フランスのバロック音楽 


古典主義の音楽

 フランスの音楽史書ではヴェルサイユ楽派やその周辺の音楽に対して「バロック音楽」という用語を避けて「古典主義(クラシック)の音楽」とう用語を使うことがあります。ここで言う“古典主義”はドイツにおける“古典派”の音楽、つまりハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンらによって築かれた音楽と同等のものだという事ではありません。当時のフランスの音楽が、誇張された“いびつ”な音楽ではなく、前後の時代にまさる古典的な価値を持つ音楽である、という考え方に基づくものです。
 確かにフランスのバロック時代の音楽は、劇的な対比や運動感に満ちたイタリアの音楽とは違った優雅なたたずまいのものが多く、一種独特な雰囲気を持っています。
 けれど、通奏低音の使用や楽器、音楽の形式など、他国のバロック期の音楽と共通するところが多いので、最近ではフランスにおいても『バロック音楽』の呼称が普及しつつあるということです。

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バレエ・ド・クール ballet de cour

 「宮廷のバレエ」を意味する。ルネサンス時代に期限を持つ演劇舞踏のこと。起源はイタリアで、バロック時代にフランスで発達しました。
 バレエ・ド・クールの最初の作品と言われているのは、1581年10月15日に上演された、《王妃のバレエ・コミック Batet comique de la Royne》で、時のフランス王アンリ3世(在位1574-89)の寵臣ジュワユーズ公アンヌ(1561-87)と、王妃ルイーズ・ド・ロレーヌ(1553-1601)の妹にあたるマルグリッド・ド・ロレーヌ(1564-1625)の結婚式の余興のひとつとして行われました。王自らが踊りに加わった上演は、夜の10時から夜中の3時半まで及んだと言われています。
 詩人リヌッチーニの台本をヤコポ・ペーリが作曲し、1600年のメディチ家の婚礼祝いに上演されたオペラ《エウリディーチェ》は、カメラータの代表作であると同時に、現存する最古のオペラでもあります。

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トラジェディ・リリック(音楽悲劇) tragedie lyrique

 17〜18世紀のフランス独自のシリアスな内容のオペラの総称。「叙情的悲劇」とも呼ばれます。
 ジャン・バティスト・リュリ(1632-87)は演劇における朗唱法や言葉の扱い方を綿密に研究し、フランス語の抑揚を生かした
レチタティーフとより旋律的なエール・ド・クールを組み合わせて、音楽と言葉が自然と密着するような作り上げられています。

 リュリはこの音楽悲劇の歌の幕間にバレエ・ド・クールに基づく舞踏を豊富に挿入し、一大パフォーマンスとしてのフランス・オペラを確立しました。

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ヴェルサイユ楽派 Veesailles school

 バロック時代に、フランスのブルボン王朝の絶対王政下で活躍した音楽家の総称。代表的な作曲家としては、ジャン・バティスト・リュリ(1632-87)、マルカントワーヌ・シャルパンティエ(1645/50-1704)、ミシェル・リシャール・ドラランド(1657-1726)、フランソワ・クープラン(1638-1733)などがあげられます。

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コメディ・バレエ comedie-ballet

 17世紀後半に、ジャン・バティスト・リュリ(1632-87)とモリエール(1622-73) が創始した、古典喜劇に音楽と舞踏を組み合わせた舞台作品。バレエ・ド・クールと喜劇を結合させたものと言えるでしょう。代表作としては《町人貴族》(1670)があります。

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エール air

 広い意味のエールは、旋律や歌一般を指します。もう少し限定された用法としては、16〜18世紀の組曲の中で、特定の舞曲の形式に従わない、旋律の美しさを強調した単純な歌曲風の曲や楽章を指します。

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エール・ド・クール air de cour

 「宮廷風の歌」の意味。フランスで16世紀から17世紀にかけて流行した短い有節歌曲を指します。独唱または二重唱の形で歌われ、リュートやチェンバロの伴奏を伴うものが多く、独立した室内声楽曲と、バレエ・ド・クールのために書かれたものとがあります。

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フランス風序曲 French overture

 17世紀後半、ジャン・バティスト・リュリ(1632-87)が創始した序曲の形式。絶え間ない付点リズムによる荘重な第一部のあとに、急速なフーガ風の第2部が続き、時にはそのあとに第1部を似たコーダ(曲の終わりに結尾として付される部分)がつく事もあります。
 全体に荘重な響きがすることから、18世紀になるとオペラのみならず組曲などの最初の曲として、ドイツやイギリスでも広く用いられました。

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オペラ・バレエ opera-ballet

 17世紀末から18世紀初頭にかけて流行したオペラの一形態。全幕を通した中核となるストーリー性をほとんど持たず、あっても添え物程度の重要さしか持たず、徹底してバレエとスペクタクル効果を重んじた舞台作品でした。バレエを見せる口実のとしてオペラの形式が使用されているようにも感じられる作品群で、アンドレ・カンプラ(1660-1744)が作曲し、1697年に初演された《優雅なヨーロッパ L'Europe galante》がその初期の代表的な作品と言われています。

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ブフォン論争 Querelle des bouffons

 1752-54年に、パリで起こったフランス音楽とイタリア音楽の優劣論争。1752年から2シーズンに渡って、イタリアのオペラ一座がパリに滞在し、オペラ・ブッファインテルメッゾを上演してめざましい成功を収めたことに端を発します。
 当時、フランスの知識人を自称する人々が、事実上一人残らずこの論争に参加し、一方はイタリア・オペラの熱心な信奉者として、一方はフランス・オペラの支持者として激論を戦わせました。この論争の結果、リュリやラモーなどのフランス・オペラは、次第に支持を失って行きました。

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オラトリオ oratorio

 最初は17世紀初めのローマで、フィリッポ・ネーリがはじめた在俗聖職者たちの集会(コングレガツィオーネ・イル・オラトリオ)で演奏されるすべての宗教曲をさしていましたが、次第にオペラの影響を受けたレチタティーヴォアリア、重唱、器楽などを組み合わせた複合的な宗教音楽を指すようになりました。
 オラトリオとオペラの違いは、宗教的な題材を扱うことと、所作を伴わず、語り手の役を含む歌手によって、演奏会形式で歌われることなどがあげられます。

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グラン・モテ(大モテット) grand motet

 17世紀末から18世紀にかけてフランスで多く作曲された、独唱とコーラス(多くは2重合唱)と管弦楽つきの大規模なカンタータ風のモテトゥス。テキストには教会の典礼に関係していないものもあり、教会と劇場の両方に出来る音楽形式ということが出来ます。

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プチ・モテ(小モテット) petit motet

 17世紀末から18世紀にかけてフランスで多く作曲された、独唱または2重唱や3重唱と通奏低音(場合によって小規模なコーラスがつくこともある)による小規模なモテトゥス。フランソワ・クープラン(1668-1733)の《ルソン・ド・テネブレ》が代表作。

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ルソン・ド・テネブレ Lecons de tenebres

 旧約聖書の「エレミヤの哀歌」を歌詞にした声楽曲。ルネサンス後期からさかんに作曲されるようになった、グレゴリオ聖歌とエール・ド・クールの要素を取り入れたフランス様式の「エレミアの哀歌」は、“暗闇の続誦”という意味のルソン・ド・テネブレの名で呼ばれています。
 復活祭に先立つ聖週間の最後の3日間、すなわち聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日には、修道院や教会内でとりおこなわれる聖務日課において、キリストの死と受難にちなんだ聖句が選ばれて朗読されたり、歌われたりします。これは、各聖務の中でも最も早い時間である夜明け前に行われる「朝課」でも変わりはありませんが、この三日間の朝課で特に目立つのは、各日とも聖書の中の「エレミアの哀歌」が朗読、または歌われることでしょう。
 「闇」を意味するテネブレという語がつけられているのは、この聖務日課の最後で、ロウソクを一本ずつ消していくためだとされています。13本のロウソクはイエスの13人の使徒をあらわし、それを消すことで彼らがイエスのもとから去っていったことを、そして、最後の暗闇はイエスの死を象徴していると言われています。
 「ルソン・ド・テネブレ」は、フランス・バロック期に多く作曲されましたが、その中でもマルカントワーヌ・シャルパンティエ(1645/50-1704)やフランシス・クープラン(1668-1733)などの作品が代表作とされています。

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サロン salon

 フランス語で「客間」を意味し、主に17〜18世紀フランスで文学者、芸術家、上流婦人が優雅な会話を楽しんだ集まり、およびその場所をさします。さまざまな人士の出会いの場ともなり、古典主義文学や啓蒙思想をはぐくむ役割も果たしました。ルイ13世の時代、ランブイユ侯爵夫人が開いたサロンが最初といわれています。

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分散和音 broken chord

 和音を構成する音を、同時ではなく1音ずつ分散させて順次に演奏すること。アルペッジョ(ハープ〈アルパ〉をひくことからきた言葉で、和音を同時に鳴らさずに、ハープでひくときのように、順番に、一般には下から上にひくことをいう)や、ピアノ曲によく現れるドソミソの音形などが含まれます。

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組曲 suite

 バロック時代に盛んに作曲された器楽形式。小曲や楽章をいくつかまとめた器楽曲で、バロック時代の代表的形式です。その起源はルネサンスにおける、性格の異なる二つの舞曲の組合せにあり、バロック後期になると、同じ調性を持ついくつかの舞曲の楽章を一定の型で組み合わせる形式になりました。多くは、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグの四つの舞曲を基本としています。

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フランス風序曲 Frence overture

 ジャン・バティスト・リュリ(1632〜1687)が創始した序曲形式。フランス語の Ouverture は「開けること」の意味で、オペラやバレエの導入のための弦楽合奏曲として作曲されました。付点付きのリズムによる2拍子の荘重でゆったりとした第1部の後に、軽やかでテンポの速いフーガ風(輪唱のように旋律が追いかけっこをするような音楽形式)の第2部、2部構成を基本としています。時その後に第1部に似たゆったりとしたコーダ(曲の終わりに終結部として付け加えられるもので、それまでの音楽を回想したり、終結感を強める部分)が付け加えられることが多く、これによって序曲全体が緩−急−緩の3部からなる印象を与えます。
 18世紀(バロック後期)にはオペラ、
オラトリオ、バレエ、管弦楽組曲の最初の曲として、イギリスやドイツでも広くこの形式が用いられました。

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シャペル musique de la Chapelle

 18世紀末まで、フランスの王室礼拝堂に所属していた歌手、少年聖歌隊、楽器奏者からなるグループ。14世紀にはすでに組織として存在し、単旋律聖歌を歌うシャペル(祭壇を囲む聖職者のみ)と多声楽を歌うシャペルに分けられており、17世紀頃は30人ほどが所属していました。
 その後、ルイ14世の時代になって
グラン・モテの様式が生まれるとシャペルの規模も大きくなり、1663年からは高位の聖職者の楽長(音楽家ではない)のもとで、4人の副楽長(音楽家)が3ヶ月交代で国王のミサや宗教儀式のために音楽を準備、作曲する役割を果たしました。17世紀末にはシャペルに所属する音楽家の数は100人を越え、歌手も司祭以外の者が多くなっていきました。ルイ14世の時代からオーケストラも導入され、1702年にはヴァイオリン、ヴィオラ、バス、フルート、ファゴット、クルムホルンが含まれ、必要に応じてオーボエもエキュリから加えらるようになりました。
 この他にオルガン奏者もシャペルに所属し、副楽長を補佐していました。1678年からオルガン奏者も副楽長同様に4人となり、3ヶ月交代で勤めるようになりました。歴代のオルガン奏者の中には、ニコラ・ルベーグ(1631-1702)やフランソワ・クープラン(1668-1733)など、パリの主要な教会でも活躍した優れた音楽家が含まれています。
 

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シャンブル musique de la Chambre

 16〜18世紀にフランスの王室に所属し、宮廷の音楽を担当したグループ。1530年頃、主として音の小さな楽器を中心に結成され、1535年からは声楽の小アンサンブルも加えられました。シャンブルの最高責任者は1592年に創設された音楽総監督(sur ontendant de la musique)で、2人の音楽家が半年ずつ交代でつとめました。音楽総監督は宮廷音楽家の中で最も重要な地位にあり、バレー・ド・クールやオペラから室内楽まで、宮廷で演奏される世俗音楽を準備し、編成を考え、練習を監督しました。歴代の総監督の中でもジャン・バテスト・リュリ(1632-1684)やミシェル・リシャール・ドラランド(1657-1726)は特に有名です。
 シャンブルの基本的な編成は、常任の歌手(5人)、クラヴサン奏者、楽器奏者(5人:リュート、テオルボ、ヴィオール)で、この他に臨時で加わる合唱(約40名)や楽器奏者(15人:フルート、ヴァイオリン、バス・ド・ヴィオロン)が加わりました。その他、シャンブルに所属はしていましたが独立した活動を行っていたグループに《
王の24のヴァイオリン》とキャビネがあります。

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エキュリ musique de la Grande Ecurie

 16〜18世紀にフランスの王室に所属し、儀式や野外の音楽を担当したグループ。エキュリというのは「厩舎」の事で、これはメンバーが居住し、その前で整列した建物の名前に由来します。厩舎というと暗い建物を想像しがちですが、実際はヴェルサイユ宮殿の正面にある立派な建物で、内部には豪華な劇場もありました。
 エキュリは、1530年頃に音の強い楽器(トランペット、オーボエ、ホルン、トロンボーン、太鼓など)を中心に結成され、主として戸外のパレードや祝祭での演奏、外国の賓客が訪れた時の演奏、オペラやバレーの上演時の演奏などを行うと同時に、戦場や狩りでファンファーレを吹き鳴らすなどの役目を持っていました。
 エキュリに所属する音楽家には、オトテールやシェドヴィルなど、一族で代々勤めている者が多く、楽器の制作や改良なども行い、オーボエやフルート、ファゴットなど、優れた木管楽器を作り出しました。

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王の24のヴァイオリン 24 violons du Roy

 17〜18世紀にかけてフランスで活躍した弦楽オーケストラ。実質的にはアンリ4世(在位-)の頃から存在していましたが、1623年にルイ14世によって正式な組織として認められました。舞踏会の演奏などが主な仕事でしたが、バレー・ド・クールやオペラなどの宮廷内の催しにも加わりました。《王の24のヴァイオリン》には「グランド・バンド(大楽団)」の別称がありますが、これはキャビネの中の「プティット・バンド(小楽団)」、すなわち「プティット・ヴィオロン」と区別するために用いられました。

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キャビネ Le Cabinet

 フランス王室に所属する演奏家グループのひとつ。機構的にはシャンブルに附属しますが、費用は国庫からではなく、国王の個人財源から支払われました。キャビネに所属する音楽家たちは、大きく4種類に分けられていました。

  1.  音楽教師たち。教育ばかりではなく、宮廷の一室で演奏を披露することもありました。
  2.  国王が私的な気晴らしのために不可欠と考えたフランス人音楽家たち
  3.  国籍や滞在日数などの関係で正式に雇用できない音楽家たち。イタリア人が多かったのか、「陛下のイタリア人たち」とも呼ばれました。
  4.  「プティット・ヴィオロン」と呼ばれる弦楽アンサンブル。これは、1666年にジャン・バティスト・リュリ(1632-87)の要望で新しく組織されたされたグループで、メンバーは16〜23人と一定していませんでした。役割としては国王の旅行に随行するほか、国王が催す舞踏会やオペラ、宮廷内の私的な演奏会などに用いられました。

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コンセール・スピリテュエル concert spirttuel

 1725年にアンヌ・ダンカン・フィリドールによって設立された演奏会で、フランス革命中の1791年まで続けられました。初期の公開演奏会として、歴史的に極めて重要です。《スピリテュエル》という名称が示すように、最初はオペラが上演されない四旬節の期間に、オーケストラと合唱による宗教的作品と器楽作品を上演していましたが、のちに、世俗的な作品も演奏するようになっていきました。

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百科全書派 Encyclopedistes

 18世紀にフランスで出版された本巻17巻(6万0600項目)、補巻5巻、図版11巻、索引2巻からなる百科事典「百科全書」(正式表題は「百科全書あるいは科学、技芸、手工業の解説事典」)に執筆した思想家たちのこと。
 「百科全書」は、フランスの哲学者ディドロ(1713-84)が、数学者ダランベール(1717〜83)の協力のもと、1751年から72年にかけてパリで編纂し、当時の西洋哲学・政治・宗教における進歩的意見を集大成したもので、モンテスキュー(1689-1755)、ボルテール(1694-1778)、ルソー(1712〜78)など、当時のフランスを代表する約250人の哲学者や作家が執筆や寄稿、資料提供を行いました。
 内容的には合理主義精神、科学技術の尊重、教権主義批判等が特徴で、ディドロらの唯物論的傾向が強くなるとともに集団は分裂し、特にルソーは百科全書派と敵対する立場へと移行していきました。

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王立音楽アカデミー Academie Royal de Musique

 1671年にジャン・バティスト・リュリ(1632〜1687)が、オペラの上演を目的として設立した組織。現在のフランス国立歌劇場「オペラ座(L'Opera)」の前身で、「オペラ座」は19世紀になるまで「王立音楽アカデミー」と呼ばれていました。
 「王立音楽アカデミー」は、権力者の直接的な補助金を受けない公開劇場組織でした。上演場所は、最初はパリのジュ・ド・ポム(16世紀に流行したテニスに似た球戯)用の室内競技場を改造したものでしたが、翌年からはパレ・ロワイヤルの劇場に移されました。
 1673年のリュリの最初のオペラ《カドミュスとエルミオーヌ》の上演を皮切りに、パリの市民は「王立音楽アカデミー」によって、宮廷で上演されたオペラに触れることができるようになり、リュリの3作目のオペラ《テゼ》以降、戦争などの何か特別な事情がないかぎり、オペラは宮廷で初演された後にパリで公開される事が慣例となりました。

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オルガン・ミサ曲 messe d'orgue

 カトリック教会のミサのための短いオルガン曲のセットで、本来歌われるミサ通常文聖歌と交互に演奏されます。15世紀以降、フランスとイタリアを中心に発達しました。

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コンセール concerts

 コンセールはコンチェルトを語源とすることばですが、フランスでは一般的に「器楽合奏」の意味に用いられました。
 ちなみに、フランソワ・クープランの《王宮のコンソール Concerts royaux》は、チェンバロ(クラヴサン)独奏、あるいは指定のない人数と楽器による、小合奏用の小品集です。

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和声 Harmony

同時に鳴る複数の音の連合体。単独に鳴る複数の音をさす場合と、その連続をさす場合があり、前者の場合は「和音」と同じ意味になります。
音の同時的響き、すなわち音の縦の響きを扱う和声(ハーモニー)は、音のつながりをさす旋律(メロディ)とは対照的な関係にあります。そして、この2つにリズム(音の長さと強勢)をくわえて音楽の3要素と言います。
2つ以上の音が同時に鳴るかぎり、和声はどんな音楽にも生じますが、とりわけ、ルネサンス期以後の西洋音楽では音楽構造の中核と考えられ、重視されました。

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オペラ・コミック opera comique

17世紀の民衆劇やコメディ・バレエに由来する用語で、語りと対話、アリエット(アリア)、クープレ(風刺的な有節歌曲)、重唱で構成されるフランス音楽劇の名称。
18世紀に定着しますが、19世紀には形式面での独自性が失われ、レチタティーヴォの代わりに語りと対話を用いるフランス・オペラの総称となりました。

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