Deep Sea/Text






蒼の聖域




「…ですから、貴女もこの学園の一員となった以上は、常に品位と誇りを持って…」
 とうとう堪え切れずに、越前リョーマは盛大な欠伸をしてしまった。大きな窓から光が差し込むこの学園長室で、かれこれ三十分以上も副園長から学園の成り立ちだの教育方針だのを聞かされているのだ。気を紛らわすためのネタもいい加減尽きてしまう。
 長い欠伸が終わるのを待って、副園長はひとつ咳払いをした。
「では、学園内を案内します。貴女がこれから三年間過ごす場所ですから、きちんと説明を聞くように」
 きちんと、のところにやや力を込めて言うと、副園長は椅子から立ち上がった。正直、リョーマは案内などご免被りたいところだったが、ただ座って話を聞いているよりは数段マシに違いない。
 リョーマがソファからのろのろと腰を浮かせたところで、扉をノックする軽快な音が響いた。
「お入りなさい」
「…失礼します」
 重厚なオーク材の扉を開けて、一礼した少女を見て、副園長は感心したように頷いてみせた。
「時間通りですね。さすがです」
「まだお話の途中でしたか?」
「いいえ、もう終わりました。さあ、御挨拶を」
 少女はもう一度軽く頭を下げると、ゆっくりとした動作でリョーマの前に立ち、膝を軽く曲げて、挨拶をした。
「はじめまして、越前君。僕は、不二周助。これから君が暮らす事になる寮で、寮長をやっているんだ…よろしくね」
「…ども」
 そのやる気の無い挨拶に副園長が非難の目を向けたが、リョーマはそれを無視して、目の前の少女を不躾にじろじろと眺めた。
 不二は、そんなリョーマの態度に気を悪くした様子も無く、穏やかな笑顔を浮かべている。明るい茶色の髪は肩の上あたりで綺麗にそろえられていて、とても柔らかそうだ。色は白く、頬は健康的なピンク色にうっすらと染まっていて、軽く顎にそえられた指は、爪が完璧に整えられている。申し分の無い美少女だった。
「それでは不二さん、あとは頼みましたよ。越前さん、何かわからない事があったら、何でも不二さんにお聞きなさい」
「はい」
「じゃあ、行こうか…副園長、失礼します」
 廊下へ出ると、リョーマは大きく伸びをした。やっと解放されたというところである。これで、案内役などいなければもっと良いのだが、さすがにそれを口に出すほどおろかではない。
「学園内って、広いんすか…ええと」
「不二だよ。うん、かなり広いね。全部案内していると君も退屈だろうし、今日のところは簡単に…ね」
 不二はくすっと笑うと、リョーマの少し前に立って、歩き始めた。
「越前君は、アメリカにいたんだってね」
「あ、はい。親父…っと、父の仕事の関係で」
「そうか…日本とアメリカでは生活習慣が違うから、慣れるまで大変かもしれないね」 越前リョーマは、生まれてからの殆どをアメリカで生活していたが、今年の四月に入って、父親の都合で急に日本に来る事になった。世間で言うところの、海外帰国子女である。てっきり地元の公立中学へ編入になると思っていたリョーマは、突然この学園の案内書を渡されて、少なからず驚いた。
 ―まあ、お前もこの学園に入って、ちったあお行儀よく躾けてもらいな―
 そう言って笑っていた父親の顔を思い出すと、ふつふつと怒りがわきあがって来る。リョーマの父親は、昔テニスのトッププロだったとはとても思えない破天荒な性格の持ち主だった。さらに生活態度もだらしなく、まず自分の躾が先だろう、と思わずにはいられない。
「…してね。わかったかい?」
「え?」
 そこで、リョーマは我に帰った。校内を過ぎて、中庭、校庭あたりまでは話を聞いていたのだが、それ以降はまったくの上の空だったらしい。
「今の話、聞いて無かった?」
「スイマセン」
「ふふ、いいよ。じゃあ、もう一度言うから、良く聞いて」
 いつのまにか、リョーマ達は、蔦の絡まる高い塀のそばに立っていた。不二はその塀に手をついて、軽く小首をかしげながら、リョーマを見た。
「この塀の向こうには、何があると思う?」
「…さあ…」
「副園長から、聞かなかったかい?」
「聞いてない…んじゃないかなと、思います…多分」
 不二は、再びくすっと笑った。どうやら、この無愛想な編入生を気に入ったようである。
「この塀の向こうにはね、もう一つ学校があるんだ」
「学校?高等部っすか?」
「違うよ、同じ中等部…やっぱり女学園」
「こんな近くに…?」
 リョーマはレンガ造りの塀を見上げた。びっしりと蔦の絡まったそれは、ところどころ欠けていて、相当古いものである事を感じさせる。
「正確に言うとね、今僕達が通っているこの学園の、片割れ」
「…?」
「昔ね」
 不二は、近くに設置されていた白いベンチに腰掛けると、リョーマを手招きした。
「この女学園が創立された時…まだ日本には、女学校がほとんどなかったんだ」
 ゆっくりと語る不二の横に、リョーマも腰掛けた。二人の髪を揺らしてゆく風は、微かに花の香りを運んで来る。不二は、その白い指で、額にかかる前髪をかるくかきあげた。
「まだ戦前で、学校にいけない子もたくさんいた時代だからね…ましてや女子校なんて、希有な存在だったんだ」
 だが、この学園の創立者は、その時代にしては珍しい考え方の持ち主だったらしい。ただ漫然と学ぶよりも、誰かと競い合うことで、お互いをより高めてゆくべきだと考えた。
「だから、その人はね、広大な敷地を二つに分けて、学園を二分したんだよ」 そして、敷地の境界線に塀を作った。それが、この塀だと言う。
「設備も、教師も、なにもかもね。それぞれが独立した学校として、運営されるようになった」
「それって、今もそのままなんですか?」
「いや、今は経営上は同じ学校になっているよ。ただ、システムは昔のまま、二つの学園にわかれているんだ」
「変なの…。じゃあ、入学試験とかは?入りたい方を受けるの?」
「試験は一緒。合格した後で、入試の成績とか、その生徒の特技とか…例えばスポーツとかね、そういった事で、学校側が均等に振り分けるんだ」
「へえー…」
 感心していいのか呆れていいのかリアクションに迷い、リョーマは中途半端な相槌を打った。
「便宜上、こちら側…つまり僕らが学んでいる方は『蒼の学舎』、向こう側を『白の学舎』って呼んでる」
「昔はお互いの敷地の出入りは禁止されていたようだけど、今はそんなことないよ。時間は決まっているけど、許可さえ取れば自由に行き来できるし、お互いの施設も使えるから。って、さっき説明したんだけど。今度は、わかった?」
「…わかったような、わからないような」
「ふふ、そのうちわかってくるから。じゃあ、そろそろ寮へ行こうか」
 不二はふわりと音もなく立ち上がり、寮へ向かって歩き出した。蔦に埋もれた壁を一度見上げてから、リョーマも不二の後を小走りに追った。


 寮は、校門を出て、小さな森を抜けたその先にあった。敷地内に森まである事に、リョーマは少なからず驚いた。こちら側、すなわち『蒼の学舎』だけでもかなりの広さであるのに、これと同じ学園がもう一つあるとは、ここの創始者は相当な土地を持っていた事になる。
 白壁の瀟洒な寮は、美しい緑に囲まれており、まるでどこか異国の建物のようである。やや少女趣味だと思わないでもなかったが、もっと古くて汚い建物を想像していたリョーマは、いくらかほっとした。
 寮の内部も、外見に違わず古い洋風の内装が施されており、床や階段の手すりはきっちりと磨かれて、重厚な光を放っていた。
「玄関から、共用部分は土足でいいよ」
 不二の後について歩きながら、リョーマはきょろきょろと物珍しそうにみまわしている。古い油彩画。廊下の角に置かれている、深いワイン色のソファ。豪華だが、決して派手ではないシャンデリア。それは、今までの生活とはあまりにも懸け離れた世界だった。
 リョーマは不二に促されて、応接室とプレートのついた部屋に入った。広くはないが、床には高価そうな絨毯が敷かれ、上品なソファとローテーブルが置かれている。二人は、そのソファに向かい合って座った。
「本来一年生は二人部屋なんだけど、君は途中編入だから、同室者がいないんだ。寂しいと思うけど、次に誰かが編入してくるまでは、ひとりで使って」
「はい」
「食事は朝と夜、この先にある食堂でみんなでとるから、時間に遅れないように。あと詳しい事はこれに書いてあるから、よく読んで。質問があれば、いつでも聞いていいから、ね」
 にっこりと微笑んで、不二は冊子のようなものをリョーマに手渡した。おそらく、寮則が事細かに書いてあるのだろう。リョーマはややげんなりしながら、それを受け取った。
「他に、今聞いておきたい事ある?」
「別に…あ、そうだ」
 リョーマは渡された冊子を興味なさそうにぱらぱらとめくっていたが、ふいにその手を止めて、不二を見た。
「こんな事聞いていいかどうかわからないけど」
「いいよ。何?」
「…ここにきてから、女の子同士でベタベタしてるのをよく見るんだけど。日本じゃ、それが普通?」
 さも不可解だと言いたげに、リョーマは眉を顰めている。校内をまわっている時に見た少女達の姿に、不審を抱いたらしい。
「…越前君、女子校に通った経験は?」
「ないです」
「それじゃちょっと分かりにくいかもしれないね。なんて言ったらいいのかな……そう、ステディ、って言えばわかる?」
 しばし絶句してから、リョーマはあからさまに嫌そうな顔をした。
「はあ?だって、女同士でしょ?それとも日本じゃsteadyの意味が違うの?」
 さすがアメリカ育ち、発音がいい、と不二は妙な事に感心した。
「うーん…ニュアンスは微妙に違うかもしれないけど、大意は同じじゃないかな」
「…」
「いずれ、君にもわかるよ」
「いや、わかんなくていいっす」
 リョーマはものすごい勢いで、首を左右に振った。
「越前君可愛いから、すぐに上級生から声がかかるよ」
「マジで結構ですから!」
「そんな、もったいないなあ。あ、もしよかったら、僕と、どう?」
「遠慮しときますっ!お、俺はこれで失礼します!」
 慌てて逃げるように応接室を出ていくリョーマの姿を見送って、不二はふふっと妖艶な笑みを浮かべ、青みがかった目を軽く細めた。
「ホント、可愛いなあ。…これから一年間、楽しめそうだね」



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そんなわけで青学編。
女子高出身の人からすると色々と間違ってるところがあると思われますが、
そこはパラレルってことで。…便利な言葉だなあ、パラレルって。



モドル
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