Deep Sea/Text






流線形




「あーくそ、耳が痛てえっつーのー!」

俺は冬がキライだ。
寒いし、景色も灰色で不景気だ。
薄着の女の子がいねえから街もさびしい。
真冬にすげえミニで歩いてるコもいるけどそういうのはあんまり好みじゃない。
みんな着膨れしてっから、電車が暑苦しい。
空気が冷たいから、今みたいに走ってると耳がちぎれそうに痛い。

喉も痛い。目も乾く。

でも、俺は走る速度を緩めない。

急がないと、あのひとに会えない。

あのひとに出会ってから、俺は、



少し冬が好きになった。



東京と神奈川ってのは世間一般が思ってるより遠い。
俺みたく小田急沿線だったりするとそりゃもう遠い。むしろ埼玉の方がずっと近いはずだ。むかつく。何で俺んちは埼玉じゃないんだ。
授業が終わってからダッシュで電車に飛び乗っても、東京へつく頃にはこの時期だともうまっくらだ。あ、またひとつ思いついちゃったよ、冬がキライな理由。

泣く子も黙る立海大付属中テニス部の練習が、一週間で休みになるのはたった一日。
俺は、毎週その日に電車に飛び乗る。
クラスの連中が話しかけてきても無視だ無視。
こないだ担任を振り切って逃げたら後で説教喰らったけど、そんなことどーでもいい。
とりあえず、この電車に乗れば間に合うし。
途中で別の私鉄に乗り換えて、そのあとも何度か乗り換える。遠い。でもいい。


あのひとは、ほとんど毎日授業が終わった後図書館で勉強してる。大抵、閉館近くまで居る。
でも実は勉強してる時間は半分くらいで、後は好きな本読んでるんだってこないだ教えてくれた。俺ならどっちもご免だけど、あのひとにはどっちも似合う。
ヘンなとこで几帳面な性格だから、帰るルートも大体決まってる。一度後をつけて確かめたから間違いない。後でバレてすげえ怒られたけど。
けど、そのあともずっと同じルートで帰ってるんだから、実はまんざらでもないんじゃないの、そう言ったらもっと怒られた。でも、その後も結局道をかえない。そういうところが好きだ。

あのひとになら怒られるのは悪く無い。青学のヤツらはいつも怒られてるのに嬉しそうで、俺はあいつら絶対マゾだって思ってたけど、前言撤回しようと思う。
どうでもいい相手には怒らないってわかったからだ。
でも、いつも怒っている。
あのひとは、他人の事をどうでもいいなんて、きっと思わない。

図書館には間に合わないけど、それでも帰り道にあのひとを捕まえる事ができる。

最初は不思議そうで、
二回目は驚いて、
三回目は呆れて、
四回目はため息をついた。

でも、今はもう何も言わない。
だからそのままくっついてって、俺は勝手に好きな事、それも大概下らない事をしゃべる。あのひとは殆ど黙ってるけど、ちゃんと俺の話を聞いている。
運が良ければファーストフードに寄ったりして、もっと話ができる。
そして、駅で別れる。その繰り返し。
ただそれだけ、でも、俺は今すごく楽しい。
我ながら馬鹿みたいだと思う。でも、すごく楽しい。



「あーもう、なんで今日に限って…クソ」

あと二駅で終点、てとこで電車が止まった。人身事故らしい。
相鉄線って天候不順には結構強いんだけど、やたら人身事故が多い気がする。
俺は、もう十五分も止まったままの電車の中を走り出したい気分でいっぱいだった。
早くしないと、あのひとに追いつけない。
苛々が最高潮に達しようとしたところで、やっとのろのろと電車が動きだした。
これは急行だから止まらないが、事故が起こった駅ではねずみいろの作業服を着た係員が集まって、なにかやっていた。

どんな奴が飛び込んだんだろ。
何がそんなに辛かったんだろ。
死ぬ程辛い事って、一体どんな事なんだ。

俺は死のうなんて思ったこと、生まれてこの方一度だって無いから、よくわからない。
別にわかるつもりもない。
でも、

きっと、あのひとみたいなすごく綺麗なものに出会えなかったんだ。

俺は、ちょっとだけ、可哀想だと思った。



「…やっぱダメか…ちきしょう」
あーあ。
駅には二十分遅れでついて、部活でも絶対やらねえような猛ダッシュをしたけど、いつものポイントにあのひとの姿は無かった。
さすがにもう無理だろう。俺のリサーチによれば、あのひとはもう電車に乗っている頃だ。あーあ。
がっかりだ。一週間に、一日だけの特別な日なのに。
走ってかいた汗が急に冷えて、俺はくしゃみをした。寒い。
あのひとがいないなら、冬なんてキライだ。
手袋をしていても手が冷たい。
ってそれは、俺の手袋に穴が空いてるからだけど。
真田先輩に、もっと手を大事にしろとかテニスプレーヤーとしての自覚がなっとらんとか言われたのは先週だ。その時より、穴が広がってる。やべえ。先輩にあったら隠しとこう。
俺は物の扱いが乱暴だから、なんでもすぐダメにする。ダメになったら捨てて、新しいのを買う。でも、今は金が無いから買えない。
俺の小遣いは、ここに来てあの人とどうでもいい話をするための交通費で殆ど消えてしまう。
でもいい。
洋服より雑誌よりうまい食い物より、あのひとと話す方がずっといい。

階段を昇るのがかったるいから、いつもは使わない大きな歩道橋が視界に入って、いつのまにか駅の近くに来ていた事に気がついた。
ひとりで歩いてもちっとも楽しい道じゃなかった。いたずらに長いだけだ。
破れた手袋の手をポケットに突っ込んで、俺はぶつぶつ言いながら、
何気なく、歩道橋を見上げた。
そこには、

あのひとが憂い顔で立っていた。



「て…ててててて手塚サーン!」
「うわっ!」

俺はものすごくみっともない格好で階段を駆け上がって、背後から手塚さんに抱きついた。
振り返った手塚さんの顔はすごく驚いてる。
俺の顔は、今多分すごく馬鹿みたいだろうと思う。

「切原!何するんだ、危ないだろう!」
「手塚サン、早まっちゃだめっすよ!」
「早まる…って、勝手に人を殺すんじゃない!ただ考え事をしてただけだ」
「あ…そうなの?」

良く考えりゃそんなことは当たり前だ。この人に限って、そんなこと絶対にしない。
でも、街灯の灯りに照らされた手塚さんの顔は、なんていうか儚げで、

本当に、飛ぶかと、

「イヤ〜、ホントに飛ぶかと思ったっすよ〜。だって手塚サンの背中に可憐な白い羽が見えちゃったからさ、俺」
「…大丈夫かお前」

盛大にため息を吐き出して、手塚さんはまた歩道橋の柵に肘をついた。
もう、さっきのような儚さはすっかり消えて、いつもの強い光りを纏っている。

「眼鏡が落ちてたら、弁償させるところだぞ」
「カンベンしてくださいよ、俺今月激貧ッス」
「そんなこと知るか」
「冷たいなあ…。まあいいや、手塚サン、こんばんわ」

俺はいつも、こんな風に馬鹿な話をした後に、挨拶する。

「今日は遅くなっちゃったから、もう会えないかと思った。日頃の行いがいいのかな、俺ってば」
「悪運が強いだけだろう」
「またそういう意地悪い事言ってえ。俺、すごく走ったんですよ、見てよこの汗!ほらほら!」
「…遅くなったって、どれくらいだ」
「えーと、大体二十分くらい?」
「それなら、そのまま駅にいたほうが良かったんじゃないか」
「……あ」

その通りだ。まったくだ。全然気がつかなかった。
さっすが、手塚さんってアタマイイ!
イヤ、俺が馬鹿なだけ?
手塚さんは、俺のことを見て、ほんの少しだけ、笑った。

俺、馬鹿でよかった。

「いいの、俺は手塚サンと一緒に歩きたかったの!駅で待ってたって、すぐサヨウナラじゃ意味ないの」
「お前、本当に物好きだな」

そんな風に静かに言われるともどかしくなって、叫びだしたくなる。
俺は物好きなんかじゃない。
アンタは自分の事を知らないだけなんだ。

「電車が人身事故で遅れちゃってさ。で、それで」
「俺が、飛び下りると思ったのか」
「まあね」

まあね。
嘘だけど。

手塚さんはいつもの顔で、道路を走りすぎて行く車の流れを見ている。
眼鏡のレンズに光がうつり、流れる。
白い光。

「そういえば、二年生の時に」
「何すか?」

最近、こうやって手塚さんから話し掛けてくれる事も増えて、俺は嬉しい。

「やっぱりここで、考え事をしながら道路を見てたんだ…そしたら」

オレンジ色の光。
テールランプの赤い色。

「車が急に止まって、人が降りてきて。俺に向かって言ったんだ…『早まるな』って」
「マジ?へえ、奇特な人もいるんすねえ」

俺は素直に驚いた。本当に奇特だ。現代の美談だ。
手塚さんは、ふ、とまた目だけで笑った。
嬉しくて、俺も笑った。
その時の手塚さんの様子を想像してみた。きっと、攫って逃げたいくらい可愛かっただろうと思う。

「俺はどうでもいい事を考えていたのに、そんなに思いつめてるように見えたのかな」
「それはアンタがあんまり可憐だから、みんなほっとけないんだって」

さっきから可憐可憐て連呼してる俺は、かなり馬鹿っぽいと思う。
フツー、こんなでかい男に向かって使う言葉じゃない。
わかってるけど、つい言ってしまう。
手塚さんが、俺の事を可哀想なものを見る目つきで見た。ま、当然か。

「俺は、死のうなんて考えた事はない」
「あ、俺も俺も。だって俺が死んだら、アンタ哀しむでしょー。手塚サンを哀しませる事なんて、俺にはできないっすねえ」

手塚さんの声で死ぬなんて言葉を聞いて俺は内心すごくどきりとしたから、それを誤魔化すために、そんな事を言ってみる。
半分は本音だけど。
いつもの冗談と取ったのか、手塚さんは苦笑した。そんな顔だって綺麗だと思う。

「そうか…」

あれ、馬鹿な事を言うんじゃないとか、怒ると思ったのに。

「俺は…死ぬのが怖いからな。だから、飛び下りたりしない」
「手塚サン…?」

そんな事を言う手塚さんの顔は、まったくいつもと同じだった。
それがなんだか、ひどく孤独さを感じさせる。

「誰だって死ぬのはコワイでしょ。苦しいし。俺だってまだ死にたくないですよ、やりたい事沢山あるし」
「そうだな。でも、俺は…」

耳障りな音を立ててバカでかいトラックが下を通り過ぎた。
歩道橋が、少し揺れて、手塚さんの眼鏡に映った光が震えた。

「俺は、先の事…」

手塚さんは、ゆっくりと言葉を選びながら話す。
俺は、黙ってそれを聞く。

「たとえばこの後世界がどうなるのかとか、青学の事とか、今読んでいる本の続きとか、これから起こる事が、死んでしまったらもう知ることができなくなるだろう。俺は、それが怖いんだ。いや、怖いと言うより、悔しいのかもしれないな」

驚いた。
俺は、そんなこと、考えた事もない。
人間は死んだら終わりで、だから俺が死んだ後のことなんか、知ったこっちゃない。
そう思ってた。

「普通は考えないんだろうな。そんな事しか考えない俺は、やはり…」

手塚さんは、ひどく綺麗な表情で、少しだけ笑った。

「…寂しい人間なのかもしれないな」
「ンな事ないっすよ!」

自分でもびっくりするくらい、でけえ声で、俺は叫んでた。
手塚さんが驚いて俺を見てる。
後ろを通ったどこかの高校生が、こっちをじろじろ見た。
いつもだったらなんか言ってやるところだが、今はお前らなんてどうでもいい。
俺はなんだかすごく頭に来て、めちゃくちゃハッキリ言ってしまった。

「そうゆうこと言うの、やめてよ。俺、そういうの、すげえ嫌い」

前に、ウチのテニス部の奴らが、試合会場で手塚さんを見て、
無表情で怖ええとか感情が無い人みたいだって言ってて、俺はそいつらを絞め殺すか殴り殺すかどっちにしようか真剣に悩んだ。
俺は、手塚さんに腹を立ててるんじゃない。
何もわかってねえ、あいつらみたいな連中にむかついてるんだ。
手塚さんが寂しいなんて思うのは、なにもわかってねえ下らない連中がそういう目で見るからだ。そうに決まってる。俺がそう決めた。
さしあたって、手塚さんを悪く言ったテニス部のやつらは、明日の練習で徹底的に叩きのめす事にしよう。

「……すまん」

遠慮がちな声で、俺は我にかえった。うっかり自分の世界に入ってたらしい。
見れば手塚さんは、少しだけ俯いて、俺が今まで見た事もないような顔をしていた。
うわあ…か、可愛…っ!
っていやいや違う違う、俺は慌ててかぶりをふった。

「謝らなくていいって!そういうつもりで言ったんじゃないですから」
「いや、つまらない事を聞かせて悪かった」
「つまならなくないですって!」

俺は軽い頭をフル回転させて言葉を探したがなかなか出てこない。
馬鹿で良かったなんて思った自分は、やっぱり馬鹿だ。

「そうじゃなくってさあ…俺馬鹿だからうまく言えないけど、だってそれって手塚さんが青学のやつらとか、世界の人を大事に思ってるってことでしょ?」
「…それは、いくらなんでも大袈裟だろう」
「全然。だってそうじゃん。アンタ、自分が思ってるより色んな人のコト想ってるし、想われてるよ」
「そんな風に、言われた事ないな」
「照れてんじゃないのー?手塚サンがあんまり可憐だからさ」

ああ、また言ってしまった。

「お前な…」
「少なくとも」

俺は、へらへらした笑いをひっこめて、
手塚さんの目を強く見て、言った。
「俺は、アンタがいなくなったら寂しいよ」

きっとこれだ。

「手塚サンがいない世界なんて、灰色で寒くて冬みたいで、そんなのは嫌だね」

死ぬ程辛い事って、こういう事だ。

手塚さんは、少し困ったような顔をして、
いつもより小さな声で、でもはっきりと、

「ありがとう」

と言った。
俺は、柄にもなく、ちょっとだけ泣きそうになった。



俺は、手塚さんに会えた。
だから、死のうなんて、絶対に思わない。



「何か、食べて行くか」

駅に向かって歩き出したところで、珍しく手塚さんがそんな事を言って、俺はもう有頂天だ。珍しいっていうか、はじめてだ。記念日だ。今夜は赤飯だ。
もちろん俺は二つ返事でオッケーした。ここで断ったら俺は本物の馬鹿だ。

ついでに図々しく手塚さんと手を繋ごうとして、手袋に穴が空いているのを思い出した。さすがにみっともない。いつものクセで口で引っ張ってはずした。
…ああ、また、穴が大きくなっちまった。
右手に触れると、手塚さんは非難がましい目で俺を見たが、何も言わなかった。
俺がやめろと言われてやめるような性格じゃないって事、学習してくれたらしい。
だから遠慮なく、その手を握った。
今までにも、冗談のフリして何度か手を握った事あるけど、俺は絶対に左手には触らない。

この人の左手は、特別だ。
いつか試合をして、俺が勝った時に握るって、勝手に決めている、特別な手。

「切原」
「なんすか」
「この寒いのに…手袋くらいしろ。もう少し手を大事にした方がいいぞ」
「コワイくらい真田先輩と同じ思考っすね…」
「何だって?」
「や、なんでもないっすよ。そっすね、今度はしてきますよ、手袋」
「…穴の空いてないやつをな」

なんだ。思いっきり、バレてんじゃん。
手塚さんは、綺麗な顔で、また笑った。
アンタが笑うと、俺は嬉しい。

アンタはみんなにとても想われてて、
同時にみんなをとても想っている、
ただそれに気がつかないだけだ。



でも、気がつかなくていい、
俺の気持ちにだけ、気がつけばいいんだ。



強引に繋いだ手は、じわりとあったかくて、



俺は、また少し冬が好きになった。



END


手塚がみんなに愛されてればいいんだ!という意気込みで書きました。
なんだかあたしの切原は犬っぽいですね…。
切原って一途(うへえ)なコってイメージなので。
立海大を勝手に小田急沿線にしてしまってごめんなさい。

あたしの中の切塚は冬。
リョ塚は夏。
不二塚は冬。
乾塚は春。
跡塚は初秋。
そんな感じ。



モドル
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