Deep Sea/Text






その、白い気持ち




 卒業式も終わって数日が過ぎた三月の十四日、世間で言うところのホワイトデーの日、手塚は駅から程近いケーキ屋の前にいた。
 先月の十四日、つまりバレンタインの日にささやかとはいえプレゼントをくれた相手、越前リョーマに何かお返しをしようと思いはしたものの、そういうことに普段慣れてない手塚に気の利いたものが思いつくはずもなかった。それならいっそ本人に欲しいものを聞いた方が早いだろうと、リョーマに電話をして欲しいものを聞いた。

「んー…そういうことなら、プリンがいい」
「…プリン?」
「まさかプリンを知らないとか」
「それくらい知ってる」
「じゃあプリン。あ、コンビニとかスーパーで売ってるやつじゃなくて、ちゃんとケーキ屋とかで売ってるやつね」
「…わかった、プリンだな」
「楽しみにしてるっすよ」

 リョーマの声は明らかに笑いを含んでいたが、とりあえず希望が聞けたのでよしとし、十四日は部活で遅くなるから翌日の土曜日に会うことにして、電話を切った。

 手塚は生まれてこのかたケーキ屋などに足を踏み入れたこともない。少し迷った挙げ句思いきってガラスの瀟洒な扉を開けると、大きなガラスケースの向こうから、女性の店員がいらっしゃいませ、と可愛らしい声をかけてきた。店内にいた若い女性がちらちらとこちらを伺っていて手塚はしばし立ちすくんだが、黙ってガラスケースを覗き込んだ。

(プリン…ってこれか…?)

 カードにプリン、と表示されているそれは生クリームやイチゴで綺麗に飾られていて、手塚が想像していた物とはかけはなれていた。だが、リョーマはわざわざ『ケーキ屋のプリン』と指定してきたのだし…と手塚はそれをじっと見つめたまま、身動きもせずにしばし考え込んだ。その時、背後から誰かが急に声をかけてきた。

「何探してるの」
「いや…プリンを」
「誰かに、プレゼントで?」
「越前に…って、え?」

 自分の世界に入っていた手塚は相手も確認せず思わず返事をしてしまい、我に返って振り返り、声の主を確認してあやうく飛び上がりかけた。
「い…乾!」
「やあ」

 声の主は、乾だった。

「卒業式以来だね」
「あ、ああ。お前、こんなところで何を」
「何をって、俺がケーキ屋にいたら変かな」
「変というか、その」
「俺だってケーキくらい食べるよ」
「そうか」
「ま、もっとも今日は手塚が見えたからさ。珍しいなと思って」
「…」
「ただ、手塚がケースに貼り付いてると営業妨害じゃないかな。他の客が近寄り難い」
「そうか、気をつける」
「別に気をつけなくてもいいけどね…ところで」

 乾は一瞬視線を手塚からガラスケースにうつしたが、再び手塚の顔を見て、聞いた。

「越前にプリンって何?ホワイトデーだから?」
「ち、違う!」

 その声の大きさに店員と他の客が一斉にこちらを見た。女性客がいかにも微笑ましいといった様子で二人を見ていて、手塚は顔が熱くなるのを感じた。もっとも、彼女は「越前」を女生徒だと思っているに違いない。

「そんな大きな声出さなくっても。冗談だよ」
「言っていい冗談と悪い冗談が…」

 手塚の様子を観察しながら、乾は内心「手塚でもこういう事でからかわれると焦るんだな」とかなり失礼な事を考えていたのだが、もちろん手塚にはわからなかった。冷静な乾と反対に、手塚は落ち着かない様子で、さらに聞かれてもいないのにやや弁解がましく言った。

「ちょっと色々あって…。借り、というか…。今日なのは、たまたまだ」
「ふうん。お礼に、ってこと?」
「…そうだ」
「越前ってプリン好きなの?」
「本人に、そう言われたんだ」
「へえ。それは知らなかったな」

 話の方向が少しそれたことに安堵して、手塚は再びガラスケースへ目をやった。

「じゃあそんなにじっと見てないで買えば?」
「それはそうなんだが…でも、本当にこれでいいのかと思って…」
「ああ」

 手塚の言わんとすることを乾は了解したらしかった。

「まあ、確かにプリンのイメージからは離れているかもしれないけど、ここのプリンは厳選した卵が使われていて味も濃厚だし、今苺も旬だから、悪くないんじゃないかな」
「……そ、そうなのか」
「ただ、カラメルが少し甘過ぎるかもしれないな。あとは、向こうの通りにある店のプリンもなかなかおいしい。少し値段が張るのが難点だが」
「詳しいな、乾」

 乾の言ったことの半分も分からない手塚は、ただ心底感心したという顔で、乾を見た。

「ああそうだ、迷ってるなら駅前にプリンの店があるよ。行ってみるかい」
「プリンの店?」
「結構種類もあるし、値段も手ごろだよ」
「…行ってみる」
「じゃ、行こう」

 いつのまにやら乗せられていることに気がつかないまま、手塚は乾と店を出た。駅前ではホワイトデーのため様々な洋菓子屋が臨時で店を出しており、スーツ姿のサラリーマンや学生らしき男性客でそこそこ賑わっていた。それを横目で眺めつつ、二人は目指すプリンの店に辿り着いた。

「これ、みんなプリンなのか」
「そうだよ」
「色々あるんだな…」

 明るく照らされたガラスケースの中には、様々なプリンが所狭しと並べられていた。黒ごま、マンゴーなど、プリンと言えば卵しか知らない手塚は目を見張ってそれらを眺めていた。乾は興味深げにしばらくその様子を観察していたが、やがてひとつのプリンを指差して、言った。

「越前にあげるなら、コレなんかどうかと思ってさ」
「ああ…」

 手塚は目を細めてその指先にあるカードの文字を読むと、一度顔をあげて乾を見た。そしてわずかに笑みを浮かべ、頷いた。

「そう、だな。これにしよう」
「ね」
「すみません、これをふたつ……あ」
「どうしたの?」

 店員に声をかけようとして突然動きを止めた手塚を、乾は訝しげに見た。

「乾、お前だったら、どれがいい」
「俺?なんで?」
「お前にもひとつやるから、選べ」
「え」

 思いがけない台詞に、乾は驚いて手塚を見た。

「付き合ってもらったからな。プリン、好きなんだろう?」
「や、まあ、好きって言うか…」
「違うのか?」

 冗談で言っているのかと思ったが、手塚の顔は真剣だった。乾はしばし呆れて二の句をつげないでいたが、やがて可笑しくなって笑い出した。

「何が可笑しいんだ」
「あ、ゴメン…そう、プリン、好きなんだ。じゃあお言葉に甘えて、俺も同じのを、もらっていいかな」
「わかった。すみません、やっぱり三つ下さい」

 手塚は店員に言って箱をわけてもらい、その片方を乾に手渡した。

「ありがと、手塚」
「礼を言うのは俺の方だ、乾。助かった。ありがとう」
「役にたったなら良かったよ。…そうだ手塚」
「なんだ」
「このお礼にさ、来年は、俺が手塚にあげようか」
「…俺は、プリンはあまり食べないぞ」
「そうか。じゃあ、すあまにしようか?」

 お前は何を言っているんだとばかりに手塚は眉を少しひそめたが、やがてその長い睫を伏せて、少し笑った。

「すあまも食べないぞ…それじゃあ乾、またな」
「ああ。また、高等部でね」

 歩き去る手塚の後ろ姿を見送った後も、乾は少しその場に留まっていた。
 手塚に渡された箱は、長身の乾には不釣り合いに小さい。端から見ればかなりちぐはぐで笑いを誘う姿だろうな、と乾は思った。
 手塚はテニス以外の部分は大抵不器用だし、言葉もあまり多くはない。素っ気無くて控えめなこの白い小さな紙箱は、まるでそんな手塚の気持ちを代弁しているかのようだ。 

「来年、か…」

 誰に言うともなく呟き、軽く眼鏡のフレームを指で押し上げた。
 来年の今頃は、もう、

「手塚は日本にはいないかもしれないけど…ね」
 小さな箱を不器用な手つきで抱えながら、乾は家までゆっくり歩いて帰った。



「お待たせ」
「ああ」

 翌日は、良く晴れていた。待ち合わせ場所の公園のベンチで本を読んでいた手塚は、聞き慣れた声に顔をあげ、少し眩しそうにリョーマを見た。休日の練習を終えて、急いで走ってきたのだろうか、まだ冷たさの残る空気に晒された頬が微かに赤みを帯びている。

「久しぶりっすね。元気?」
「大袈裟だな…最後に会ってからまだ二週間も経ってないだろう」

 手塚は軽く苦笑しつつ本を閉じると、脇に置いてあった白い箱をリョーマに向かってさしだした。

「ほら、越前」
「あ、ひょっとして本当に買ってきてくれたんだ、プリン」
「お前が欲しいと言ったんだろう」
「まあね、言ったけど」

 リョーマは意味ありげにそう言って、テニスバッグを地面に下ろすと、自分は手塚の横にちょこんと座った。

「見たかったなー、アンタがこのプリン買うところ。開けていい?」
「ああ」

 手塚は、リョーマが箱を開けている間、それを横目で見ながら黙っていたが、中身を目にしたリョーマが動きを止めると、口の端に笑みを浮かべて下を向いた。

「…ねえ」
「なんだ」
「…これってさ…」
「ちゃんと、お前の言った通り、店で買ってきたんだぞ」
「それはわかるけど…」

 箱から目線を手塚にうつすと、リョーマは軽く口を尖らせた。
 小さな白い紙箱の中に行儀よく納まっているそれは、予想していた卵色ではなくて、乳白色をしている。いわゆるミルクプリンだった。

「…こう来るとは思わなかったよ。結構やるじゃん…」
「どうするんだ、食べないのか」
「まさか。ありがたく、いただきまーす」

 リョーマはプリンを箱から出し、片方を手塚に渡した。

「俺、牛乳のプリンって初めて食べる」
「俺もだ」
 しばらく、手塚が小さなプラスチックのスプーンで乳白色のプリンを口に運ぶ様子を見ていたリョーマは、やがて小さな声で呟いた。

「ホントは、アンタをちょっと困らせてやろうと思って頼んだんだけどな…」
「?何か言ったか?」
「いーや、なんでも」

 リョーマは笑って、自分も手の中のプリンをすくって口にした。それは予想していたよりも甘くて、喉を気持ちよく滑り落ちていく。
 手塚とはいつも、お互いの気持ちを探りあったり、ぶつかりあって時に傷付いて、そんな緊張した関係でいる事が多かった。それが心地よいと思ってはいるのだけれど、たまにはこんなのも悪くない。

 ふと見上げた空は柔らかな青で、春はもうすぐそこなのだと、感じさせた。

END


テキスト倉庫でちまちま書いていたホワイトデーもの(と言っていいのか)。
途中微妙に乾塚になってしまったのは何故なのか…。
あたしもプリンが食べたいです。



モドル
2style.net