パリ・シャンゼリゼ管弦楽団 / 秋の古楽・3夜連続公演【第3夜】
 ベートーヴェン《交響曲 第9番 ニ短調 作品125 (合唱付き)》他

1998年11月26日(水)19:00
札幌コンサートホール《Kitara》大ホール

    指揮:フィリップ・ヘレヴェッヘ Phippe Herreweghe
    管弦楽:パリ・シャンゼリゼ管弦楽団 L'Orchestre des Champs Elysees
    合唱:コレギウム・ヴォカーレ Collegium Vocale Gent

    ソプラノ:クラシミーラ・ストイアノヴァ Krassimira Stoianova
    アルト:サリー・ブルース=ペイン Sally Bruee-Payne
    テノール:ヴェルナー・ギューラ Werner Gura
    バリトン:ディートリヒ・ヘンシェル Dietrich Henschel

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
  《マイスタームジーク》 ハ短調 K.477(?)
  (《フリーメイスン葬送音楽》K.477(479a)初稿復元の試み)

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827)
  交響曲 第9番 ニ短調 作品125 (合唱つき)



3日目は、ベート−ヴェンの『エグモント序曲』と『第9番』という非常にメジャーなプログラムの上に、年末も近いということもあってか、大ホールは9割以上の入りでした。1日目の入りが嘘のよう。途中休憩なし、というアナウンスが入ってコンサートが始まりました。

1曲目が、ヘレヴェッヘ要請でベートーヴェンの『エグモント序曲』から上記のモーツァルトの『マイスター・ムジーク』に変更になっていました。初めて聞いた題名だったので、そんな曲があったかしらと思ってパンフレットを見ると、以下のような解説が書いてありました。

 《マイスタームジーク》とは聞きなれない曲名だが、これは13年前にフランスの研究者オートクシエが《フリーメイスン葬送音楽》K.477(479a)の「初稿」として提案したもの。お馴染みの《葬送音楽》の方は合唱を欠くオーケストラのみの作品で、1785年11月17日にある二人の有力な結社員の追悼集会で演奏され、その20日後の別の追悼でも、2本のバセットホルンとグランファゴリト(コントラファゴット?)を追加して再演された。
 ところが、オートクシエ説によると、これは本来葬送の音楽ではなく、ある結社員がマイスター(親方)に昇進する際のセレモニー音楽として作曲されたものだという。その根拠は、
  • モーツァルトの自作目録に「1785年7月」と記入されていること、
  • 時期的に近い8月のある昇進セレモニーにモーツァルトも出席していること、
  • マイスターヘの昇進セレモニーの主題も「死」であること、
  • 《葬送音楽》の中間部では聖週間に歌われるグレゴリオ聖歌のエレミアの哀歌(正しくはミヒャエル・ハイドンのレクイエムから採られた詩編唱第1定型による旋律)が定旋律として使用されているが、この旋律と音節数の上で一致し、内容的にもフリーメイスンの儀礼と合うのが『哀歌』第3の歌の数行にあること、
などである。第1オーボエとクラリネットのオクターヴ下にそれぞれテノールとバスを重ね、問題の歌詞を付けたのがこの《マイスタームジーク》である。
 実はこの説は憶測の域を出ておらず、資料的根拠はきわめて薄弱、復元も作曲技術上の禁則を犯しているのだが、一つの想像力たくましい試みとしては面白い。

ちなみに、つけられた歌詞は以下のようなものです。

Replevit me amaritudinibus,
ebriavit me absynthio.
Inundaverunt aquae super caput meunl;
dixi,Perii.

(Lam.3:15,54)

[主は]わたしを苦悩に飽かされ、
苦汁を飲まされる。
水はわたしの頭を越え、
もう最期だとわたしは思った。

(『哀歌』第3の歌、15、54。新共同訳)
  

歌詞がついただけで、聞き慣れているはずの『フリーメイスン葬送音楽』が全く違った曲に聞こえました。楽器だけの時よりより荘重な感じがして、非常に興味深かったです。それに、良い悪いは別にして、『エグモント序曲』よりも、夜とか、死をテーマにした曲にこだわりを見せる、いかにもヘレヴェッヘらしい選曲に思えました。

『第9』についていえば、これはもう「感動した」の一言でした。古楽器による『第9』は、ガーディナー指揮のレヴォリュショーネル・エ・ロマンティーク・オーケストラ盤[ARCHIV POCA9037]で聞いてはいましたが、ヘレヴェッヘはもっと柔らかで丸みのある音楽になっていました。それに、実際に目の前でオリジナル楽器で演奏されると、音を聞いているだけではわからない楽器の「演奏」の部分も非常に面白かったです。

前日の管楽8重奏でも思ったことですが、モダン楽器とベートーヴェンの時代のオリジナル楽器で一番違うのが管楽器です。若干、不安定さはあるもののモダン楽器の突き刺さるような音と違った、柔らかでふくらみのある優しい音が良い感じで、第3楽章が退屈どころか感動的に聞けたのも驚きでした。

第4楽章は、期待に違わずコレギウム・ヴォカーレがすばらし合唱を聴かせてくれました。第1夜と同じように、ソプラノの滑らかな美しさはなんと表現すれば良いかわからないくらいすばらしかったです。管弦楽とのバランスも非常によく取れていて、静かな熱気がひしひしと伝わってくる『第9』だったと思います。

惜しむらくは、ソリストの声がよく聞こえなかったことでしょうか。これは、私の席が3階席だったせいもあるとは思いますが、特にバリトンがほとんど聞こえなかったのは残念でした。せめて2階席だと、もう少しバランス良く聴けたのかもしれないと思います。それでも、曲が終わったときの幸福感は、今まで聴いたことのあるどの『第9』の演奏よりも高かったように思います。

さすがに3日連続のコンサートは、気分的にも体力的にも非常に疲れるものでしたが、とても幸せな3日間でもありました。


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