Deep Sea/Text






第21章




「良かった…部長、無事だったんだね」

 まるで休み明けに挨拶でもするかのように、リョーマはそういって軽く笑った。対する手塚は、リョーマを凝視したまま無言である。手には見なれないラケットを持ち、肩からは氷帝学園のジャージを羽織っていた。

「そのユニフォーム…氷帝のヤツと戦ったの?」
「…」
「アンタがここにいるって事は、倒したんだね。流石」
「…越前」

 挑戦的なリョーマとは正反対に、手塚の声は静かだった。

「何?」
「この二人は、お前がやったのか」

 手塚は、目線を下に移した。そこには、荒井と池田が折り重なって倒れている。

「そうっすよ」
「…」
「最初に言ったとおり、俺は、こんなところで死ぬなんてごめんだよ。先輩達には悪いけど、これがここでのルールだしね」
「海堂も、お前か」

 その声には、怒りも狼狽も感じられず、ただ静かだった。リョーマは何か言いかけたが止め、肩を竦めて苦笑してみせた。

「よく知ってるね」
「…」
「できれば海堂先輩とは、やりたくなかったな…。あの状況じゃ仕方なかったんだよ。別に、言い訳する気はないけど」

 その時、突然周囲の空気を震わせて、スピーカーから芝の高い声が流れ出た。ほんの一瞬、二人は目線を泳がす。放送の時間ではないはずだが、一体、何事だろうか。

『はーいみなさーん!時間も参加メンバーも残り少なくなったので、ここで臨時放送でーす!今日の朝から今までに脱落した子を発表するわよ〜』



 氷帝学園・跡部、忍足、向日、宍戸、鳳、樺地(生存者無し)
 不動峰中学・伊武(生存者無し)
 青春学園・乾、荒井、池田



『放送は、これが最後でーす。じゃあみんな、終了まで気を抜かずに頑張ってね〜!』

 ブツッ、と不快な音と共に放送は途絶えた。

「…!」

 乾が、やられた。
 昨日別れた時の、乾の顔が手塚の脳裏によみがえる。彼はこの極限の中で、一体誰に会いたかったのだろう。それを知る術は、永久に失われてしまった。
 はっとして、手塚は正面に立つリョーマを見る。
 現在生き残っているメンバーで、乾を倒せる者がいるとしたら、それは…。

「まさか…」
「…さすがに、乾先輩は苦戦したっすよ。伊達にナンバー3を名乗ってたわけじゃないって…」
「越前!」

 手塚は、どうしても捨てきれなかった、最後の迷いを振り切った。

「…お前は…お前だけは、俺が止める」
「わかった。こんな形で決着をつける事になるなんて、思ってもみなかったけどね」

 リョーマがラケットを構えたその時、左手の木立の中から桃城と加藤が姿を現わした。手塚と同様、先ほどの爆発音を聞き付けたのか、ラケットを握りしめ息を切らせている。

「あっ…!」
「部長!それと…越前!?」

 二人の姿を認めた桃城は、安堵の笑顔を浮かべた。

「越前、よかった、無事だったんだな!」
「…」

 だが、リョーマと手塚の間のただならぬ空気に気付くと、その笑顔は凍り付いた。

「何やってるんですか?二人とも。ま…まさか」
「桃城、手を出すな」
「部長…!なんでですか!こんな、こんなこと…!」
「いいんだよ、桃先輩。きっと、最初から決まってたんだ…こうなるってこと」
「越前っ…」

 どうやっても止めることはできないのだと悟って、桃城は力なくうなだれる。なぜ、こんなことになってしまったのだろう、それはここに来てから何度となく繰り返された質問だった。

「言っておくけど、次はそっちの二人だからね」
「リ…リョーマ君!」
「アンタが俺を倒せなければ、そのあと二人にも、ここで死んでもらうことになるよ。そのつもりでいてもらわないと」
「わかっている。だが…」

 手塚は、ラケットのグリップを強く握り直した。

「俺は負けない」

 リョーマは、ひどく満足そうに笑んだ。

「そう…じゃあ、行くよ!」

 ポケットにボールをねじ込み、他の荷物を後方へ投げ捨てると、リョーマは手に持ったボールを構えた。だが、ラケットを振り上げようとしたまさにその時、リョーマの背後でガサリと草が鳴った。

「…!部長、危ない!」
「な…っ」

 突然、リョーマは手塚に飛びついた。不意をつかれて支え切れず、手塚は地面に押し倒される形になった。背中を強打して、一瞬呼吸が止まる。

「…っ、一体、何が…」

 かろうじてラケットを握ったまま、手塚は上体を起こそうとした。だが、手塚の上に折り重なった体勢のリョーマは、動こうとしない。

「越前?どうし…」

 そこで、手塚ははっとして口をつぐんだ。ごろり、と鈍い音を立てて、黄色い物体…テニスボールが、リョーマの頭のあたりから、脇に転がるのが見えたのだ。
 慌てて身体を引き剥がすと、リョーマの身体からは力が抜け、ぐったりとしていた。さらに、口の端から赤黒い液体が筋を引いている。

「…!」
「桃ちゃん先輩!あ、あれ…」
「亜久津!」

 加藤が指差した先、リョーマの背後の林に立っていたのは、亜久津だった。渋い表情で湿気た煙草をくわえ、ラケットを肩に乗せている。

「…お前ら、揃ってこんなところに…」
「亜久津っ!」
 飛びかかろうとした桃城を、加藤ははがいじめにする形で、なんとか押しとどめた。

「だ、駄目です、桃ちゃん先輩!」
「離せ!畜生!よくも越前を!」

 憤る桃城の声をどこか遠くに聞きながら、手塚はリョーマの身体を仰向ける。心臓は激しく打っていたが、頭ではこんなに軽かっただろうかと、そんなことを思った。まるで、現実を受け止めるのを拒否しているかのように。

「部…長、大丈夫…?」
「越前!しっかりしろ!」
「…ちぇっ、こんなはずじゃなかったんだけど…」

 リョーマはさらに数度咳き込んだ。血が、手塚のウェアに小さな点を描く。

「あ…あの時…分校の、前で言っ、た事…嘘じゃ、ないんだ…俺…」
「喋るんじゃない!」
「俺、アンタのこと…好きなんだ…本当だよ」
「越前…」
「だから、最後まで…一緒に、いたかった、けど…でも」

 リョーマはふっと小さく笑った。

「…やっぱり、俺と部長は…戦わずには、いられなかったね」
「…」
「きっと…俺達は…そういう…」
「…越前…?」

 だが、リョーマはもう返事をしなかった。そして、パタリと落ちた腕の先で、小さな電子音が鳴り、リストバンドがその機能を停止した事を告げた。

「亜久津!てめえ、許さねえ!」
「桃城…だったか?さっきから何言ってんだ、俺は…」
「黙れ!」

 加藤を渾身の力で振り切ると、桃城はラケットとボールを構えた。亜久津は眉をひそめたが、すぐに自らもラケットを握り直し、桃城に向かって突き付けた。

「何だか知らねえが、この際だ、お前らまとめてぶっ倒してやる!もう、こんな馬鹿げたことはまっぴらだ!」
「上等だ!行くぜ!」
「桃城!」

 走り出した桃城の足を、手塚の声が制した。

「下がれ、俺が…亜久津は、俺が倒す」
「部長、でも…!」
「桃城、俺のボールをよこせ」

 手塚の声は低かったが、有無を言わせぬものがあった。しばらく逡巡した後、桃城は手塚に支給されたバックパックからボールを取り出した。診療所から移動する時、怪我をした手塚に負担がかからないよう、桃城が代りに持って歩いていたのである。
 放ってよこされた、通常のものよりやや重いそのボールを、手塚は右手で受け止めた。そして亜久津に向かって、無言でラケットを構えた。

「誰が来ても同じだ。俺は、必ずこの島から出てやる!」
「…」

 無言のまま、手塚はボールを高くトスした。亜久津も両手でラケットを構える。鈍い音と共に放たれたボールを躱しつつ、亜久津は前方へ走り出た。相手の打球は受けずに避ける、それがこの島で戦う上での大前提なのだ。

「次はこっちの番だ……って、何っ?」

 ポケットから自分のボールを取り出したところで、亜久津は不穏な気配に気付いて咄嗟に身体を捻る。そして、信じられない光景を目にした。避けたはずの手塚の打球が、ありえない角度で軌道を変え、自分に向かって襲い掛かって来たのである。

「な…なんだこれは!」
「桃ちゃん先輩!あのボール、亜久津さんに向かって飛んでいってます!」
「…逆手塚ゾーン!?」
「くそっ、ホーミング弾か!」

 どういう仕組みかは不明だが、これでは障害物に当てるか、あるいは打ち落とすしか手がない。亜久津は持ち前の柔軟さを発揮して、走りながら体勢を整え、迎撃の構えをとった。
 その時、手塚が放った別のボールが視界に入り、亜久津は反射的にそれを避けた。

「!しまった!」

 だが、そのわずかな動きが徒となり、ラケットを振るのがほんの数秒、遅れてしまった。先に打たれたボールは、亜久津のラケットのフレームに当たると、破裂して刺激臭のあるガスをまき散らした。

「ち…くしょう」

 それでも亜久津はなんとか膝をついて堪えていたが、やがて前のめりに地面に倒れ、動かなくなった。

「…」

 手塚は亜久津に背を向けると、リョーマに近付き、傍らに跪いた。口元の血はすでに雨で洗い流されたのか、まるで眠っているかのようだ。そっと抱き起こすと、白い帽子がするりと頭から離れ、音もなく濡れた地面に落ちた。

「部…」
「桃城…しばらく、二人にしてくれ…すまない」
「…行くぞ、加藤」

 泣きじゃくる加藤を半ば引き摺るようにして、桃城はその場を離れた。
 叫び出したい気持ちを押さえるように空を見上げると、雨はいつの間にか止んで、切れた雲間から光が差し始めている。なぜか、桃城にはそれがひどく忌々しく感じられた。

「これで、本当によかったのか…越前…」

 二度と答えが返ってこないとわかっていても、手塚は問いかけずにはいられなかった。

 山吹中学・亜久津仁、青春学園・越前リョーマ、敗退。



  



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「逆手塚ゾーン」は自分でも脱力しましたが、
でも理論上は(手塚ゾーンがあり得るなら)あり得ると思うのですがどうでしょう。
(どうっていわれてもネ!)



モドル
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