中世イベリア半島の音楽
Codica Calixtino, Cantiga, Llibre veremell de Montserrat




 中世のイベリア半島は異文化の交流の地でした。北東スペインのガリシアにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラは、9世紀に12使徒のひとりである聖ヤコブの墓が発見されて以来、聖地として全ヨーロッパから巡礼が訪れ、様々な情報が交換される地でした。また、8〜15世紀にイスラム教徒が支配したスペイン・アンダルシア宮廷は、文化後進国であった西欧に古代の著書を翻訳紹介する中心地でした。

 音楽の分野でもアラブの音楽理論や楽器(リュートの祖先であるウードなど)が輸入されるとともに、旋律的にもアラブの影響があったと考えられていて、他のヨーロッパ諸国とは違った独特の魅力ある旋律が発達しました。


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 《カリストの写本 el Codice Calixtino》はサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の古文書保存室に所蔵されている、12〜13世紀に編纂された《聖ヤコブの書》と言われる文書の写本です。写本中に法王カリストゥス2世の手になったものだと記されていることから《カリストの写本》と名付けられていますが、実際はフランスのクリュニで編纂され、ガリシアの聖職者達によって補筆完成されたものだと考えられています。

 写本中には聖務日課のための聖歌やミサ用の聖歌、行列のための聖歌などが収められていますが、アルカイックな音の動きとリズムを特徴とする、清楚な美しさの初期ポリフォニー曲を収めたの代表的な写本のひとつです。

 同時に、《カリストの写本》に収められた初期ポリフォニー曲は、フランスで発見された物に比べてアラブ・スペイン的な装飾を特徴としていて、ローカル的な色彩の強さを感じさせる独特な魅力を放っています。


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 《カンティガ(cantiga 頌歌)》というのは、13世紀頃のスペインで歌われていた、グレゴリオ聖歌と同じような単旋律の曲です。「賢王(エル・サビオ)」の仇名を持っていたアルフォンソ十世(1252−82在位)の編纂によるもので、現在約400曲の賛歌が伝えられており、一般に、『アルフォンソ王のカンティガ』とか、『聖母マリアのカンティガ』と呼ばれています。

 聖母マリアの名を冠することでもわかるように、歌詞の全ては聖母マリアの頌め歌であり、聖母マリアが行った、または関係する奇蹟の物語になっています。

 はじめの予定では100篇にまとめられる予定だったものが400余までに膨れ上がる過程で、最初の方にはトルヴァドールから派生したと思われるような宮廷風な曲や詩、または聖歌風なものが多いのに対し、しだいに、スペインの各地方に伝わる地方色豊かな物語が多くなり、アルフォンソ自身が出てくるものさえ散見されるようになります。

 中世スペインの民衆の間に伝わっていたのだろう、素朴な、時にはいかがわしいとさえ言えるようなマリア信仰のようすが、ポルトガル系のガリシア語という言葉で書かれた、その歌詞の中に生き生きと息づいています。

 様々な地位、階級、職業の人々が登場し、それぞれが危機に陥ったり悪行に溺れたりしそうになったときに、聖母マリアが現れ、奇蹟を起こして彼らを救済する、というのがおおまかな筋立てとなっています。

 1955年にスペインで制作された、ラディースラオ・バホダ監督による「汚れなき悪戯」という映画をご存じでしょうか。

赤ん坊の時、僧院の前に捨てられたマルセリーノ少年は、十二人の僧侶の慣れない手で、快活な悪戯っ子に育っていきます。ところがある日、僧院の前を通りかかった女性と言葉をかわしたマルセリーノ少年は、その女性が自分の母親であると気づき、寂しさをまぎらすために、入ってはいけないと言われていた部屋の扉を開けてしまいます。すると、お腹を空かせた、痩せこけた男の人がはりつけにされていました。それから僧侶たちの目を盗んでその男の人にパンを運んだマルセリーノ少年は、祝福されて神の身元へと召されるのでした。

 美しくも悲しいこの映画のテーマになった物語の原型も、この《カンティガ》の中に収められています。


*島田聡さんのLas Cantigas de Santa Mariaで10曲毎に添えられている細密画をすべて見ることができます。ぜひごらんになってください。

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 14世紀の初頭に編纂されたとされる10曲からなる《モンセラートの「朱い本」 Llibre veremell de Montserrat》は、1023年にスペインのカタルーニャに建立されたモンセラート修道院に残されたものです。モンセラートはガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラと並ぶ2大聖地として、毎年多くの信者を集める巡礼地でした。

 モンセラート修道院は1811年に起こったナポレオン軍によって破壊され、1862年に再建されました。破壊された際、修道院が所蔵していた貴重な古文書の多くを火災によって失っています。《モンセラートの「朱い本」》が現存するのは、19世紀初頭にフランスのリオー侯爵がモンセラート修道院から借り出していたためです。写本は1885年にリオー侯爵の遺族によってモンセラート修道院に戻されました。「朱い本」という名は、写本の赤いビロードの表装に由来していますが、それが施されたのは19世紀末になってからのことです。

 《モンセラートの「朱い本」》に収められた曲は、モンセラート修道院のラ・モレネータと呼ばれる12〜13世紀に作られた木造の黒い聖母に寄せられたもので、聖地巡礼に訪れた人々を楽しませるために歌い、踊られたのではないかと言われています。どことなくアラブ的な色彩をまといつつも、なめらかで美しいメロディーが特徴的なこの曲集は、非常に魅力的な存在だと言えるでしょう。


 《カリストの写本》の演奏としては、「スペイン古音楽成集」の中のデ・ラ・クエスタ神父指揮のシロス聖ドミンゴ修道士合唱団による演奏を良く聴きます。《カリストの写本》中でも特にスペイン色の濃い作品を選んだ構成で、「スペイン古音楽成集」は中世・ルネサンスのスペイン音楽を、スペインの音楽家が演奏している点でも非常に特徴的な録音です。

 その他、プロの演奏家によるものとしては、セクエンツィアによる男声の『イベリアの声第1集−カリストゥスの写本』やフィリップ・ピケット指揮ニュー・ロンドン・コンソートによる『サンチャゴへの巡礼』も面白く聴けます。

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 曲の多さからもわかると思いますが、現在の所、《カンティガ》を全曲を録音したものはまだありません。

 私の良く聴き録音は、「スペイン古音楽成集」の一枚で、グレゴリオ・パニアグア指揮、アトリウム・ムジケー古楽合奏団、ルイス・ロサー指揮、死者の谷の聖十字架聖歌隊による、『聖母マリア頌歌集』です。素朴な録音で、絵画などを通じてイメージする「中世」という雰囲気が、ぴったりする音だと思います。
 きれいな録音だとは、ちょっと言えない部分もありますが、参加している演奏家が全員スペイン人というところが、とても気に入っていたりします。

 演奏のすばらしさと言う点では、ジョルディ・サヴァール指揮、エスペリオンXX演奏の『聖母マリアのカンティガ集』が秀逸だと思います。“民謡”というには、少し洗練されすぎているかも知れませんが、その神秘的な雰囲気は他の録音では味わえない感慨深い物です。

 最近の録音としては、エドゥアルド・パニアグア(上記のグレゴリオの弟)指揮のエドゥアルド・パニアグア古楽団 による「癒しの奇蹟」「カスティーリャとレオンのカンティーガ 」「マリアの生涯」が出ています。サヴァール盤より、土俗的な雰囲気がよく出ているようにな気がします。
 エドゥアルド・パニアグアは、この後も《カンティガ》の録音を続けているようなので、そのうち全曲録音にならないかなあ、とちょっとばかり期待している演奏家でもあります。

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 《モンセラートの「朱い本」》の録音としては、やはり「スペイン古音楽成集」の中のグレゴリオ・パニアグア指揮、アトリウム・ムジケー古楽合奏団、ルイス・ロサー指揮、死者の谷の聖十字架聖歌隊による、『14世紀以前のカタルーニャの音楽』に収められた録音が素朴な美しさをたたえています。

 最近の録音では、アラ・フランチェスカの演奏した「LLIBRE VERMELL」が端正な美しさをたたえた録音になっています。第3曲と第4曲で聴かれるパリ・ノートルダム寺院の児童合唱団のメンバー3人のカノンも効果的です。




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