Deep Sea/Text






ラリー




『あれ、そこにいるの、もしかして手塚?何してんの、こんなとこで』

翌日に中間テストを控えた日曜の午後、誰も居無いはずのテニスコートにひとりぽつんと立っていた人影は、フェンス越しに名前を呼ばれて、ゆっくりと振り向いた。

『・・・不二か。別に。少し、腕を慣らそうと思っただけだ』
『ああ、なるほどね』

よく見れば、制服姿ではあるけれど、左手にラケットを持っている。
手塚は去年の秋に肘を痛めて、それ以来ずっと治療とリハビリを続けている。部全体の志気に関わるという理由もあって、怪我の事は部員には伏せられていた。知っているのは竜崎顧問、大石、乾、そして不二、の4人だけだ。もっともそれらしい噂はすでに内外にちらほらと流れてはいたが、表面上は怪我などしていない風を装って、練習をしている。
だからわざわざ、人気のないこの日にテニスコートに来たのだろう。

『君、本当にテニスが好きだね』
『・・・お前こそ、何してるんだ』
『あ、僕?それが、数学の教科書、教室に忘れて帰っちゃってさー』
『お前・・・数学の試験は明日だぞ』
『そうだっけ。てゆうかさ、僕、範囲もよく知らないんだよね。手塚、知ってる?』

呆れた、と言わんばかりに無愛想な顔をことさらに険しくして、それでも手塚は数学の範囲を教えてやった。不二は小首をかしげてありがと、と礼を言った。内心、
(範囲は暗記しないよな、フツー・・・)
と苦笑いしたが、顔には出さず、いつもの笑顔を作った。でも手塚らしい、と思った。

『あ、ねえ、どうせ肩ならしするんだったらさ、僕と軽くラリーでもしようよ』
『・・・』
『壁を相手にするよりマシだろ?じゃ、ラケット取ってくる』

返事など待つつもりも無いらしく、スタスタと部室へ歩き出した不二の後ろ姿を見て、手塚は小さくため息をついた。


『あー楽しい。やっぱテニスって楽しいよね。休み中で久しぶりだから、余計にそう思うのかな』
『大袈裟だな』
『うん、まあそうだね、誰かさんが部長になってから、テスト休みが3日しかないからね』
『・・・』

手塚は憮然とした表情で、黙々とボールを打ち返してくる。こんな遊びみたいなラリーでも、手塚の目は真剣だ。フォームも目を見張る程美しい。テニスコートにいる彼はーまあ、どこにいたってわりとそうなんだけれどーどこか近付き難いような、それでいて引き付けられずにはいられない空気を纏っているように感じられる。
だからこそ、何かと言うとすぐグラウンドを走らせ、あまつさえテスト休みを削るようなこの鬼のような部長に、みんな黙って・・・むしろ喜々として、ついていくのだろう。多分自分もその1人だ、と不二は思った。

『ウチの部員が追試で練習に出られなくなったら、君の責任だよ』
『追試で練習を休むやつは、即刻レギュラーをおろすからな』
『ハハ、それじゃ英二や桃が心配だ』

他愛ない話を続けながらも、そこは青学テニス部ナンバー1、2のふたりで、ボールの行き来はまったく途切れることがない。ボールが跳ねる乾いた音が、晴れた空に高く、響く。

『ねえ手塚、ラリーじゃなくてさ、普通に打たない?最近、君との試合って、やってないし』
『・・・だめだ。まだ、無理をするなと先生に言われてる』
『別に無理なんかしなくてもいいよ、普通に』
『お前と打って、無理をしないというのはそれこそ無理だ』
『それって褒め言葉ってとっていい?』
『・・・』
『じゃあ無理しない程度に打って、僕に勝たせてよ。そうだね、なんか賭けるのもいいよね』
『・・・馬鹿なことを。駄目だ』

やれやれと苦笑しつつ、でも手塚に認められていると言うのは悪い気分ではない。ここは素直に喜んでおくのがいいかもしれない。

午後の日ざしの下で、ふたりはさらにラリーを続けた。不二は、なかなかいい気分だ、と思った。シャツはすでに汗で濡れて体にはりついていたが、それすらも不快に感じない程に。

しかし、相変わらず真剣な面持ちでボールを打っている手塚を見ているうちに、ふと不二の悪癖が頭をもたげた。なにやら無性に手塚をからかってやりたい気分になったのだ。その顔に浮かんだ、彼特有の『何か企んでいる笑顔』に、手塚は全く気付く様子がない。

『手塚』
『なんだ』
『ね、僕とやろうよ。最後にやったのいつだっけ?もう結構前じゃない』
『同じことを何度も言わせるな』
『ア、そうじゃなくて』
『え?』
『だからさ・・・テニスの話でなくて』
『・・・・・・・・・!!』

ガシャン、と大きな金属音がコートに響いた。
ラケットをすり抜けて後ろのフェンスにあたったボールはころころと転がり、やがてとまった。手塚は、たった今ボールが跳ねた場所を見つめたまま、微動だにせず固まっている。

『ハハ、僕の勝ちだねー』
『・・・』
『どうしたの?手塚。固まっちゃって』
『・・・』
『耳、まっかだよ』
『・・・・・・!』

無言のまま踵を返してボールを拾いに行く手塚の背中に向かって、笑いを含んだ不二の声がさらに投げ付けられた。

『でも、まさか君に一発で通じるとは思わなかったなあ。ちょっと驚いちゃった、うん、驚き』
『・・・』

こちらに背を向けたまま、手塚はしゃがんでボールを拾った。
不二は、ゆっくりとネットの側に歩み寄る。

『ねえ、珍しく僕が勝ったんだからさ、何かくれない?さっき、賭けようって、言ったよね』
『・・・』
『手塚』
『・・・』
『手塚ってば』
『・・・一体、何が、欲しいんだ』

やっとこちらに向いた手塚の顔と声は、不二の予想通りひどく怒っていた。でも、耳はまだ赤いし、目にはいつもの鋭さがない。さらに、じっとその顔を見つめると、ほんの少しだけ手塚の目線が泳いだ。
笑い出したい気持ちをなんとか押さえ付けて、不二は答えた。

『そうだねー・・・今手塚が考えたこと、とか?』
『!!』

バシッという鋭い音とともに正確に顔面めがけて打たれたボールを、不二はラケットでさらりとかわして、駄目押しのように、言った。
『ね、手塚もそれならいいでしょ』

『・・・・・・俺は、もう帰る』
『えー?ゴホウビは?』
『知るか!とにかく、俺は帰る!お前も早く帰って、数学やれ!』

テニスコートの傍らに置いてあった荷物を拾い上げ、逃げるように走り去った手塚の長身を見送って、不二は今度こそ声に出して、笑った。
せっかく教えてもらったテストの範囲も、楽しげな笑い声とともに、穏やかな午後のコートに消えていった。


END




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