Deep Sea/Text






ふたりの時間/3




「あー…俺って、なんか日頃の行い悪いのかな…」

 廊下の窓から見える外は、すでにとっぷりと日が暮れている。
手塚達と別れた後、大石はとにかく菊丸と話をするべく、テニス部部室へと急いで向かった。ところがその途中でクラス担任に出くわした。そしてそのまま職員室へ連れて行かれ、今後の学内選考試験だのなんだのと話し込まれてしまった。大石は今日程クラス委員長である自分を呪った事はない。早くしないと英二が帰ってしまう…。上の空で聞いていたため、担任の話は殆ど大石の頭には入ってこなかった。
 そして、ようやく解放された時には、すでにに30分以上が経過していた。ここまでついていないと、非科学的な事も言いたくなるというものだ。
「もう、さすがに帰ったよな…」
 それでも大石は未練がましく部室へと向かった。やはり、部室はすでに真っ暗で、回したノブはガチャガチャと非有効的な音をたて、大石を拒絶した。
 ほんの数カ月前までは、いつも自分がこのカギを開けていたのに。
 自分はもう本当に引退したんだな…と改めて思い、急に大きな寂寥感におそわれた。毎朝、この部屋でみんなと過ごすのが当たり前のように思っていたのに、もうそれは自分のものではないのだ。
 でも、今は感傷に浸るより先にやる事があるはずだった。
 大石は部室を後にした。

 季節はもうすっかり秋で、風も随分と冷たい。日が暮れてしまうと、シャツに学ランという格好では寒ささえ覚える。大石は開けていた詰襟を閉めて肩を軽く竦ませた。
 大石は、これから菊丸の家へ行くつもりだった。昼間の自分だったら電話ですまそうと思ったかもしれないが、今は違う。何があっても絶対に会わなければ。
 校門へ向かう途中、シンと静まり返ったテニスコート脇で大石は一瞬足を止めたが、すぐに立ち去ろうとした。
 その時。

「ぶしっ!」

 どこからともなく大きなくしゃみの音が聞こえ、大石は再び足を止めた。
「誰か…いるのか…?」
 だが、今自分が立っている場所から見える範囲には誰もいない。大石は、ゆっくりと歩いて、コートの角を曲がった。そして、急に足下に現われた黒い固まりに蹴躓いて、危うく倒れそうになった。
「う、うわあっ!」
「痛っ!…あ…大石…?」

 体勢を立て直して振り向いた大石を見上げる黒い塊は、菊丸だった。

「英二…」
 コートの壁により掛かるようにしてしゃがみこんでいたので見えなかったらしい。学ラン姿の菊丸の横には、テニスバックが無造作に置かれていた。
「何やってるんだこんなところで!もう寒いのに、風邪ひくだろう」
 会ったらなんて言おうかと考えていた事などすっかり忘れて、大石は思わずいつものような台詞を吐いた。菊丸はしゃがみ込んだまま大石をじっと見上げてしばらく黙っていたが、やがて言った。
「何って、久しぶりに練習に顔出しててさ」
「でも、練習はもうとっくに終わったんだろう?」
「んー…教室に忘れ物取りに行ったりとかしてて、そんで、あとはちょっと考え事とか?って俺らしくないけどねー、ハハハ」
「…英二」
 不二が言った通り、菊丸の様子は不思議なくらい表面上普段と変わりなかった。このまま何もなかったかのようにする事も可能かもしれない。でも。
「英二、あのな…」
「ん、にゃに?」
「昨日の事だけど…その…ごめん」
 菊丸の顔から笑顔が消えた。その大きな目で、大石を見つめる。
「ごめんて、何が?」
「それは…」
 大石はうまい言葉をさがして言い淀んだ。だが、次の瞬間、もうそんなことはどうでもいいと思った。うまい言葉じゃなくてもいい。正直な気持ちを言えれば、それでいい。
「…仕方がないなんて言って、ごめん」
「……」
「仕方がないなんて、そんな事なかったんだ。会える時間が無いなんて、そんなの言い訳だった」
 大石はゆっくりと、だが思いつくままに喋った。
「なんて言うか、俺、安心してたんだな…。今までずっと、約束なんて何もしなくても一緒にいられたから。それが当たり前だと思ってたんだ」
 自分の言いたい事は、ちゃんと伝わっているだろうか。
「でも、そうじゃなかったんだ。当たり前なんかじゃなかった」
 菊丸は一言も発しないまま、黙って聞いている。
「俺は、勝手に安心して、そんな気持ちの上にあぐらかいてたんだ…何もしないで。 英二との時間を手に入れる努力もしないで…仕方ないなんて言って…だから…」
 そして大石は、しゃがんだままの菊丸に向かって、大きく頭を下げた。
「ごめん」
 結局、うまい言葉なんてひとつも出てこなかった、大石はそう思ったが、それでも自分の言いたかった事は言えたような気がした。大石はぎゅっと目をつぶり、頭を下げたまま動かなかった。
どれくらいそうしていたか、何かが動く気配がした。そして、

パンッ!

 急に目の前で掌を打ち付ける高い音がして、大石は驚いて目を開けた。
 そこには、菊丸の笑顔があった。
「英…」
「うん!許す!」
「え?」
 咄嗟にどう反応していいかわからず、大石はそのまま固まっている。菊丸はぱんぱんと尻の砂をはたきながら立ち上がると、大石と向かい合った。
「英二…」
「うん、もーいい!すっきりした!ありがと、大石」
 菊丸はうーんと伸びをして、そして足下のバッグを拾い上げた。
「さ、もう寒いし、帰ろー」
「ちょ…待てよ、英二!」
「ん?」
「何か、言ってくれよ。もっと怒ってくれていい。お前が思った事、聞かせてくれ」
「だーかーらあ、もういいって…」
「良くない!」
 思いがけず強い口調になって、大石は自分でも驚いた。だが、ひくつもりはなかった。自分が本当の気持ちを伝えたように、菊丸にも本当の、正直な気持ちを言って欲しかった。それもまた、エゴかもしれないとわかってはいても。
 菊丸は大石の顔を見たが、すぐに目線を足下に向けた。しばらくそうやって下を向いていたが、やがてぐしゃぐしゃと髪をかき回し、ぼそりと言った。
「あー…やっぱ駄目だ」
「英二…」
「やっぱ駄目だ、こんなのずるい!フェアじゃない」
 そして、いきなりがばっと大石に向かって、頭を下げた。
「ごめん、大石!」
「…え?」
 てっきり、『ずるい』とは自分に向けられた言葉だと思っていた大石は、突然の事にとまどい、思わずまじまじと菊丸を見つめた。
「え、英二…何言って…」
「ごめん大石…俺、今日一日、大石から逃げ回ってたんだ」
「……」
「部活に出たのも、本当は大石をさけるためでさ…」
「ああ…」
 やっぱりな、と大石は思った。そうでなければ、あんなにも会えないはずがない。でもそれは予想の範疇であって、謝られるような事ではなかった。大体、事の発端は自分にあるのだから、それくらいされて当然だ。
「いいよ、もともと俺が悪かったんだから。それに、一日中英二を捜しまわったお陰で、今までの時間がどれだけ大切だったかわかったようなものだし」
「でも俺…嘘ついたから…」
「嘘?」
 怪訝な顔の大石から目をそらして、菊丸は絞り出すような声で言った。
「教室に忘れ物取りに行ったなんて嘘だよ。俺…俺、もしかしたら、大石が来てくれるかも…って思って、ここでずっと待ってたんだ」
「あ…」
 菊丸は、怒っているのか泣きたいのかわからないような顔で大石を見た。
「でもさ、それって最低だな…って。自分で逃げ回っておいて、でも来て欲しいなんてさ。おまけに、こうやって大石が来てくれて、一生懸命話してくれて、それがすごく嬉しいって思ってるんだ。図々しいよな…そういうの…。」
「……」
「さっき大石、あぐらかいてるなんて言ったけど、そんなの俺も同じだなって、思ったんだ。俺は、きっと甘えてたんだ…大石に」
 菊丸の言葉は徐々に早くなり、顔も見る見るうちに赤くなってきた。
「時間がないなんて、俺も大石も同じなのに、大石ばっかりが悪いみたいに…。あーもう、俺って!駄目じゃん!ごめん、大石…!」
 今にも地団駄を踏みそうな勢いで、もう一度菊丸は頭を下げた。そっと覗き込むと、もう菊丸の顔は真っ赤になっている。ぎゅっと握られた両手はわずかに震えていた。
「……」
「……」
「……ははっ」
「…え」
「はは…あ、ははは…!」
「大石…?」
 急に笑い出した大石に、虚をつかれた菊丸は顔をあげて不思議そうな目を向けた。大石は体をふたつに折り曲げる程の勢いで笑っている。大石がこんなに笑うなんて珍しい…と菊丸は思ったが、今はそれどころではないと思い直した。
「なんだよ〜、大石!俺これでも真剣に謝ってるのに!」
「いや、うん、わかってるよ。でもさ、本当に俺達って…」
 笑いすぎて流れた涙を拭って、大石は言った。
「俺達って、馬鹿だなあってさ」
「はあ〜?」
「だってさ」

 ―だって、いつもこんなに近くにいるのに。
 こんな同じような事でお互いに悩んでるなんてな。本当に馬鹿みたいだ。
 ゴールデンペアが、聞いて呆れるよ。

 でも、それは決して不快ではなく、むしろ心地よいと大石は思った。さっき手塚とリョーマに感じたうらやましさ、それはうまく言えないが、きっとこんな感じだったんだろう、と大石は思う。馬鹿みたいな事に、自分と共に一生懸命になってくれる相手がいる、それはなんて幸せな事なんだろう、と。
 菊丸は尚も笑い続ける大石をぽかんと見ていたが、やがてつられて笑い出した。そうしてしばらくの間、テニスコートには二人の笑い声が響いた。笑い終えた頃には、もうすっかりわだかまりは消え、いつもの二人に戻っていた。
「さてと、じゃあそろそろ帰りますか」
「そうだねー。あーなんかほっとしたら腹減ってきた!寒いしっ」
「ああ、どこか寄り道して行こうか?」
「行く行く!それとも、いつもの区営コート借りて、テニスする?」
「いや、それはやめておくよ。…邪魔したら悪いしな」
「邪魔って…何の?」
「ヒミツ」
「えー、にゃんだよ、それ!気になるじゃん。そこまで言ったら吐けっての!」
「ハハ、そうだな、『また今度』ね」
「だからあ、今度っていつだよ!」
 大石と菊丸は笑いながら歩き出した。

 ふたりの時間は、まだこれからだ。


END


副題、『バカップル2例』。何じゃお前らはー!みたいな!
ちゃんと(?)大菊を書いたのははじめて。
だけどどういうわけだか、は、はずかしいな…この二人の話を書くのは…。
いや、楽しいし書きやすいけど、でもはずかしい。どうしてかなあ。まあよし。
約束しなくても会えるというのはなんてすごい事なんだろうと。
あちこちで言ってるけれど、キオの言葉です。
とにかく、この大菊は高宮さんに捧げます。



モドル
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