9 「リスボンの涙」 ネーヴェル指揮/ウエルガス・アンサンブル
   ("Tears of Lisbon" Paur Van Nevel/Huelgas Ensemble )


 ファド(fado)と呼ばれる曲種があります。それは、ポルトガルの首都リスボンの非常に限定された下町の地域(アルフーァマAlfama、バイロ・アルトBairro Alto、アルカンタラAlcantara、モーラリアMouraria)で主として歌われている、『都市』の歌謡です。

 それは、決してポルトガル全体にかかわる民衆的な国民音楽でもなければ、民族音楽でもないと言います。150年以上の伝統を持つと言われながら、楽譜ではなく、もっぱら口伝で伝えられてきたその音楽は、通常“ファドの家(casa do fado)”と呼ばれる、ファドを聴くためのバーやレストランで、ファディスタfadista(ファド歌い)と呼ばれる歌手達によって歌われます

 ファドが現在の形になったのは19世紀も半ばだと言いますが、もともと貧しく抑圧された人々の慰めとして発達した歌の多くは、リスボンという都市と密接に結びついた、深い哀愁を湛えた夜の歌と言えるでしょう。


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 「リスボンの涙」は、このようなファドが9曲とヴィランシーコ(villancicoのポルトガル語読み:スペイン語読みの“ビリャンシーコ”の発音が一般的)と呼ばれる16世紀にイベリア半島を中心に発達した世俗歌曲が8曲収められています。ヴィランシーコもまた、ファド同様に哀愁に満ちた響きを持った、当時の民衆の音楽です。


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 このCDで指揮を担当しているパウル・ファン・ネーヴェルは、ファドとヴィランシーコというまったく違う時代に成立した民衆の歌に共通して流れる、サウダーデ(saudade)という、失われたものや手の届かないものに寄せる、悲しさや寂しさや一種の陶酔感をともなった情感に着目し、それを“涙”という言葉で括ってこのCDを構成しています。

 ビリャンシーコではウエルガス・アンサンブルがすばらしいアンサンブルを披露し、ファドの方はベアトリス・ダ・コンセイサンとアントニオ・ローシャという二人のファディスタが、情感に満ちた歌を聴かせてくれます。どちらも、しっとりとした人肌の温もりを感じさせる演奏だと言えるでしょう。

 パウル・ファン・ネーヴェル指揮のウエルガス・アンサンブルはベルギーの古楽演奏団体ですが、その表現するスペイン・ポルトガルの音楽は、二人のファデスタに勝るとも劣りません。

 1970年に結成されたこの団体は、地元のフランドルはもとより、中世ルネサンス期のスペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツなどの“知られざる名曲”を精力的に録音しているのですが、まさか、指揮のパウル・ファン・ネーヴェルが「ポルトガル・ファド友の会創立会員」という肩書きを持つとは、思いもよりませんでした。彼が、スペインやポルトガルの曲に造形の深い理由が、このCDでわかったような気がします。
 現代のファドとルネサンス期のヴィランシーコの間に同質の“涙”を見て取り、心を込めて、細やかに証明して見せたこの録音は、ネーヴェルだからこそ可能だったのかもしれません。


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 そして、このCDはライブ録音でもあります。拍手の音は大きくはありませんが、一種の熱気が感じられ、少数の愛好家達の密かな楽しみの音楽といった風情をも感じさせます。聞き手は最上の“ファドの家”の観客の一人となって、素晴らしい歌の数々を堪能することができます。

 夜、少しばかり照明を落とした薄暗い部屋で、お気に入りの酒とともにゆっくりと聴いていたい。そんな気分にさせてくれる良質のディスクです。

(1998/9/19)


リスボンの涙 TEARS OF LISBON
 パウル・ファン・ネーヴェル/ウエルガス・アンサンブル
 Paur Van Nevel/Huelgas Ensemble

  1995年録音 SONY CLASSICAL(ソニー) [SRCR-1866]

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