Deep Sea/Text






優しい熱




 手塚の入院を跡部が知ったのは、喧嘩した直後だった。
 喧嘩の理由は取るに足らない些細な事だったが、売り言葉に買い言葉でその日はそのまま別れてしまった。一度こじれてしまうとお互いに意地っ張りな者どうし、和解するきっかけが掴めない。しかも明らかな自らの非を認めない限り、手塚からは絶対に折れてこない。そのため、大抵は跡部の方が歩み寄らざるを得ないのが常だった。尤も、殆どの原因は跡部の癇癪や我侭によるものだったから、致し方ない。
 今回も、数日たって冷静になったところで、跡部の方から手塚の携帯へ電話をかけた。ところが、いくら待っても手塚は出なかった。
「あの野郎、まだ怒ってんのかよ。しつけえな…」
 手塚の携帯は留守番電話になっていない。跡部は延々と呼び出し音を聞き続けた。人の事は言えないしつこさである。苛々しながらさらに数コール聞いたところで相手が出た。その瞬間、謝ろうと思っていた事など綺麗さっぱり吹き飛んで、跡部は切れた。
「手塚ぁ!てめえいい加減にしろよ!?俺がこうしてわざわざ電話……」
「ごめんなさい、国光のお友達かしら?」
「………あ?」
 電話に出たのは手塚ではなく、なんと手塚の母で、跡部は思わず携帯を取り落としそうになった。
「ええとその……すみません。氷帝学園の跡部と申しますけど」
「ああ〜はいはい、国光からいつもお話聞いてますわ。はじめまして」
「話って…あ、いや、どうも…こんにちわ。あの、手塚君は…?」
「それが…」
 そこではじめて、跡部は手塚の入院を知ったのだった。入院と聞いて、肩が悪化でもしたのかと一瞬ひやりとしたが、そうではなかった。手塚の母によれば、腎盂腎炎とやらで、二日前…つまり、二人が喧嘩した翌日から入院しているとのことだった。病院では携帯電話が使えない。だから、自宅に置いてあったらしい。
「そう…ですか…」
「大した事は無いらしいからあと数日で退院できるみたいなの。でも、もしよかったら」
 ――もしよかったら、お見舞いに来てやって。

 そして今、跡部は病院の前に立っていた。
「……」
 取る物も取りあえず来たのはいいが、喧嘩別れした後だということ、また自分が「お見舞い」するようなキャラではなく、どうにもバツが悪い感じがしたため、跡部は玄関先で立ちすくんでいた。警備員や、白衣姿の看護師が時折ちらりとこちらを見ている。
 しばらく躊躇した後、意を決して跡部は受け付けへ向かった。入院している病棟は、手塚の母から聞いてあった。
「どちらさまに御面会ですか?」
「内科病棟の、手塚国光」
「失礼ですが、御関係とお名前を伺ってもよろしいですか?」
 すぐに入れると思っていた跡部は少しばかり面喰らったが、入院生活上のセキュリティを考えればそんなものかと気を取り直した。
「あ、友人…の…」
 そこで、跡部は言い淀んだ。そして、
「…越前リョーマ、です」
「少々お待ち下さい」
 どうやら、病棟に連絡して本人に確認を取るシステムらしい。しばらくして、受け付け嬢はノートを跡部に差し出した。
「こちらにお名前を記入して、4階へどうぞ」
 リョーマの名前の正確な字を知らない跡部は「越前竜馬」となぐり書きし、エレベーターへ向かった。

 病院には特有の匂いがあって、跡部はそれがあまり好きではない。リノリウム張りの廊下を歩く跡部の歩調はいつもよりも遅かった。
 別に、名前を騙る必要など無かった。喧嘩したからといって、手塚は見舞いに来た者を追い返すような人間ではない。それは跡部もよく知っている。なのに、なぜあんな事をしたのか。
 跡部は、関東大会で見たリョーマと手塚の姿を思い浮かべた。手塚は何も語らないし、跡部も聞きはしないから詳しい事は知らないが、それでもあの二人の間には何か…他者には決して踏み込む事の出来ない何かがある。それを跡部はなんとなく感じ取っていた。
 いくら好きだからと言っても、手塚のプライベートを拘束する気など無論ない。だが同時に、気にならないと言えばそれは嘘になる。
「まったく、どうかしてるぜ…」
 自嘲して、跡部はある部屋の前で足を止めた。ネームプレートの一枚に「手塚国光」と書かれている。こうやって見ると年寄りみたいな名前だなと跡部は思い、少し可笑しくなった。
 手塚のベッドは、一番奥の窓際だった。ベッド周りのカーテンは閉められているが、中からは何の物音も聞こえない。他の面会者は誰も来ていないようだと判断して、跡部はそっとクリーム色のカーテンを開けた。
「……」
 手塚は、ベッドの上で身をおこして本を読んでいた。その右腕から伸びたチューブの先にはピンク色の液体が入ったボトルが繋がっている。グレーのパジャマを着た手塚は、病院という舞台装置も手伝ってか、いつもより色が白く見えた。
「…やはりお前か」
 手塚は本から目を離して跡部を見ると、驚いた様子もなくそう言った。
「…どういう意味だよ」
「越前がひとりで見舞いに来るとは考えにくいからな。もしかしたらと思って」
 その言葉は、なぜか跡部の胸にちくりと突き刺さった。手塚は本をテーブルに置くと、目で椅子を指し示した。が、跡部は座ろうとしなかった。
「急な入院だったから、連絡できなくてすまなかったな」
「…元気そうじゃねえか」
「熱が下がったから、大分楽になった。後は安静にして、検査の結果待ちだ」
「そうか」
 跡部は、なおも立ったままだった。ベッドの上から見上げている手塚の視線をさけるように、窓の外を見ている。
「跡部」
「…」
「跡部」
「…なんだよ」
「何怒ってるんだ」
「…怒ってねえよ…」
「すぐに入院を知らせなかったからか?それとも、まだこの間のことを…」
「怒ってねえって言ってんだろ!!」
 跡部の怒鳴り声に、一瞬病室がシンと静まり返った。
「…跡部!」
「…帰る」
 短く言い捨てると、跡部はカーテンを手で乱暴に払って外へ出た。同室の患者が何事かという顔で見ていたが、無視した。
 ――何やってるんだ、俺は。
 こんな事のためにわざわざ来たのではなかったのに。あんな事を言うつもりではなかったのに。跡部は廊下を足早に歩きながら、自らを呪いたい気持ちでいっぱいだった。
 ナースステーションの前を過ぎ、エレベーターホールにさしかかったところで、跡部は背後から近付いて来るカラカラという車輪の音に気がついた。
「跡部…!」
「…っ!」
 手塚は、点滴が下がった台を押して、跡部を追ってきていた。
「跡部、待…」
「馬鹿、手塚!何してんだ!」
「待ってくれ、話を…」
「いいから部屋へ戻れ!」
 その時、チンと軽快な音がして、エレベーターの扉が開いた。手塚は、自らを支えようとする跡部の手を掴むと、そのままエレベーターにひきずりこんだ。
「…おい!」
 跡部の声を無視して、手塚は最上階のボタンを押した。ボタンの横には、「食堂・ラウンジ」と書かれている。
「手塚!」
「…少し、黙れ…跡部」
 手塚は壁によりかかって荒い呼吸をしていたが、跡部の手を離そうとはしなかった。普段よりも熱を帯びたその手を、知らず跡部は強く握り返した。

 最上階は食堂と売店、そしてラウンジで構成されていた。壁一面が大きな窓になったラウンジには、窓に向けていくつかのソファが置かれていて、数人の患者がそれぞれ面会者と談笑している。
 二人は一番奥まった、目立たない場所に座った。
「手塚、大丈夫か」
「ちょうど忙しい時間だから、誰にも見つからなかったと思うが」
「そうじゃねえだろ!」
 跡部の声は本気で怒っていた。手塚は跡部の目をじっと見つめた後、大きく息を吐いて、ソファに身体を深く沈みこませた。
「…ちょっとだるいが、平気だろう」
 手塚の白い頬に、かすかに赤みがさしている。少しの間呼吸を整えていた手塚は、やがて静かに口を開いた。
「跡部…俺が、何か気に障る事を言ったなら謝る」
「…お前が悪いんじゃねえよ…」
「じゃあ、何だ」
「……」
「さっきの…越前の事か?」
 こんな時、手塚は驚くほど察しがいい。跡部は内心舌打ちしながら、身体を折って膝に乗せた両手に顔を埋めた。

 ――越前がひとりで見舞いに来るとは考えにくいから―

 それは、特に他意の無い台詞だったに違いない。だが跡部にとっては、その何気なさの中に手塚とリョーマの間の「何か」が滲み出ているように思えた。
「嘘でもいいから…」
「え?」
「嘘でもいいから、驚けよ」
「……」
「わかってても驚いたふりしろよ…手塚…」
「跡部…」
 跡部はその姿勢のまま動かなかった。手塚もそれ以上何も言わず、二人の間にしばし沈黙が流れた。
 どれくらいそうしていたが、ふいに跡部は自らの頭に手塚の手が触れたのを感じて、わずかに身じろいだ。おずおずと差し伸べられたその手は、跡部の明るい色の髪をぎこちなく撫でている。
「跡部、俺は…」
「……」
「俺は、あまり…人の気持ちに聡い方ではないから…」
 それは違うと、跡部は思った。自分でそう思い込んでいるだけで、手塚は他人の脆いところにひどく敏感だった。ただ、それをうまく表現できないだけだ。
「だから、知らないうちにお前を傷つけているのなら…謝る」
「…バーカ…」
 手塚は優しい嘘を吐かない。そしてそれこそが、手塚の最大の優しさだった。
 そう、本当はただ優しくしてやりたいだけなのに、どうしてうまくいかないのだろうか。自分も手塚も、どうしてこんなに不器用なんだろうか。
 跡部は、顔を埋めたまま、笑い出した。
「…跡部?どうした?」
「なんでもねえよ…まあ、そうだな」
 ようやく跡部は顔を上げた。もう少し手塚の手を感じてもいたかったが、これ以上いらぬ気をまわさせたくなくて、跡部はわざとぞんざいに足を組み直した。
「そこまで言うなら、今回は許してやるよ。俺様の心の広さに感謝しな?手塚」
 思う事はあっただろうが、あえて何も言わず、手塚はふっと小さく笑った。
「ああ。感謝してる」
「そういや」
 ふいに、跡部はいつもの彼らしい不遜な笑みを浮かべて、手塚を見た。
「お前のそういう格好、初めて見るな」
「格好?…ああ、パジャマか。Tシャツでも充分だったんだが、母が買ってきたんだ」
「大体俺が知ってるお前の姿っつうと、あの恥ずかしい色のユニフォームに、ダセエ私服だろ…」
「余計なお世話だ」
「それと制服な。ああ、それに…」
 そこで跡部はニヤリと笑った。
「あとは、裸しか見た事ねえもんなあ」
「…!!」
 手塚の顔は瞬時に耳まで赤くなり、同時に左手が跡部の顔面めがけて飛んできた。跡部はその手を余裕の動作で掴み返すと、手塚をぐいと引き寄せた。
「あ、跡部!離せ!」
「嫌だね。なあ手塚、パジャマってのも結構そそるよなあ?」
「馬鹿、お前ここをどこだと思ってるんだ!」
「どこだって関係ねえだろ」
 跡部はそのまま自らの顔を手塚に近付けた。
 そして、あとわずかで互いの唇が触れようかという、その時だった。

『…患者様のお呼び出しを申し上げます。内科病棟に御入院中の手塚国光様、至急病棟までお戻り下さい。繰り返し、患者様のお呼び出しを申し上げます…』

「…なあ、手塚…」
「…何だ…」
「なんつうか…やばくねえ?」
「言うな…」
 慌てて病棟へ戻った二人は、エレベーターホールで待ち構えていた担当看護師にこっぴどく叱られた。身長だけなら大人顔負けの二人が並んで叱られている姿を、他の患者や面会者が物珍しそうに見ながら通り過ぎて行く。
「ちくしょう、手塚…てめえのせいだぞ」
「人のせいにするな」
「ちょっと聞いてるの!君達は!」
「……すいません…」
「……反省してます…」
 ひとしきり小言をくらったあと、熱を測るために病室に戻された手塚は、入り口のところで跡部を振り返った。
「そうだ、大事な事を忘れていた」
「なんだよ?」
「跡部、今日は来てくれてありがとう。嬉しかった」
「…手塚…」
「もう遅いから、気をつけて帰れよ」
 そして、看護師に付き添われたまま、手塚はカーテンの中に消えた。

 病院を出ると、外はすでに夕闇に包まれていた。涼しい風が、自分の中のもやもやとした気分と病院の匂いを消し去ってくれるような気がして心地よかった。
 ただ優しくしてやりたい、それはとても簡単な事のはずなのに、どうして思うようにいかないのだろう。なぜこんなにもやっかいなのだろう。
 それでも、いくらかは伝わっているのだろうか。
 この、いまだ手に残る手塚の熱が伝えてくれているように。
 跡部は、その熱を失うのを惜しむかのように、手をきつく握りしめたまま帰路についた。


 退院した手塚のもとへ、お祝いにと跡部から贈られて来たのは言うまでもなくパジャマで、それが元で再び喧嘩になった事は、後日の話である。

END


ちなみに、パープルのサテンです>パジャマ
パジャマより、いっそスケスケのネグリジェを贈ってあげたらどうか。
跡部様が恐ろしく受けで自分でもびっくりです。リリカル!
エッチの時は攻めなんだけどネ!(…)
ちなみに腎盂腎炎で入院しているよい子のみんなは、絶対に真似しないようにな!
説教じゃすみませんですぞ。血尿が出ますよ…ぶるぶる!(経験済み)



モドル
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