Deep Sea/Text






第15章




「…杏ちゃん…今頃どうしてるかな…」

 満天の星空を見上げながら、神尾は小さく呟いた。
 山のふもとで合流した後、神尾と橘の二人は、途中休憩を挟みながら少しずつ移動していた。同じ場所に留まっているのが危険であったし、チームメイトの伊武を見つけたくもあったからだ。だが、結局伊武とは合流を果たせず、また他の誰にも合わないまま、このゲームの出発点である分校から一キロほど離れた林にたどりついた。
 朝と同様に、橘の手料理で腹を満たした二人は、並んで座ったまま、もう三十分ほどこうして夜空を見上げている。

「見事な星空だ…さすがに東京ではこうはいかないな」
「そうですね」

 相変わらず呑気な橘の台詞に相槌を打ってはいたが、神尾の目は星など見ていなかった。まるでスクリーンのように、夜空に橘杏の笑顔が浮かんでは消えてゆく。
 神尾は、橘の年子の妹である杏に、随分前から想いを寄せていた。もちろん神尾の片思いだったが、いずれちゃんと打ち明けるつもりでいた。今の自分達の目標、全国大会優勝を果たしたら。そう思っていた。

(でもこんな事になるなら、もっと早く…)

 となりに座って空を見上げている橘の横顔をそっと見て、神尾は小さくため息をついた。たとえこのまま二人で生き残ったとしても、このゲームの勝者は一人だけなのだ。

(それなら)

 それならば、杏の元へ帰るのはやはり橘が相応しいと、神尾は思う。橘が帰らなかったら、杏の哀しみはどれほどのものか。それを考えると、神尾は胸が締め付けられるように苦しくなる。だから、万が一橘と自分が最後に残ったら、その時は、なんとしても橘を勝たせようと心に決めたのだった。
 そんな神尾の決意を知ってか知らずか、橘は空を指差しながら、夏の星座を楽しそうに追っている。こうしていると、今自分達が置かれている状況の異常さが、まるで夢のように感じられた。
 どれだけそうしていたか、急に橘は神妙な顔を神尾に向け、真面目な声で語りかけた。

「なあ…アキラ。こうして星を眺めていると、自分達がとてもちっぽけな存在に思えてこないか?」
「え、えっ?はあ…まあ…なんていうか」

 どう対応してよいか迷い、神尾は中途半端な返事をしてしまった。だが、そんな神尾にはお構い無しに、橘は続けた。

「この宇宙の広大さ、そしてつちかってきた永い年月にくらべれば、俺達の一生なんて、まばたきする間も無いくらい短い」
「はあ…」
「だから」

 そこで、橘がキッと強い瞳で神尾を見据えたため、思わず神尾の背筋がピンと伸びた。

「…今これから、あの分校へ行くぞ」
「…はあ……って、え?なんですって?」
「そして、このゲームの主催者…誰かは知らんが、そいつと話をつけようと思うんだ」
「まま、待って下さい橘さん!どうしていきなりそういう話になるんですか!」

 話の展開についてゆけず、神尾は目を白黒させた。だが、橘の方はすでにやる気なのが、その表情から見て取れる。

「そんなの、危険すぎますよ!橘さんだって見たでしょう、あいつら青学の不二を、容赦なく撃ったじゃないですか!忘れたんですか?」
「無論忘れてなどいない…あれは痛ましい出来事だった。だが、同じ人間同士なんだ。話し合えばきっとわかりあえる、俺はそう思っている」
「そんな…無茶ですよ!」
「…アキラ」

 その声はやけに静かで、神尾ははっとして口をつぐみ、改めて橘の顔を見た。

「そうだな…無茶かもしれん。だが、このままでは、犠牲者が増えるばかりだ」
「……!」
「ちっぽけな俺達の人生でも…それでも、最後まで諦めずにできるだけのことを、やるべきじゃないか?」
「橘さ…ん」
「もちろん、無理についてこいとは言わん。俺はひとりでも行く」

 そして、橘はふっと笑った。

「…だが、杏のところに帰る時は、みんな一緒だ…いいな」
「た…橘さあん!」

 神尾はわっと泣き出して、橘にどんと抱きついた。橘の度量の大きさに感じ入ると共に、ただ状況に流されようとしていた自分を恥じた。

「俺、俺も一緒に行きます!行かせて下さい!」
「アキラ…ありがとう。よし、そうと決まればすぐに出発だ。こうしている間にも、どこかで無意味な戦いがおきているかもしれない」

 二人は荷物を手早くまとめ、林を後にした。懐中電灯であたりを照らし、地図を確認しながら、分校へと続く道を足早に歩く。時折、どこかで梟がホーと鳴いた。
 行程の半分ほど進んだところで、視界が大きく開けた。小型トラックが数台停めてあり、その後ろにはプレハブ二階建ての簡素な建物がある。農協か、工場か、そんなところであろうか。そして、背後の木々の間からはあの分校の屋上あたりがわずかに見えた。

「ここまでくればあと少しだ」
「…」
「どうした、アキラ」
「シッ。橘さん、あのトラックの荷台に、誰かいます」

 神尾は声をひそめて立ち止まり、右斜前方に停まっているトラックをそっと指差した。橘が目を細めてよく見ると、暗闇の中に白いスニーカーがぼんやりと浮き上がっている。どうやら、誰かが荷台に横になっているらしい。

「迂回しますか?」
「…鵜飼い?」
「なんとなく違う事を言われてる気が…。あの、もしトラブルにでもなったら、やっかいかなって…」
「ハハッ、大丈夫さ。さっきも言ったとおり、ちゃんと話し合えば、相手が誰だろうとわかりあえるはずだ。そうだろう」
「そ、そうですね!」
「よし、こちらから声をかけてみよう」

 二人がそのままトラックに近付いたが、荷台の人影は動く気配がない。眠っているのか、あるいはすでに死んでいるのでは、という思いが胸中をかすめ、神尾はぶるりと身を震わす。
 トラックの横手に着いた橘は、そのまま後ろへまわりこんで、荷台の人物に懐中電灯の光を当てた。

「おい、そこにいるのは誰だ?」
「…っ、眩しいじゃねえか!人が気持ちよく寝てるってのに、この……と、てめえ、橘か…?」
「うわっ、あ、亜久津…!」

 懐中電灯の光の中で眩しそうに手をかざしていたのは、亜久津であった。どうやら本当に眠っていたらしい。思わず逃げ出しそうになって、しかし神尾は思いとどまった。

(そうだ、亜久津だって話せばわかるはずだ…橘さんだって、そう言ったじゃないか!)

 神尾は頭を何度か左右に振ると、勇気を振り絞って、亜久津に声をかけた。

「あ、亜久津!話を聞いてくれ、俺達は…」
「亜久津ーっっ!」
「…へっ?」

 突然、鼓膜が破れるのではないかという怒鳴り声が響き渡り、神尾は咄嗟に誰が発した声か理解できなかった。だが、隣に立っている橘の顔を見て、その形相の凄まじさに飛び上がった。

「た、橘さん!?」
「おおおおおお前、都大会ではよくもよくも俺達をコケにしてくれたな!食らえいっ!」

 言うなり、橘はデイパックから支給されたボールをつかみ出し、気合いと共に脇に抱えていたラケットで亜久津めがけて打ち込んだ。亜久津は素早く跳躍し、外れたボールが運転席の窓ガラスを粉砕する。地面に着地した亜久津はさらに横へ跳び、降り掛かるガラスの破片を避けた。その着地点へ向かってなおも攻撃をしようとした橘を、神尾は背後から必死に押さえ付ける。

「橘さん!落ち着いて!」
「これが落ち着いていられるかぁ!奴だけはこの手で討ち取らないと気が済まん!」
「さっきと言ってる事がまるで違うじゃないですか!」

 だが橘は神尾を振りほどき、亜久津へ向けて再度攻撃を仕掛けた。亜久津は二撃目も打ちかえさずに横へ避けたが、プレハブの壁に当たって破裂したボールが怪しい色の粉を巻散らすのを見て舌打ちした。

「チッ、てめえのボール…どうやら全部仕掛けが違うらしいな」
「ははは、その通りだ!貴様には、俺の攻撃が読めまい!尤も、俺だって読めないがな!」
「んなこと自慢すんな!」

 しかし、ボールの仕掛けがわからないのでは、さしあたっては避けるしか手がない。亜久津が逃げながら攻撃の隙を伺っていると、すぐに三撃目が放たれた。そのボールの内部からするどい棘が出現し、トラックの車体に深くめり込む。亜久津は後方へと下がり、建物の陰にすべりこんだ。

「おのれ、ちょろちょろと逃げおって!」
「た、橘さん、もうやめて下さい!」
「亜久津め、どこへ隠れた!」
「だ、駄目だ、全然話聞いてない…」

 キョロキョロとあたりを見回している橘の横で、神尾は頭をかかえた。その時、たった今橘の攻撃が当たったトラックの周囲に、黒い染みが広がっているのが目に入った。

(まさか…ガソリン?さっきの攻撃で、車体に穴が…!)

「あ〜く〜つ〜!どこだあー!」
「まずい、亜久津のボールはたしか、爆…」

 神尾の台詞が終わらないうちに、プレハブの陰からボールが飛んできた。そして、トラックに当たった途端、当然のごとくそれは爆発した。

「ぐわあーっ!」
「あ…杏ちゃーん…!」

 一瞬のうちにトラックは爆風と共に燃え上がり、二人の身体は弧を描いて宙を飛んだ。炎をまわりこんで亜久津が姿を現わした時には、地面に横たわった二人はすでに動かなくなっていた。

「どうやら馬鹿はウチの学校だけじゃ、ねえみたいだな…ったく、どいつもこいつも…」

 亜久津は何故かとても疲れた気分になって、燃え盛る炎で煙草に火をつけ、重い足取りでその場を立ち去った。

 不動峰中学・橘結平、神尾アキラ、敗退。





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これがあたしの橘像です。しどい。



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