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中世のヨーロッパにおいて、文字や楽譜の読み書きができる女性と言えば、貴族の子女か女子修道院の尼僧などに限られていたと言って良いでしょう。中世においては、女子に限らず、学問は恵まれた一部の人々にのみ許されたものでしたから、女子の教育が軽視されていたのは仕方のないことかもしれません。 そんな中世において、女性文化人の筆頭として最近とみに有名になって来たひとりに、ドイツのヒルデガルド・フォン・ビンゲン(Hildegard von Bingen 1098-1179)があります。 「国際女性作曲家事典」によれば、彼女の前に87名の女性作曲家があげられており、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンの枕詞としてよく使われる「西欧史上最初の女性作曲家」という説は否定されています。けれど、少なくとも彼女は、私たちがその作品をまとまった形で耳にできる、最古の女性作曲家だと言っても間違いではないでしょう。 ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(ビンゲンのヒルデガルド)は、ライン川流域のアルツァイ近郊ベルマースハイムの貴族の家に、その第10子として生まれました。時代としては、第1回十字軍が発信してから2年後のことです。幼い頃から病弱だった彼女は、同時に超自然的な能力を示したため、8歳のなると両親によってベネディクト会修道院に預けられました。 1115年、彼女は17歳で正式な修道女となりました。その後、1136年にはその修道院の院長に選ばれますが、やがてそこが手狭になたため、1151年にライン河畔ビンゲン近郊のルーパーツベルクに独立した女子修道院を建立し、18人の修道女とともに院長として移り住み、1179年にその地で没しています。 当時、ヒルデガルドは予言の力でや啓示によって知られ、政治や外交にも手腕をふるったようです。そして、彼女が「汝が見聞きしたことを延べ記せ」という天啓を受けて著したという、26の幻視を記述した『道を弁えよ Scivias [シヴィアス]』は、宗教界に論争を巻き起こしたと言われます。 ヒルデガルドが活躍した時代は、トロープスとセクエンツィアの最盛期でした。彼女は自分の修道院のために、トロープスやセクエンツィアも含めて、聖務日課用とミサ聖祭用に77の作品と非典礼用の宗教音楽劇《道徳の諸秩序 Ordo virtutum [オルド・ヴィルトゥトゥム]》を残しています。
ヒルデガルドの音楽はすべてが単旋律ですが、音域が普通の聖歌より広く旋律も変化に富んでいることから、当時の一般的な音楽に比べると、どことなく奔放で幻想的な感じがすると言われています。 彼女の音楽が多く取り上げられるようになった理由として、フェニミズム運動の余波とも、グレゴリオ聖歌ブームの余波とも見る向きがあります。そして、ヒルデガルドの活動の基本理念が、キリスト教の伝道に留まらない人間の心身の「癒し」を目的にしていたと言われることから、昨今のブームであるヒーリング・ミュージック(癒しの音楽)の一種として受け入れられている面も強いと思います。 しかしながら、ヒルデガルドの作曲した一種単調ともいえる単旋律の音楽は、人間の声こそが、世界で一番美しい響きを持った楽器であることを、あらためて感じさせてくれるように思えます。 ヒルデガルドの時代からかなり下りますが、北スペインのブルゴスに1187年にカステーリャ王アルフォンソ8世によって建てられたシトー派の女子修道院、ラス・ウエルガス国立修道院に伝えられた《ラス・ウルガスの写本 Codex Las Huelgas 》と呼ばれる宗教歌曲集も、修道女の音楽としては非常に有名なものです。 《ラス・ウルガスの写本》は、14世紀初頭に編纂された手書き写本ですが、修道院設立以来、その修道女によって歌われたすべての楽曲をまとめて写筆したものです。全部で186曲が納められたこの写本には、13世紀を中心として12世紀末からから14世紀はじめまでのアルス・アンティクァの音楽を万華鏡のように展望することが可能だと言われています。 写本の中には、パリから伝えられた、当時隆盛を極めていたノートル・ダム楽派の音楽とともに、スペインで生まれた地方色の濃い作品や、ラス・ウェルガスのために特別にかかれた作品も納められているのです。そして、どことなくスペイン的(アラブ的)な節回しを付加された清楚で鄙びた音楽は、大部分(141曲)が多声楽曲で占められており、中世スペインにおける宗教曲、とりわけ多声歌曲の曙を告げるものとしての限りない価値も秘めています。 女子修道院の写本であることに敬意を表して、女声によって歌われることが多いからでしょうか。清冽さとともに、繊細ではかなげな印象で聴くものをを魅了する録音が多いように思われます。 ヒルデガルド・フォン・ビンゲンの録音としては、セクエンツィアによる録音がまずあげられるでしょう。1982年からヒルデガルドの音楽の録音を始めた彼らは、生誕900年にあたる1998年にヒルデガルドの全曲録音を完成させました。全部で6セット8枚のCDが出ていますが、その中でも「エクスタシーの歌 canticles of ecstasy」と「オルド・ヴィルトゥトゥム Ordo virtutum」が代表的な録音ではないかと思います。
クリストファー・ペイジ指揮のゴシック・ヴォイスによる「a feather on the breath of God」もエマ・カークビーを含む女声と男声の合唱で美しい歌を聴かせてくれます。この録音はゴシック・ヴォイスのデビュー盤ですが、清らかなという形容がぴったりする音楽に仕上がっています。 ジェレミー・サマリー指揮のオックスフォード・カメラータによる「神々しい黙示録」は、少し硬めの演奏ですが、それがかえって“修道女の合唱”らしさを感じさせる部分があるようにも思います。 《ラス・ウエルガスの写本》としては、HISPA VOX の『スペイン古楽集成』におさめられていた「ラス・ウエルガスの写本」が古くからの愛聴盤です。これは写本が保存されているラス・ウエルガス・サンタ・マリア・ラ・レアル・シトー派修道院の修道女合唱団が歌ったもので、鄙びた美しさをたたえています。 最近の録音で、ということならディスカントゥスによる「Femmes mystiques XIIIe siecle: Codex Las Huelgas」が良いでしょうか。伴奏なしのアカペラによる女声の演奏です。少し洗練されすぎて都会的な感じが無いでもありませんが、非常に魅力的な1枚です。 パウル・ファン・ネーヴェル指揮のウエルガス・アンサンブルの演奏も素晴らしいものです。彼らの演奏は大胆な装飾音がついていたりで、先の2種類の録音と比べるとびっくりさせられます。しかしながら、それらは当時の演奏習慣を丹念に研究した結果であり、その自在な演奏はスペイン的なものを感じさせてくれるものでもあります。 |