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フランドル楽派で述べたように、音楽史におけるルネサンスが美術史と根本的に異なる点は、その中心地がイタリアではなかったことにあります。彫刻や絵画、建築などにおいて多くの傑作を生みだしたイタリア人は、こと音楽、それも作曲に関しては、外来のフランドル音楽家に活躍を任せきっていました。 当時の様々な文献によれば、イタリアの人々にとって、フランドル音楽は外来芸術とは捉えられておらず、自分たち自身ののための音楽として支持していた形跡があります。 従って、15世紀から16世紀前半にかけては、イタリアではデュファイ、オケゲム、ジョスカンたち、フランドル楽派の音楽を愛好し、それに熱狂的な喝采を送っていました。特に宗教音楽でのフランドルの支配は絶対的で、フランドルのポリフォニー様式によるミサやモテトゥスが、ローマ教皇礼拝堂をはじめとして、イタリア各地の聖堂や宮廷礼拝堂で歌われていました。 このような中で、生粋のイタリア人が得意としたジャンルは世俗歌曲でした。 15世紀後半から16世紀にかけて、北イタリアの宮廷で好まれた世俗歌曲として、フロットーラ(frottola)があります。純粋にイタリアで発達した世俗歌曲で、4声によるホモフォニックな構成の、日本の小唄を思わせるような官能的ないしは卑猥なイタリア語の歌詞による、単純で小規模な歌曲でした。 しかし、イタリアに滞在したフランドル人の作曲家たちは、フロットラートにもポリフォニックな音の絡み合いを導入し、歌詞にもより文学的な内容の高い詩を用いて、より芸術的な世俗音楽、マドリガーレ(madrigale)を作り上げていったのでした。 従って、初期のマドリガーレの作曲は、フィリップ・ヴェルドゥロ(1470/80-1552?)、ヤコブ・アルカデルト(1505?-1568)、チプリアーノ・デ・ローレ(1516-1565)といったフランドルないしは北フランスの音楽家によってなされています。 イタリア人作曲家によってイタリア語の歌詞と音楽が密接に結びついた、文学的な香の高いマドリガーレが作り出されるようになったのは、16世紀も中頃になってのことです。代表的な作曲家としては、ルカ・マレンツィオ(1553/4-1599)とカルロ・ジェズアルド(1561-1613)があげられるでしょう。 ルカ・マレンツィオは、マドリガーレにおけることばの表出を徹底的に追及した作曲家でした。音楽に視覚的要素まで持ち込み、「門」は上がって下るアーチ形の旋律で、「闇」は黒い音符が連なった早いパッセージでなど、ことばと音楽が不可分に結びつき、マドリガーレ芸術のひとつの頂点を示しています。 カルロ・ジェズアルドは職業的な音楽家ではなく、南イタリアのナポリ王国の貴族のうちでも名門の城主でした。彼の残したマドリガーレは、大胆な不協和音や半音階的手法を駆使した、不安定で暗い感情の表現に独自のものを見せています。 その音楽の特異さは、不貞を働いた妻を殺害した、という彼の経歴と重ね合わせて語られることが多いようです。しかしながら、ジェズアルドの用いている技巧は、当時の革新的な音楽家たちが少なからず試みたものであって、彼の場合はそれがあまりのも多く使われているために、作品の緊張感を高める原因となっているようにも思えます。 このように、16世紀後半においてマドリガーレはひとつのピークを作り上げますが、一方ではカンツォネッタ(軽い気分の小歌曲)やヴィラネッラ(田舎風の歌)と呼ばれる、より平明で簡素な構成のイタリア語世俗歌曲も多数作曲されました。また、ジョヴァンニ・ジャコモ・ガストルディ(1550?-1622)は、バレットという名の軽快なリズムによる「おどり歌」を作曲しています。 バレットは、大部分が最後を「ファ・ラ・ラ・ラ……」という囃しことばで終わるようになっていて、「歌っても楽器で奏しても踊っても可」という、楽天的な気分を強調しています。 いずれにしても、バレットやカンツォネッタなどの軽快で明確な構成の小歌曲は、当時の技巧過多のマドリガーレへのひとつのアンチテーゼとして作曲され、イタリア国内だけでなく、イギリス、スペイン、ドイツなどの世俗多声歌曲の成立にも、重要な影響力を持つことになったのでした。 宗教曲の分野では、16世紀後半になってやっとイタリア人作曲家が台頭をはじめます。この時期のローマにおける代表的な作曲家がジョバンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(1525?-1594)です。 パレストリーナは、ローマ教皇庁と深い結びつきを持ちながら、カトリック教会のために宗教音楽を数多く作曲しました。そのミサやモテトゥスはフランドル風の重厚なポリフォニーの様式を基礎に置きながら、イタリア的な平明さと明快さを合わせ持ち、当時の教会音楽のひとつの理想の形を伝えています。 教皇のお膝元であるローマでは、パレストリーナを中心としてどちらかというと保守的な、ローマ派と呼ばれるア・カペラ様式(無伴奏)の多声宗教音楽の完成がみられることになったのに対し、同じイタリアでも商業都市として繁栄していたヴェネツィアでは、もっと自由で色彩的な宗教音楽が好まれました。 派手好み、お祭り好きの気風を反映して、教会音楽も器楽の伴奏をともなうことが多く、合唱団を二手に分割した復合唱の書法が試みられ、二つのグループの対比と協調によるダイナミックな効果を演出しました。 このようなヴェネツィア的な傾向は、サン・マルコ聖堂を中心地として活躍したフランドル人ヴィラールト(1480?-1562)にはじまり、その弟子のアレッサンドロ・ガブリエリ(1510?-1586)やさらにアレッサンドロの甥のジョヴァンニ・ガブリエリ(1557-1612)といったイタリア人作曲家を輩出しました。 正直に言って、この辺りの録音は我が家にはあまり多くありません。録音自体が少ないのではないか、とも思えますが、その中から何枚かあげておきます。 初期のフランドル人によるマドリガーレ集としては、チプリアーノ・デ・ローレの「マドリガーレ集第5巻」がアントニー・ルーリー指揮のコンソート・オブ・ミュージックによって録音されています。5声のマドリガーレを格調高く演奏しています。 ルカ・マレンツィオのマドリガーレ集としては、まず、アントニー・ルーリー指揮、コンソート・オブ・ミュージックによるマドリガーレ集「甘くいとおしい口づけよ」が非常に甘美な録音に仕上がっていると思います。グァリーニの詩による連作マドリガーレ『甘くいとおしい口づけよ』を中心として、美しい歌唱が収められています。 また、ルネ・ヤーコプス指揮のコンチェルト・ヴォカーレ「マドリガーレ集」もよい演奏です。コンチェルト・ヴォカーレのほどよい軽さと甘さは、精巧な織り物をあみ上げてゆくような美しさがあります。 ジェズアルドの曲は、他の作曲家に比べると多く録音されています。マドリガーレでは、アントニー・ルーリー指揮、コンソート・オブ・ミュージックの「マドリガーレ集第5巻」があります。少しきれいにまとまりすぎている感はありますが、高水準の演奏です。ウィリアム・クリスティー指揮のレザール・フロリヨンの「5声のマドリガーレ集」は、やや気負いが感じられる演奏で、劇的ではあるのですが少し行きすぎた感じがしなくもありません。 ジェズアルドに関して言えば、マドリガーレよりも宗教曲に良い録音が多いようです。 ポール・ヒリアー指揮のヒリアード・アンサンブルによる「レスポンソリウム集(聖木曜日、聖土曜日)も、美しく劇的な憂愁の世界を形作った名演で、ジェズアルドらしい、痛みに満ちた受難の物語を歌い上げています。 ヴェネツィア派の合唱曲の録音としては、ヴィラールトとジョバンニ・ガブリエリの復合唱曲を収めた「二重合唱曲集」がネーヴェル指揮のコンチェルト・パラティーノ・クレンデ・アンサンブルの演奏であります。なかなか美しく仕上がっていますが、ヴェネツィア派らしい華やかさには、やや欠けるような気もします。 ジョヴァンニ・ガブリエリは、器楽合奏曲の作者としても有名で、ルネサンスのポリフォニーを基調にしながらも、弱音と強音のコントラストや二手に分けた楽器群の対比など、その後のバロック協奏曲の原理を開拓しました。有名な『ピアノとフォルテのソナタ(Sonata Pian e Forte)』は、ピアノ(p)や、フォルテ(f)といった表情を楽譜の上に明示した、音楽史上最初の作品のひとつであるばかりでなく、使用楽器が作曲者によってはっきりと指示されている点でも、最初の音楽のひとつといえます。 この曲の録音としてはガーディナー指揮、フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの演奏による「ルネサンス名演集」の華やかなブラス・アンサンブルもいいのですが、アンドリュー・パロット指揮のロンドン・コルネット・サックバット・アンサンブルの演奏による「G.ガブリエリ/カンツォーナとソナタ」に入っている、16世紀という時代を意識した堅実な演奏も捨てがたいものがあります。 『ピアノとフォルテのソナタ』は入っていませんが、スティーヴン・クレオベリー指揮、フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル、ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団の演奏する「ヴェニスの栄光/G.ガブリエリの音楽」は、ジョバンニ・ガブリエリの祝祭的な響きを堪能させてくれる名演集になっています。 |