Deep Sea/Text






第20章




「あーあ…腹減ったな。おまけに雨かよ。チッ、たまんねえな」

 雨粒が葉を叩く音を聞きながら、荒井は舌打ちした。その横では、池田がやはりうんざりとした表情で、どんよりと曇った空を見上げている。
 青学2年のこの二人は、最初の夜が明けた頃に偶然出会い、それ以来ずっとこの場所でじっとしていた。食料も乏しかったし、何より他校の選手にでくわしたら目も当てられない。
 いつまでもこうしているわけにはいかないが、さりとて状況を打開する名案も浮かばず…二人はただただ座っている事しか出来なかった。

「なんで、俺達こんなことになっちまったんだろうなー」
「まったくだぜ…もうすぐ夏休みだったのによ」
「そういう問題じゃないって気もするけどな」
「まあな…」*そこで二人ははーっと同時にため息を吐き出した。もう、何度目の事か数える気にもならない。最初のうちはそれでも色々と話をしていたのだが、タイムリミットが近付いているという恐怖や疲れから、口数は徐々に少なくなってきていた。

「マサやん、俺ちょっとションベンしてくるわ」
「ああ、気をつけろよー」

 荒井は立ち上がり、念のためラケットとボールを持って、数メートルほど離れた茂みへ移動した。小用を足しながら、荒井はふと、青学のメンバーの顔を思い浮かべた。

(あと青学で俺達の他に残ってるのは部長と、乾先輩と、桃と、勝野……それと)

 雨音に混じって、小水が草を叩く音がパラパラと響く。

(越前……か。他のメンバーはともかく、あいつには気を付けないと…あいつなら…)

 越前なら、やる。いや、今までに脱落した奴の中に、越前にやられたものがきっといるに違い無い。荒井はそう考えて思わず身震いした。
 用を足し終わって、池田のところへ戻ろうとした時、背後でガサリと音がした。荒井は一瞬凍り付いたが、すぐにラケットを構えて振り返った。そして、再び固まった。

「え、えええ、越前っ!?」
「あ…荒井先輩?」

 背後の茂みから顔を覗かせたのは、なんとリョーマだった。
 手に愛用の赤いラケットを握りしめている。ボールは持っていない。

(やられる…絶対やられる!)

 冷や汗がだらだらと背中を伝うのを感じながら、荒井はボールの入ったポケットに手を伸ばした。
 その時。

「あ…荒井先輩っ!」
「へ?…うわあっ!」

 構えたラケットを下ろすなり、リョーマはだっと荒井に走り寄ると、その体に抱き着いたのである。

「えええええええ越前!ど、どどど、ど」
「先輩っ!良かった、先輩に会えて…俺…俺、ずっとひとりだったから…!」

 狼狽する荒井をよそに、リョーマはしっかりと抱き着いたまま離れようとしない。予想外の出来事に、荒井は軽いパニック状態になったが、はっと我に返ると、リョーマの小さな体をどんと突き飛ばした。

「は、離れろ越前!近付くんじゃねぇっ!」
「先輩…?」
「お、お前、お前が他の連中を殺ってんだろ!?そうなんだろ!?」
「荒井先輩、そんな…俺、そんなことしてないっすよ!」
「ううう嘘つくんじゃねえ!お前ならやりかねねえ!」

 荒井ははあはあと肩で息をしながらリョーマを睨み付け、改めてラケットを構えた。正面からぶつかって勝てる自信など正直ありはしないが、黙ってやられるつもりもなかった。

「荒井、どうしたんだ?…あっ、え、越前…!」

 騒ぎを聞き付けてやってきた池田も、リョーマの姿を認めると慌ててラケットを構えた。
 だが、次のリョーマの行動はふたりの予想を裏切った。リョーマはラケットを持った左手を下ろすと、呆然とした表情で荒井の顔を見つめ、そして、言った。

「先輩…俺の事、信じてくれないんすね…。俺が…今まで生意気な事ばっかり言ってきたから…」
「…」
「きっと、みんな俺の事疑ってるんですよね……でも、でも俺…っ」

 そこでリョーマは言葉を詰まらせた。そして、次の瞬間、その大きな目から涙がぽろりとこぼれ落ち、荒井と池田は思わぬ光景に息を呑んだ。リョーマは下を向くと、ジャージの袖で目をぬぐった。俯いたままのリョーマの肩が、小さく震えている。

「越前…」
「だ、騙されるんじゃねえマサやん!こ、こんなの嘘泣きに決まってるぜ!」
「でもよぅ、荒井…」
「……いいんです、池田先輩。い、今まで、疑われる、ような事、してきた俺が、悪い、悪いんですから」

 涙声でつかえながらしゃべるリョーマの姿に、さすがの荒井も心が揺らぐ。落ち着いて良く観察すれば、ジャージは雨に濡れてスニーカーもドロドロに汚れており、すっかり疲れ切っているように見えた。手にしているのはラケットのみで、支給されたバッグも自前の荷物も、他には何ひとつ持っていない。

「越前、その…」
「すいませんでした、先輩…。でも、もうひとりで逃げるのもなんだか疲れちゃったし、いっそここで…先輩に…」
「そ…それって、俺達にお前をやれっていってんのか!?」
「な、なあ、荒井…越前だって、青学の仲間だしさ…。俺達にしたって、戦力的にも越前が一緒の方が心強いだろ?」
「……」

 池田の言う事はもっともだ。リョーマが味方についていれば、生き残る確率はぐんとあがる。だがそれは、あくまでも『味方なら』の話だ。荒井は必死に頭を働かせて、どうするべきかを思案した。

「…いいだろう」
「荒井先輩…」
「そのかわり、本当にやる気がないってことがわかってからだ」
「でも越前、ラケットしか持ってねえじゃん?」
「一応、調べさせてもらうぜ」

 荒井と目があうと、リョーマはこくりと頷き、ラケットを足下に置き、手を頭の上に乗せた。用心深くあたりをざっと見回して何もないことを確認すると、荒井はリョーマに近付いた。テレビドラマで見たシーンを思い出して、服の上からぎこちない手つきでリョーマの華奢な身体をはたく。

「な…なんか本格的だな」
「お、おう。まあな」
「あ…んっ!」

 腰の辺りを叩いたところで、突然リョーマがカン高い声をあげ、驚いた荒井は一瞬にして後方へ飛び退った。

「えええええ越前んんん!おかしな声出すんじゃねえぇぇぇっ!」
「だって、荒井先輩…変なとこ触るから…」
「…荒井…お前…」
「ち、違ーう!誤解だ!」
「先輩、続きは?」
「もういい!」

 顔を赤くしたまま、荒井はリョーマのラケットを拾い、乱暴にそれを押し付けると先に歩き出した。リョーマがちょこちょことついてくるのを確認して、ようやく安堵する。これなら、うまくいけば生き残る事ができるかもしれない…。

「ところで先輩…」
「あ?なんだ?」
「先輩達は、二人だけ?他に誰か一緒っすか?」
「俺達だけだよ」
「途中で、誰かに会いました?」
「いや、誰にも…」

 リョーマの足音が急に止まった。

「そう。それを聞いて安心したっすよ」
「…え?」

 二人が振り返ると、リョーマは5メートルほど後方で、帽子のつばに手をかけたいつものポーズを作っていた。その口元が、微かに笑んでいる。

「マサやん…俺、なんかすごく嫌な予感が…」
「うん…俺も…」

 まるでスローモーションの映像を見ているように、リョーマはひどくゆっくりとした動作で、帽子を脱いだ。そして、それを反対側の手の上でひっくり返すと、掌の上には、黄色い物体が…。

「まだまだっすね」
「……アー!」

 一瞬後、あたりに爆音が轟き、驚いた鳥達が木々の間から一斉に飛び立った。

 倒れている二人に近付いて動かないことを確認すると、リョーマは、荒井と最初に出会った場所から離れた茂みに隠しておいた、自分の荷物を引っ張り出す。

「やれやれ、ほんとツメが甘いっていうか…。!?」

 バッグを肩に担いだ次の瞬間、リョーマはざっと後方へ飛び退ってラケットを構えた。木立の向こうから、誰かが近付いてくる。今の爆発音を聞き付けたのだろう。
 水を跳ね上げる足音は、次第に近くなりつつある。それは少し不自然なリズムで、ぎこちない動きを想像させた。足音の主は、怪我をしているようだ。

(不用心だな…でも、そういうところが…)

 そして、足音は、リョーマの数メートル先で止まった。

「俺、結構好きっすよ…部長」
「…越前…」

 雨の中で対峙した二人は、しばらく無言だった。

 青春学園・荒井将史、池田  敗退。



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当初はリョーマ様が荒井を誘惑する話だったんですが、
心が寒くなったのでやめました。



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