アルス・ノヴァ
ARS NOVA




 14世紀に入ると、ヨーロッパはひとつの転換期を迎えます。十字軍の終末(1270年)や百年戦争の勃発(1339年)などに絡んで、封建領主や騎士を中心に構成されていた中世の社会組織が次第に崩壊をはじめ、変わって町人出身の富豪たちが貴族となって行きます。

 精神面でいうと、ローマ教皇のアビニョン幽囚(1309-76/7)やそれに続く教会分裂(シマス)などにより、教会の権力は次第に衰え、個人の内面に信仰の対象を求める神秘主義の傾向が現れました。それと同時に、羅針盤の発見(1310頃)などによって未知の世界に対する関心が高まり、合理的な思考方法が基礎づけられていった時代です。

 イタリアのダンテ(1265-1321)、ペトラルカ(1304-74)、ボッカッチョ(1313-75)、イギリスのチョーサー(1340頃-1400)の風刺的な新しいタイプの文芸作品や、ジョット(1266頃-1337)らの革新的な絵画が生み出されたこの時期は、音楽の面でも、アルス・アンティクァの時代に発達した宗教的多声音楽が次第にすたれていき、新興の都市貴族や上流市民たちにアピールするような、多声的な世俗歌曲が広く愛好されようになって行きました。


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 アルス・アンティクァの時代までは、多声音楽技法は主にラテン語による宗教音楽のジャンルで開拓され、世俗音楽はあくまで単旋律が主流でした。しかし、14世紀になると、フランス語やイタリア語などの一般的に使われる俗語によって歌われる、世俗歌曲の分野においても、多声音楽は新たな発展を遂げて行くことになります。

 例えば、1310年から16年頃にかけてジェルヴェ・ド・ビュス(1338年以後没)が編纂した『フォヴェル物語 Roman de Fauvel』は、フォヴェルという名のロバを主人公としたフランス語による絵入り物語で、国王や聖職者、裕福な庶民などを登場させ、痛烈な社会風刺を行ったものですが、その中には、2声や3声などの多数の世俗多声作品が収められています。

 音楽のリズムも、それまでに支配的であった3拍子のものから、2拍子や4拍子のものが増えていきました。また、記譜法の発達に伴って、小さな音符の複雑な組み合わせによる、自由で微妙なリズムの動きを表記することが出来るようになります。

 それに伴って、ロンドーヴェルレーといった定型のシャンソン(ある一定の形式で歌詞が繰り返される世俗歌曲で、繰り返し方の違いで呼び名が変わる)が多く作曲されると同時に、語調よりも旋律が重視され、音楽的な美しさがより追求されるようになっていきました。

 これらの音楽的特徴を集大成し、リズムの分割法とその記譜法を著した理論書が、フィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361)が1320年頃に著した「アルス・ノヴァ(Ars nova)」です。

 この著書の内容は純粋に技法に関するものであって、新時代への宣言書といったもではありません。けれど、「新しい技法」または「新芸術」と訳すことのできる「アルス・ノヴァ」は、この時代の若々しい音楽を示すのにもっとも適した語とされ、20世紀以後の音楽史家たちは、14世紀のフランス音楽を「アルス・ノヴァの音楽」と呼び慣わしているのです。


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 アルス・ノヴァ様式を代表する音楽家はとしては、フランスのギョーム・ド・マショー(1300頃-1377)が第一にあげられます。アルス・ノヴァはヴィトリにはじまり、マショーに置いて終わった、と言っても過言ではありません。

  マショーは、14世紀フランスにおける最大の詩人および作曲家として知られています。現在残されている140曲余りにおよぶ彼の作品だけで、アルス・ノヴァの音楽がどんなものなのかをほぼ正確に把握することができるほどです。

 マショーの作品の大部分は、『ロンドー』や『ヴェルレー』、『レー』、『バラード』といった定型の多声世俗歌曲で、トルヴェールの伝統を受け継ぎつつも、この時代にふさわしいリズムと多声技法を多用しています。その作風は、まさにアルス・ノヴァの音楽のひとつの頂点を示しています。

 マショーはそれ以外にもモテトゥスや音楽史上最初の『通作ミサ』(ひとりの作曲家によって〈キリエ〉〈グロリア〉〈クレド〉〈サンクトゥス〉〈アニュウス・ディ〉〈イテ・ミサ・エスト〉のミサ通常文が作曲されたミサ曲)である「ノートル・ダム・ミサ」などの宗教的な曲も作曲していますが、いずれもが細かいリズムで揺れ動く、この時代の音楽の特徴をはっきりとあらわしています。

 彼の死後、ソラージュ、トレボール、サンルシェといったその後の世代の作曲家たちも、マショー風のスタイルで多数の多声世俗歌曲を作り出して行きます。しかし、マショーの亜流の域を越えることはなく、しかも、リズムはさらに複雑になり、極端なまでに技巧的な作風を見せるようになっていきました。

 それはすでに、アルス・ノヴァとは違った種類の音楽として位置づけられるべきものでした。そして、世紀末風のデカダンスの匂いが濃い、拡張の多い超技巧的な様式に満ちた作曲技法は、しだいに硬直化していき、次の時代の音楽へとその座を明け渡すことになりました。


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 いずれにしろ、15世紀前半の大陸の作曲家たちは、リズムの技巧的な戯れに熱中し、アルス・ノヴァが持っていた生き生きとした生命力を失わせて行き、音楽的には沈滞期を迎えます。

 しかしながら、この沈滞の時代を通して、教会音楽と世俗音楽の両方がより大きく影響を受け合うことになり、結果的に芸術性の高い次世代の演奏様式、つまりはルネサンス音楽へと発展していくことにもなったのです。





 この時期の音楽の録音としては、前項でもあげた、デイヴィッド・マンロウ指揮のロンドン古楽コンソートのよる「ゴシック期の音楽(Music of the Gothic Era)」が、やはり代表的な録音でしょう。LP3枚に入っていた全曲を2枚のCDに収めたものが出ています。余裕があるようでしたら、抜粋盤よりもこちらの方をより強くお勧めしたいと思います。

 ギョーム・ド・マショーはさすがに沢山の良い録音がありますが、詳細は次項で述べたいと思います。ただ、マショーというと、どうしても「ノートル・ダム・ミサ」だけが突出して紹介されることが多いのですが、可能であれば、シャンソンをぜひ聴いていただきたいと思います。

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 アルス・ノヴァの先駆けとも言える『フォヴェル物語』には、単旋律聖歌も含めると130曲ほどの音楽が収められています。その全部が録音されているわけではありませんが、『フォヴェル物語』の名を冠した録音は何枚か出されています。

 現在のところ、入手がしやすいのはジョエル・コーエン指揮のボストン・カメラータによる「Le Roman de Fauvel」ではないかと思います。アンサンブルPANやドミニク・ヴァスも共演しており、なかなか面白い録音だと思います。




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