り返ると、何だかなあ、という気分になります。

 でも、この傾向は、しばらく続きますね。仕事も出来てHPも出来るんだから、いいんです。きっと。



1998/12/06(日)

 昨日、休日出勤した職場で仕事の合間に同僚と雑談をしていたとき、「好きな芸能人は?」と聴かれて、思わず絶句してしまいました。
 これが「好きな役者は?」とか「好きな歌手は?」と聴かれたのならなんということは無かったんですが、『芸能人』と言われると、かなり困ります。
 玉三郎とか中村猿之助とか仲代達矢とか、役者や俳優で好きな人はいるんですが、それは『芸能人』とい言うのとは少し違うような気がします。さだまさしとか山下達郎とかも好きですが、それも歌が好きなのであって「ブロマイド買います」というのではありません。アイドルのSMAPも好きですが(特にキムタクと中居くんと吾郎ちゃん)、活動の全部が好きかと言われると首をひねらざるをえません。
 その人がテレビに出ていたら絶対見たいし、写真集とかビデオが出たら絶対に買おう、と思うくらい好きな芸能人……。ひょっとしたら、そういう人はいないんじゃないかしら?
 というわけで、その時は全然思いつかなくて、「いないみたい」で済ませました。でも、ちょっと気になって、その後もずーっと考えていたら、ひとりだけ閃いた人がいました。誰だと思いますか? 実は、フレッド・アステアなんです。

 オードリー・ヘップバーンと踊っていた『パリの恋人』か、レスリー・キャロンと共演の『足長おじさん』をテレビの洋画劇場で見たのが、多分、アステアを見た最初だと思いますが、とにかく踊りのかっこよさ、流れるような動きに目が釘付けになりました。その後、「ザッツ・エンターテイメント」で椅子やステッキや帽子掛けと踊るアステアを見て、ドツボにはまったように思います。
 その後、「イースター・パレード」と「バンド・ワゴン」を見る機会があって、母とふたりで見に行きましたが(母もアステアのファンだったそうな)、そのかっこよさに、口もきけないくらいに感動しました。一歩間違えばキザになりかねない動きなのに、物凄く優雅で上品。文字通り床を滑るような滑らかさ。「ダンスの神さま」と言われるのももっともだ、と10人いれば10人に納得させてしまいそうなくらい、とにかくもうかっこ良かったんです。

 天才で完璧主義者で努力家だったというフレッド・アステア。ダンスのうまさはもちろん、『渚にて』『タワーリングインフェルノ』の老境に入ってからの演技も好きでした。特に後者の老詐欺師役でのぎこちないダンスシーンは、往年の彼を思うと涙無くし他は見られませんが、それでもやっぱり、最高です。
 《何処ででも》踊れるジーン・ケリーも格好いいですが、私のアイドルはキザに《何とでも》踊れるフレッド・アステアです。

 レンタル・ビデオ店では昔のミュージカル映画のビデオを借りる人が少ないのか、『タワーリングインフェルノ』以外はなかなか見ることが出来ませんが、機会があればぜひ見て欲しいと思います。純粋に踊りを見るなら、できれば白黒の古い映画を。私も全部見たわけじゃありませんが、本当に最高に格好いいんです!



1998/12/20(日)

 どちらかというと、宴会は苦手です。食堂やレストランで食事するのもあまり好きではありません。どうしてかいうと、タバコの匂いで気分が悪くなるからです。

 我が家の構成員2名(母と私)は、まったく煙草を吸いません。父が亡くなって以来、我が家で煙草が吸われたことはありません。お客さんにも我が家では禁煙をしてもらっています。職場でも、3年前に喫煙室が出来て、煙草を吸う人はその部屋でしか吸ってはいけないことになったので、ますます煙草に対する免疫が無くなってしまいました。
 今では、煙草の匂いを嗅いだだけで頭痛はしてくるわ、胸は悪くなるわで、少々困った事態になりつつあります。煙草の匂いが染みついた部屋やタクシーの中にいるだけで、具合が悪くなることもあります。食事中にタバコの匂いがしてくると、途端に胸が悪くなって、もう食べる気がしなくなるんですね。
 昔と比べると、ずいぶん嫌煙権が認められるようになりましたが、本当にタバコに免疫が無い人間から言わせてもらうと、まだまだじゃないか、と思うことがあります。

 加えて、職場とか仕事がらみの宴会の時は、年輩の男性の「俺のついだ酒が飲めないのか」攻撃も辛いです。潰れるまで飲まないと許されないようなところがあって、どうても馴染めません。社会人になって10年以上なっているんだから、いい加減慣れても良さそうなものですが、どうにも腹に据えかねてしまう……。
 お酒は好きですが、適量と言うのは存在するわけですし、こういうオジサンに限って吐くまで飲んだり、トラになってみんなに迷惑がかかるんですよ。

 そんなこんなで、忘年会&歓送迎会の時期は、出ない口実を作るのに必死になることが多いです。おつき合いも必要だとは思うんです、気分や体調を悪くしてまでつきあいたくないぞ、というのが正直な所です。理性を捨てきれ無い所に敗因がありそうな気もしますけれど。
 我がままだと同僚に言われるともありますが、つきあえばいい、とうものでも無いと思うんです。飲み会にも、「中庸」という言葉を適用して欲しいです。せめて、1次会の時くらいは。



1998/12/30(木)

 今年もあと3日。本当に、あっという間の一年でした。

 今年の出来事で一番大きかったのは、やはりホームページを開設したことでしょう。何度も同じ事を書いていますが、“文章を書く”と言うことに対して、小学校から根深いコンプレックスを持っていた私が、まさか発信側にまわるとは、本当に、去年の今頃には考えつきもしませんでした。
 NiftyやPC-VANなどから始まって、WIN3.1の頃から通信歴は長い方だと思いますが、もっぱら情報収集のみに専念しておりましたので、この1年間、特に、4月にホームページを立ち上げてからの自分の有様というのが、信じがたい思いです。

 こんな地味な内容の自己満足的なサイトでも、読んでやろうという寛大な方々がいらっしゃる、ということは、信じられないくらい嬉しい誤算でした。

 この7ヶ月あまり、ネットを通じてお友達になって下さった方々、いろいろな忠告をや示唆を下さった方々など、本当にありがとうございました。皆さんの励ましやらお叱りのメッセージが、このHPを運営する活力になっております。このサイトが細々ながら運営していけるのも、すべては皆さんのおかげです。よろしければ、来年も又、一緒に遊んで頂ければと思います。

 それ以外にも、母がついに私の扶養家族になったり、帯状疱疹を患ったり、仕事が妙に忙しくてコンサートにもなかなか行けなかったり、となかなか賑やかな年でありました。
 来年は、もう少し穏やかな年であって欲しいと思います。せめて、月に1度はコンサートに行けるくらいには。

 皆さんにとって、来年が良い年でありますように。


[今月に戻る]
[目次に戻る]