Deep Sea/Text






交錯






―タイミングを見計らって、さり気なく、

部活の後コートの片づけをして、その後もリョーマはひとり残って練習していた。いい加減あたりも暗くなり、ボールが見えづらくなったところで続けるのを諦め、部室へと向かう。その道すがら、リョーマはずっと同じ事を繰り返し考えていた。否、自主的居残り練習中も考えていたかもしれない。

―何気ない風を装って、それから不意をついて、

もう何日も同じ事を考えている。

―無理矢理引き寄せて、それで、

もう何回か数える気にもならない程だ。

―それで、キスする。

ふうとひとつ息を吐く。端から見ればテニスのイメトレでもしているように見えるかもしれないリョーマの頭の中は、実はそんな不埒な事でいっぱいだった。



不埒な思考の対象は、リョーマが所属する男子テニス部の部長、手塚国光だった。

男、しかもよりによって手塚でなくたっていいのに、と自分自身を呪いたい気持ちはあったが、恋は盲目というやつで好きになってしまった以上もうどうしようもない。
とすれば、自分の気持ちをどうやって手塚に伝えるか。リョーマにしては珍しく思い悩みもしたが、夏が終わったら3年生の手塚は部を引退してしまうから、自分に与えられている時間は少ない。かといって不粋を絵に描いたような手塚にちゃんとわかってもらえるだろうか。
菊丸などから聞いた話では、やはり手塚は女子にそれなりに人気があって、告白される事も珍しくはないらしい。だがリョーマは女子ではない。おまけに普段の自分の行動からいって、からかっているとか、冗談だとか取られても不思議ではなく、怒られる可能性すらある。
日頃の行いって結構大切なんだなと、リョーマはほんの少し反省した。
そして色々と考えた末に導き出したいささか乱暴な結論、それがここ数日の間リョーマの頭の中で繰り返し行われている事なのである。

まずは、キスする。それから、好きだと言う。
多少強引な手を使ってでも、自分を意識させる。

それが、リョーマなりの対手塚攻略だった。



そんなわけで、リョーマは手塚と二人きりになる機会を狙っていた。
手塚は練習の後も部誌を書いたり練習メニューを考えていたりと他の部員より遅くまで残っている事が多い。だから手塚一人をつかまえるのはそんなに苦労しないだろう、とリョーマは軽く考えていた。
だが、それは予想以上に難しかった。
手塚はお世辞にも愛想がいいとは言えないし、他の部員達と馴れ合うのをあまり好まない性格から、いつもひとりでいるといったイメージがある。ところが実際は副部長の大石をはじめとして同学年の不二や乾、他レギュラー陣、あるいは竜崎顧問、はたまたフォームやらテニスの事を質問している下級生など、誰かが傍らにいることが多い。
要するに、手塚はおそらく本人が思っている以上に周りの人間に好かれているという事だ。
リョーマにしてみれば、みんなどうしてあんな不愛想な朴念仁に懐くんだ、と舌打ちしたい気持ちだったが、そういう自分だって他人の事は言えない。
校内でなら一人でいる事も多いのかもしれないが、3年生の教室へおしかけるわけにもいかず、かといって生徒会室では他の役員がいる事が多いし、そもそも校内でつかまえてキスするわけにはいかない。学校外に呼び出すのは色々と確実性が低いうえに、授業以外の時間は放課後も休日もほとんどテニス部の練習なのだから、結局は部活の後を狙うしか無かった。
だからこそ、ここ一週間程は毎日遅くまで居残りして自主練習などしているのである。そんな不純な動機であるとはつゆとも知らない大石は、熱心だと誉めてくれたりしたが。

今日も練習しながらそれとなく部室の方を伺っていたところ、たしかにまだ手塚は残っている。だが乾や大石も帰った気配がなかった。ということは話し込んでいるに違いなく、どうやら今日も無駄足を踏む事になったなと、半ば諦めてリョーマは部室のドアを開けた。

だが、予想に反して部室にいたのは手塚一人だった。

手塚はいつものように机で部誌を書いていたが、扉の前で止まっているリョーマの方を軽く振り返った。
「越前?…まだ残ってたのか」
リョーマが軽く頭を下げると、再び手塚は机に向かい、リョーマに背を向けたまま言った。
「練習熱心なのもいいが、あまり遅くならないうちに帰れ。明日に響く」
「うぃーっす…」
内心の動揺を隠して、リョーマはロッカー前へ移動し、着替えをはじめた。ちらりと横目で様子を伺うと、ノートは手塚らしい神経質な字でびっしりとうまっている。書いてある内容にははっきりいってまるで興味無いが、手塚の細い指が動くのを見ているのは楽しい。しばし見とれていたリョーマだったが、当初の目的を思い出して、あくまでもさりげなく手塚に話し掛けた。
「部長こそ、いつもこんな時間まで残ってるんすか」
「いつもというわけじゃないが、大体この時間だな」
「大変っすね」
「そうでもない」
あっそ、とリョーマは口の中だけでつぶやいた。本当にどうしてこんなに面白みの無い男がもてるんだろう、と思う。もちろん自分も含めてだ。
「部長ひとりっすか?」
「いや、まだ大石と乾が残ってる」
「そうなの?…コートにはいなかったけど…」
腹に一物あるリョーマは、あまり不自然にならないようにと言葉を選んだつもりだったが、手塚の方は別に何とも思っていないのだから、それは気の使いすぎというものかもしれない。
「過去全ての対戦成績を調べると言って、資料室に行った」
「二人とも?」
「ああ。尤も、大石は付き合わされていると言うのが正しいな」
「それは気の毒っすね」
一体そんなデータを何に使うのかリョーマには見当もつかないが、乾には重要なデータとなるのだろう。また意味不明な練習メニューが登場するのは遠慮したいところだが、今日ばかりは感謝したい気分だった。さらに大石を連れて行ってくれたのもありがたい。乾さまさまである。
「それじゃあ、結構時間がかかる…っすよね」
「そうだな」
手塚は顔をあげることもせず、ひたすらノートに文字を書きつけている。
今しかない、とリョーマは判断した。しかもうまい具合に手塚は座っている。28センチの身長差ではいくら不意をつくといっても、いきなりキスするのは骨が折れるから、今なら状況は申し分ない。

リョーマは瞬時に、さっき散々考えていた場面を頭の中に呼び起こし、心を決めた。

「部長」
素早く着替えをすませて荷物をまとめると、リョーマは何気なく机に近付いた。腰をかがめて机に頬杖をつき、手塚の顔を覗き込む。
硬質なレンズの奥にある目をこんな風に間近で見る事は滅多にない。結構睫が長いのだとはじめて知った。
「何だ?」
こんなに顔が近くにきても、まるで意識する様子がない。リョーマはただの後輩で、しかも男子生徒なのだから当然の反応なのだろうが、それはそれでちょっと悔しい。

―すぐに俺の事、意識せずにはいられないようにしてやる。

リョーマは猫のように、目を軽く細めた。
「アンタはいつも忙しそうだね。なんでも背負い込み過ぎなんじゃない」
「性分だ」
「ふーん…まあいいや。ところでさ」
そこで一度言葉を切り、体勢を整える。
「部長……キス、したことある?」
「…え?」
手塚が怪訝そうにリョーマの顔を見た、その瞬間。
素早く伸びたリョーマの右手が手塚のジャージの胸元を掴み、その身体をぐいと引き寄せた。パイプ椅子ががたっと大きな音を立て、手塚の左手からボールペンが落ちた。
リョーマは軽く顔を傾けて、手塚の顔へ寄せる。
そして、鼻の頭が触れる寸前の位置で、手塚と目が、あった。

―あ。

思わず。
リョーマの動きは、止まってしまった。

ほんの数センチ先にある手塚の顔。引き寄せた勢いでほんの少し位置がずれた眼鏡の奥の目は、大きく見開かれている。
ああ、本当に睫が長いな…。なぜか、そんなどうでもいい事が脳裏をかすめた。
止まっていた時間はおそらくほんの数秒だっただろうが、随分長い時間のように、リョーマは感じた。

「あ」

急に手塚が短く声をあげたため、リョーマはびくりとして、手塚のジャージを掴んでいた手を放した。
「…越前」
「ハ、ハイ?」
咄嗟に次の行動が思いつかないまま、リョーマは間の抜けた返事をしてしまった。身体の自由を取り戻し、立ち上がった手塚の視線は机の上に注がれている。
「あー…」
手塚の視線を追った先にリョーマが見たものは、縦一文字に見事なボールペンの線が走ったノートの姿だった。引き寄せた時に、手塚の手が滑って引いてしまったに違いない。
「越前…」
「…えーっと…その…」
「越前っ!」
「ご…ごめんなさい…」
「まったくお前は…」
さっきまでの勢いを無くしてしまい、リョーマは上目遣いに手塚を見た。ジャージの襟元をただしながらリョーマを見下ろしている手塚の表情は驚く程いつもどおりで、要するに不機嫌きわまりない、という顔だった。
「大体お前、何がしたかったんだ。わざわざ人の邪魔をしにきたのか?」
「はあ!?いや、何って…」

―あの状況で何をしようとしたかなんて一目瞭然じゃん!

手塚がこの手のことに疎いのは知っていたが、これほどまでとは。リョーマは大きくため息をついてがっくりと肩を落とした。手塚はしばらくそんなリョーマの事を睨み付けていたが、やがて言った。
「越前。わかってると思うが…明日の朝練の前に」
「グラウンド10周…ね」
「20だ」
「…うぃーっす…」
手塚は床に落ちたボールペンを拾い、パイプ椅子の位置をなおして座り直すと、もう一度ノートをじっと見て、次にリョーマの顔を見た。その眉間には深いしわが刻まれており、もたもたしているとさらに手塚の怒りを買うはめになるのは確実だ。そうとくればリョーマの行動は早い。テニスバッグを急いで担ぎ上げると「サヨナラ!」と短く挨拶をして、逃げるように部室を走り出た。



リョーマはそのまま校内を全速力で走り抜け、校門を出たところでやっと止まった。
「あーあ、俺もまだまだだね」
乱れる呼吸を整えて壁によりかかると、背中に感じる石の冷たさが心地よい。
「それにしても、何でわからないかなー…天然記念物だよ、あそこまでいくと」
それとも俺の話ちゃんと聞いてなかったのかな、ため息混じりにそう呟いて空を見上げる。すっかり暮れた暗い夜空には細い月がでていた。
間近で見た手塚の顔を思い出して、リョーマは目を閉じた。

遠くで見るより、色が白いと思った。
乱れた前髪がかかった目がきれいだと思った。
その目がまっすぐに自分を見ていて心が震えた。

いつか必ず、自分のものにしたい。

「ま…わかんなかったんなら、それはそれでいいか」
また振り出しに戻ったというだけの事だ。さすがに同じ手は使えないだろうが、それなら別の方法を考えればいい。そんな時間さえも悪くないと感じてしまう自分は、相当重症なのだ、そう思った。
「今に見てなよ」
そううそぶいて、リョーマは壁から身体を離し、遅い家路についた。



「今走って行ったの…越前かい?」
リョーマと入れ代わるように部室へ入って来た乾と大石は、中にいた手塚に向かって声をかけた。
「あいつにしては珍しく慌ててたな。何かあったのか、手塚」
だが手塚は机に向かったまま微動だにせず、返事もしない。訝しんだ乾は手に持っていた資料をベンチに置くと、手塚の横にまわりこんだ。
手塚の前におかれた部誌には、なぜかど真ん中に縦線が入っている。それも不思議だったが、それ以上に乾の目を引いたのは手塚の様子だった。
手塚は口もとを右手で覆い、あらぬ方を凝視している。
「手塚…どうした?」
「…何が」
「何がって……顔、赤いよ?それと、耳も」
乾の言った通り、手塚の目もと、そして耳には朱がさしている。それはほんのわずかではあったが、色が白いだけに誰の目にもはっきりと見て取れた。
「ホントだ。具合でも悪いのか?」
「…別に…」
覗き込んでくる乾の視線を避けるようにして、手塚は机の上のノートに目を向けた。

白い紙を埋める神経質な自分の字。
いつもと変わりない内容の文の羅列。
その上を走る、強い線。
それは。

「別に、何も……何も無い」

手塚は我知らず、左手に持ったボールペンを握りしめた。
ノートに書かれた自分の文字も乾の言葉も、もう頭に入ってはこなかった。



END


このヘタレ野郎!と罵っていただいて結構です(私を)
やりそうでやらないシチュエーション萌えなんで…す…。
プラトニックこそ最大のエロだと思ってるんです。
ああやらしい。その精神がやらしい。
うちのリョーマはちゅーもさせてもらえなくて可哀想。欲求不満ですよ。手塚も。
でもいいんだ、青春なんだもの!もっともがけばいい!ははは!(……)



モドル
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