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ヨーロッパの音楽の歴史を語る場合、多くは《グレゴリオ聖歌》からはじめるのが一般的です。けれど、伝説によれば7世紀初頭、現存している楽譜からの推定では8〜9世紀に成立したと思われる宗教曲が最初に来ることに、疑問をもたれる方もいらっしゃることでしょう。 私達がヨーロッパ文明の発生地として考える古代ギリシアが、紀元前でもかなり進化した楽器を持ち、音楽家が宮廷などで演奏を行っていたらしい事は、壁画やレリーフをはじめとした、様々な資料によって見て取ることが出来ます。それなのに、なぜ音楽史のはじめが中世でなければならないのでしょうか。 実はこの答えは、どの時代から「音」が復元できるのか、という問題と密接に結びついています。つまり、古代の壷や壁に書かれた絵から、楽器の外見を復元することは出来たとしても、その楽器が出した音色や、その楽器を伴奏にして歌われた曲の旋律を、完全に復元する事の難しさを考えなければなりません。 「音」は空間と時間に制限を受ける一過性の現象です。エジソンによる蓄音機の発明以来、現在の私達は「音」を記録するための様々な方法を手にしていますが、そのような方法が存在しなかった昔の「音」にとっては、「楽譜」だけが万人に有効な再現資料となります。つまり、誰もが確実に読み取ることが可能な、共通の記譜法が存在しなかった時代の「音」を、現代によみがえらせる事は容易なことではないのです。 例えば、古代ギリシアの音楽について、かなり断片的ながら10曲余りの楽譜が発見されています。そして、その楽譜を現代譜に復元する試みが行われ、一応「音」として聴くことも出来ます。 けれど、そうやって復元された「音」は、はたして古代ギリシアの作曲家が意図したものと、まったく同じものだと言えるでしょうか。現在に伝えられている伝統音楽や民族音楽から、ある程度の部分を類推するにしても、現在私たちが聴く伝統音楽そのものが、発生時と全く同じものであると証明する手段すらないのです。 音程などが読みとれる記譜法がヨーロッパに現れるのは、10世紀から11世紀にかけてのことです。従って、誰もがある程度は納得できる復元が可能だと思われるヨーロッパ音楽の多くが、一般に《グレゴリオ聖歌》と呼ばれる聖歌群であったからこそ、ヨーロッパ音楽史は《グレゴリオ聖歌》からはじめることになるのです。 ただ、封建社会が成立しはじめて、大陸に“ヨーロッパ”という概念が確立して来るのは9世紀頃の事です。ヨーロッパの発達はキリスト教と共にあり、聖歌の記譜が盛んになるにつれて、古代ギリシヤの音楽理論から脱却した新たな音楽理論が展開されるようになっていきました。そう考えて行くと、ヨーロッパ音楽史の最初を《グレゴリオ聖歌》に求めることは、ある意味で妥当なことなのかもしれません。 さて、一括りに『中世・ルネサンス音楽』と呼ばれることも多いのですが、およそ700年間のヨーロッパが、ひとつの音楽形式で統一されていたわけではありません。交通網や情報網も未発達でしたから、同じ時代に異なる音楽様式が複数存在することもありました。 従って、『中世・ヨーロッパ音楽』には、さらに細かな時代や様式の区分が可能であり、また必要であると言えるでしょう。区分の仕方は学者によって様々で、どういう方法が一般的なのかはよくわかりませんが、私が一番わかりやすかったのは以下の区分方法です
上記の時代区分を意識しつつ、中世からルネサンスにかけての音楽の歴史を考えていくわけですが、中世とルネサンスの境目は、音楽の場合、他の美術(絵画や彫刻など)に較べると、違いがあまり明確ではありません。ルネサンスの音楽が人文主義(ヒューマニズム)をあらわす音楽かと問われると、少々考えるものがあります。 けれど、中世の音楽とルネサンス音楽を比較してよく聴いてみると、祈りと生活が密接だった中世の時代は、音楽もまた、神に捧げるために作られたのか、必ずしも耳に心地よい音楽とはなっていないものが多いのに対して、ルネサンス音楽は、より人に聴きやすい、心地よい音楽を目指して作られているように思われます。 神のための中世音楽、人間のためのルネサンス音楽――技法的にはどうあれ、少なくとも音楽を作った人々の意識の中には、そんな違いが存在していたのかもしれません。 |