立原道造

岩波文庫「立原道造詩集」より  1997年9月5日発行 第14版
わすれぐさ
『萱草に寄す』   QTView版
 SONATINE NO.1
   はじめてのものに
   またある夜に
   晩き日の夕べに
   わかれる昼に
   のちのおもひに
 夏花の歌
   その一
   その二
 SONATINE NO.2
   虹とひとと
   夏の弔ひ
   忘れてしまつて
『暁と夕の詩』   QTView版
 I 或る風に寄せて
 II やがて秋‥‥
 III 小譚詩
 IV 眠りの誘ひ
 V 真冬の夜の雨に
 VI 失われた夜に
 VII 溢れひたす闇に
 VIII 眠りのほとりに
 IX さまよひ
 X 朝やけ
『優しき歌 I』   QTView版
 燕の歌
 うたふやうにゆつくりと‥‥
 薊の花のすきな子に
   I 憩らひ
   II 虹の輪
   III 窓下楽
   IV 薄 明
   V 民 謡
 鳥啼くときに
 甘たるく感傷的な歌
 ひとり林に‥‥
   I ひとり林に‥‥
   II 真冬のかたみに‥‥
 浅き春に寄せて
『優しき歌 II』   QTView版
 序の歌
 I 爽やかな五月に
 II 落葉林で
 III さびしき野辺
 IV 夢のあと
 V また落葉林で
 VI 朝に
 VII また昼に
 VIII 午後に
 IX 樹木の影に
 X 夢見たものは……

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ひとりごと
 立原道造をはじめて読んだのは、高校時代の終わり頃です。進路のこと、友人のこと、家庭のことなどで、いろいろ悩みのつきなかった頃で、この頃は精神安定のためだったのか何なのか、手当たり次第に色々の詩集を読んでいました。そんな時に、たまたま見つけた立原道造の「夢見たものは……」は、私にとってはユートピアの風景を写し取ったように思えたものです。
 叙情詩が苦手な私は、立原の詩を読んでいると、時々ものすごく喉がむず痒くなるときがあります。だから、この人の作品がものすごく好きか、と言われるとちょっと困ってしまうのですが、時々猛烈に読みたくなるときがあります。ひどく感傷的で情熱的なくせに、どこか清楚な立原のことばが紡ぎ出す小宇宙の中で、いつまでもたゆたっていたいと感じることがあるのです。
 彼が、帝大(現東大)工学部主席卒業の将来有望な建築家だと知ったとき、「理系」とか「文系」といった分類は、何の意味もないものだと気づかされました。結局、大事なのは、資質と感性なんですよね。


立原道造について
  • 夭逝(ようせい)の天才詩人。昭和初期の代表的な抒情詩人のひとり。
  • 1914(大正3)年 7月30日、東京市日本橋区橘町に生まれる。父貞次郎、母登免。立原姓は母方の家系で、近い祖に水戸藩の儒者立原翠軒、画家杏所を持つとされている。
  • 1919(大正8)年 父の死去により家督を相続。
  • 1927(昭和2)年 東京府立第三中学校入学。在学中秀才を歌われたが、殊にパステル画では抜群の才能を発揮。在学中より橘宗利について作歌を始め、北原白秋を訪問。
  • 1931(昭和6)年 第一高等学校理科甲類入学。一高短歌会会員となる。堀辰雄を訪問、以後師事する。
  • 1934(昭和9)年 東京帝国大学工学部建築学科入学。夏、初めて軽井沢を訪問し、以後毎夏信濃追分に滞在。室生犀星、萩原朔太郎を識る。
  • 1935(昭和10)年 前年度秋の課題設計「小住宅」により学内の辰野金吾賞を受賞。以後卒業まで3年連続受賞する。
  • 1936(昭和11)年 シュトルム短篇集『林檎みのる頃』を訳出し、山本文庫として処女出版。卒業論文「方法論」を提出。
  • 1937(昭和12)年 卒業設計「浅間山麓に位する藝術家コロニイの建築群」を提出。卒業後石本建築事務所に入社。物語「鮎の歌」を『新潮』に掲載。詩集『萱草に寄す』『曉と夕の詩』を自費出版。
  • 1938(昭和13)年 夏、肺尖カタルのため休職し、信濃追分に転地療養。詩集『優しき歌』を構想。秋、盛岡生々洞に滞在。冬、長崎に滞在中喀血し帰京。東京市立療養所に入所。
  • 1939(昭和14)年 第1回中原中也賞受賞。3月29日、病状急変し永眠。享年24歳。


『萱草に寄す』  風信子(ヒアシンス)業書第一篇、ソネット10篇。1935-36年にかけて書かれた作品を納める。1937年に作者により自費出版される。
『暁と夕の詩』  風信子(ヒアシンス)業書第二篇、ソネット10篇。1935-37年にかけて書かれた作品を納める。1937年に『萱草に寄す』についで作者により自費出版される。
『優しき歌 I  風信子(ヒアシンス)業書第四篇、ソネット12篇。戦後『優しき歌 II』が編纂されたのち、立原自身の遺品の中からこの『優しき歌 I』に収録する作品名を並列したメモが出現し、第3次全集委員会によって編纂された。初出は1935年から37年まで入り交じっている。
『優しき歌 II  角川書店から、1947年3月10日付『優しき歌』として刊行。堀辰雄らが編集した。ソネット11篇、全篇生前未発表。使用された原稿用紙などから、1937年初めから38年8月ごろまでの作と推定される。

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