アルス・アンティクァ
ARS ANTIQUA




 12世紀後半から15世紀前半にかけての時代をゴシック期と言います。ルネサンスに移行する直前の、中世が円熟した時代。ちょうど中世とルネサンスの中間に位置する時代です。

 ゴシックというのは、もともと建築様式を表すことばで、天を突くかと思うほどの高い尖塔と、ステンドグラスで飾られた大きな窓を特徴とする教会建築が代表的です。そしてそれらの建築は、この時代の全ての美術様式をあらわす、劇的な力強い表現を示しています。したがって、この時代の美術様式は、音楽も含めて、ゴシック様式と呼び慣わされるのが普通です。

 ゴシック期音楽の主流は、大きく分けて二つ、または三つの時期に分けて考えることが出来ますが、ここでは『アルス・アンティクァ』『アルス・ノヴァ』『アルス・スブティリオール』の3つの時期に分けて説明していこうと思います。


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 ゴシック期前半の、1160年頃〜1300年頃までの時期を「アルス・アンティクァ(Ars antiqua)」と呼びます。これは、この後の1320年頃に、北フランスの音楽家で司祭でもあったフィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361)が著した音楽理論書『アルス・ノヴァ』の中で、前の時代との音楽の違いが明確に論じられていることにちなみ、その前の時代を、ノヴァ(新)に対して、アンティクァ(古)と名付けて対置させた言い方です。日本語に訳すと、「古い技法」といった意味になるでしょうか。

 これまで説明してきた音楽は、グレゴリオ聖歌にしても中世騎士世俗歌曲にしても、旋律線が一本しかない単旋律の音楽ですが、ゴシック期になると、音楽の主流はポリフォニーと呼ばれる多声音楽(二本以上の旋律を同時に重ねる音楽)になっていきます。

 ポリフォニーの特徴は、どの旋律が主で、どの旋律が従であるという関係がなく、すべての旋律が対等の関係で絡み合って、ひとつの音楽を作り上げるところにあります。他の声部との音程関係に気を配りつつも、各旋律(声部)の独立した流れの方が重視される傾向があります。

 したがって、ハーモニーの美しさは作品を作る上であまり考慮されなかったと思われます。現代に再現されたゴシック期の音楽が、多くの場合、私たちの耳には現代音楽以上に不協和音に満ちた音楽に聞こえるのは、そのせいでもあるでしょう。


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 ヨーロッパにおける多声音楽がいつごろから発生したのかは、はっきりしたことはわかりません(歴史的には、単旋律より早く発生した、と考えるのが主流になりつつあるようです)が、文献の中にはっきりと記録されだすのは9世紀後半から10世紀初頭にかけてのことになります。多分この時期から、教会が多声曲を受け入れたということなのでしょう。

 3声を主流として、2〜4声部で出来たその初期多声音楽は『オルガヌム organum』と呼ばれています。記録されている初期のオルガヌムは2声のもので、いずれも聖歌を主声部(ヴォックス・プリンキパル)として、その下にオルガヌム声部(ヴォックス・オルガナリス)を一音対一音の関係で付け加えたものです。

 その後、オルガヌムは、1163年に着工されたパリのノートル・ダム大聖堂で活躍した音楽家たちを中心にして、より複雑に発達していきました。そのため、1160年〜1250年頃までにノートル・ダム大聖堂で活動した音楽家達を、「ノートル・ダム楽派(Notre Dame school)」と呼んでいます。

 ノートル・ダム楽派この時期の代表的な作曲家としては、「オルガヌム大全集 Magnus liber organi」を作ったとされるレオニヌス Leoninus(フランス語ではレオナン)と、その後輩であるペロティヌス Perotinus(ペロタン)が知られています。

 レオニヌス(1150年代-1201頃)は、ノートル・ダム大聖堂に記録されている「レオニヌス師」の事だとみられており、かなり高位の聖職者であったと考えられています。1年間の主要な祝日のミサ聖務日課のための、90曲以上の2声オルガヌムを収めた「オルガヌム大全集」の制作者として知られれています。

 また、「オルガヌム大全集」に収められたオルガヌムが、ミサのためのグラドゥアーレアレルヤ、聖務日課のためのレスポンソリウムを定旋律(素材)としていたため、多声楽曲全般に対して用いられていたオルガヌムという語が、この頃から、ミサ及び聖務日課のためのレスポンソリウム聖歌(応唱詩篇聖歌)を定旋律とするポリフォニー楽曲という、限定される内容をもつようになりました。

 ペロティヌス(1200頃)もノートル・ダム大聖堂で活躍した聖職者と考えられていますが、人物の特定は出来ていないようです。彼は、ペロティヌスの2声オルガヌムを発展させ、グレゴリオ聖歌を素材(定旋律)として一番低い声部(この場合はテノール)に置いて、その上に1〜3の声部がモード・リズムと呼ばれる、一定の規則的なリズムで歌い続けていくという形式に改訂しました。


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 ペロティヌスから後の時代になると、『コンドゥクトゥス』という定旋律をもたない、自由な宗教詩による楽曲や、『モテトゥス』という名の新しい楽曲が愛好されるようになります。特にモテトゥスは、13世紀後半に現れてからバロック時代まで、重要な音楽形式のひとつになっていきます。

 モテトゥスは、最下声部(テノール)に定旋律としてグレゴリオ聖歌の断片を置き、上声部が一定の規則型のリズムで歌っていく点ではオルガヌムと同じなのですが、大きな違いは、上声部は定旋律とは違った歌詞を歌う、という点にあります。上声部は、定旋律のグレゴリオ聖歌の歌詞を注釈するという役割が与えられているのです。

 曲によっては、4声部の全てが違う歌詞を歌うこともあるほどで、聴いている側が歌詞を聞き取ることはほとんど不可能だと言えます。おまけに、各声部のリズムがそれぞれ独立して営まれるので、ますますその歌詞は聴き取りにくくなっていきます。モテトゥスは、聴かせるよりも演奏することに意義のある楽曲として、発達していったように思われます。


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 アルス・アンティクァの音楽は、長く引き延ばしたテノールの旋律の上に、いくつかの声部が細かいリズムで動いていきます。それは、ゴシック様式の建築に通じる、堂々とした構築感と幻想性を感じさせます。

 同時に、オルガヌムに至っては、スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスに代表される、20世紀の「ミニマル・ミュージック」と呼ばれる現代音楽に大きな影響を与えたことでも知られています。

 「単純で複雑」「古くて新しい」、それが、ノートル・ダム楽派を中心とする、アルス・アンティカの音楽と言えるのではないでしょうか


 昔に比べると、アルス・アンティクァの音楽を取り上げた録音も増えつつありますが、後のアルス・ノヴァも含めて、ゴシック期の音楽を一枚で俯瞰できる録音としては、デイヴィッド・マンロウ指揮のロンドン古楽コンソートのよる『ゴシック期の音楽(Music of the Gothic Era)』が最適ではないでしょうか。

 1975年の録音で、演奏スタイルは古くなってきたかもしれませんが、、選曲の良さと演奏の質の高さは、その後の録音の追随を許さないものがあります。

 定旋律の長く引き延ばされたグレゴリオ聖歌の上に、高音の声部が細かいリズムで揺れながら螺旋状に絡み付き、まつわりついて行く感覚は、天井の高みに登ろうとするゴシック建築そのものです。

 豊かな現代性を盛り込みながら、決して羽目を外さない、天才と言われたマンロウの片鱗を垣間聴くことができるこの録音は、もともとは3枚組のLPレコードでしたが、2枚組のCDとして再発されています。また、そこから半分ほどの曲を選んだ、1枚物の抜粋盤も出ています。

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 ヒリヤード・アンサンブルも『中世ノートルダム楽派のポリフォニー音楽/ペロティヌス作品集』を出していますが、流れるような音の繋がりがとても美しい、ロマンティックとも言えそうな録音に仕上がっています。ゴシック音楽にしては美しすぎる、と言う方もいらしゃるでしょうが、これはこれで良い録音だと私は思っています。

 ペレス指揮のアンサンブル・オルガヌムのよる『ノートルダム楽派の音楽/聖母聖誕祭のミサ』は、低音男性合唱のみによる当時の典礼の再現を“現代的”に試みた録音ですが、背筋が寒くなるほどの迫力と凄まじさが漂う、刺激的なディスクです。

 レオニヌス(レオナン)のまとまった録音としては、声楽アンサンブル Red Byrd が演奏する「Magster Leninus ; Leonin (師レオニヌス)」があります。1996年にvol.1が、2001年にvol.2が発売されました。単純な2声のオルガヌムが主ですが、豊かな表現力と艶やかな美しさにあふれています。




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