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Diary
―――2000年1〜3月の雑感―――


2000/01/03(月)

『一年の計は元旦にあり』とは言うものの、正月から通常出勤だった身には今年は余りピンと来ません。Y2K(2000年)問題のおかげで、昨年末から今年にかけて、ずいぶん忙しい眼に合いました。明日から仕事始めの企業分のY2K関係の仕事が入ってくる可能性があるので、とにかく6日まではお仕事です。その後1週間休暇になる予定なので、それを楽しみに日々を送っています。今年の目標……と言われても何も思い浮かばなかったりします。取りあえず健康に気を付けて、宿題―「古楽の楽しみ」と「おすすめディスク」―を完成させて、あとは……少しダイエットに取り組みますか。去年は仕事のかまけて運動不足が続いたので、ずいぶんと脂肪が付いてしまいましたから(^^;。

Y2Kに関しては、とにかく大事にならなくて良かった、というのが実感です。まあ、停電や断水があったとしても極地域的なもので1日もあれば復旧が可能だろうとは思ってはいましたが、一般市民の生活のはおおかた支障が無かったようで、ホッとしています。私の所で請け負った仕事も、おおむね順調のようです。古いコンピュータやプログラムの関係で、昨年中には応急処置しかできなかったものも、今年中には片が付きそうです。本当に、何事もなくて良かった、良かった。

それにしても、Y2Kでコンピューターの誤作動がそれなりに問題になったのが、原子力発電所とアメリカの軍関係だったというのが、笑わせてくれると言うか、呆れてしまうと言うか……。このあたりは、コンピュータだらけの関係でだいぶ前から取り組んでいたはずですのにね。本当に、人間のやることに『絶対』なんて言うことばは使っちゃいけないと言うことを、今回も証明してくれているようです。下手をすれば、ずいぶん危ない事になった可能性もあるわけですから。



2000/01/06(木)

明日から、やっと1週間の休暇です。やっと正月が来てのんびり出来ると思ったのですが、明日から東京に3泊4日の旅行をする事になりました。おまけに朝一番の飛行機なので、明日は6時起きをしないと間に合いません。

12月末くらいから、母が新しく東京に出来た東京芸術大学付属の美術館を見に行きたいと言ってはいたのですが、まさか、私に断りもなく旅行の準備を進めているとは思いませんでした。もし、Y2Kが大変なことになっていて、休みが取れなかったらどうする気だったのかとも思いますが、せっかく準備してもらったので、親孝行も兼ねて行って来ます。

母と旅行に行くときは、美術館巡りか植物園も含めた自然探索の旅と相場は決まっておりまして、今回は1日2〜3館を巡る美術館巡りになります。国立博物館も含めて日本の美術品の展示会場を集中して行く予定になっています。時間と気力があればレコード屋にも行ってみたいのですが、今回のスケジュールからするとかなり無理がありそうな(^^;。



2000/01/12(水)

ディスプレイの見ていると眼が痛む、という状態を久々に経験しています。東京の4日間でやはりかなり眼を酷使したんだな、とつくづくと実感しています。

7日の金曜日は午前7時10分発の飛行機に乗らなければならなかったので5時起きでした。朝ご飯もそこそこに家を出たのですが、前夜の雪が朝から雨に変わっていたために(かなりの大雨でした)除雪が追いつかず、道路のは10cmくらいのシャーベット状の雪のかたまりが堆積していました。おかげで千歳空港へのシャトル・バスものろのろ運転で、飛行場についてのは6時45分過ぎでした。
飛行場の除雪作業も遅れていたらしく、飛行機の搭乗手続きも6時くらいから始まったのでなんとか乗ることが出来ましが、なかなか心臓に悪かったです。結局、予定時間より30分くらい遅く出発して、羽田に着いたのは9時過ぎでした。それからモノレールと山手線を乗り継いで、真っ直ぐ上野に行きました。なにせ、ホテルには3時過ぎないとチェック・イン出来ませんからね(^^;。

上野駅に大きい荷物を預けて、まず、去年の暮れに開館した東京芸術大学の付属美術館に行きました。ここは、出来たときから母が絶対に行ってみたいと言っていた美術館でした。私も、歴代油絵科の生徒の自画像というのにとても興味があったので、最初に行くのはここと決めて行った次第です。
一番印象に残ったのは、やはり青木繁の絵でした。『わだつみのいろこのみや』が、絵の迫力に比べてずいぶん小さな絵だったことにも驚きましたが(実物の4倍くらいに思っていたので)、自画像が特に印象的でした。目の輝きになんとも言えない雰囲気がありましたね。自分の力に対する自負と不安がない交ぜになったような、強い光がそのままキャンバスの残されていました。「選ばれたる者の恍惚と不安、我にあり」といった風が感じられました。

あとは、東山  が大学時代に書いたという『スケート』も面白く感じられました。山のふもとの屋外スケート場で、たくさんの子供達が思い思いにスケートを楽しんでいる状況が書かれているのですが、上半分の山の風景にはその後の東山風景画の片鱗が感じられると同時に、下半分の子供達の情景は当時の子供のための本だった『コドモノクニ』の挿し絵のような雰囲気があって、時代を感じさせるような絵だと思いました。

芸大美術館を出たらちょうどお昼だったので、上野でお昼になったときも定番で、国立博物館に行って中にある上野静養軒でハヤシライスを食べました。『皇室の名宝−美と伝統の精華』も見る予定だったので、ちょうど都合も良かったですし。

で、午後1時くらいから『皇室の名宝展』を見ましたが、正直に言って人の多さに酔ってしまって、何を見たのかあまり明確な印象がありません(-_-;。かろうじて覚えているのが、明治天皇と皇后の肖像画を取り巻いていた当時の国王や大統領の肖像画と『聖徳太子像』、狩野永徳の『桧図』と 伊藤若冲の『動植彩絵』ぐらいでしょうか。他にも色々見た記憶はあるのですが、ここで見たかどうかがわからなかったりします。もうすこし落ち着いてから、どこで何を見たのか整理しないと駄目なようです。

それでも、人の波にもまれつつ2時間くらいかけてみられるだけ見てから、山手線で宿泊するホテルのある品川に移動しました。京急デパートで夕食用のご飯とおかず、お茶用のお菓子を買ってからチェック・インしましたが、さすがに移動してすぐに2つも展示を見たので精根尽き果てたようで、部屋に入って荷物を整理してすぐ、2人揃って寝てしまいました。気がついたら7時近くてさすがに慌てました。結局、夕食を食べてお風呂に入って、寝付いたのは10時前でしたね。次の日の朝7時まで、夢も見ないで眠りこけました。

残りの3日も、初日とだいたい同じパターンで過ごしましたが、詳細はまた明日以降に(連載にする気らしい……)。



2000/01/13(木)

昨日の大雪から一転して、今日は晴れた穏やかな日でした。でも、明日にはまた大雪になるようです。気温が高いので湿った雪だそうですから、また飛行機が欠航なるかもしれません。

さて、8日(土)の東京美術館巡り2日目は、前日がよほど疲れたのか8時起床、9時朝食で10時になってからホテルを出ました。本当はもっと早くでたかったのですが、起きた時間が時間なのでそうも行きませんでした。
朝食はホテルでオレンジジュースにパンとスクランブル・エッグとサラダと紅茶というメニューでした。紅茶がものすごく不味かった以外はまあまあ食べられる味だったので、あとの3日も同じメニュー(紅茶はコーヒーに変わりましたが)で過ごしました。

この日最初に行ったのは出光美術館でした。初めて行く美術館だったので事前に場所は調べていきましたが、地図と首っ引きでどうにか帝国劇場の9階にたどり着きました。《琳派の美》という題名で光悦、宗達にはじまる300年にわたる琳派の名作が系統的に展示されていましたが、本当に素晴らし作品ばかりでした。ちょうど第2部の始まりの日で、土曜だったせいかお客もあまり多くなくてゆっくり見ることができました。

展示品の中でも、尾形光琳の『蹴鞠布袋図』と酒井抱一の銀地の『紅白梅図屏風』、鈴木其一の『蔬菜群虫図』が特に印象に強く残っています。光琳の墨絵の『蹴鞠布袋図』は、いつも肩に担いでいる大きな袋つ杖を地面に置いた布袋さまが、右足で大きく蹴った頭上の鞠を見上げているという図を単純な線で描いたものですが、すごくユーモラスで思わず肩の力が抜けるようでした。あくせくしたって良いこと無いよ、と言う声が聞こえて来そうな気がしたくらいです。

抱一の六曲一双の『紅白梅図屏風』は、とにかく綺麗でした。たいていは黒く変色してしまう銀地が、ほとんど変色していなかったのが、まず凄いことだと思いましたが、右隻の紅梅のゴツゴツした感じと左隻の白梅の柔らかさの調和がすばらしいと思いました。
鈴木其一の『蔬菜群虫図』は、よく実ったナスとキュウリに蝶や蜂、トンボなどが群れていて、キュウリの蔓を巻き付けるための添え棒のてっぺんに雀がとまっているという図です。遠近感のあまりない不思議な雰囲気を持っていますが、なによりキュウリとナスという題材が気に入りました。なんだか、本当に和む感じがする絵で、いつまでも見ていたいような気がしました。この絵だけは絵はがきも購入してしまいましたが、テレホンカードが無かったのがとても残念な気がしました。

結局、《琳派展》の会場を3巡して、陶片資料室を一通り見たら3時間以上たっていました。実は、陶片資料室を一目見たときには、私も母も素晴らしさに舞い上がってしまって、その後で山種美術館に行くことを思い出さなければ、多分この日は出光美術館だけで見学が終わっただろうと思います(^^;。とにかく、次に来るときにはお弁当を持って来ることに決めて、2時頃に出ました。

お昼は、香料も油も拒否反応を起こす母に会わせて、近くのそごうデパートの大食堂で「関西風うどん」を食べましたが、あまりの塩辛さに驚いてしまいました。確かに薄口しょうゆを使っているのか見た目は関西風でしたけれど、あれはどう考えても塩を入れすぎだと思います。本当に関西の人が食べたら、きっとビックリするでしょうね(^^;。

昼食の後、地下鉄を乗り継いで山種美術館に行きました。九段下に移転したことは知っていましたが、どこにあるのかよくわからなかったので、半蔵門駅で降りてから交番のお巡りさんに道順を聞くなどして、なんとかたどり着いたというのが正直なところです。《新春の日本画展》ということで、富士や鶴、龍といった正月にふさわしい題材のものや、春に関連した日本画の展示を行っていました。

狩野常信の正月の用意をしている『七福神絵巻』が一番印象的でしたが、横山大観の『富士山』も良い絵だと思いました。実は、私は大観の絵には好き嫌いがありまして、昭和10年以降のものはどうしても好きになれないんです。山種美術館の『富士山』は1933年の制作ということですから、ぎりぎりと言うところでしょうか。あとは、橋本明治の『双鶴』と上村松篁の『春鳩』が柔らかい感じで良いなと思いました。

山種美術館を出たのは4時半頃で、そのまま地下鉄&山手線で品川に戻りました。ホテルに戻る前に前日同様ご飯とおかずを買って、この日は少し元気だったので、食事の後で読む本も購入しました。私が有栖川有栖の『ペルシャ猫の謎』で、母はハーレクイン・ロマンスを購入しました。それから、私も母もだいぶ足腰が痛くなって来ていたので、薬局でバンテリンを購入しました。結局、バンテリンは次の日にも1本購入するはめになりました(^^;。コンクリートやアスファルトの上を1万歩以上毎日歩くと、ずいぶん足腰に負担がかかるものだと実感した4日間でもありました。



2000/01/16(日)

職場に復帰したとたん、土曜は休日出勤でした。もう少し休みたいよぉ、と思わなくもありませんが、食べるためには頑張らなくてはいけません。しかし、今年の冬はマイナス5℃以下とプラス5℃の間を言ったり来たりで、どっさりと湿った雪が降るそばから溶けるかと思うと、次の日にはツルツルに凍って道路がスケートリンクになる、というような日を繰り返しています。どうせなら、もう少し暖かくなって雪が無くなればもっといいのになあ、などとと思ったりもします。

今日で、阪神大震災からもう5年なんですね。特集番組を見ながら、色々なことを考えさせられてしまいました。自分がいかに幸せかということも……。

さて、すっかり長期連載(私にしては)になってしまいましたが、美術館巡りの3日目は10時にホテルを出て畠山記念館からはじめることにしました。行き先が宿泊先から近かったので、徒歩で行きましたが20分くらいでつきましたね。ここでは、《慶賀の表現》という題名で館蔵展を行っていました。入ろうとしたら、入口で靴を脱ぐようになっていたのでちょっと驚いてしまいました。最近の美術館では珍しいタイプですよね。

絵も良かったですが、それ以外のものの印象の方が強いです。本阿弥光悦の『赤楽茶碗』や桃山時代の『十二支蒔絵棗』、尾形光琳の『白梅模様小袖貼付屏風』、柴田是真作の『印籠箪笥』、明時代の『染付竜濤文天球瓶』などが特に眼をひきました。印籠箪笥に入っていたらしい印籠も素晴らしかったです。もともと印籠はものすごく好きで、何時間見ていても飽きないんですよ。この日もじっくりゆっくり30分くらいかけて8個の印籠を眺めてました(^^;。

2時間近くかけてゆっくり見て、次に予定していた戸栗美術館へ行こうと思って玄関を出たら、五島美術館のポスターを発見。《館蔵 茶道具取合せ展》と言うことだったので急遽予定を変更して五島美術館に行くことにしました。私も母も、古伊万里も好きですが、茶道具には本当に眼がないものですから、どっちを取ると言われたら、ためらうことなく茶道具の方を取ってしまうんです。

JRで品川から大井町に行って、そこから東急大井町線に乗って上野毛駅まで行きましたが、時間が時間だったので、東急に乗る前にお昼にすることにしまいた。駅前のファッション・ビルの最上階の蕎麦屋で昼食に「きのこそばセット」を食べたのですが、前日の「関西風うどん」よりよほど関西風の味付けで、だしが効いていて美味しかったです。セットに着いてきた、混ぜご飯と漬け物も凄く美味しくて、この日は久々に昼食を堪能いたしました。

五島美術館は期待に違わず良いものが多かったです。千利休が代筆した、豊臣秀吉が大政所(お母さん)に出した手紙の掛け軸や古田織部の掛け軸も面白かったですが、やはり茶碗類は目を引かれるものが多かったです、実物の木の葉を焼き込んだ、葉の葉脈が美しい模様になっている南宋時代の『木の葉文平茶碗』は特に綺麗でした。その他、李朝や明の名品が色々見られて楽しかったです。南宋−元時代の青磁の鉢も深みのある色でうっとり見ほれておりました。

明治時代の『茶室起絵図』というのもあって、これも面白いと思いましたね。紙製の有名な茶室の立体模型なのですが、なかなか巧妙に出来ていて利休の茶室などがどんな間取りになっていたかなどがわかるんです。母と一緒に、ここに炉があるから水屋はこっち側だ、とか、床の間はどこでしょう、などと言いながら見ていたら、けっこう時間がたってしまっていました。

見終わった頃には4時近くになっていましたし足腰も痛んできたので、来た道を同じ行程で戻って品川のホテルに戻りました。ホテルに戻るまでの行程は前日に同じです。この日は、寝る前に読む本として、ちくま文庫から出ている石井美樹子の「中世の食卓から」を購入しました。当時の料理から中世という時代を見る一種の民衆史の本ですが、かなり面白かったです。“ウナギとイギリス史”や“オムレツとプリンが戻ってくる日”などは特に。感想を書くと長くなりそうなので、詳細はまた後日に書きましょう。



2000/01/23(日)

どうやら、風邪の菌は東京で拾ってきたみたいです。1日目が異様に暖かくて、2日目は寒かったですからね(^^;。雪という緩和剤がない分、雪のない地方は体感温度が低く感じられるような気がします。札幌にいれば、気温がマイナスでもマフラーなどほとんどしたことがないのですが、東京の2日目は歩いているときに、ちょっとマフラーが欲しいと感じてしまいましたから。

久しぶり熱を伴った風邪だったので、2日ほど寝込んでしまいまいました(熱には弱い私……)。ものを食べるのもかったるくて、砂糖抜きのミルク・ティーばかり飲んでいましたが、なんとか直ったのでホッとしてます。明日は仕事にいけるでしょう。

残っていた東京旅行記4日目です。自分でも覚えているか怪しいですが……。この日は朝早めに起きて、朝食をすませた後で貴重品とガイドブックだけをリュックとショルダーバッグに詰め込んで、残りの荷物はすべて宅配で自宅に送る手続きをしました。着替えも含めて、貴重品と腐りやす物以外は、旅行に行くときはホテルに、流行の終わりにはホテルから自宅へ、宅配便で送ってしまうのが最近の我が家の旅行パターンになっています。千歳や羽田で荷物が出て来る時間を待つのも面倒くさいですから(^^;。

本当のことを言うと、当初の予定では畠山記念館と根津美術館に行く予定だったのですが、3時までには見学を切り上げて羽田に向かわなければいけないし、いい加減足腰も痛くて地下鉄の階段を上り下りしたくない、という母の要望もあり、予定を変更して上野の国立西洋美術館と国立博物館の平常展示を見に行くことにしました。

国立西洋美術館の展示は、基本的には去年のゴールデン・ウィークとあまり変わっていないようでしたが、前回は本当に駆け足で見たので、2時間かけてじっくり見直しました。ここでは、前回来たときは貸し出し中だった『牢獄のサロメ』が見られたのがとても嬉しかったです。まさに首を切られようとする聖ヨハネを陰から見守るサロメが描かれた小さな絵ですが、前回見ることが出来無かっただけに、感激もひとしおでした。

さすがに疲れていたので、椅子があるところに来ると座って休憩しながら少しづつ見ました。そのまま1日いても良かったのですが、母が国立博物館の漆器関係を見たいというので、12時に美術館を出て博物館に移動しました。お昼は上野静養軒でいつものハヤシライスでしたが、さすがにこの日は混んでいて、席に着くまで5分ぐらい待たされました。

国立博物館は2時間程度ではとても全部は回りきれないので、本館の2階の漆器と絵画のみ見ることに決めて回りました。さすがに国立博物館だけあって、漆器なども良いものが多かったです。湯島聖堂に置かれていた物を中心に溜息をつきながら見ていました。絵の方は、浮世絵が正月にちなんだものが多くて面白かったです。屏風や掛け軸も多数見たような気がしますが、はっきり言って覚えておりません(^^;。時間も押していたので、そちらが気になって見ていたけれども記憶できなかったのでしょう。

5時の飛行機で帰る予定だったので、3時に上野を出て羽田の方に向かいました。4時少し前くらいに着いたのですが、千歳の天候がかなり悪くて、天候調査がかかっているとのことでかなり慌てました。ホテルの手続きをしないと駄目かしら、と思いつつ搭乗口で待っておりましたが、出発時間の30分前になって、ようやく飛ぶことが決まってホッとしました。

結局、荷物の積み込みに時間がかかって40分遅れで羽田を発ったうえに、千歳の管制塔からの指示で上空で30分近く待たされたので、予定より1時間半遅れで帰ってきました。それでも、5時の飛行機で良かったです。その後の飛行機は結局飛ばなかった見たいですから。冬場の旅行は、北海道から出るのも帰るのも天候次第なのでなかなか大変です。目的地にいる間は、本当に楽しいのですけれど。

今日、母が大阪のガイドブックを買ってきました。今年のゴールデン・ウィークにはフェルメールの絵が大阪に来ていると聴いて、旅行の計画を練りだしたようです。まあ、今回よりは確実に休みが取れると思うので、春の大阪行きは今回よりは楽でしょう。夏には久々に北海道内の旅行にも行きたいようなので、大阪一泊二日かな。



2000/2/13(日)

風邪をこじらせてふらふらしているうちに、雪祭りも最終日になっていました。今日の朝目が覚めてみたら大雪だったのでどうなることかと思いましたが、午後からは快晴でしたし、この1週間は比較的穏やかな日が多かったので、見物客にはまずまずだったのではないかと思います。どうやら、今年は200万人近い人間が雪祭りを見たようです。結局、私は今年も見にいきませんでしたが……。

暦の上では春ですが、札幌はまだまだ氷点下の日が続きます。それでも、家の中では胡蝶蘭がいくつかつぼみをつけ始めました。今月末くらいには、花が咲き始めるのではないかと思います。いかんせん、仕事が忙しいせいもあってまめに手入れを出来ないせいで花数は少ないですが、りちぎに咲いてくれるので毎年今頃は楽しみな時期になっています。

昨日、何度か Windows の設定とバックアップを手伝った友人から、お礼とこれからもよろしく、というメッセージ付きで赤い小花の胡蝶蘭が送られてきました。すっかり植物好きがばれているので、最近では友人のコンピュータの調整をするたびに、ひと鉢づつ観葉植物やら花やらが増えていきます。

今回もらった胡蝶蘭は、ひと鉢に3株も寄せ植えをしてあるものなので、花が終わったらそうそうに植え替えをしようと思っています。ただ、問題なのはそれそろ置き場所に困ってきたことですね。本もCDも植物も、増殖するばかりでなかなか減ってくれません。花の置き場を作るのに本かCDを整理する必要があるのですが、いったいどうするのが良いのか、現在思案中です。



2000/3/25(土)

今日はタヴラトゥーラの『蟹』を聴いています。3年ぶりの新譜ですが、相変わらずというか、よりいっそう円熟味が増したというか、相変わらすのタヴラトゥーラ節がさえ渡っているので安心しました。

発売会社もテルデックに変わり、世界中にセールスされると言うことで、そんなことは無いだろうとは思いつつも、もしかして肩肘張った音楽になっていたらどうしよう、と思って聴き始めたのですが、軽妙洒脱、古楽と創作が違和感無く入り交じったいつものとおり、じゃなくて、それ以上にライブの様子が思い浮かんできそうな録音です。ぜひ、たくさんの人に聴いて欲しいと思いました。

発売1ヶ月で1万枚も売れたそうで、ファンとしては嬉しい限りです。それにしても、円熟味が増したことで、ジャンルわけの困難さに拍車がかかって来たような気がします。確かにオリジナルの古楽も録音されていますが、どう考えても古楽に分類出来そうもないんですから。

私が買った店ではクラシックの新譜の所においてありましたが、昨日立ち読みした「グラモフォン・ジャパン」のCD評ではワールド・ミュージックに分類してありましたから、民族音楽やら古楽ら、きっと店ごとで違うんでしょうね(^^;。



2000/3/26(日)

選抜高校野球がはじまりましたね。あまり熱心な野球ファンではありませんが、北海道のチームの試合だけは、なんだかんだと言いつつも結局見てしまいます。本日の第一試合、橿原×北照戦も、NHKの教育放送と総合放送を行き来しつつ、最初から最後まで観戦することになりました。

奈良の橿原高校には申し訳ありませんが、延長11回で勝利が確定したときには、やはり嬉しかったです(^^;。こんな所で郷土愛を発揮してもしょうがないと思いつつ、こればかりはなかなか押さえられそうも無いもののようです。

それにしても、一昔前なら、北海道のチームは出ると負けで、本州のチームに勝てるなんて、思ったことも無かったことです。そんなことを思い出しつつ、時代もずいぶん変わったものだなあ、なんてことを考えていました。



2000/3/31(金)

昨日、1年ぶりくらいで母が夕食のために天ぷらを揚げました。ナスとサツマイモとエビを材料にした普通の天ぷらだったんですが、それを肴に、ひとしきり昔話に花が咲きました。

はっきり言って、うちの母は昔から料理が下手です。でも、下手と言うよりは、基本的なことを知らなかった、と言った方が正しいでしょうか。小学校の低学年ぐらいまで、私は天ぷらというものは、衣と身が別々になっているものだと思っていました。なぜなら、天ぷらと称して食卓に出されたものは、いつも素揚げの野菜や魚介類と、小麦粉を揚げたものが別々になって皿に盛られていたからです。父方の祖母にはじめて天ぷら屋に連れて行かれた時は、かなりのカルチャー・ショックを受けました。

昔、多分、幼稚園ぐらいの時、母方の祖母が遊びに来て、何かのおりに「あんたの母親は料理が下手だ」と言われて、猛烈にくってかかった事があるのですが、今考えれば、言われてもしょうがなかったんだと思えます。でも、味に関して言えば、祖母が作ったものよりも美味しかったと今でも思っています。

ちなみに当時は、食事時になったら私はおひつを抱えてしまって「祖母には絶対食べさせない」と頑張ったそうです。でも、これについては、私は一切、記憶にございません(^^;。

仕事をやめてからの母の趣味にひとつに「料理」が加わって、今では本棚の棚ふたつが料理の本に占領されています。本を見ながら新たな料理に挑戦しつつ、5回に4回は敗れ去っていますが、昔に比べるとずいぶん腕が上がりました。「うちの食卓も、昔と比べると、ずいぶんレパートリーが増えたよねえ」というのが、昨日の話題の結論です。


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