Deep Sea/Text






君の音




 まだ梅雨入りしていない六月は、蒸し暑くもなく風も涼しい。まさに居眠りするにはうってつけの気候で、今日も午前中の授業をほとんど寝倒していたジローは、欠伸をしながら学食へむかっていた。昼休みともなれば学食は大勢の生徒で賑わっており、もたもたしているとあっというまに席がなくなってしまう。が、そんなことはおかまいなしにジローはのらりくらりと歩いていた。席がなければないでいい、彼はいつもそんな調子だった。
「あ」
 学食のある棟へ差し掛かったところで、見なれた後ろ姿を認めたジローは、喜々としてそちらへ近付いて行った。そしてわざと声を掛けずに、いきなり背後からおぶさるようにしてその背中に抱きついた。
「よっ!」
「今から昼か?相変わらずおせえな、ジロー」
「なんで驚かないんだよー、跡部」
 跡部はやれやれといったようすでジロ−を振り返り、首にまわされた手を払い除けた。
「ガキじゃあるまいし、いちいちそんなことで驚くか」
「つまんねーの。じゃあさじゃあさ、何で俺ってわかった?」
 子供のように喜んでいるジローを見て、跡部はますます呆れ返った。
「俺にこんなことするのはお前くらいだしな…それに」
「それに?」
「お前は、足音ですぐわかるんだよ」
「足音?」
 ジローは不思議そうに自分の足下をみた。
「靴の踵を踏むんじゃねえって、いつも言ってるだろ」
「あー…なんだ、そっか…」
 ジローは、大抵上履きの踵を踏んでいるため、歩くとぺたり、ぺたりと音がする。それを前々から跡部に注意されていたのは事実だった。跡部は意外にも細かいことにうるさくて、忍足からよく「小姑や〜」などとからかわれている。もちろん、跡部は誰に何を言われようがお構い無しなので、見つける度に注意を繰り返していた。
「楽だからさ、ついねー」
「つい、じゃねえ。とにかく、みっともないから直せ」
「はーい」
 足を折り曲げて踵をきちんと直すと、跡部はとても満足そうだった。
「跡部のそういうところ、可愛いよなー。わかりやすくてさ…」
「あぁ?なんか言ったか?」
「んー?お腹すいたなあって。跡部は、もう食べた?」
「当然だろ?今、何時だと思ってんだ。早くしないと、昼休み終わっちまうぞ」
「あ、本当だ。ねえ跡部、学食付き合わない?」
「しょうがねえな。誘う以上は、なんか奢れよ」
「うん、いいよー」
 跡部とはクラスも離れているし、部活が無い日は会う機会があまりない。たとえ見かけても、ジローの知らない女生徒に囲まれていたり、忙しそうにしていたり、樺地が一緒だったりして二人きりになれる事は滅多に無かった。久々の好機に、ジローは喜々とした足取りで食堂へ入った。
「…」
 もう大分空いてきた食堂の片隅で、急いでサンドイッチを頬張っていたジローは、向かいに座る跡部の視線に気がついた。
「ん?何?跡部」
「お前、なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「だって跡部と一緒に昼食べるの、久しぶりじゃん」
「それはそうだけどよ…だから、それの何が嬉しいんだ」
 わかんねえな、と呟いた跡部はジローに奢らせたコーヒーゼリーを一口食べた。ジローはサンドイッチを食べる手を止めて、ちょっと困ったように笑ってみせた。
「んー…跡部には、わかんない…かな…」
「だから、何が」
「ま、色々とさ、あるわけよ俺にも」
「ホントにわけわかんねえ」
 やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、二人は別々の教室へと戻った。

 翌日の放課後、ジローは跡部の教室の前を通りかかった。ジローの教室から玄関へ向かおうとする時、跡部の教室は反対方向にあるため回り道になる。それでも、必ずここを通るのが彼の日課だった。
 開け放たれたままの後ろの扉から、椅子に座っている跡部の後ろ姿が見えた。教室には他に誰も居らず、跡部は本を読んでいるのか何か書いているのか、熱心に机に向かっている。時々、明るい色の髪が小さく揺れた。
 しばらくその後ろ姿を見ていたジローは、黙って教室に入った。跡部が振り返る気配はない。
 背後に立ったジローは声をかけずに、跡部を見下ろした。白いシャツの襟元からのぞく頚は、シャツの色に劣らないと思えるほどに、白い。
 ジローは、椅子の背に手をかけて、その首筋へ静かに顔を近付けた。
「…ジロー。人の背後に黙って立つなよ」
「……なんで、俺ってわかった?」
 跡部は右手に持ったシャープペンシルをくるりとまわしながら、振り返ってジローを見上げた。
「だからお前は足音で分かるって、昨日言ったろ」
「…そっか。そう、だったね…」
「飽きもせずによくやるな、ジロー。もう、帰るのか」
「ウン。跡部、一緒に帰ろうよ」
「先に帰れ。俺は、これが終わったら帰る」
「待ってるから」
「…時間かかるぜ?」
「いいよ」
「そうか。じゃあ、待ってろ」
「うん」
 再び跡部は机に向き直った。跡部の後ろの席に座ったジローは、頬杖をついてしばらく跡部の背中を見ていたが、やがて視線を下に向けた。
「嘘つきだなあ、跡部は…」
「何か、言ったか?」
「なんにも…」
 跡部が振り返らないのはわかっていたが、それでもジローは片手だけをあげてひらひらと手を振った。
(跡部は、嘘つきだ…俺、ちゃんと…)

 ちゃんと、跡部の言うこと、守ってるよ?

 ジローは、自分の足下を見た。
 今日下ろしたばかりでまだ踵の踏まれていない、真っ白な上履きが、そこにあった。

 「跡部には、きっとわかんないんだろうな…俺が…」

  ―今、どれだけ嬉しいかなんて。

 ジローは小さく笑って、机に突っ伏した。
 何故か、ほんの少しだけ泣きたいような気もした。


 END


以前、「跡部はCPで見た時に、能動的って感じじゃ無いよね」と
キオと話したことがあったんですが。
跡部は自分では何も意図してないのに、周りの人間を喜ばせたり哀しませたりする、
そんなタイプなのかもなあと、ちょっと思っていたりします。



モドル
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