Deep Sea/Text






破滅の君




「あの方が、何故破滅の君と呼ばれているか、御存じ?」

 中庭をそよそよと吹き抜ける風が、むせるような花の香りとともに、そんな声を運んでくる。
 小さな額に浮かぶ汗を時折ぬぐいながら、花壇の手入れをしていた神尾アキラは、思わず声の方向へと振り返った。
 あまり大きくはないが、美しい中庭は隅々まで手入れがされており、白い石畳が敷き詰められている。周囲をぐるりと囲む回廊には等間隔に白い石柱が配され、まるで遠い異国のようだ。その回廊を、白い制服姿の少女達が、笑いさざめきながら通り過ぎてゆく。
 ここ氷帝学園は、創立八十年を超える由緒ある女学園である。とても都内とは思えない緑豊かで広大な敷地を持ち、中学から大学まで、一貫して質の高い教育を行っている名門校であった。生徒のほとんどが良家の子女であり、所謂お嬢様学校としても名高い。
「まあ何故ですの?忍足おねえさま」
 神尾の目線の先、庭の中央付近では、数人の少女が輪になって談笑をしている。一年生とおぼしき少女があどけなく問うと、忍足と呼ばれたひときわ背の高い少女は、特徴のある丸い小さな眼鏡を軽く指で押し上げた。
「それは…」
 忍足は、そこで意味ありげに言葉を切る。なんとなく手を止めて、神尾も耳をそばだてた。すると、
「神尾さん!あなた、花壇の手入れは終わったの!」
 甲高い声とともに初老の女教師が現われ、神尾ははっと我に帰った。ピタリと話をやめて、少女達が一斉にこちらを見る。神尾は顔が熱くなるのを感じながら、教師に向かって頭を下げた。
「す、すみません、もう終わります」
「手がお留守になっていますよ。それと…」
 神経質そうな教師は、ツカツカと近付き、じろりと意地悪い目つきで神尾を睨んだ。
「盗み聞きは感心しませんよ。お行儀の悪いこと!」
「そ、そんな!俺、盗み聞きなんて…!」
「言い訳はおよしなさい、見苦しい」
 教師の聞こえよがしな叱責の声に、少女達の間からクスクスと忍び笑いが漏れる。「さっさとそれを片付けておしまいなさい。貴女達も、いつまでもおしゃべりしていないで、早く教室にお戻り遊ばせ」
「はあーい」
「先生、ごきげんよう」
 少女達は笑いながら、小走りに中庭を立ち去った。
 白い中庭には、ただ、神尾だけが残された。


「ふー…」
 夕食を終え、寮の自室へと戻った神尾は思わずため息をついた。ここ氷帝学園は全寮制で、下級生は二人部屋、上級生には個室がそれぞれ与えられている。
 備え付けの机とベッド、そしてチェストは白で統一されており、繊細な細工が施されていた。調度と同じく白いリネンには皺一つ見当たらず、完璧なベッドメイクがされていたが、神尾は構うことなく乱暴にその上に腰掛けた。
「ちっきしょう、あのキツネ婆あ、俺ばかり目の敵にしやがって…」
 キツネ婆あというのは、先刻神尾を叱責した女教師の事だ。うりざね顔につり上がった目、その容姿から神尾はこっそりそう呼んでいる。
「ちょっと廊下を走ったからって…みんなやってることなのに」
「…あのさあ」
 それまで自分の机の上で本を広げ、何やらぶつぶつとつぶやいていた同室者の伊武シンジが、くるりと神尾の方を向いた。
「やめてくれないかな、独り言。なんていうかさあ、耳障りなんだよね。せっかく集中してるのにさあ、気が散るんだよ」
「あ、悪い…」
 伊武はなおも何か言いたげだったが、再び机に向き直った。伊武が何をしているか、神尾には見なくても分かる。きっとまた、黒魔術やお祈りの類いだろう。
 同じ一年生の伊武は、占いやおまじないをはじめとしたオカルティックな事に傾倒し、一日中没頭している変わった少女だ。入学当初は周囲の少女達もからかったり馬鹿にしたりしていたが、全くの無反応なのにあきれたのか、次第に何も言わなくなった。そんな周囲の変化にも、当の伊武はまるで我関せずである。
 神尾もはじめは面喰らったが、慣れてしまえば色々と干渉してこない分、他の生徒といるよりも気楽であり、むしろこの部屋割りに感謝するようになった。


 神尾は、母子家庭に育った、極普通の少女である。まだ神尾が幼い頃に両親が離婚した後、母親は女手一つで必死に神尾を育ててくれた。そして、名門と謳われるこの学校へ苦労して入学させてくれたのだ。可愛い娘が将来、父親がいないという理由で不当な扱いを受けずに済むように、という親心であったのだろう。
 だが、公立の小学校に通い、平凡な庶民の暮らしを送っていた神尾にとって、それは劇的な環境の変化となった。
 氷帝学園に通う生徒は、そのほとんどが裕福な、所謂上流家庭に育った子供ばかりだった。父親は弁護士や大病院の院長、政治家など、名だたる地位のものばかり。そんな中へと放り込まれた神尾は、要するに異質な存在だったのだ。
 幼きと言えど、噂好きな生き物である少女達の間に、神尾の話はたちまち広がっていった。と同時に、同級、上級を問わず、果ては一部の教師からも、あからさまな差別や意地悪がほぼ毎日のように行われているのだ。
 何度、家に帰りたいと思ったかしれない。だが、届いた制服にはじめて袖を通した時の母の喜び様を思い出すと、それもできず、神尾はただ耐えるしかなかった。
 再びため息をついて、神尾はベッドの上に仰向けになった。じっと天井を見つめながら、中庭で漏れ聞いた話を反芻する。

―あの方が、何故「破滅の君」と呼ばれているか、御存じ?

  知ってるよ、と神尾は小さく呟いた。
 廊下で、あるいは温室の片隅で。この学園において「破滅の君」の話を聞かない日は一日たりともない。そしてお決まりの問いには、お決まりの答えが続くのだ。

―あの方を慕い、近付く者は、その鮮烈な魅力に心奪われ、狂わされて、やがて破滅させられずにはいられないのよ―

 と。
 ふん、と鼻をならすと、神尾は枕を抱いてうつ伏せになり、そのまま眠りに落ちた。



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と…とりあえずあげるものがないからってこんなものを…こんなものを!
学校名は、最終的には違うものになるのですが
今のところ思いつかないのでとりあえず氷帝になっています。
まあそんなことどうだっていいやね。なにもかもどうだっていいよね。



モドル
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