トマス・タリス
THOMAS TALLIS
(1505?-1585)




 16世紀後半から17世紀初頭にかけてのテューダー王朝の時代は、イギリスが音楽史上、最も隆盛を究めた時代です。ことにこの時期は、複雑かつ長期にわたる宗教改革が進められた時期でもあったためか、教会音楽の分野では、かえって多用な作品を生み出す結果となりました。

 ヘンリー8世(1509-47在位)が1543年に発した“首長令”にはじまるイギリスの宗教改革が安定した位置を確保したのは、1660年の王制復古以後のことであって、それまでの間はエドワード6世(1547-52在位)時代のカルヴァン派の影響を受けた真の意味での宗教改革の時代、メアリー・テューダー(1552-58在位)のカトリック反動時代、エリザベス1世(1558-1603在位)の宗教和解政策の時代、“ピューリタン革命”(1649)等、保守派と改革派との争いが繰り返されていたのです。

 そのような時代の中で、トマス・タリスはヘンリー8世、エドワード6世、メアリー・テューダー、エリザベス1世の4人の王に仕え、常に高い地位を保ち続けた作曲家でした。このことは、彼の音楽家としての偉大さ、またはしぶとさを表すと同時に、イギリス宗教改革期下の特異な状況を反映していると言って良いでしょう。考えようによっては、当時のイギリス王室の音楽家に対する寛容さの現れと言えなくもありません。


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 トマス・タリスに関する最初の記録は、1531年のドーヴァー小修道院オルガニストとしてのものです。ところが、ヘンリー8世の「首長令」発布後、1536年に各地の小修道院が解散させられ、タリスがいたドーヴァー小修道院も閉鎖され、タリスは失職してしまいます。その後、エセックスのウォルサム修道院に移りますが、ここも1540年に行われた国王による大修道院解散によって閉鎖によって職を失います。

 ところが、1541年から翌年にかけてカンタベリー大聖堂の協会書記を務めたあと、1543年にチャペル・ロイヤル(王宮聖歌隊)の楽員(ジェントルマン)に任命され、以後1585年に亡くなるまで、40年以上にわたって王室音楽家として活躍したのでした。

 ヘンリー8世は、国教会成立後も教理や典礼はカトリックの様式をそもまま踏襲したので、この時代にタリスがチャペル・ロイヤルのために書いた作品も、伝統的なラテン語によるミサや誓願アンティフィオナ(終課 Compline で歌われる処女マリアのための4つのアンティフィオナ。《贖い主の恵深い御母よ Alms Redmptoris Mater》、《ああ、天の女王様 Ave Regina caelorum》、《天の女王様、お喜び下さい Regina caeli laetare》、《ああ、女王様 Salve Regina》)などのポリフォニー楽曲でした。

 1547年にエドワード6世が即位してからも、タリスはそのままチャペル・ロイヤルに留まりましたが、この時代は急速にプロテスタントへと傾斜してゆき、1549年の英語の祈祷書の採用以後は、カトリック的な典礼を廃止して、ラテン語に変わって英語で礼拝を行うことになったため、タリスも英語によるアンセムサーヴィスを書いています。

 エドワード6世は1553年にわずか16歳でその短い生涯を終えますが、次に即位したメアリー女王の治世には、一転して激しいカトリック反動の時代となります。1555年、イギリスは教皇権を回復してローマ・カトリックに復帰すると、礼拝もラテン語に戻り、タリスもメアリー女王のために多くのラテン語による教会音楽を書いています。

 1558年、メアリー・テューダーのあとを継いで即位したエリザベス1世は、再びイギリスを国教会に戻しました。しかしながら、急進的な改革は行わず、カトリックに対しても寛容な態度を示し、英語を国教会の公用語としながらも、ラテン語による礼拝も認めていました。従ってこの時代のタリスは、ラテン語による宗教作品と英語による宗教作品の両方を残しています。


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 タリスが残した曲の中で、《エレミアの哀歌 Lamenntations of jeremiah》はイギリス・ルネサンス期の宗教曲の中でも、もっとも優れたもののひとつです。

 ミサの中での《エレミアの哀歌》は、本来、グレゴリオ聖歌によるシンプルな単旋律で唱えられるものですが、ヨハンネス・オケゲム(1420?-1495?)以来、数多くの作曲家によって作曲され、多くの名作が残されています。タリスの《エレミアの哀歌》も、その伝統に則って作曲された多声曲になっています。

 タリスの《エレミアの哀歌》は、エレミア哀歌第1章第1節から第5節までを作曲したもので、かなり大胆な転調が用いられていることなどから判断して、タリス晩年のエリザベス1世時代の作品と考えられています。

 テキストは、1549年に英語による『共通祈祷書』が規定されるまで、イングランドで最も重用されたラテン語による『ソールズベリー教区慣用典礼』に基づくものだろうと推定されています。けれど、いつごろ何のために書かれたかがわからないことや作曲されているのが哀歌のごく一部であること、当時のイギリス国教会には《エレミアの哀歌》を歌う典礼がなかったことなどから、この作品がどのような意図で書かれたものなのかは幾つかの説が存在します。

 実際の典礼のためでなく、一種の教化用の音楽として書かれたともいう説ありますし、当時のカトリック教徒達を中心に、プライベートな慰みとしての曲だったのではないか、という考え方もあります。


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 少なくとも、当時のイングランドにおいては、国教忌避者は貴族の館などで秘密裏に集会を開いてカトリックの信仰を守っていたわけで、そのような席で異教徒に侵略された嘆きを歌う《エレミアの哀歌》が、切実な響きを持って歌われたと想像することは難しくないように思います。

 タリスは、作られた時代を反映して様々な作風を示している作曲家ですが、エドワード6世の時代を除くと、そのほとんどはラテン語による宗教曲です。タリス自身が密かなカトリック教徒であったという説もあり、《エレミアの哀歌》の最後の「エルサレムよ、主のもとへに立ち返れ」につけられた、特に感動的で哀切に満ちた旋律は、同朋であるカトリック教徒へのメッセージだったのかもしれません。



 「エレミアの哀歌」は、最上声部がアルトの音域で書かれているせいか、上声部にカウンター・テナーを擁したイギリスの男声アンサンブルが様々な録音をしています。

 一口に男声アンサンブルといっても歌唱法は様々で、軽い発声で透明感を出しているキングス・シンガーズ盤、一歩間違えば表情過多で崩壊しそうなほどにたっぷりと感情表現をしているポール・ヒリヤー指揮のヒリヤード・アンサンブル盤、滑らかで柔らかな響きのブルーノ・ターナー指揮のプロ・カンティオーネ・アンティクァ盤、当時は裏声(ファルセット)の習慣は無かったとして最上部をテノールに歌わせているアンドルー・パロット指揮のタヴァナー・コンソート盤など様々です。また、当時のピッチは現在より高かったとして曲を移調し、最上声部を女声ソプラノにしてしているピーター・フィリップ指揮のタリス・スコラーズ盤などもあります。

 それぞれに個性的ですばらしい演奏ですから、あとは自分の好みに従って選んでみるのが一番ではないでしょうか。個人的には、プロ・カンティオーネ・アンティクァのふんわりとした表現が好きですが、曲の完成度ということになれば、ヒリヤード・アンサンブルかタリス・スコラーズという選び方になるかもしれません。

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 「エレミアの哀歌」以外のタリスの作品の録音ということになると、それだけを集めた曲集というのは極端に少なくなります。ただ、たいていの場合、「エレミアの哀歌」と一緒にタリスのラテン語によるモテトゥスやアンティフィオナなどがカップリングされていますから、哀歌以外の作品も少なからず聴くことが出来ます。

 まとまった録音としては、エドワード6世時代の「英語によるアンセム集」と、ヘンリー8世からメアリー・テューダー、エリザベス1世の時代にわたるラテン語によるモテトゥス集である「タリス:40声によるモテトゥス《御身よりほかにわれは》」がピーター・フィリップ指揮のタリス・スコラーズによって出されています。いずれも完成度の高い名演です。

 古い録音になりますが、アルフレッド・デラー指揮のデラー・コンソートによる「エレミアの哀歌」には、タリスの讃歌ばかりを集めてカップリングしてあって、これも面白いディスクです。




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