「遅刻者は、水野さん――と、浜中さん……」 学級委員の水野がその場に居ない人の名前を挙げていくと、それを担任のだみ声が遮った。 「浜中は休みだ」 「欠席理由は?」 水野は、日誌に書き込む都合上当然の事を聞いたのだが、担任は一瞬予想外、という表情をした。 そのまま瞬時空中に視線を滑らせ、また戻し、「発熱『で』と答えた。 先ほどから担任の表情を見ていた守哉には、それが奇妙なものに映った。 この場にはおそらく水野を見ていた人が大半だったであろう、 それに気付いた人は居なかったように見える。 今のは――確実に何かある。 そう思った瞬間、守哉の脳裏を、昨日の真柚の様子がかすめた。 守哉がああ言った直後、彼女の顔が青ざめた。 そのままぼんやりと視線を固定させていたかと思えば、突如涙を流し、最後に『お願いだから……私に、近づかないで』と来た。 恩を着せたくて助けたわけではないが、それにしたってあの言葉はあんまりだ。 ただ――もしかしたら。 『なんとなく、嫌なのよ。アンタみたいに信用できなさそうな奴が……大嫌いなの』 『言わなかったっけ?私は、アンタみたいな奴が、大嫌いなんだって』 あそこまで、理由も無く守哉を拒絶する理由が―― 今までの事のどこかと絡まっているのかもしれない。 その日の昼休み、守哉が自分の席でボーッとしていると、彼の許に有本がつかつかと歩み寄った。 「三崎くん、昨日真柚に何か言った?」 守哉の表情が変わったのを見て、 「やっぱり言ったのね」と。 「どうして?」 「今朝の担任、見たでしょ。明らかになにか隠そうとしてる。――皆はそんな事気付きもしなかったみたいだけど」 「やっぱりそうか……」 「さっき担任を問い詰めてみたけど、ちょっとうろたえるだけで何も言わないし。今、千代が真柚に電話かけてるけど、出るかどうかも分かんない」 と、教室の木製の引き違い戸の開く音がした。 「どうだった?」そして入ってきた千代に、菜摘が声をかける。 が、彼女は菜摘に近づきながらゆっくり首を横に振った。 「やっぱり……」 落胆した声を上げたが、そのまま守哉をきっ、と見据え、「放課後、この教室に残ってて。話したいことがあるから」 と、押し殺した声で言った。 帰りの挨拶を御座なりに済ませた直後から、『起立』の号令では見せないような俊敏さで皆が立ち上がる。 部活用のバッグやラケットを抱えて行く者、 友人と喋りながら出て行く者、 担任をからかいながら出て行く者。 結局最後まで粘っていた、真面目に勉強していた女の子も、担任に急かされて出て行った。 「木村ー、終わったらちゃんと鍵締めてから帰れよー」 「はい」守哉より後ろのほうの席から声が聞こえる。 「あ、最高でも六時までだからな。残っていいのは」 「はい」 担任の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると同時に、 椅子の足が床を擦る音が二人分、した。 片方の足音は守哉の右斜め後ろで止まり、もう片方は彼を通り過ぎ、窓も扉も全て閉めてから戻ってきた。 右斜め後ろに居た千代は、守哉の右斜め前の人の椅子を引きずってきて、そこに座った。 菜摘は、守哉の前の席の人の椅子に、後ろ向きに座った。 「――とりあえず、三崎くんが昨日真柚に言った事を話して。私達の話はそれからだから」 千代からも、菜摘からも、異様な空気が流れ出していた。 冬の空気を更に冷やし、それと同時に妙な緊張感も与える。 「――昨日、浜中は袴田先輩に襲われた」 守哉が一言、そう言っただけで、二人は十分な反応を示した。 「袴田先輩――って。あの人よね。あの、髪の短い、優しそうな……」 「そうだ」 「やっぱり……」千代が絶望的な声を発した。菜摘も続ける。 「私達だって、気付いてたのに。もしかしたら襲われるかも、って。――なのに、私達、部活で……」 「俺が、どうにか助けたから。ほら」 彼が包帯を巻きつけた左手を差し出す。 「――ありがとう」 「別にいいって。……それで、保健室からの帰りに、俺が話してたらいきなり。 ……泣き出して。最後に『お願いだから……私に、近づかないで』って」 千代の表情が変わる。 「――!守哉くん、真柚に何言ったの!?」 詰問するような口調に、彼がたじろぐ。 「千代」菜摘がなだめると、彼女は俯いて小さく謝った。 おとなしい千代の豹変に対する驚きの余韻がまだ残って、呆然としている守哉に、菜摘が先を促す。 しかし、促されても何から喋ればいいのか判らず、とりあえず保健室から帰りの会話を一通り彼女達に聞かせた。 「――あと、ここまでしたのは、浜中だけだから。俺が――」 彼の言葉がそこで途切れた。 二人の表情が、明らかに曇ったのだ。 「――仕方ない、よね。……似すぎてるもん」 「だよね、だって――あんな――」 陰惨とした空気が漂う。 守哉は何と言っていいのか分からず、視線でそれとなく二人を促した。 菜摘がまず彼に視線を戻す。 「ああ、ごめん。――話、だよね」 続けて千代が口を開く。 「去年の一月――真柚が、西村 博士(ニシムラ ヒロシ)っていう男子に告白されたの。 ちょうど、一年前に。資料室で。 真柚は、入学したときからずっと西村君の事が好きで、喜んで受けたんだって。 次の日は、例によって号外よ。 真柚が来る前に、慌てて私たちがクラッカーを三つ買いに行って、真柚が教室に入ってきた瞬間三人で……。 『あんまり広めないでよ!』って、真柚に怒られたけど、でも――嬉しそうだった」 千代の隣で菜摘が深くため息をついた。 「なあ、クラッカーを何で三つも買ったんだ?それに『三人で』って……」 「その頃はね。私達四人だったの。 真柚と私と千代と――北岡 美茄(キタオカ ミカ)って子。 あの子ね。一通りお祝いが終った後すぐ、『良かったじゃん真柚!!』とか良いながら、小さい封筒みたいなのを渡してた。 私達は普通の手紙かと思ってそれを見てたんだけど、 ――次の日、いきなり真柚が休んだの。 欠席理由を先生に聞いても変な誤魔化し方するし、千代が電話かけても出ないし。 心配になって、放課後真柚の家に行ったら、 真柚の部屋の壁とか床とか、色んな所に血が付いてて。 部屋の真ん中には、前の日美茄が渡した封筒と便箋がビリビリになって置かれてて、 一緒に血の付いたカッターの刃が落ちてた。 真柚は、手に大きな絆創膏貼って、ベッドでうずくまって泣いてた。 ――これ、どういう意味か分かるよね?」 守哉は小さく頷いた。 千代が嘲るような笑みを浮かべる。 「ほんっと、古いよね。昔のドラマみたい」 「とりあえず真柚を落ち着かせてから、破れた便箋をつなげてみたの。 そしたら。真っ赤な太いマジックで『死ね』とか『別れろ』とか。 頭に来て、私たちが「明日美茄と話しつけよう」って言ったんだけど、真柚は「いい」って。 ……『千代も菜摘も居るから』『博士君だっているから』――って」 「それからはもう、美茄とは絶交。 だけど、真柚は自分が言ってた通り、また次の日から元に戻ってた。 だけど、真柚と博士君が付き合い始めて一ヵ月後に――」 そう言ったきり、千代は黙り込んでしまった。 「一ヵ月後に?」守哉が再び先を促す。 隣の千代を見かねたように、菜摘が再び話し始めた。 「一ヵ月後に、博士君が真柚に「別れよう」って。真柚が理由を聞いたら、一言、『飽きた』だってさ。 真柚が引きとめようとしたら、『触るなよ!!』とか『重い』とか。 いっつも『真柚は特別』とか『真柚だけだよ』とか言ってたのは博士君だったのに!」 菜摘が声を荒げる。 守哉はその一言を聞いた瞬間、頭の中でごちゃごちゃとしていた物が、一瞬で整然と形を成したのを感じた。 『資料室』―― 『新聞部』―― 『カッターの刃』―― そして『真柚だけ』―― 「そっくり、でしょ」 黙り込んでいた千代が口を開く。 「私たちの周りで色々な事が起きるたびに、ものすごい既視感を感じてね。もしかしたら、一年前と結末まで同じになるんじゃないか、 なんて馬鹿みたいなことも考えたりね」 「――結末?」守哉が反芻する。 ふう、と菜摘がため息をついた。 「美茄に手紙を渡されたとき、確かに真柚は『菜摘と千代がいるから、博士くんも居るから』 って、私達優先みたいな事を言ってたし、本当にそうだった。 でも……やっぱり、博士く……西村に支えられてた部分が多かった。 友達に裏切られて、――それに、小さい頃から真柚の家って色々あったみたいで。 誰から聞いたんだか、西村は、真柚が私達にまで隠してた、脆い部分を見つけて、「僕が居るから」……って。 だから、たぶん真柚は、その時私達よりも、西村に心を許してたと思う……」 いつの間にか、呼び方が「博士くん」から「西村」に変わっている。 「だから……それからの真柚は本当に酷かった。 美茄に裏切られた時もかなりショックを受けてたけど、でも西村の時は―― 本当に、全てを『理解』してくれていた人に裏切られたから……。 最初のうちは、私達に心配かけまいと平気な振りしてたけど、 そのうち、糸が切れたみたいに泣き出してね……。 真柚が泣いた所なんて一度も見たことなかったから、少し驚いたけど、見てるこっちが痛々しくなるぐらい辛そうな顔してたから。 このまま我慢してたら、そのうち、お……」 ごくり、と菜摘がつばを飲み込む音が聞こえた。 「おかしくなっちゃうんじゃないか、って、思ってたから、とりあえず安心したけど」 「その次の日、三人で学校に行ったら、新聞部が号外を配ってた。 何があったのかな、って思って号外を見たら、 美茄が、自殺した、って……」 その場の空気が凍りついたのを、守哉は確かに肌で感じ取った。 「手首を、切ったって。――『カッターで』。 美茄の両親は共働きで、その時二人とも出張してて。 死んでから何日も経った頃に、無断欠席を心配した、新聞部の友達が見つけたんだって。 その時の号外が――はい」 菜摘がスカートのポケットから、藁半紙を取り出した。 『北岡美茄さん 自殺 二月二十日木曜日、北岡美茄さん(一年二組)が死んでいるのが、彼女の自宅で発見された。 発見したのは、我が部の女子部員で、四日間にわたる無断欠席を心配して、との事だ。 彼女の両親は、二人とも先週の日曜日から一週間の出張で不在だったために、これほど発見が遅れたらしい。 以下が、彼女の遺書の内容である。 『これを読んでいる貴方へ 貴方が私の両親では無い事を祈ります。 その為に親が出張しているときを選んだのですから。 きっとユウ(発見した女子部員の事であろう)か誰かが、無断欠席を心配して、私と、この遺書を見つけ、そしてこれを記事にしてくれる事を祈ります。 世間体ばかり気にする両親では、 『これが他所の人間に知られるような事があっては、家の名に傷が付く』とでも考えて、この手紙を捨ててしまいそうな気がするので。 何故私がこのような事をしたか、と言いますと、耐え切れなくなった、からです。 浜中真柚さんの知り合いならば、近頃の落ち込み振りを知っているでしょう。 そして不思議にも思っているかもしれません。 実は、まだ新聞部にすら知られていませんが、浜中さんと西村博士くんは、一週間ほど前に別れたのです。 それに至る経緯を、今からここに書きます。 ちょうど五、六週間ほど前、西村君に告白されて、二人は付き合い始めました。 例によって新聞部が騒ぎ立て、それと同時に私は真柚に対して激しい憎悪を抱きました。 私は、西村君のことが好きだったのです。 私はあろう事か暴言ばかり並べた手紙を書き、そしてカッターの刃も一緒にいれた封筒を真柚に渡しました。 次の日彼女が学校を休んでも心が痛みませんでした。 結局、真柚たちは私達を責める事も無く、三週間が過ぎました。 そんな時、西村君から声をかけられました。 『俺と付き合わないか』と言ってきたのです。 』 守哉は息を呑んだ。 千代はその様子と守哉の目線の先を照らし合わせ、呆れたように溜息をついた。 『あれ以来良心など忘れ去っていた私は、西村君が真柚から私に心変わりした、 と言う事が嬉しくて、すぐに受け入れました。 それから一週間後、西村君に『浜中と別れた』と告げられました。 『アイツ、俺にマジで縋ってきてやんの』と笑いながら告げられ、その時は私も笑って返しましたが、 翌日、真柚の悲痛な表情を見た瞬間。私の中で何かがあふれ出しました。 背徳、でした。 それから一週間、悩みに悩んで私はこうする事を選びました。 こうする事で誰かの傷が癒えるとは思えませんが、少なくとも、私の気が晴れるのです。 真柚、菜摘、千代、ごめんなさい。 許して欲しいとは言いません。一生許さなくてもかまいません。 私と、西村君を、一生恨み続けてもかまいません。 私は、羨ましかったのかもしれません。 顔も、スタイルも、頭脳も、運動神経も。 人が欲しがるものを全て持っていた真柚が。 西村 美茄』 形容しがたい気分で藁半紙を守哉は折りたたんだ。 千代がそれを受け取る。藁半紙を眺めながら痛々しい笑顔を浮かべた。 「……馬鹿馬鹿しいと思わない? こんな事で……人の心も、関係も何もかもボロボロにして……。 こんなことで……真柚が辛い思いをして……」 「じゃあ、二人は北岡とやらの言う通り、恨み続けてるわけだな?」 言ったすぐ後、少し言い方がきつかったかな、と守哉は少し後悔した。 二人は目を見合わせ、そのまま、目を伏せた。 「――分からない」 暫く全員がそのまま沈黙したが、やがて菜摘が口を開いた。 「そういえば……今日って、 二月二十日だよね?」 やけに広く感じる教室全体を、緊張、それだけが支配した。 全員の頭の中に、同じものが思い浮かべられる。 『二月二十日木曜日、北岡美茄さん(一年二組)が死んでいるのが、彼女の自宅で発見された』 それを真っ先に否定したのは、 「まさか」守哉だった。 「だいいち、今追い詰められているような奴が何処に居るんだよ? ……浜中以外で」 「……居ない」と言いながら、菜摘が携帯電話を取り出した。 静かな教室の中では、コール音が守哉の耳にも届いた。 彼は手持ち無沙汰で、意味も無くコール音を数えていた。 十一回のコール音の後、 『もしもし?』真柚の声が聞こえた。 「真柚?」 『うん』少し鼻声になっている。 「大丈夫?」 『大丈夫だったら休みませんよ』 ダルそうだが、冗談を言う時のような、大げさな口調からすれば精神的には大丈夫らしい。 「どうしたの?昼に電話しても出なかったじゃない?」 菜摘の電話を奪い取って千代が訊いた。 『あ、千代も居るんだ?いやあのね、今日休んだのは、三崎某と顔合わせづらかったからなんだけど……。 やけにくしゃみが出るし、もしかしたら、と思って熱測ったら三十八度ぐらいあってね。 どうやら風邪ひいてたみたいなんですよ。明後日には直して学校行くと思うから。 電話に出れなかったのは、たぶん寝てたからだと思う」 「そう……」 『何があったのか、訊かないの?』 「え?」 『三崎某と顔合わせづらい、って私が言ったのに』 「風邪ひいてるみたいだから。明後日になったら訊く」 『そりゃそうか』少し笑みを含んだ声になったのが分かった。 「じゃ、切るね。ご飯ちゃんと食べてる?お見舞い行こうか?」 『大丈夫、ちゃんと食べてるから』 「そう……じゃあね」 『うん。じゃあね』 ブツッという音がした。 千代が携帯を畳んで菜摘に渡す。 「大丈夫そうだな」と守哉が言うと、菜摘が驚いた顔をした。 慌てて「そりゃ、風邪はひいてたみたいだけど……」と付け足した。 「本当にそう思ったの?」 守哉が小さく頷く。 菜摘が小さく溜息をついた。 「ま、自殺はしないだろうけど、無理して明るく振舞ってる。 心配かけたくないみたいだけど、それが余計に心配させてるんだよね」 妙に言葉に険があるのは、真柚がとりあえずは大丈夫、という事が分かって安心したからのようだ。 それを感じ取った守哉は、うんざりしたように言った。 「……本人に言ってくれよ」 「こりゃ失礼」 「おい、六時までに帰れっつっただろうが」 それまで静かだった教室に、担任の大声が響いて、三人は皆一様に飛び上がった。 改めて見れば、時計は、六時を十分ほど回っていた。 「ま、何も無いと思うよ」 →next chapter... 閉じてお戻りください 第四章 あとがき 何かグダグダで終わりましたが、とりあえず四章終了です。 な、長かった…… ずっとPCに向かっていると、やっぱり小説のクオリティが目に見えて落ちてきますね。 最後のページ、(要するに今のページですが)ヒドいです。 自覚はしていますが、とりあえず夏休みも終わりますし、 更新速度が落ちそうなので、今のうちに。