聖歌の変遷
Byzantine chant, Mozarabic chant, Ambrosian chant




 初期のキリスト教共同体は、成立以後300年以上にわたる迫害に耐えて地歩を固め、次第に勢力を確立していきました。そして、313年にローマのコンスタンティヌス帝の「ミラノ勅令」によって公認されると、以後は全ヨーロッパ世界に浸透していきます。そして今日に至るまで、西洋音楽はキリスト教徒と密接な関係を保ちながら発展して来ました。

 前項で述べたグレゴリオ聖歌の成立は8〜9世紀だというのが定説になっています。では、それ以前には聖歌は無かったのでしょうか。

 古代末期における初期キリスト教音楽がどのようであったかは、はっきりしたことはわかっていません。以前は、キリスト教がユダヤ教を母胎にして成立したように、初期キリスト教音楽もユダヤ教聖歌を基礎として始まった物ではないか、という考え方が支配的でしたが、最近の研究では初期のキリスト教徒達は自分たちの独自性を示すために、ユダヤ的な礼拝とは違った礼拝を行っていた事がわかって来ています。

 聖書の記述(マタイによる福音書−第26節30、マルコによる福音書−第14節26)によれば、イエス・キリストは最後の晩餐の後で弟子達と一緒に「賛美の歌」を歌ったことが記されています。また、使徒パウロはその書簡(エペソ人への手紙−第6節19)で、「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい」と説いています。

 従って、それがどんなものだったにせよ、キリスト教においては歌と祈りは密接に結びついたものであったわけで、初期キリスト教においても聖歌が存在していた事がわかります。しかしながら、それらは統一されたものでは無く、色々な地域にそれぞれ異なった典礼と聖歌が発展していったと考えられています。


* * * * *


 3世紀から5世紀ころにかけて、地中海周辺のシリア、アルメニア(黒海とカスピ海との間の地域)、エジプト、エチオピア、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)などで、それぞれ独自のキリスト教聖歌が生み出されました。
 総称して《東方教会聖歌 Byzantine Chant》と呼ばれるシリア聖歌、アルメニア聖歌、コプト(エジプト)聖歌、アビシニア(エチオピア)聖歌、ビザンツ聖歌は、今日なお、それぞれの教会で歌い継がれています。

 しかしながら、それらの聖歌が、ある程度は解読が可能である「ネウマ記譜法」によって記されるようになったのは、12世紀以降のことであり、初期は口授が原則であったと思われることからも、今日歌われているものが、3世紀ないし5世紀の頃の姿を留めていると断定することは出来ません。
 むしろ、その後これらの地域に定住するようになったアラブやトルコの影響によって、大きくその姿を変えられてしまったと考える方が妥当だと言われています。

 今日、コプト聖歌やアビシニア聖歌は土俗的な性格が強く、振り鈴や太鼓などで伴奏されるのが普通であり、時には身振り手振りも加えて歌い手が踊り出すこともあるようです。
 一方、ビザンツ聖歌やアルメニア聖歌は、アラブ的な同じ音を低音部に長く引き延ばして歌う独自の持続低音を特徴としていますが、現存する古楽譜から推定して、それらは後世の付加物考えるのが妥当であろうと言われています。


* * * * *


 一方、395年にローマが東西に別れた後、東方の遺産を受け継ぎつつ、西方においても5世紀から8世紀にかけて幾つかの異なった典礼や聖歌が生み出されて行きました。

 たとえば現在の南フランスに当たるガリアでは、ガリア聖歌と呼ばれる聖歌がフランク人の間で用いられたことがわかっています。また、スペインではモザラベ聖歌といわれる固有の聖歌が歌い伝えられました。また、文化的にビザンチンや東方と密接に結びついて発展した北イタリアのミラノの周辺は、374年から397年までミラノの大司教を務めた聖アンブロジウスが創始したと言われる、アンブロジオ聖歌が歌われていました。ローマでも、9世紀以前にはグレゴリオ聖歌とは違った、古ローマ聖歌と呼ばれる北方の国々の影響を受けない独自の聖歌がありました。

 アンブロジオ聖歌の中に聖アンブロジウスの時代のものがあるかどうかは、グレゴリオ聖歌がグレゴリウス1世によって編纂されたというのと同じくらい疑わしい事ですが、少なくともその名の効力によって一部は古ローマ教会音楽にも取り入れられ、大きな影響を与えたと思われます。

 これらの地方聖歌は、それぞれグレゴリオ聖歌とは異なった旋律、歌詞、そして典礼法式にしたがって歌われていたことがわかっています。しかしながら、それらは8世紀後半から11世紀にかけてローマ・カトリック教会の優越性が高まるに従って、次第に統一化と普遍化の波に呑み込まれ、多くはグレゴリオ聖歌の中に同化吸収されていきました。

 現在、モザラベ聖歌は中央スペインのトレドの大聖堂で、アンブロジオ聖歌はミラノの大聖堂に伝わっている特別の聖歌集によって、20世紀の今日まで歌い継がれています。けれど、現在の姿がはたして中世初期の姿を留めているかどうかは、東方教会聖歌と同様に疑問の残る所です。

 また、イングランドでは11世紀以降、セイラム(ソールズベリーの古名)・ユース Sarum use と呼ばれる独自の典礼と、その聖歌であるソールズベリー聖歌 Sarum chant を発展させました。それらは、16世紀にヘンリー8世(在位1509-47)が国教会を成立したのち、エドワード6世治下に英語による《英国共通祈祷書》の使用が規定されるまで、イギリスの教会典礼の音楽として用いられていました。


* * * * *


 シャルルマーニュ大帝(在位768-814)が800年に西ローマ帝国の即位して以後、彼とその後継者達や代々の教皇によって聖歌の統一を進める運動が続けられ、その動きがグレゴリオ聖歌の成立を促しました。この聖歌は、前項で述べたように何の伴奏も伴わない、言葉(ラテン語)の自然なリズムを生かした、旋律線がひとつだけの単旋律の典礼聖歌です。

 本来グレゴリオ聖歌は、歌詞の面でも旋律の面でも、一切の変更を認めないものだったのですが、時代が下るにつれて次第に典礼文の間にことばが挿入されたり、新しい旋律線が付け加えられるなどの幾つかの変化が生じていきました。それがトロープスとセクエンツィアという新しい形式として確立していきます。

 トロープス tropus は、グレゴリオ聖歌の定められた典礼文の間に、公式の典礼文を装飾、または説明する新たな言葉を挿入し、それに新たな旋律をつけたものです。例えば、「キリエ・エレイソ Kyrie eleison」(主よ、あわれみたまえ)ということばの間に、「フォンス・ボニターティス fons boniitatis」(善の泉よ)を付け加えて「Kyrie fons boniitatis eleison」(主よ、善の泉よ、あわれみたまえ)とする、といった具合です。

 一方のセクエンツィア sequentia は、ミサの固有文のひとつであるアレルヤ唱の長いメリスマ(ひとつの音節を多数の音の上に長く引き延ばす歌い方)的な旋律に、新しい歌詞を当てはめたことからはじまりました。
 ただし、そのようにして発生したセクエンツィアは、しだいにアレルヤ唱とは無関係な、自由な創作による新しい旋律と新しい歌詞をもつ楽曲となっていき、多数の新作を生み出すことになります。

 トロープスは10世紀から11世紀にかけて主に修道院で盛んに作曲されましたが、その創作は12世紀には廃れてしまいます。しかしながら、その演奏は400年後のトレント公会議で礼拝から正式に追放されるまで、引き続き行われていました。

 セクエンツィアの作曲は11世紀から13世紀にかけてが最盛期でしたが、グレゴリオ聖歌がしだいに固定化されるにつれて、中世の音楽家たちの創造力の重要なはけ口として15世紀まで作曲が続けられていきました。セクエンツィアの形式は、エスタンピーと呼ばれる当時の器楽舞曲と共通点が多いことから、当時の教会音楽と世俗音楽の区別がさして厳密ではなく、両者の間に深い関わりがあったことを暗示しているのかもしれません。

 それゆえにか、やがて、16世紀のトレントの公会議(1545-1563)で「淫らなものや不純なものが混入した音楽はすべて教会から取り除かれなければならない」とされると、トロープスは全面的に、セクエンツィアは、《怒りの日(ディエス・イラ)》などを含む4曲(1727年に一曲追加されて最終的には5曲)を除いては、典礼聖歌本来の姿を傷つけるものとして禁止されてしまいます。

 ところで、教会の正式な典礼音楽としては禁止されてしまったトロープスとセクエンツィアは、その後、中世のヨーロッパ世界で広く上演されることになる宗教的な《典礼劇》を作り出すもとなります。ある意味で、最終的にはオペラへと至る世俗音楽への先駆けの音楽、と言っても過言ではないように思われます。



 《東方教会聖歌》の録音としては、ビザンツ聖歌を取り上げた、マリー・キーロウズ修道女とサン・ジュリアン・ル・パーヴル教会聖歌隊による「ビザンツ聖歌〜受難と復活」、マリー・キーロウズ修道女(vo)とアンサンブル・ド・ラ・パによる「メルキート聖歌〜聖母賛歌」を上げておきます。メルキート聖歌はアラブ語で歌われるビザンツ聖歌です。延々と持続する低音の上にキーロウズ修道女の朗唱で歌われています。アラビア語やギリシア語のテキストによるこの聖歌は非常にアラブ的な緊張と弛緩とをともなう音楽です。

 東方教会の典礼と典礼音楽は1453年に東ローマ帝国がオスマン−トルコによって滅ぼされますが、完全とは言えないまでも、その典礼と宗教音楽を現在もなお継承しているのがギリシャ正教とロシア正教です。
 ギリシア正教聖歌の録音としては、アンケロープス指揮のギリシャ・ビザンチン合唱団による「The Greek Byzantin choir」が、ロシア正教聖歌の録音としてはグリンデンコ指揮、ロシア正教合唱団による「ロシア聖歌集/古代正教会と修道僧の聖歌」が引き締まった歌唱を聴かせてくれます。

* * *

 西方の聖歌の音楽としては、マルセル・ペレス指揮、アンサンブル・オルガヌムによる「グレゴリオ聖歌前史」1〜3の迫力は凄まじいものがあります。1と2では古ローマ教会音楽の復元を試みていて、音楽史的にも非常に興味のある録音です。3ではアンブロジオ聖歌が歌われていますが、いつ果てるともしてない長大なメリスマが鳴り響くさまは、ある種の陶酔感に誘われます。

 同じアンブロジア聖歌の録音でも、アルベルト・トゥルコ指揮のイン・デュルチ・ユビロによる「Ambrosian chant」は、女声合唱による透明感と清涼感に満ちた、非常に美しい歌を聴くことができます。

 モザラベ聖歌には、ヒスパ・ヴォクスから出ていた《スペイン古楽成集》シリーズの中にシロスの聖ドミンゴ修道士合唱団による素朴な録音があるのですが、現在は入手が可能なのでしょうか。

 イギリスのソールズベリー聖歌の録音としては、ピーター・フィリップ指揮のタリス・スコラーズによる「ソールズベリー聖歌/真夜中のミサ」があります。クリスマスの単旋律聖歌を男声のみで演奏した録音で、非常に説得力をもった清浄さを感じさせる録音です。

* * *

 トロープスやセクエンツィアなどを含む中世の初期ポリフォニー音楽の資料としては、フランスの聖マルシャル修道院に残された4冊の手写譜と、西南西スペインのコンポステーラにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に保管されている《カリクストゥス写本》が有名です。

 聖マルシャル修道院の資料をもとにした録音としては、ドミニク・ヴェラール指揮のアンサンブル・ジル・バンショワによる「LES PREMIERES PORLYPHONIES FRANCAISES」や、ドミニク・ヴェラールとエマニュエル・ボナルドの2人による独唱と重唱で演奏された、「新しい歌/中世成期のラテン歌曲集」が非常に美しい響きを聴かせてくれます。

 《カリクストゥス写本》の録音としては、セクエンツィアの「《イベリアの声》第1集/カリクストゥスの写本による使徒ヤコブの音楽」が男声のみによって荘重に歌われています。女性だけのアノニマス4による「サンティアゴの奇跡」も、《カリクストゥス写本》の全曲を録音したものです。




[前の項目へ] [目次に戻る] [ホームに戻る] [次の項目へ]


2style.net