10 カール・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ合唱団・同管弦楽団
   (Karl Richter/Munchener Bach-Chor,Munchener Bach-Orchester)


 初めて聴いたカール・リヒター指揮のミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団の曲は、多分バッハの『マタイ受難曲』と『ミサ曲 ロ短調』です。

 『多分』という但し書きがつくのは、どういうわけか、わが家では父の趣味で、大晦日から新年に掛けてバッハの宗教曲を聴く習慣がありまして、物心つくかつかないうちから聴かされていたのがこの2曲だったからです。
 今思えば、あまり性能のよくないポータブルのプレーヤーとスピーカーで聴いていたわけですから、多分雑音だらけだったと思うのですが、合唱の凄まじさに圧倒されて聴いていた思い出だけははっきりしています。特に『マタイ受難曲』は聴けば必ず涙ぐんでしまう、というぐらい感動した曲でした。

 それ以外にも、わが家にはリヒター指揮の『管弦楽組曲』やら『ブランデンブルグ協奏曲』などがありましたから、父もかなりリヒターが好きだったと思われます。このあたりについては、私が小学校2年の時に父が亡くなった関係で真相は藪の中ですが、残されたレコードの傾向から見ると、確実なように思われます。

 そんなわけで、かなり小さな頃から“バッハはリヒター”と刷り込まれたきらいはあるのですが、その後、現在に至るまでいろいろな指揮者や演奏家によるバッハの宗教曲を聴いてきましたが、私にとって、バッハの宗教曲における最大の指揮者は、いまだにカール・リヒターのままなのです。


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 カール・リヒターは、1926年10月15日にドイツのブラウエンで生まれました。ドレスデン聖十字架教会の聖歌隊でルドルフ・マウエルスベルガーに学んだ後、1946年にライプツィヒ音楽院に入学し、オルガニストで聖トーマス教会のカントルであったカール・シュトラウベの最後の弟子の一人となりました。49年には22歳の若さで聖トーマス教会のオルガニストに就任しています。

 1951年、リヒターは演奏活動の自由を求めて、西ドイツのミュンヘンに移住し、聖マルコ教会のオルガニストとなり、音楽大学で教鞭を取る一方、同年にミュンヘン・バッハ合唱団を、そして55年にミュンヘン・バッハ管弦楽団を結成し、本格的なバッハの演奏活動を開始しました。

 リヒターにとって大きな飛躍のきっかけとなったのは、1958年の「マタイ受難曲」の演奏とARCHIVレーベルにおける録音です。その後、続々と大作を録音し、1969年には合唱団・管弦楽団とともに初来日をし、鮮烈で白熱した演奏によって聴衆に深い感銘を与えたと言います。

 しかし、後年は健康を害し、視力が衰えると共に、その演奏は次第に力強い峻烈さからロマンティックな傾向へと変貌していきました。
 そして、3度目の来日を直前にした1981年2月17日に、ミュンヘンのホテルで、心臓マヒによって世を去ったのです。享年54歳のその死は、グールドと同じく、余りにも早すぎる印象があったことを覚えています。


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 リヒターのバッハは、当時(50〜60年代)の慣習に従って、古楽器ではなくモダン楽器によって演奏を行っています。ですから、彼の作り出した音は、バッハの時代に、バッハが意図した音とは多分に違うものでしょう。
 音だけを問題にするならば、ガーディナーやアーノンクール、レオンハルト、鈴木雅明による最近の古楽器によるバッハの方が、よほどバッハの意図したもにに近いと言えると思います。リヒター自身、(あえて、そういう言い方が許されるなら)晩年には自分の演奏スタイルに対して、自信を失っていたとも言われています。

 それでも、いまだにバッハといえばリヒター盤を第一に挙げる人が多いのは、やはりその精神性の高さに理由があるのではないでしょうか。私自身、リヒターのバッハに引かれる理由の大部分がその一点にあるような気がします。

 バッハの宗教曲、特にカンタータや受難曲は、バッハ自身の嘆きや祈り、そして彼の世界観や人間観といったものを、この上もなく真摯に表出した音楽のように思えます。
 そして、その世界をリヒターほどの強烈さで掘り下げ、なおかつ、その深みへとさらって行くような劇的な表現を実現させた人間は、彼の前にもいなかったし、彼の後にも存在しません。

 確かにバッハの音楽の解釈について言えば、現在の古楽を専門とする演奏家たちの研究により、リヒターの解釈は多くの点で凌駕されつつあります。

 それでも、彼の作り出した音楽が表現する感動の前には、それらはすべて些末なことにしか感じられず、バッハと真正面から格闘し、凄まじいまでの統率力でもって音楽を構築していく様子に、ただただ圧倒されてしまうのは、私だけではないでしょう。


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 それでも、その厳しいまでに妥協のないバッハへ追求やモダン楽器の音の厚さは、時として、息苦しいものと感じられなくはありません。特に、60年代後半から70年代初めにかけての中期の録音はそんな印象があるように思います。
 ですから、私はリヒターの録音でも、どちらかと言えば初期の、厳しさの中にも清冽な抒情と切れ味の良さが際だつ演奏に、より強く引かれます。

 例えば、「マタイ受難曲」には3つの録音がありますが、私が一番好きなのは、聞き慣れているからかもしれませんが、58年の最初の録音なのです。そして、61年録音の「ミサ曲 ロ短調」も、ヘルタ・テッパー(S)やフィッシャー=ディースカウ(Bs)らの独唱者らの質の高さもさりながら、リヒターの強靱なまでの精神の凝集力と持続力、音楽の密度の高さに、聴くたびに身震いを禁じ得ませんが、同時にその若々しさに強烈に引かれます。

 それでも、これらの大曲は、私にとってはいつでも気軽に聴ける、というような音楽ではありません。特に、受難曲は年に1度か2度、本当にゆったりした気分の時に聴いて、その余韻を楽しむべき音楽のような気がします。

 実のところ、リヒターのバッハの宗教曲で私が一番よく聴くのは「カンタータ選集」です。200曲以上あるバッハの宗教カンタータのうち、リヒターは20年をかけて70曲余りを録音しました。この中では、すべての時代のリヒターを俯瞰することができます。
 70年代後半の、視力や体力が衰えた時期の録音は、胸が痛むものもありますが、それでも、ここに残された録音のひとつひとつがこれ以上ないほどの傑作ぞろいであることは、いささかの疑いもないと思います。

 カンタータ第4番《キリストは死の縄目につながれたり》BWV4、第106番《神の時こそいと良き時》BWV106、第78番《イエスよ、わが魂を》BWV78、第140番《目覚めよ、と呼ぶ声あり》BWV140、第147番《心と口と行いと生きざまもて》BWV147等々、枚挙にいとまがありません。これら有名な曲はもちろんですが、それ以外の曲も本当に素晴らしい録音に仕上がっていて、どれから聴いても優れた“リヒターのバッハ”に触れることが出来ます。


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 リヒターは無名の時代、バッハの合唱作品を一緒に歌うメンバーを集めるために、自ら寒いミュンヘンの街角に立って、合唱団員募集のビラ配りをしたと言います。そんなひたむきな情熱が、リヒターのバッハ演奏を支えていたのかもしれません。

(1998/10/27)


カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ合唱団/同管弦楽団
Karl Richter/Munchener Bach-Chor/Munchener Bach-Orchester
 J.S.BACH カンタータ選集1〜26(Kantaten)
  1959〜78年録音 ARCHIV(ポリグラム) [POCA-3008/33]〈分売〉
 J.S.BACH ミサ曲 ロ短調 Messe in h-moll(BWV232)
  1961年録音 DEUTSCHE GRAMMOPHON(ポリグラム) [POCG-90053/4]
 J.S.BACH マタイ受難曲 Matthaus-Passion(BWV244)
  1958年録音 ARCHIV(ポリグラム) [POCA-2006/8]

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