ギョーム・デュファイ
GUILLAUME DUFAY
(1400?-1474)




 ルネサンス初期の最大の音楽家であるギョーム・デュファイ(1400頃-1474)は、中世からルネサンスへの時代の転換期に生きて、なおかつその転換を自らの音楽で成し遂げた、15世紀最大の音楽家であると評されています。

 デュファイの出身地は特定されていませんが、1400年頃に北フランスのカンブレ近郊で生まれたと推定されています。1409年からカンブレ大聖堂の聖歌隊員として指導を受けた後、1420-26年にかけてはイタリアのペーザロのマラテスタ家に仕え、1428年から1438年までローマ教皇庁聖歌隊に歌手として活躍しました。

 1439年以降はカンブレに戻って大聖堂で正式に仕事を始め、以後、35年にわたって、カンブレ大聖堂での活動を主体にして活動をしています。途中、シャンベリーのサヴォイア公の宮廷に滞在したり、ボローニャやフェラーラなどへおもむくこともあったようですが、長期間カンブレを留守にすることはほとんど無く、1474年11月27日にこの地で世を去りました。


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 デュファイの作品は、今日約200曲ほど知られています。彼が残したミサ曲、モテトゥス、シャンソンなどには、マショー以来のフランス的多声抒情歌曲の旋律法やイソ・リズム法(定型反復リズム法)、イギリスの3度や6度を中心とするハーモニー、イタリアの旋律優位の楽曲構成法など、様々な要素を指摘できます。

 しかも、それらのさまざまな手法をひとつにまとめ上げ、独自の音楽を完成したのがデュファイでした。彼の次の世代であるフランドル楽派の音楽語法が全ヨーロッパ音楽の共通基盤となったのも、このデュファイの業績の上に立脚していると言って良いでしょう。

 そして、デュファイは単に既存の音楽を融合させただけでなく、ルネサンス音楽の新たな流れをつくり、それはそのまま、フランドル楽派、ひいてはルネサンス音楽の大きな特徴のひとつとなっていきました。


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 デュファイのミサ曲の多くは、循環ミサの形態をとるのが普通です。

 循環ミサとは、ミサ通常文の五つの章〈キリエ〉〈グロリア〉〈クレド〉〈サンクトゥス〉〈アニュス・デイ〉を同一の音楽的素材(定旋律)や手法を用いて、ポリフォニー楽曲として通作することによって、曲全体の有機的な統一をはかった楽曲です。
 この形式は15世紀の前半に始まり、デュファイにおいてひとつの完成した形を取るようななりました。

 たとえば、デュファイの代表作である、「ミサ・ス・ラ・ファス・エ・パル(MISSA SE LA FACE AY PALE)」では、ミサの五つの章はほとんど同一の動きで始まり、また、デュファイ自身が作曲した、3声のシャンソン〈もしわたしの顔が青いなら(ス・ラ・ファス・エ・パル)〉をテノールに置いて、定旋律として使用しています。

 つまり、ベートーヴェンの〈第5交響曲〉の冒頭の「運命の動機」のモチーフが、その後の楽章の諸テーマと関連を持っていたり、ベルリオーズの〈幻想交響曲〉で、同一のテーマが変容を見せつつも全楽章に現れるのと、同じ工夫を行っているのです。
 このように、ミサの定旋律として世俗曲を使用することは、デュファイが最初に行ったことだと言われています。

 ところで、実際のミサの典礼においては、ミサ通常文はその他の式文や聖書の朗読、説教などによって分離されてしまうため、ミサ通常文のための音楽に統一性を持たせる必然性はありません。また、「ミサ・ス・ラ・ファス・エ・パル」のように、神聖であるべきミサ曲の定旋律に、グレゴリオ聖歌ではなく世俗歌曲の旋律を使用するなどにいたっては、典礼上の実用性以上に音楽家の芸術的意欲から生じたものであった、といえるでしょう。

 何れにしても、「もしわたしの顔が青いなら、それは恋のせいだろう」というような内容の歌曲旋律が、堂々とミサ曲の構成の中核として使用されるような聖と俗の混在こそが、ルネサンスという時代を写しているように思えます。


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 このようにデュファイの音楽は、様々な意味で音楽におけるルネサンス時代の幕開けを告げるものといえます。そして、その音楽のルネサンス的な重要な側面として、それまでの音楽には見られないほどの人間的な表現意欲があげられるでしょう。

 諸々の高度な技法は、技法そのものを目的とすることなく、明確な表現意欲に向かって統一されて活用されており、その中心には常に人間性が感じられます。
 世俗歌曲を使用しながら、あくまでも高貴に、かつ優雅でメランコリーな表情さえとどめて鳴り響くミサ曲は、デュファイその人の個性を強く刻みつけた音楽作品となっています。


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 一方、デュファイのフランス語による世俗歌曲は、中世騎士歌曲以来のフランス歌曲の伝統をくんだ、典雅な愛を歌ったものが多く見られます。例えば、3声のロンドー「さようなら、わが恋よ」などは、伝統的な宮廷風な愛を歌ったシャンソンです。

 しかしながら、叙情的で魅力ある上声部の旋律、それを柔らかく包む下の二つの声部のからみ合い、全体を通して響くあたたかなハーモニーなどにより、伝統を踏まえつつも、雅びと抒情とメランコリーをはらんだ、デュファイ独自の世界を作り上げています。

 シャンソンにおいても、デュファイはその形式を、新たなルネサンスの芸術形式に作り替えた、偉大な変革者だったのです。


 ギョーム・デュファイの「ミサ・ス・ラ・ファス・エ・パル」は、マンロウ指揮、ロンドン古楽コンソートの演奏が秀逸です。ミサ曲だけでなく、原曲やオルガン用と器楽合奏用の編曲も収められているて、比較して聴く事が出来るのも面白いと思います。

 また、シュミット・ガーデン指揮、テルツ少年合唱団、コレギウム・アウレウム合奏団という、ドイツの演奏家による「ミサ・ス・ラ・ファス・エ・パル」の録音は、少年合唱の素朴な響きを、コレギウム・アウレウムの味わい深い演奏が支え、マンロウ盤の軽妙さとは別格の、劇的な底力を感じさせる演奏です。

 ヒリヤード・アンサンブルによる「ミサ・ロム・アルメ」は、全体が大きくうねりながら流れると同時に、各声部の絶妙なリズムでの絡み合いが聴かれ、尚かつそれを淡々と聴かせてくれるすばらしい演奏です。この録音では、1436年3月25日、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の献堂式で演奏された、音楽史におけるルネサンスの最初の作品といわれる、デュファイのモテトゥス「ばらの花が先ごろ」も聴くことができます。


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 世俗曲については、ロンドン中世アンサンブルによる「世俗音楽全集」はどちらも素晴らしい演奏です。特に「世俗音楽全集」は、偽作といわれているものも含めて、デュファイの現存する世俗歌曲94曲を6枚のCDに収めたもので、音楽史的な意味からも重要な録音だと思います。1枚ものの抜粋盤である「世俗音楽集」も出ています。デイヴィス兄弟を中心とした、正攻法の演奏です。

 また、マンロウ指揮、ロンドン古楽コンソートによる3枚組の「宮廷の愛」にも、美しい録音が残されています。




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