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2001/11/22(木) 最近、音楽を聴く時にとても困った問題が発生するようになりました。どうしたわけか、モーツァルトの曲を聴くと眠ってしまうんです! 考えてみると、以前から、若干ながら兆候はあったんですよね。ピアノ・ソナタのひと桁台とか、弦楽五重奏曲とかを聴いていると、特に演奏会では、時々意識が飛ぶことがありました。ただ、家でCDを聴いている時には起こったことがありませんでしたし、演奏会でも必ず眠くなるというのではなかったので、演奏のテンポなどによってそういう現象が起こっているのだろう、と考えていたんです。必要以上にまったりとしたテンポで演奏されていると感じた時にだけ、眠気が襲ってきていましたから。 ところが、8月あたりくらいから、どの演奏会でも、交響曲だろうが歌曲だろうが、モーツァルトの曲がはじまったとたん、猛烈な睡魔に襲われるようになってしまいました。恐ろしいことに、先月からは、家でCDをかけても眠くなるようになってしまっています。 どうしてこうなってしまったのか、原因が全くわからないので、かなり困っています。家でCDをかけながら眠ってしまうのは、ほとんど実害がないのでかまわないのですが、コンサート会場で眠ってしまうのだけは、みっともないし、イビキなどでもかこうものなら、周囲の方々のご迷惑になりますから、なんとか眠らないでしようと色々試みては見ましたが、ことごとく失敗してしまいました。 前回、口に含むと目が覚めるという、ミント系の菓子(なんでしょうか?)を使っても、やっぱり意識が飛んでしまったので、来月以降は、モーツァルトの曲が入っている演奏会には行かないことにしました。ところが、聴いたみたい演奏会に限ってモーツァルトの曲が入っているという状態で、現在、かなり気落ちしております。 それにしても、この状況が一過性の物なら良いのですが、これから、ずうっと続くようなら、いったいどうしてら良いのでしょうか。どなたか、これなら絶対に目を覚ましていられる、という方法をご存じありませんか? 2001/11/10(土) 11月に入って、札幌もめっきり寒くなりました。先週は初雪も降りましたし、朝、出勤する時は息が白く見えるようになりましたし、水たまりが朝方は氷っていたり、紅葉の季節もすっかり終わって、落葉樹は丸裸になっているか、茶色に変色したものが多くなっています。でも、去年に比べると雪は遅いですね。確か、去年は10月中旬に降った雪が、結局は根雪になったはずですから。 ところで、最近、学校関係者からメールを受け取ることが多くなりました。いつぞやは、どこかの市の教育委員会から、リンクをしたい旨の連絡を頂いて、かなり驚いてしまったことがあります。どうやら、教育現場でもコンピュータやインターネットが授業に導入されるようになって、音楽や国語などの教科向けに仕えるサイトだ、という事のようなのですが。 私のヘボ解説を除けば、国語の方は多少は利用価値があるかしら、とも思うのですが、音楽の方はどうなんでしょうねえ。正直に言うと、私が書いている「音楽史」は、色々な本からの孫引きや曾孫引きでしかありませんし、文献を読んでも理解できないところは、あっさりと無視していますから、大学生はまだしも、中学生や高校生が読んで有益なものなのかどうか、はっきり言って判断に困ります。 一応、リンクはフリーにしてありますから、利用できるとお考えならリンクはして頂いてかまいません、と返事をしてはいるのですが、本当に大丈夫なのでしょうか。せめて、私が音楽関係の仕事をしているとか、そちらの方の研究をしている人間というなら、判断のしようもあるのでしょうが、考えると頭が痛い問題です。 今現在の状況が、もしも3年半前にわかっていたら、絶対に「音楽史」などという項目は作らなかっただろう、と溜息をつきつつ、それでも音楽史の文献を当たって「古楽の楽しみ」を更新している私を見ながら、母は「閉鎖すれば?」と仰って下さいました。それが出来れば、ねえ……(--; 。 2001/10/28(日) 久しぶりの日記(?)です。すでに「月記」も通り越して、約3ヶ月ぶりですね。やっと体力的にも気分的にも、ほぼ平常に戻ったと言える状態になったように思います。まだ体力的には無理がきかない事も多くて、日中に頑張りすぎると9時頃には眠気に勝てなくなりますが、休日にきちんと休めば1週間は活動できるようになりました。まだ森林公園を歩くだけの体力はありませんが、この冬場はプールで歩くなどして、来年に向けての体力をきちんと作ろうと思っています。 ところで、今月から半年間、週に二回の割合で写真の取り方を習いに行くことにしました。一眼レフカメラを使って、マニュアル(手動)である程度の写真が撮れるようになるのが目標です。 「散策の楽しみ」にUPしてある写真類は、最近のものはキャノンの EOS kiss という一眼レフのカメラで撮ったものなのですが、ずっとオート・フォーカス(露出もシャッター速度もカメラ任せ)で撮ってきました。さすがに、仕上がり具合は普通のポケット・カメラよりは良いものの、自分の意図したのとは違う色合いや明るさで撮れることがままあるもので、自分が気に入るように撮るには、特に露出を自分で設定できるようにならないとダメらしい、と思うようになりました。 たった12回の講座なので、どれくらいカメラのことがわかるようになるかは、かなり疑問の残る所ではありますが、写真実習はほとんど屋外らしいので、多少は腕が上がればいいと思っていたりしています。芸術的な写真を撮る気はさらさらありませんが、せめて、もう少し見るに耐えるものが撮れるようになりたいものです。 さて、意欲はかなりあるのですが、問題は、ちゃんと12回の講座に出られるかどうかがわからない事でしょうか。これから半年は、土曜日に出勤しなくてもいいように、うまく仕事を調性しなくてはいけません。休むのも権利のはずなんですが、そうも言っていられない現実も……。多少、不安がなくもありませんが、頑張りたいと思います。 2001/8/06(月) 母の叔母が亡くなりました。私にとっては大叔母ということになりますが、母と6歳違いで、ほとんど姉妹のようにして育った人だったので、実質的には母の姉、私としては伯母のような間隔で親戚づきあいをしていて、母方の親戚の中では一番近しい人でした。 今年の初めにすい臓ガンと診断され、余命3ヶ月と言われていたのが、大叔母の希望でほとんど治療らしい治療もせず、痛み止めと点滴だけで8月まで保ったのですから、人間の体というのは、案外と丈夫なものと言えるかもしれませんね。 本人にはガンだと言う事は知らせていませんでしたが、多分、薄々とは気づいていたのではないかと思います。入院すると決まった時に大叔母が医者に頼んだのは、とにかく、薬は最低限にする事と、痛いのは嫌だという事、意識がある間は管類を付けないで欲しいということだったし、病気について自分からはほとんど何も話さなかったということですが、入院が4ヶ月を過ぎた頃に一度だけ、「いつまで生かしておくのだろう」とポツリと漏らしたと、大叔母の家族から聞きました。 初めて見舞いに言ったとき、病院の食事はなかなか食べてくれないと聞いていたので、母と相談の上、以前、大叔母が我が家に来た時に好評だったおかずと、家で炊いたご飯を試しに持って行ったら、美味しいと言って食べてくれました。2度目に見舞いに行った時には持っていかなかったのですが、その時には本当に残念そうな顔をしていたので、それ以後、見舞いに行く時には出来るだけ美味しく炊いたご飯と、出来るだけ美味しいおかずを持って行くように心がけたものです。 鮭一切れを持っていくのに、近所で買える塩鮭を全種類買って食べ比べてから、一番美味しかった切り身を次の日に持っていきました。ほとんど食事が出来なくなってからも、見舞いに行けば「ご飯は?」と聞いてくれて、ほんとうに一口か二口ほどしか食べられないのに、美味しい美味しいと食べてくれたから、それを励みに、母と二人でせっせと食事の差し入れをしていました。 最期の2週間はほとんど意識が無かったようです。意識が無くなってからは、母は毎日顔を出していましたが、私はお見舞いに行きませんでした。薄情なようですが、なんだか、体に管を付けられて寝たっきりの大叔母を見てしまったら、元気な時の大叔母の様子を忘れてしまいそうで怖かったので。おかげで、大叔母が亡くなったという知らせを受けた時も、母は大泣きをしていましたが、私は全く実感がありませんでした。 それでも、通夜に行って遺影を見て、読経を聞いていたら、小さな頃の大叔母との思い出や、入院中の事などを色々思い出して、不覚にも、通夜の間中泣き通しでした。現在もまだ情緒不安定で、思い出しては涙ぐみそうになっています。比較的苦しまずに死んだというのが、せめてもの幸いでしょうか。 2001/7/01(日) 月1回どころでなく、4ヶ月ぶりの記述になってしまいました(汗)。椎間板ヘルニアで緊急入院した結果とは言え、少し間があきすぎですね。反省しております。 ところで、今回の入院については、緊急も緊急、生まれて初めて『救急車に乗る』という体験をしてしまいました。なにせ、全く前兆がないままに、朝起きて、洗顔をして、着替えをして朝食をすませて、出勤まで少し時間があったのでソファに座って新聞の見出しのチェックをし、さて、出かけましょう、と思って立ち上がろうとしたら、なぜか足に力が入らなくて立つことができなくなっていたんです。あれあれ?と思っているうちにだんだんと右足が痛くなってきて、太股から足先まで分けのわからない激痛が走る状態になりまして、座っているにも辛くてソファに寝っ転がる事になり、母に職場に欠勤の電話を入れてもらい、病院に行こうにも立つに立てない状態でしたので、恥を忍んで119番に電話しました。 救急車で連れて行かれたのは比較的家の近くの整形外科でしたが、診察した後で即入院と言う事になり、仕事も何もかも中途半端で放り出す事になってしまいました。それでも、仕事の方でどうしてもやらなくてはならない事があって、主治医の先生に頼み込んでパソコンを持ち込みましたが、うつ伏せになるのも辛い状態でキーボードを叩くのは、はっきり言って地獄でしたね。 結局、腰椎の軟骨が1本、完全につぶれて右足の主神経を圧迫しているのが原因ということで、手術をして取り去ってしまいましたら、座れるようにも歩けるようにもなりましたが、疲れると右足に激痛が走るのは相変わらずです。正座をして痺れたのがひどくなったようなもので、この痛みを形容するのに『電気が走る』という言葉を看護婦さんから教わりました。はっきりいって、とても気持ち悪い痛みです。 この痛みは直るのでしょうか、と主治医の先生に聞いてみたら、「軟骨でつぶれた神経が復元してきたら、徐々に直って来るのではないか」というお話でした。どうも、これからかなり長い間、この痛みとお付き合いをすることになりそうです。まあ、手術をする前には、はたして歩けるようになるのかしら、という気もしていましたから歩けるようになっただけでも、もの凄く嬉しいですし、周囲を見る目も、入院前とはちょっと変わったような気もしています。 それにしても、自分が身障者と似たような立場になってみてはじめて、階段というものの煩わしさに気がついた次第です。改札とホームの間にエレベーターか下りのエスカレーターの無い地下鉄やJRの駅は、今の所、使用したくても使用できません。 2001/3/18(日) 月末の東京美術館巡りは、結局2泊3日の日程になりました。月曜日をはさんでいるので、見たいものを全部回るとすると、日曜日と火曜日は1日に最低でも4館は美術館に行かなければなしません。最終的には、母より私の体力のほうに問題が出そうな気がしていますが、出来るだけたくさんの美術館を回って来たいと思っています。 ところで、新宿の小田急美術館で行われている『牧野富太郎と植物画展』は、かなり楽しみにしている展覧会のひとつです。日本の植物分類学の基礎を築いた牧野富太郎は、10歳ごろから植物の観察が好きな少年だったようですが、小学校は中退しており、独学で植物学を学んだ「天才の系譜」の一人でもあります。当然、学閥を重んじる研究者の中には面白くなかった人たちも多かったようで、当時も色々と軋轢があったようですが、最終低には理学博士の学位を取得して東大の講師さえ勤めたわけですから、本当に素晴らしい人だったのだろうと思います。 1940年に出版された『牧野日本植物図鑑』は、『牧野新日本植物図鑑』として改定され、今も植物分類のための実用書のひとつとして、植物分類を志す人たちの実用書のひとつになっています。牧野富太郎という人は、画才にも非常に恵まれていた人だったようで、今回の展覧会で彼の書いた標本図が多少なりとも観られるというのは、植物好きにはたまらなく嬉しい事だと思います。 ところで、現在の日本の植物分類学なのですが、どうも牧野富太郎の分類とは違っているところが多いような気がしています。野の花などの分類方法を調べていくと、植物の構造について、当時よりも発達したことによる正しい改正もたくさんあるのですが、同時に、素人目にも変だなあと思われるような改正点もみつかって来たりします。まあ、素人の感想なので、確実な根拠はないのですけれど。 あまりこういう事は考えたくないのですが、ひょっとすると、牧野富太郎と敵対した一派が、現在の日本の植物分類学を牛耳っているのかもしれません。なんだかなあ、とは思いますが、日本という国は、何事につけて実績より「閥」を重んじるところが、無いとはいえませんから……。 2001/3/11(日) 昨日、4ヵ月ぶりで美容院に行ってきました。もともとショートカットにしている髪がセミロングになって、異常に鬱陶しいとは思っていてのですが、切ったらとても頭が軽くなりました。先月からの頭痛の原因の一つに、髪の長さもあったかもしれませんね(^^;。本当にこの土日は、久々にゆっくり寝て、ゆっくり食事をして、とても人間らしい生活だったと思います。 実際、この4ヵ月の間に美容院に行く時間が、まったくなかったわけではないのですが、あそこで座っている2時間という時間が、とても惜しかったのも事実です。こういう風に身なりにかまわないのは、女性としては失格なのかもしれませんけれど、背に腹は変えられませんからね。身だしなみよりも、まずは収入の安定を目指さないと。CDとか書籍とか、旅行に不自由をするのだけは絶対に嫌ですから。なんだかんだ言いつつも、女性は男性の倍働いて、やっと一人前に見てもらえるという風潮は、今もあまり変わっていないように思えます。。 ところで、12月からずうっと忙しかった分、今月末は有給休暇を申請できそうなので、東京にでも美術館巡りに行こうかと考えています。母にもだいぶ迷惑をかけましたので、慰労の意味も込めていっしょに連れて行く予定です。でも、母の思い通りに動くとなると、多分1日に3〜4館ぐらいを一気に回る強行スケジュールになりそうなので、本当に骨休めになるかどうかは疑問ですが(^^;。 できるなら3泊4日くらいにして、1日くらいは東京の自然散策が出来れば楽しいと思うのですが、毎回そうしようと思いつつもなかなか実現できてません。そういえば、3月末に東京に行ったときは、雨模様の時が多かったのも敗因のひとつですね。予定をしていても、さすがに雨だと行く気が失せます。今年は晴れないでも良いですから、曇りくらいですんで欲しいと思っています。 2001/2/11(日) 昨日、北村薫の『リセット』(新潮社)を読みました。<時と人>シリーズ(何時の間にこういうシリーズ名になったのでしょう)の第3巻、ひょっとすると最終巻です。本当は、ゆっくりと、少しずつ読むつもりだったのですが、読み出してしまったら、結局は一気呵成でした。 『リセット』は3部構成で、第1部は太平洋戦争末期から戦後を背景に、神戸の芦屋に住む女学生の水原真澄の視点で、彼女の淡い恋物語が語られます。そして第2部は現在、病院に入院中の村上和彦が小学生の頃の自分の日記をもとにして、昭和30年代に出会った“水原真澄”との思い出を語ります。 作中に出てくる「啄木かるた」や絵本の「ちいさなおうち」、水で溶いたオレンジジュースに、今は見失ってしまった優しい時間を思い出し、そこはかとない郷愁を感じさせられました。けれど、第2部の後半に来るまで、どこが“リセット”なのか、私はよくわからなかったのです。 そのヒントは、第2部の後半になってやっと提出されます。そして、最後の第3部の50ページの中で一気に凝縮し、走り出して行きます。“リセット”はそこで終わりではないのです。そこで止まって、またやり直す。 本書の仕掛けは、多分、SFとしてはすでに独創的なものでないでしょう。けれど、『スキップ』が取り戻すことの出来ない“時”の流れと、その中で果敢に生きる“人”を描き、『ターン』で果てしなく循環する<時>の迷路に囚われた<人>が、その出口を見つけようと努力する姿を描いたとすれば、『リセット』は、個人個人にとっては有限であるはずの<時>を、軽々と超越する<人>の<想い>を描いた作品のように思われます。昨日は、一気に読み終わってほっと一息ついたあと、しみじみと幸せな気持ちがわき上がって来ました。 ただ一度の人生の中で、<時>は優しくも残酷にも流れていきます。けれど、それを越える<想い>を<人>は持つことが出来るかもしれない。『リセット』は、そんな希望を持たせてくれる小説でした。 2001/1/20(土) 昨年末からの風邪をこじらせて、年末から新年に掛けて寝込んでしまったせいなのか、どうも頭の切り替えが出来ないでいますが、21世紀最初の月が、もう3分の2終わってしまっているんですね。今年も、このまま行くとだらだらして終わってしまいそうなので、少しは頑張らなくっちゃね、とは思ってはいるのですが、なかなか実行に移せないところに、日頃の優柔不断さがあらわれているような気がしてます(^^;。 去年の秋頃から、野幌森林公園などの植物が例年より早く咲き終わっていたので、冬が早く来るのかしら、とは思ってはいたのですが、予想以上に今年の冬は寒さが厳しくてまいっています。年中行事の札幌雪祭りも、あまりに寒くて雪が固まらず、雪像製作に苦慮しているようです。ここの所、雪が降ると必ず粉雪の状態で、雪の結晶が単体で降って来てますから、子ども達も雪玉が作れないようで、雪合戦も雪をすくって掛け合っている状態ですから、雪像を作るのは本当に大変だろうと思います。 話は変わりますが、今日は、1年ぶりに「つれづれの文車」を更新しました。春から秋にかけては散歩がてらに撮った写真で「散策」のページを作り、冬場は「文車」用に詩などをHTML化するようにしていますが、それししても、1年ぶりというのは、さすがに間が開きすぎのような気がします。斎藤茂吉や若山牧水など短歌もUPしたいと思っているので、これから4月くらいまでに出来るだけ頑張ろうと思います。 今回「文車」にUPしたのは知里幸惠です。知里幸惠の名は知らなくても、「銀の滴降る降る」というフレーズを知っている人は多いのではないでしょうか。この作品が入った『アイヌ神謡集』の編訳者が知里幸惠です。 実のところ、『アイヌ神謡集』をUPするのは、少しばかりためらいがありました。アイヌについて、自分が何も知らない自覚、というのがあったからです。大体において、『アイヌ神謡集』からして、北海道の人間よりも本州の方々の方が、その存在を知っているのではなかろうか、という気がします。北海道に住む本州からの移住者の子孫にとって、アイヌの問題は、出来れば避けて通りたい問題の一つだったのだろうな、という風に私は思っています。なにしろ、私は教育期間にアイヌについて、まともに学んだ記憶がまったくありませんから。 それでも、高校以降、多少なりともアイヌについて勉強するようになって、アイヌの世界観とか自然に対する考え方、伝承などにかなり興味を持ちましたし、特にユーカラなどの伝承文学はとても面白い読み物でした。だから、ほとんど何も知らない人間の暴走かもしれませんが、それらの面白さを少しでも分かち合えたらなあ、という想いだけでUPしてみたわけです。多少なりとも、楽しんで頂ければ幸いです。 歴史の負の遺産は、出来れば忘れ去るのではなく、きちんと受けとめた上で、より良い未来のためにどうしたら良いのか、何が出来るのか、それを考えていく事が大事ではないかと私は思っています。アイヌ問題も、結局はそれに行き着くのではないかしら……。 [今月に戻る] [目次に戻る] |