Deep Sea/Text






輪郭/3




「子供の頃にも、一度デパートの蝋人形展に入ったことがあるんだ…」

まだ幼稚園か、小学校に入ったばかりの頃、手塚は母親に連れられて、どこかのデパートの蝋人形展を見に行った。あまりはっきり覚えてはいないが、やはり会場は薄暗く、部屋ごとに色々な展示がしてあり、幼い手塚は興味深げにそれらを見ていた。

「それで…最後の展示室が」

最後の展示室は、通路との間を金属の格子でわけられていた。内容はフランケンシュタインやドラキュラ…つまり西洋のモンスターといったところで、蝋人形の他にも黒い西洋柩、拷問機具、木箱にささった斧…そういったものが並べられていた。子供心に恐ろしいとは思ったものの、それでも手塚は前に出て、格子にしがみついた。

「そうしたら、展示室のまん中に、椅子があって」

その椅子には、男性の蝋人形が座っていた。白いシャツに黒いズボン、肩まで伸びた髪に青白い顔で、両手を膝の上に乗せている。だがどういうわけかその人形だけが、他とは違って普通の人間の姿をしていた。位置は、ちょうど手塚の真正面にあたったが、遠くてよく見えない。

「で、もっとよく見ようと思って」

…手塚が顔を格子に近付けたその時。

『ウオオオオオオオ!』

大きな叫び声をあげ、いきなりその蝋人形がたちあがり、両手をあげて手塚の方に迫ってきたのである。
周りにいた他の客が、悲鳴をあげて次々と出口の方へ走り去っていく。
手塚は恐怖のあまり声も出ず、身動きも取れず座り込んでしまったところを母親に抱き上げられ、なんとか会場の外へと出たのだった。

「それって…」
「もちろん人間が人形のフリをしていたんだ」
「それもセオリーといえば、セオリーだね」
「ああ、そうだ…でも…」

その時の手塚の恐怖は筆舌に尽くし難い物があった。
明るい会場外に出て安心した途端に手塚は泣き出し、どんなにあやしてもしばらく泣き止まず、母親を困らせた…。

「だから、いまでもこういうリアルな人形は苦手なんだ…」
「……」
「急に動き出すんじゃないかって気がして…」
「……」
「…乾?」
「……」
「……笑いたかったら、笑え!」

…最初に笑わないと言ってしまった手前、唇をかみしめながら必死に笑いを堪えていた乾だったのだが、その頬の筋肉がピクピクと震えているのを見て、手塚は顔を赤くして怒鳴った。

「い、いや、ゴメン手塚。笑うつもりはなかったんだけど」
「…もういい!」

とうとう乾は我慢し切れずに笑いだして、怒って先に歩き出した手塚の後を追った。

「手塚、ゴメンてば」
「……」
「悪かったよ、だからそんなに怒るなって」
「……」
「…あ!」
「?」
「今、そこの人形、動いたんじゃない?…ホラ!!」
「何っ!?」
「おっと」
「あ…」

驚いて急に立ち止まった拍子によろめいた手塚を、後ろから来た乾がやんわりと受け止める形になった。

「あれ…気のせいだったかな?」
「……っ!」
「そんなに驚いた?ゴメンネ」
「…乾…」
「なに?」
「…手を、はなせ」
「ん?ああ、悪い」

さりげなく腕を掴んでいた手を乾が離し、手塚はぱっと一歩離れた。
なんだかわけもなくイライラして落ち着かない。自分の意志に反して、顔が熱くなるのも腹が立つ。

「……」
「なあ手塚、そんなに怖いんだったらさ」
「誰も、怖いなんて言ってない!」
「…これで、どう?」

言うなり乾の手は手塚の顔に伸び、眼鏡をさっと奪い取った。

「何をする!返せ!」
「これで、急に人形が動いてもわからないだろ?」
「その前に歩けないだろう!」
「そうだね。…じゃあ、ハイ」

急に、暖かい物が左手に触れ…、
それが乾に手を握られたのだと手塚が理解するのに、数秒を要した。

「乾、や、やめろみっともない…っ」
「大丈夫だよ、ココ暗いし、誰も見てないよ」
「そういう問題じゃ…!」
「恥ずかしい?でもこうしてないと歩けないでしょ」
「お、お前という奴は…っ」
「誰も俺達の事なんか見てないから…大丈夫」

身長180センチもある男二人が並んで歩いているだけで充分目立つのに、あまつさえ、手を繋いで歩いてるなんて…!
…手塚は驚きと焦りと羞恥でめまいがする思いだったが、たしかに眼鏡なしではこの暗がりを1人で歩くことはできない。乾から眼鏡を取りかえせばいいだけの話なのだが、おそらくこの男は簡単に返しはしないだろう。

眼鏡が失われた手塚の視界は何もかもがうすぼんやりとしている。自分の手を握って、ほんの数センチ先にいるはずの乾の輪郭さえはっきりしない。聞こえる音といえば、たださわさわと密やかな人の声だけだ。
何もかもはっきりしない。
ここにある全てのものが、急に消えてしまうような不安定さを感じさせ、手塚はますます落ち着かない気分になった。
ただ、自分の手に伝わる体温だけが、その持ち主の存在を確かに告げている。

知らず、手塚は左手に力を込めた。

次の瞬間。

前方から、複数の悲鳴が聞こえて、手塚はびくりと体をこわばらせた。人が走り去っていく足音が聞こえてくる。…何がおこったのかは、見るまでもない。
そしてその騒ぎの中でもひときわ大きい聞き慣れた悲鳴と、場違いに楽しそうな笑い声…。

「今のは…」
「菊丸と、不二…だな」
「うーん、それにしても、ホントにセオリー通りだったね」
「…」

すっかり固まってしまった手塚を見て乾は苦笑したが、軽く手を引いて再び歩き出した。

「たまにはさ、こういうのも悪くないだろ」
「…」
「手塚は、いつもひとりで前歩いてるからさ…」
「そうか?そんなことはないと思うが」
「そうじゃなくて、気持ちの問題」
「…」
「それに」

歩調を少し落として、乾はいつになく穏やかな顔で手塚の方を振り返った。もっとも、手塚の霞んだ視界ではわからなかったが。

「俺の後ろなら手塚もちゃんと隠れられるから…ちょっとくらい恥ずかしくても誰にも見えないから、平気でしょ」
「な…っ」
「みんなには、内緒にしておいてあげるし」
「乾…お前はどうしてそういうことを真顔で…」
「あれ、言わなかったっけ?俺は、いつでも真剣だって」
「…嘘つけ…っ」
「まあ100%とは言わないけどね。あ、今右側見ない方がいいよ、手塚」
「うっ」

結局、二人は出口まで、手を繋いだまま歩いた。



会場を一歩出るとそこはデパートのまばゆい程の灯りに照らされて、別世界のように明るかった。

「あ〜びっくりした〜」
「俺はエージの声にびっくりしたよ…」
「だ、だってさー、イキナリ動くなんて思わないだろっ!?」
「そうだねー。あーおかしかった」
「あそこで笑う、オマエもおかしいよ…不二…」
「それにしても手塚と乾、来るの遅かったね」
「そうだよ〜、アレは一緒に見なくちゃダメじゃん!すっげ驚いたよ!」
「ゴメンゴメン、予想以上に興味深くてね、ゆっくり見てたから」
「そうにゃんだ。ね、手塚。やっぱ入ってよかったでショ〜?」
「…え?」

出口の直前で渡された眼鏡の位置を直していた手塚は、思わず乾の方を見た。乾も手塚の方を見ていた。そして、いつものようにクセのある表情で、にっと笑った。
なんて嫌なやつだ、そう思ったが、不思議と怒る気にはならなかった。

「……そう、だな……まあ…たまには、な…」



デパートの外へ出ると、空には見事な夕焼けが広がっていて、河村と菊丸が歓声をあげる。
今は何も掴んでいない左手をなんとなく握りしめながら、ああ、明日も晴れそうだな、と手塚はつぶやいた。これなら、練習は大丈夫…。
すでにテニスに心を奪われている手塚を満足げに眺めてから、乾も空を見上げた。



END


えーと(素)
馬鹿なのかキモいのか甘いのかわからない話…に…。
しかも無駄に…長い…。うう…ごめんなさい。
手塚の幼児体験は、ヒダリの実話です。泣いてはいません。ちっ可愛げのねえ。
イヌヅカ、楽しいけど難しい。精進。



モドル
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