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人生を改善する言葉

相性が悪いとは、自分らしさや自分の個性が、相手を害してしまう関係を言います。

相手に対する不満は、主義・価値観の押し付けである。

相性の悪い人とは何をやっても上手く行かないものです。

相手の自由を制限したり、圧力をかけたりすると、良い人間関係を築くことはできません。

DMM FX

相手の主義・価値観・存在を認めない主義の人とは和は成立せず、残念ながら戦うしかない。

相手の信じるものや信条の否定は最大の不和となる。

悪事を行って疾しさが発生しない人の更生は不可能です。

悪は自分が生き残ることが善であるので、悪事を行っても疾しさが発生しないのかもしれません。

頭では健康で幸せだ、感謝しなければいけないと分かっていても、心では健康で当たり前だと思い感謝していない人が多い。

あなたが嘘をついているかどうかは、あなたが一番よく知っています。

あなたに逆境の運命を決定したのは神であり、厳粛に受け止めないと、あなたの人生に改善はありません。

あなたの周りには、あなたを愛している人と、あなたが持っているお金を愛している人がいます。

あなたは、あなたの欲望に従って生きるのですか、あなたが遣らなければならないことによって生きますか。

あなたは、死ぬ時に何を思うだろうか、不満・後悔・怒りといった負の感情を以て死んで行くのだろうか、それとも感謝して死んで行くのだろうか。

あなたは、他人の落ち度を見つける人ですか、自分に何か落ち度が無いか見つける人ですか。

あまりの高望みは分不相応であり、希望ではなく無謀となる。

新たに禍(まが)エネルギーを溜めず、溜まっている禍エネルギーは消費するしかない。

ある人は弱者を見て慈悲の心を起こし、ある人は弱者を見て獲物だと思う。

言い訳している間があるのだったら、正したらどうですか。

如何に生きるべきかを悟った頃は、もう人生の大半が過ぎている。

生きている限り危険は続きます。

生きているというのは、生きたいのに生きられない不幸を回避できている幸せな状態なのです。

生き物は、死ぬのが苦しいようにできていて、生きるのは辛いようにできている。

生きる時には生きるが良し、死ぬ時には死ぬが良し。

生きる目的を見失った時は、何の為に生きるかではなく、生きる為に何をするかを考えてみよう。

幾ら隠しても、心の中で思っていることは、外に滲(にじ)み出てくるものです。

幾ら正しい事でも、反感を買うような場合は成功しません。

幾ら努力して改善しても、レッテルにより考慮されない事態は、世間や社会側に問題があります。

いずれ必ず無くなる命だから、生きているこの一瞬一瞬に価値がある。

一見、時間の無駄遣いのようですが、下手な想念をするよりは、座禅のように無念無想で何もしない方が、時間の使い方としては良いのかもしれません。

一日、二十四時間の中で、睡眠の時間以外何をするべきかではなく、約八時間の睡眠も、するべきことの重要な一つである。

一生の間で、誰からも狙われなかったら稀な幸運です。

いつ死んでも良いようにしておくのは、安心して暮らせる一つの方法です。

言った事と行った事に隔たりがあるとトラブルになります。

命の世界とは、食うか食われるか弱肉強食の恐ろしい世界です。

命は、命を食べて命を繋いでいます。

今、死の覚悟が出来ていないということは、死に際で強制的に覚悟させられることになります。

今、どの地位・状態にあるのかというのは大した問題ではなく、上向き(好転)か、下向き(悪化)かの方向性が大切です。

今のところ人間は、自分たちが住む地球を壊す愚かな生き物のように見えます。

今まで他を食べて生きてきたのだから、自分が死ねば他に食べられても道理です。

宇宙から見た地球の夜景は、人間にとっては美しいかもしれないが、まるで、地球が炎症を起こしているように見えます。

宇宙は、時間の経過とともに体積が変化し、体積の変化とともに時間の流れる速さが変化する、ということなのでしょう。

器の欠けている所から水が漏れるように、人の器も欠けていれば器量が小さくなります。

上手く行かない時は、一旦寝て、明日着手すると上手く行くことがあります。

生まれて来たということは、サバイバルゲームに参加したということです。

生まれて来る時も、死に行く時も独りなのだから、この世では独りぼっちにならないように、家族・友人を大切にしましょう。

生まれて来れば必ず死ぬのは誰も疑わないが、死ねば必ず生まれてくるというのは疑っている人はいるのでしょう。

生まれれば死、会えば別れ、得れば失い、一方が生じれば同時に、他方は必ず約束されます。

恨みや憎しみは心の毒であり、いつまでも抱き続けていると、心は病んでしまいます。

恨みや憎しみは、許すことでしか消えません。

憂いの無い人生は幸せな人生です。

憂いの元は自分の禍(まが)事です。

運と因と縁で人生は決まって行くのであって、知恵で人生は決まって行かない。

運命ほど怖いものはありません。

縁というのは、有れば避けても繋がります。

老い先短くなり、虫を殺せなくなる。

多くの人は、仕事で得たお金で家族への愛を実現しているので、他人が自分の為にしてくれている仕事に愛を求めたら、それは自分勝手な心になります。

お金があっても、病弱な人は病気で苦しみ、健康な人であっても、貧困の人はお金で苦しみ、欠点の無い人はおらず、幸せそうに見える人でも、何かで苦しんでいるものです。

お金で贅沢を楽しむ人生より、愛する人と親しみを楽しむ人生の方が幸せ。

お金と信念、お金(生活)のために仕方なく信念を捨てるのか、信念を貫くために仕方なくお金を諦めるのか、どちらを選択しても非難はできません。

お金の貸し借りは、人間関係が壊れやすくなります。

お金の使い道は、健康作りと良い人間関係作りが良い。

お金を使っても、虚しさや儚さは解消しない。

起こってしまったことは神の意向であり、成功しても失敗してもそれは神の意向。

お互い良い面ばかりを見せ合って付き合い始めると、その内、悪い面が見えて来て、「なんだ、こいつは」ということになる。

同じ1時間でも、楽しい時は時間が過ぎるのが速く感じられ、苦しい時は遅く感じられる。

親がいない子が、困った時でも助けを求めないのは、助けが来ないのが分かっているから。

親が故郷であり、生まれた土地は懐かしくは感じますが、暖かく迎えてくれる人がいない場所を故郷と言えるでしょうか。

親の期待は、子の重荷になるということがあります。

親は子に財産を残すより、仕事のノウハウを残す方が子の為になります。

俺の人生は俺しか知らず、奴には奴の人生があり、人間は当然孤独だ。

絵画・彫刻は人間の作品で、野に咲く花・山の端の月は神の作品。

介護ロボットに助けてもらって、孤独極まる。

会社の人間関係で、尊敬できない人や価値観の方向性が逆の人が、自分の上司に就くことは大きな不運です。

家計の支出の中に、交際費というのがありますが、「孤立回避費」や「良好な人間関係維持費」として理解した方が良いのでしょう。

過去に自分を剋した人たちは、自分に克服すべき逆境を与えてくれた人たち。

家族を持つということは、部分的にせよ運命共同体になるということ。

価値観なんてみんな違うので、価値観の相違で意見が分かれたときは、価値観の違いをはっきりさせることが重要。

価値観の違いはあっても、その人の価値観を否定すると関係は壊れる。

価値観を仕分けると、健康健全・収入財産・家族友人・自由地位、とすることができる。

価値観を「力」の観点からまとめると、神力(宗教)・権力(政界)・武力(軍隊)・知力(学界)・財力(財界)・美力(芸術)・数力(人口)、ということになる。

勝ちなのか負けなのかに拘っている人と、福なのか禍なのかに拘っている人とは、生きている精神的世界が違う。

学校でいじめられたら、独りになっても、家に籠ってでも生き延びるのです。

学校で知識を学び、社会で知恵を学ぶ。

学校は、学問を教えるところ、家庭は、処世術を教えるところ、家庭で処世術を教わらなかった子は、学校に適応できず、学問を学ぶどころではないのです。

勝っても負けても、成功であっても失敗であっても、人生は空しくて儚いものなのかもしれません。

心が禍(まが)でどうしようもなくなったら、神直霊神(かみなほひのかみ)、大直霊神(おほなほひのかみ)にお願いしなさい。

神の意向は、人間には計り知ることができない。

体と頭で生きると幸せは感じられず、体と心で生き、体と心のために頭を使おう。

体に垢が溜まるように、心にも垢が溜まるので、体の垢はお風呂(銭湯)で、心の垢は神棚(神社)・仏壇(お寺)で洗いましょう。

体にビタミンなどの栄養が必要なように、心にも「愛」という栄養が必要です。

考え方が間違っていると、いずれ何らかの不具合が発生します。

環境の変化に適応して行かなければならないので、今日の自分が昨日の自分であるはずがない。

感謝しなければならない事を探したら結構あるものです。

肝臓が死の病の時に、腎臓が病でないことを感謝できないが、死の病ではない時は、その他の部分が健康であることに感謝できる。

観葉植物のように花の咲かない人生もある。

危険という不具合から遠ざかることも重要な事です。

気になる事が有るということは、まだ解決できていない問題が有るということです。

逆境での苦心を楽しめたら、逆境は乗り越えられます。

逆境は苦しいが、必ず順境はやって来るので、投げ遣りになってはいけません。

逆境は、耐えられない者にとっては、単に不幸な環境ですが、耐えられる者にとっては、自分を乗り越えるための道場のようなものです。

ギャンブルは娯楽であり、儲けようと考えた時点でアウトです。

競争で競うのは良いが争わない方が良い。

競争に勝つことを人生の目的にすると当然平和は後退し、あまりに平和に傾き過ぎると優れていくことが出来なくなるので、競争と平和のバランスが大切です。

競争に勝っていけば優越感が続きますが、負けた人からの悔しさや恨みが積もって行きます。

今日は明日、今月は来月、今年は来年、現世は来世のために生きる未来志向。

嫌いな仕事は捗らないが、好きな仕事なら捗る。

気力は、必要以上の財産を形成することに使うよりも、仕事の完成度を高めることや人格を磨き上げることに使う方が良いのでしょう。

「偶然」という言葉はありますが、「人間には証明できない、計測できない」だけであって、全てが影響し合って、因果の如く「必然」なのです。

口に出さなくても、心の中で非難攻撃していたら、効果は口に出したのと同じようなものである。

区別に価値観が入ってくると差別となる。

苦しませる苦しみ、苦しませる楽しみ、楽しませる苦しみ、楽しませる楽しみ、どれを選択しますか。

苦しめば禍(まが)のエネルギーが消費され、楽しめば福のエネルギーが消費される。

ゲオルギウは「孤独は死に等しい」と言い、バルザックは「孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない」と言っていることは興味深い。

結婚には、孤独の回避という大きなメリットがある。

結末・結果と言うけれど、考えようによっては単なる通過点でもあるし、それが新たな結果の原因にもなる。

原因を幾ら作っても、縁が無ければ結果しない。

健康であっても、自由があっても、お金があっても、心から笑うことはできず、笑いは人によってもたらされる。

健康長寿は養生摂生で守ろう。

健康長寿を破るは暴飲暴食。

健康を害さないなら、苦労することは人を成長させて良い。

健康を犠牲にして、地位・名誉を求めるのはお勧めできません。

現象を見ていては迷うばかりで、本質を知ってこそ応用が利きます。

恋と怒るは自分の為、愛と叱るはその人の為。

公正な人は形で言えば球体であり、どこから見ても同じです。

行動すれば失敗することもあるが、行動しないということは確実に成功はありません。

幸福の追求よりも不具合の回避を良しとする。

拷問により信条を変えさせるというのが一番酷い。

心の浄化には個人差があり、罪の量が少ない人は短期間でできますが、罪の量が多い人は相当の期間が掛かります。

心の中に何らかの偏見があれば、鏡のような心になれない。

心の平安が褒美であり、名誉を得ればそれを失う。

古書に書かれてある事柄が、今でも通用するのならばそれは真実です。

個人の殺人を罰し、戦争による殺人を罰しないのは、国の都合に因り生じます。

孤独が怖い人は、人を選びお金を騙し取られ、貪欲な人は、お金を選び友を失って行きます。

孤独が好きだからと言って、人間関係を絶つのは良くないし、家族・友人がいるからと言って孤独で無くなるわけでもなく、家族・友人がいながら、自主独立しているのが良いのです。

孤独死とは、あの世へ送ってくれる息子や娘達がいないことを言うのであるならば、この世で迎えてくれる両親や兄姉がいない生は、孤独生と言うべきなのでしょう。

孤独と揉め事、どちらのほうが辛いですか。

孤独には二種類って、「自分というのは一人しかいない」という孤独と、もう一つは「誰とも繋がっていない」という孤独。

孤独は避けるべきものではないが、孤立や独りぼっちは避けるべきものです。

孤独は辛いし人間関係は煩わしいので、付かず離れずが良いかもしれません。

孤独や孤立に辛さや心細さを伴うのは、一人でいるより集団でいる方が安全だという、生物の本能なのだろう。

子どもが遊ぶ事に対して疲れを知らないように、大人は仕事に打ち込まなければいけない。

事を始める時に、終わり方まで見通しが利けば勝てます。

この宇宙は自然にできたのでしょうか、神が作ったのでしょうか。

この世で真実が葬り去られていくのは、神(=真)が自分自身を擦り減らしているからなのかもしれない。

この世に参加したのならば上手く行くが、参加させられたのであれば、上手く行く可能性は小さい。

この世に一人も友達がいなければ、本を通じて偉大な古人を友にすれば良い。

この世のルール、1. 弱肉強食・優勝劣敗 2. 諸法空相・諸行無常 3. 因果応報・自業自得。

怖い事を仕分けると、病気・貧困・怨恨・刑罰、とすることができる。

財産はあの世へ持って行けないが、現世での安心料として少し残すのは良い事なのでしょう。

財産は質素倹約で守ろう。

財産を破るは華美浪費。

細胞が傷付けられるのが続くと癌化するように、人も傷付けられるのが続くと、その人は社会の癌となることがあります。

殺人とは、違う魂の体を破壊する行為である。

左右に価値の高低があるのではなく自分はどちらを志向するかという単なる選択です。

幸せであるより不幸でない方が幸せなのかもしれません。

幸せになることを恐れてはいけないが、そのことで誰かの不幸が伴うならば、恐れるのは当然のことです。

幸せの享受は控え目にしないと妬みがひどくなります。

幸せは良いものですが、強烈な幸せには、背後に強烈な不幸が待ち構えていることが多いことを忘れずに。

幸せや快楽の最大の追及は、むしろ不具合発生の元となる事があるので注意が必要です。

時間を使ってお金を得ることはできますが、お金を使って時間を得ることはできません。(お金より時間のほうが大切)

死期が来たら感謝を以って命をお返ししよう。

死苦とは、この世とお別れしなければならない辛苦。

死自体は不幸な事ではなくて、死に至るまでの苦しみが不幸なのである。

自信が無かったら、自分を信じることはできず、自信は、試行錯誤の長い努力の末に勝ち取るものです。

親しいからといって、親友の心の中に礼儀なく入っていくと、親しい人間関係は壊れます。

失敗すれば嘲笑、成功すれば嫉妬を覚悟しておけば、精神的ダメージは少ない。

慈とは、例えば父が子に遊園地へ連れて行ってあげる与楽、悲とは、例えば母が子の悲しみを聞いてあげる抜苦。

「死」なんかすべての人が経験するのだから何も特別なことではない。

死ぬ時に、果たせなかった使命は降ろせても、償っていない罪は降ろせないのかもしれない。

「死ぬのに、このようなことをしていて良いのか」という事を考えよう。

自分が生きるとは他が死ぬことであり、できるだけ少なく食べて生きる努力をすることが、苦しみを最小限にすることになります。

自分が居なくなってその組織が良くなるのならば、そこを去る方が良い。

自分が楽をすれば、誰かが苦しみます。

自分に都合の良い決定は、誰かの不都合となり、不和・争いが発生します。

「自分にとって害が無い事」これが友人としての絶対条件なのです。

自分にとっては不具合な結果でも、神からすればルール通りに行われた結果である。

自分に非難・攻撃される所が無い人は、他人を非難・攻撃しないものです。

自分の運命は、他人によって決まることが多い。

自分の価値観を相手にも期待するのは、相手に押し付けているのと同じことである。

自分の嫌いな人は悪い人とは限らないし、好きな人は良い人とは限らない。

自分の心の中の悪の芽生えに気を付けて、芽生えた時は早く摘み取ろう。

自分の子といえども、自分の思うようにはならず、まして、他人を自分の思うようにできるはずがない。

自分の事を気に掛けてくれる人が一人もいない、というのは大きな不幸です。

自分の事を見ているようで見ていないのが世間であり、見ていないようで見ているのも世間。

自分の死が決まったら、三途の川を渡る心構えをしましょう。

自分の実態と努力の方向性をはっきりさせよう。

自分の信念に反する勝ち馬に乗ろうとするのは、自分に嘘を付くことになるし、勝ち馬の方は、迷いが出て勝てなくなってしまうかもしれません。

自分の為に生きるより、他人の為に生きる方が幸せである。

自分の中に禍事(まがごと)が見つかるのは幸いであって、禍事だと気付かずにいると、罪の量はどんどん大きくなっていく。

自分の中に間違いは無いか、鏡の如き心を以って発見し、勇気を以って修正することは重要な作業です。

自分の非に気付いたら素直に即改め、場合によっては心を入れ替えましょう。

自分の非を改めるより相手の非を攻める方が効果があるが、和に反する。

自分の本心を知る事と、日常の心構えが大切です。

自分の禍事(まがごと)には気付きにくい。

自分の優越感よりも、良好な人間関係の方が大切である。

自分の欲望を制御できない人は、ブレーキが壊れた自動車に乗っているようなものです。

自分の来世は神仏が決めることだが、神仏はその人の前世の行いを基に決定するだろうから、結局、自分の来世は自分が決めると言ってよい。

自分は何を欲しているかに気付いたら、「欲している自分」と「欲している自分に気付いた自分」がいる事に気付く。

自分一人では気付かないことでも、相手がいれば気付くこともある。

自分を歓迎していない組織に、いつまでも居るものではない。

社会から脱落していても、積極的に社会の足を引っ張らなければ、反社会的ではない。

社会からではなく、自分自身から非難されないように生きよう。

社会貢献を生甲斐としよう。

社会に適応できないでいると、所属や存在が危うくなって、学校での勉強や会社での仕事どころではなくなり、引き籠りとなるので、勉強や仕事の前に処世術の習得が必要です。

社会に認められようと思って努力するのではなく、自分の探求心を以て努力しましょう。

社会は、要領の良い詰まらない者が活躍し、要領の悪い優秀な者が活躍できないという状況に陥りやすい。

社会や世の中に対する基礎的な怒りが、反社会性である。

邪気は、静かに忍び寄って来るので気付きにくい。

「弱肉強食」は、「食物連鎖」となって「因果応報」に矛盾しない。

弱肉強食・優勝劣敗・適生淘汰、生物界のルールは真に厳しい。

捨無量心とは、執着・拘り・差別を捨てること。

自由名誉は遵法洗心で守ろう。

自由名誉を破るは違法罪過。

自由を私たちは当たり前のように享受していますが、国から罪を犯さない人に与えられている褒美なのです。

儒教の要点 = 仁義礼智信忠孝悌和勇。

生涯を通して、自分の仕事の完成度を高めていける人生は幸せです。

状況に応じて自分が変化して行くことが、処世の根本である。

常識では普通、1日、1月、1年、100年、で時間を見ますが、マックス宇宙年、つまり、ビッグバンからビッグクランチと、ビッグクランチからビッグバンまでの一往復のスパンで見てみるのも面白いですよ。

上司に憂いを隠し従う部下は良い部下とは言えず、憂いを提言し決断を仰ぐ部下は良い部下です。

冗談には誰も傷付けないという高等な技術が必要です。

食欲・排泄欲・睡眠欲・性欲に関することは、社会的には価値観は低いが、生きて行く上では最高の価値観である。

食糧が無いのは体の飢え、愛が無いのは心の飢え。

書物で過去の人たちと出会うということは、現在の人口ではなく、歴史の延べ人口を対象とするということです。

真実とは、例えば般若心経の「空」のように時代や場所が変わっても変化しない価値観のこと。

真実は当事者しか知らず、第三者は「誰を信じるか」という事しかできない。

神社やお寺で心を洗い、人生を楽しみ、お迎えが来たら有り難く受け入れよう。

寝食を忘れてまで没頭できる仕事をしている人は、この上なく幸せです。

心身共に健康に生まれて、心身共に苦痛なく死ねたら、この上ない幸せだろう。

人生、深刻な不具合が無ければ、良しとしなければならない。

人生では、お金儲けは必要最低限にして、人格を磨くことに重きを置いた方が良いのだろう。

人生は思うようにならないのが普通である。

人生は事を成し遂げるには短く、何も成し遂げないには長過ぎる。

神道の清明正直、仏教の不殺盗淫妄、儒教の忠孝悌和勇 この13項目だけでも心掛けておけば、人生での間違いはほとんど無く、すばらしい人生になるのではないでしょうか。

神道の要点 = 禊ぎ・祓え、清明正直、一霊四魂、禍事・罪・穢れ、疾しさ・煩わしさ。

心配事があると、それに気が取られて他のことが手に付きかないので、心配事の解決が先です。

信用が集まり始めたら、もう信用を失うような軽はずみな言動は、一回でもできなくなる。

人類が滅んでお札が風に舞っている地球、経済が破綻して人々が狼狽えている姿、後者なら遣り直しが効きます。

人類は、欲望の赴くままに突っ走っているが、「足る」を知らないと、大変な事になるのかもしれない。

過ぎた日々は帰って来ず、死んだ人にはもう会えない。

少なくとも、罪や禍のエネルギーが残っていれば、安楽国での安住はできないと思われる。

少なくとも、何らかの攻撃をすれば、それは友人ではなくなる。

少なく欲(希望)を持って、幸せを失うことになった時は「今まで有り難う」の感謝。

優れて行くことは自ずと優先される。

ストレスは人間関係の歪であり、ストレスが溜まって限界を超えた時に、事件や事故が起こるのでしょう。

誠意ある者は、押し並べて要領が悪く、要領よく生きている人たちに、世の中の主導言を握られている。

生が楽しければ死は苦しみであり、生が苦しければ死を以て楽となる。

精神的な幸せとは、1.未来において不安・心配・憂いの無い事、2.現在においてトラブルの無い事、3.過去において怨恨・わだかまりの無い事である。

生存競争が人生の厳しさの根源です。

生物としての幸せは、生き残るという点で同じであっても、人間としての幸せは、名誉であったり、家族であったり、お金であったり、それぞれ違う。

生物の基本的行動は、食事・排泄・睡眠・生殖である。

生物には生きていたいという欲望が備わっているので、最低限、生きていたい苦悩から解放されることはありません。

生物は他の生物を食べて自分の命を繋いでいるのですから、残念なことですが、全ての生物が幸せになる方法というのは実際ありません。

戦争はしてはいけないものだが、勝てる戦争もしてはいけないと思っている人は、どれくらいいるのだろうか。

善は、悪の精神を破壊できない時、悪の肉体を破壊し、悪は、善の精神を破壊できない時、善の肉体を破壊する。

相生(そうじょう)なら二人が良いが、相剋なら独りぼっちの方がマシ。

外に対しては競争、内に対しては慈悲、みんな競争と愛の間で悩み苦しんでいる。

太陽の光は悪の上にも降り注ぎ、悪を滅ぼすは神になく人にあり。

正しい事でも、誤解される恐れがある時は慎重に対処しないといけません。

例え、親がどうしようもない人でも、孝行をしなければ、自分がどうしようもない親不孝者になってしまいますよ。

他人を害するのは、将来、恨みを晴らされる可能性が高いので得策ではない。

「他の死の上に自の生を築いてはいけない」というのは、他の命を食べて自分の命を繫いでいくしかない生物としてはできない相談であるが、人間は、欲望の赴くままに、自然界から命を搾取しても良いのだろうか。

「誰かが自分を殺さないから自分は生きていられる」なんて考えていると、全てに感謝できるかもしれませんよ。

誰かを非難する心が起こったら、それは自分に何らかの非があることを示している。

誰でも、いつ、どこで、どのように死ぬか分からないという不安を抱えて生きている。

誰でも生まれてくる時は「自分らしさ」を持って生まれて来るが、俗世ではそれを見失うので、再び「自分らしさ」を取り戻すために、孤独の環境で自分探しを始めなければならない。

誰でも孤独だけれども、家族・友人・パートナーがいれば、独りぼっちは回避できる。

誰でも最期は、自分の命を諦めなければならない。

誰でもその人なりの価値観を持っていて、自分の価値観が優れているからといって、相手に押し付けるのは不和の元になります。

誰でも知足(満足)と感謝で幸せになれる。

誰でも一人で生まれて来て一人で死んで行くのだが、生きている間、どれだけの人と、どれだけ良い人間関係が築けたかというところに価値がある。

誰でも独りで死に、独りで三途の川を渡り、独りで審判を受け、独りで来世へ行く。

誰とも繋がっていない人というのは、誰にも見てもらえないホームページのようなものです。

地球上に、偏って多過ぎる人口の命を賄うため、自然界の他の種の生命は悲鳴を上げている。

地球上の人間以外の生物の共通の敵は人間。

長所を個性と認識して、短所を個性と認識しないのは道理に合いません。

貯蓄は良いことですが、良からぬことで手に入れたお金で貯蓄すると、同時に、禍(まが)のエネルギーも溜めてしまうことになります。

罪になるかどうかではなく、禍(まが)になるかどうかで判断する。

強いからといって喧嘩(戦争)を仕掛けてはいけないが、喧嘩(戦争)を仕掛けられても、負けないだけの実力は常に養っておかねばならない。

辛い正体は、人生は、寂しく心細く空しく儚いから。

ツルゲーネフは「愛は死よりも強くそして死の恐怖より強い」と言い、小プリニウスは「恐怖は愛より強き感情なり」と言っていることは興味深い。

敵から奪い、愛する者に与えるのが自然界の姿である。

適者生存・弱肉強食・優勝劣敗は生物の最も基本的なルールです。

出来る事をするより、遣るべき事をしないのですか。

出来るだけの事をして結果が悪かっても、それはそれで神の決定であり、悔やむべきことではない。

天が与えた運命に満足するのが、一番労少なく、失うものも少ない。

天が自分に逆境を与えたら、自分を磨いて跳ね返すしかない。

どうしても手に入れたい大切な物事を得るということは、もう一方で、大切な何かを失うことになる。

どうしようもない事と切りのない事には、携わらない方が良い。

どうしようもない事を悩んではいけない。

どうやら、誰でもみんな、自分が生きている意味を見出すことが出来ずに悩んでいるようだ。

得意な事は自信を持って行い、しかし謙虚な心を忘れずに。

独寂多煩 = 独りで居ると寂しいが、多数で居ると煩わしい事が多いものだ。

徳を積んで地位や名声を得ても、失うのではないかという憂いが生じる。

友達作りは自由と平等から。

友達に不満を感じていたり、欠点を心に留めたりしていては、関係は長続きしない。

友達や恋人は、ホームページで言えば、お気に入りと同じことです。

トラブル・事件・事故はある日突然やって来るので、日々、自分の思考の修正と人間関係の修復を怠らないようにしよう。

努力の成果が気になるようなら奉仕とは言えない。

何が有り難いかって、「体の健やか」と「心の安らか」ほど有り難いものはない。

何か不具合が起こっても、自分に非が無ければ引きずらないが、自分に何らかの非があれば後悔がつきまとう。

何か問題を内包すると、心に漠然とした不安が起こるので、それが何であるかを突き止めるのが先です。

何かを主張するときは、必ずその主張によって害を被る人が発生するが、その事も踏まえての主張ならば止むを得ないでしょう。

何事もシンプルなのが良いが、特にシンプルな人間関係はメリットが大きい。

何も持たずに生まれて来たのだから、死ぬ時は、この世で得たものは全て、この世へ返しても良いのではないでしょうか。

何も持っていなくてもネガティブになる必要はなく、お金も名誉も家族もある人の方が失うものは多い。

何の不具合が無い人でも、孤独を感じて暮らしている人は多いものです。

何らかの深刻な不具合が有るか無いかは、人生に大きく影響するのですが、それがあった時に、投げ遣りになるかならないかもその人の人生に大きく影響します。

何を思考するかは、霊魂が源です。

名を残すことができなくても、良い仕事を残せば良い。

人間ができることは努力、その努力の結果を決めるのが神。

人間関係が有るのは賑やかな事だが、危険と柵(しがらみ)を伴い、人間関係が無いのは寂しい事だが、安全と自由を伴う。

人間関係に何か問題が発生した時、問題の原因を相手に求めやすい。

人間関係の悪化は、心ここに在らずとなり事故の元です。

人間関係の悪化は、憎しみや怨恨となり事件の元です。

人間関係の悪化は、ストレスとなり病気の元です。

人間関係は壊れやすいので、細心の注意を払わないといけません。

人間関係や和を優先するのならば、自分を害した相手を許すことです。

人間関係をお金に例えたら、良い人間関係は財産と同じ、悪い人間関係は借金と同じ、孤独は財産も借金も無しと同じ。

人間関係を良くするには相性が大切で和音に例えられ、「ド」の音を出している人は「ミ」や「ソ」の音を出している人と相性が良いのです。

人間、深刻な不具合が無ければ、幸せとした方が良い。

人間短所があれば、どこかに長所があるもので、長所が無いというのは、まだ誰にも発見されていないだけです。

人間には誰にでもトゲがあり、いくら好きな人でも近づき過ぎるとトゲが刺さりますよ。

人間の世界の幸せと不幸のエネルギー量は、全体として半々である可能性は大きい。

人間はいつ死ぬかは分からず、いつ死んでも良いようにしておくのは、安心して暮らせる一つの方法です。

人間は神のアバターゲームなのかもしれない。

人間は最低限、食糧とトイレと寝床があれば生きて行ける。

人間も生物であり、子を残す事も遣るべきことである。

脳や神経系統が無い食虫植物は、どうして動物の存在を知っているのだろうか。

パートナーを「この人はこういう人なんだー」と理解してあげると腹は立ちませんよ。

場所も、地位も、高ければ高いほど危険が増します。

パターン化は効率的だが、生きたものにならない。

刃物で相手を傷付ける人と比べると、言葉で相手を傷付ける人の何と多いことか。

「晴」運動会には良い天気、「雨」花壇の花たちには良い天気。

繁栄しようと思えば競争するしかない。

犯罪の多くは、それが幸せであると錯覚している。

パンデミックや世界大戦は、神による人の数の調整なのかもしれない。

般若心経の「空」について近い言葉は、1.諸行無常 2.輪廻転生 3.千変万化 4.万物は流転する 5.この世に変化しないものは一つもない、ということ。

低すぎる自己評価と高慢は、どちらも自分を正しく見ていないということ。

ビックバンは神で全てがエネルギーで、ビッグクランチは仏で全てが物質という可能性ってあるのだろうか。

必要最小限というのが、全体としては一番無駄が無い。

人にはそれぞれ人生のテーマがあり、自分の人生のテーマは何か、明確に認識しよう。

人の生きる目的は、生物として「生き残ること」と人間としての「幸せ」である。

人は、一部の不具合の辛苦が勝ってしまうために、ほとんどの項目で不具合を免れていることを感謝出来ないでいる。

人は九つの幸福があっても、一つ不幸があればその不幸に囚われる。

人は自分の為だけに生きていると、幸せになれない(心が満たされない)事にやがて気付き、他者の為に生きる事を始める。

人は前世で償っていない罪を償うために現世に生まれて来たものと思われる。

人は誰かと何かを共有することで孤独でなくなるが、その最たるものは感情の共有だろう。

人が悩むのは自分に何らかの非があるからです。

人は独りで生まれて独りで死ぬので、せめて生きている間は、良い人間関係を築いて独りぼっちを避けたい。

人前でも、あるがままの自分でいられる人は素晴らしい。

一人で宴会はできない。

独りになった時、誰でも神と対話する。

独りぼっちは人間関係のトラブルは無いが幸せも無い。

避難・攻撃はもちろんの事だが、不満を持っていても不和となる。

日々、言動に反省があれば向上していく。

日々、心を正せば言動は良くなって行く。

病院に入院して、一番辛いのは病苦、二番目は孤独。

病気の原因は不摂生、貧賎の原因は華美浪費、トラブルの原因は不和、刑罰の原因は違法。

標準的な普通の人生を生きなくて良い、自分らしい自分だけの特別な人生を生きるのが良い。

不運や理不尽が神の意向なら諦めるしかない。

布教活動など、宗教と言えども、生存競争は例外ではない。

不具合以外は全て良い具合、不具合は一部、その他のほとんどは具合の良いところばかりである。

不具合が有るということは、改善の余地が有るということです。

不具合が無いというのは進歩が無いということですが、不具合を乗り越えた後の不具合の無い状態というのは、実に有り難いものである。

不具合・苦しみ伴わずして禍エネルギーの消費は無い。(不具合を以て罪の償いとなる)

不具合の原因の気付き・反省・改革で物事は良くなっていく。

不具合の原因は、1.不運不適 2.弱劣 3.狙罠 4.禍過。

不具合の原因を一言で表せば「禍事(まがごと)」になります。

不具合は、因果応報か弱肉劣敗のどちらかで起こる。

不幸が当たり前の人にとって、幸せというのは、居心地が悪いものであり、幸せが当たり前の人にとって、不幸は、異常な状態です。

不幸に慣れてしまった人が幸せになるには、勇気が必要である。

不幸は、辛く苦しく嫌なものだが、幸せにも、切なさやいつかこの幸せが壊れるのではないかという不安感が伴う。

不思議な一致: 愛と合い、恋と請い、楽と落、仏と物、雷と神鳴り、鏡と神我見。

不足ばかりを数えていたら好運が逃げて行く。

仏教では、苦しみは執着から生まれるというが、生物、最期は生への執着を捨てなければならない。

仏教の五戒は、邪な殺し、邪な盗み、邪な性、邪な嘘、邪な酒(薬)を戒めていると解します。

仏教の要点 = 執着、煩悩、因果応報、諸行無常、輪廻転生、四苦八苦、五悪(殺盗淫妄酒)、三毒(貪瞋痴)、四無量心(慈悲喜捨)、八正道、自灯明・法灯明。

物理学にエネルギーの保存の法則があるように、罪と罰の世界にもある。

不仲だと、楽しい音楽も雑音になり、美味しい食事も喉が通らない。

不和と滞りが無く、事が進むように配慮する。

分相応が一番幸せであり、分を超えると不具合が発生する。

平和親愛は以和為貴で守ろう。

平和親愛を破るは不和都合。

平和と良い人間関係は同義語である。

部屋や人間関係、何事も清潔なのが良い。

部屋を整理整頓、人間関係も整理整頓。

勉強は学生の時だけするものではなく、むしろ、社会に出てからの勉強の方が大切である。

欲しい時にチャンスはやって来ず、チャンスを生かすとは、ただひたすら待機して見逃さないことである。

滅びるのも神の意向。

本物は、自ら本物であることを証明したりはしないで、周りが証明してくれる。

禍(まが)エネルギーは諸々の不具合の根源である。

禍(まが)を為せば、為した人に禍のエネルギーが蓄積して行きます。

貧しい人たちは、生きる為に何をするかを考えていて、裕福な人たちは、何の為に生きているのかを考えている。

まずは生き残ることだけを考え、次に、人間として生まれたのだから、正義や善行を考えたら良いのではないでしょうか。

まずは不具合が無かったら善しとしなければならない。

間違った世の中を変えようとする事は、山を動かそうとする事に似ています。

学ぼうと思えば犬からでも学べるし、自然からは学べるところが多い。

迷いの世界で苦しむ量と、悟りを開く修行の苦しさの量は同じなのかもしれません。

見えないから何もないのではなく、隠や闇には何があるか分からない。

磨いてきた自分も時間が経てばまた曇るので、磨き続けることが大切です。

「味方を作る」より「敵を作らない」、「勝つ」より「負けない」、「幸せ」より「不幸でない」方が、うまく行くのかもしれない。

水は、器に合わせてどのような形にもなり、液体にも固体にも気体にもなるし、川を上から下へ流れ、蒸発して下から上へと昇っていく。

未来志向とは、与えられた使命を果たしていくこと。

未来は既に決まっていて、今はまだ分からないだけだ。

みんな同じように分配すれば平和となり、能力に応じて分配すれば繁栄となる。

みんな孤独だからこそ、同じ場所、同じ時に、同じ体験をすることが素晴らしいのです。

無(=プラマイゼロ)と空(くう)がこの世の本質である。

無病息災、平穏無事が何よりですよ。

無病息災、平穏無事に幸せを感じることができる人は幸福。

無理に死を選ぶのはいけないが、死期が来たら命にしがみ付かないほうが良い。

名誉は、狙って手に入るものではなく、ただ、日々の仕事を通して社会に貢献していると、予期せず向こうからやって来るものです。

名言は、豊富な人生経験が無いと、真実かどうか判別できない。

目の前で謝らなくても良く、夜一人になった時に、その人がいる方へ向かって、心の底から「ごめんなさい」を吐いて謝ればどうでしょうか。

「忘己利他」と「生存競争」は相容れない。

「忘己利他」はなかなか出来るものではないが、「自利利他」なら出来る。

「忘己利他」は人間に限らず、高等動物が、自分の子に危険が迫った時に、親は自分に危険を引き寄せて子を守るということをやっているのも「忘己利他」である。

「忘己利他」は人間の精神活動の極みなのだが、貪欲な人たちの欲は底無しなので、際限の無い愛を以てしても、彼らの心を満たすことが出来るのかどうかは微妙なところである。

物事が裏目に出れば、良かれと思ってやったことの結果が悪くなる。

物事は気が付いた時にやっておかないと、出来なくなってしまうことがある。

物事は言動よりも思考、思考よりも、霊魂に根源を求める。

物事は満ちたら欠けて行くように出来ている。

問題の根本が解決していないと、短期的に免れたように見えても、いずれ形を変えて同じような事が起こる。

易しい人生は無難だが、困難な人生には遣り甲斐がある。

遣るべき事は、1.生存、2.罪の償い、3.不具合の回避、4.自己の完成、である。

有意義な時間の使い方には二つの考え方があり、一つは最も効率よく時間を使うこと、もう一つは思いっきり贅沢に時間を使うことだ。

優越幸より和安幸 = 老後までは、優越感の幸せを求めても仕方がないが、老後は、優越感より和による安心感の幸せのほうが良い。

勇気と無謀は紙一重です。

友人には気を遣わせるようなことを言わないほうが良い。

友人の欠点は気に留めないようにするのが良い。

欲が無いのは良く無いのかもしれない。

欲望に従わず、道理に従う。

欲望は自分を高め、生きる力を与えてくれる目標でもあります。

邪(よこしま)な殺生は最大の禍事です。

世の中全体が前進しているので、停止は現状維持ではなく後退になる。

世の中の為にならない活動が、社会に受け入れられるはずがない。

世の中は常に移り変わっているので、固定観念や常識は時間の経過とともに問題を引き起こし、定期的に固定観念や常識に間違いはないかの点検が必要である。

予防の為の不安なのか、考えても仕方がない不安なのかを見分けよう。

ラジオは良いが、テレビは入眠を悪くする。

利害関係は、議論により妥協を結果しなければ、問答無用となりいずれ暴力が起こる。

理不尽な事が起こった時と、真実が闇に葬り去られた時に、多くの人は怒りや悲しみを感じる。

「ルールを守らない迷惑な人を排除する」と「嫌いな奴を仲間外しにする」の境目が微妙です。

霊魂・思考・言動の浄化が重要である。

我が子であっても、自分の意に沿う人物になるとは限らない。

わがままな人にとって重要な事は、真実かどうかではなく、言うことを聞いてくれるかどうかである。

「私は正しい」と主張することは、「あなたは間違っている」と言っているようなもので、不和となるのは当然のことです。

人生改善する言葉
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