八木重吉

『秋の瞳』QTView版
『貧しき信徒』QTView版
『詩稿』より
 赤つちの土手(大正十四年四月二十一日編)

QTView版
 ことば(大正十四年六月七日)QTView版
 松かぜ(大正十四年六月九日)QTView版
 うたを歌わう(大正十四年八月二十六日)QTView版
 ひびいてゆこう(大正十四年九月三日編)QTView版
 花をかついで歌をうたわう(大正十四年九月十二日編)QTView版
 母の瞳(大正十四年九月十七日編)QTView版
 木と ものの音(大正十四年九月二十一日編)QTView版
*注:一部ルビがふってありますが、ブラウザのフォント設定によっては、ルビがずれて表示されることがあります。ルビがずれている場合は、お使いのブラウザの「表示」→「フォント」から、フォント設定を調節してご覧下さい。


ひとりごと
 八木重吉の詩をきちんと読んだのは、1998年になってからのことです。今までにも名前は知っていましたし、幾つか詩も読んだことはありましたが、自選集を読んだのは1998年の6月が初めてでした。
 以前に読んだ詩は、八木重吉が残した2200編余りの詩稿から、死後に別人によって編纂された他選集で、それなりに良い詩集ではあたのですが、あまりにキリスト教に対する〈信仰〉が全面に出ているような気がして、すんなりと詩の世界に入って行けなかった、というのが正直なところでした。八木重吉は、〈信仰詩〉の詩人として有名であるようです。
 ところが、今回、はじめて自選集を読んでみると、確かに、信仰に根ざしたような詩もいくつか散見されるのですが、信仰を切って捨てた部分で、切ないまでの悲しさ、といったものが感じられて、どうしょうもなくひかれてしまいました。ひとつ一つの詩が、痛みをともなって胸に迫ってくると同時に、決して重苦しさを感じさせない、不思議な静謐さを持っているようです。作者が自分で選んだものが、必ずしも最上のものではないかもしれませんが、八木重吉が世に問いたかったもの知る上では、二つの自選集の220編の詩に勝るものはないように思います。

 最初は、詩集の中からいくつか選んで載せようと思ったのですが、読んでいるうちに全部が愛おしくなってしまったので、二つの詩集の詩を全部載せてしまうことにしました。


八木重吉について
  • 早世の詩人。
  • 1898(明治31)年2月9日、東京府南多摩郡堺村相原大戸(現在の東京都町田市相原大戸)に生まれる。
  • 1917(大正6)年、東京高等師範学校に進む。在学中、聖書を耽読し、かつ内村鑑三の著書に感化されキリスト教に受洗する。
  • 1922(大正10)年、卒業後、兵庫県御影師範の英語教師となる。24歳で、17歳の島田とみと結婚。この頃から、詩作と信仰に打ち込みだす。
  • 1925(大正14)年、親戚の作家であった加藤武雄の世話により、第一詩集『秋の瞳』が新潮社より刊行される。以降、佐藤惣之助主宰の『詩の家』の同人となり、草野心平を中心とする『銅鑼』や『日本詩人』『生活者』等、詩誌に作品を寄せる。
  • 1926年、結核と診断され、以後、約1年間絶対安静の闘病生活を続ける。病の床で第二詩集『貧しき信徒』を編纂。
  • 1927(昭和2)年10月26日、『貧しき信徒』の刊行を見ぬまま死去。郷里堺村の八木家墓地に葬られる。『貧しき信徒』は翌年、処女詩集と同じく加藤武雄の尽力によって、野菊社より出版された。


『秋の瞳』について
  • 第一詩集。1925(大正14)年8月1日、新潮社刊。117編の作品を収める
  • 処女詩集だけに、内容、形式とも彷徨のあとを残していますが、詩集全体としては、調和が保たれています。多分、並々ではない配慮が、作品の選定、配列の上に加えられたと思われます。1924(大正13)年秋までにまとめた1,000編から、117編を選び、推敲を重ねて本書が編まれました。平明な言葉で、〈若さ〉という難敵との格闘の跡が綴られています。

『貧しき信徒』について
  • 第二詩集。1928(昭和3)年2月20日、野菊社刊。103編の作品を収める
  • この詩集は作者の死後4ヶ月ほどして出版されたもので、作者の自選と解されます。これらの詩が制作された期間は、前集のあとを受けて、1925(大正14)年春頃から、発病して結核を発病して入院する1926年5月頃までの、1年余りと見られます。この詩集では、『秋の瞳』で見られた気取りも、形式の上での彷徨いもなく、仮名を主とする独自の様式が完成され、それらを自在に操って、清明な詩の世界を展開しています。

『詩稿』について
  • 八木重吉の詩縞の特徴は、そのほとんどがタイトルを付けられた詩群に編まれていることです。2000篇以上の詩が、作者自身によって60余りの詩群として残されました。自分用に編まれたものであり、詩と言うよりは草稿や感想、断片に類するものも多く含まれていますが、単なる下書きやメモ以上のものが多く含まれています。掲載した詩縞は、1925(大正14)年の9月に編まれたものを中心にしています。

[文車目次]

2style.net