Deep Sea/Text






第14章




「やれやれ、ひどい目にあいました」

 観月はじめは、先ほど赤澤と対峙していた農場から数百メートル離れた民家の庭先で、ひとり愚痴をこぼしていた。ボールが破裂した時、咄嗟に逃げてきたのはいいが、前日からの疲れもあってそれ以上動く事ができず、座り込んで休息していたのだった。すでに日は暮れて、あたりは暗い。
 古ぼけた井戸によりかかって、観月は空を見上げる。美しい星空だった。しかしこんな状況で見ても面白くもなんともない。ぶつぶつ呟きながら、観月は学校に残してきた不二裕太の顔を思い出した。今頃は、何も知らずに寮のベッドで眠っているに違いない。
 当初、裕太もこの試合に参加する予定だった。口ではなんのかのと言っていたが、本当は越前リョーマと、そして何より兄の不二周助と戦えるのを心の底から楽しみにしている事を、観月はもちろんチームメイト全員が知っていた。だが出発直前、寮の食堂で食事をとったあと、急に腹痛を訴えたのである。
 それでも裕太は行くと言ってきかなかったが、最後にはトイレから出てこられなくなってしまったため、やむなく参加を見合わせたのだ。バスを見送っていた、裕太の悔しそうな、そして青ざめた顔が目に浮かぶ。

「まあでも…今となっては、これで良かったんですね…」

 結果として、裕太はこの馬鹿げたゲームから逃れられた。そして何より、兄の無惨な姿を目にしないですんだのだ。もしあの場に裕太がいたら、我が身を顧みず奴らに食ってかかって、そして…やられていたに違いない。
 不二が倒れた場面を思い出して、観月はふーっとため息をついた。観月にとって不二周助は天敵といってよい相手だったし、言いたい事も色々あったが、だからと言ってまさか死んでしまえなどと思った事は一度もない。むしろ、いつか必ずテニスでこてんぱんにしてやる日を夢見ていたのだ。それなのに。

「まったく、天才が聞いて呆れますよ…あんなつまらない事で…やられてしまうなんて…」

 やり場のないその怒りを昨晩からもう何度口にした事か、数え切れなかった。だが、観月の怒りの原因はもうひとつあった。
 それは、昨晩芝から支給された、デイバッグの中身についてである。
 皆に荷物を支給する前、芝は確かに「当たり外れがある」と言っていた。言ってはいたが。

「…どうして、僕のペットボトルには炭酸が入ってるんですか!」

 昨晩学校を出てしばらくさまよい歩き、運良くといっていいのか赤澤と合流を果たした観月は、落ち着いたところで喉の乾きを潤そうと、ペットボトルの蓋を開けた。その途端、シュワッと場違いに爽やかな音をたてて、液体に細かい泡が立ち上ったのだった。

『…』
『お、おい観月…』
『何も言わないで下さい、赤澤君』

 それは、誰がどう見ても炭酸だった。しかも、ホテルで出るような炭酸入りミネラルウォーターなどという洒落たものではなく、どちらかというとしなびた観光地のしなびた食堂でクリームソーダを作る時に使うような、味もそっけもない代物だったのだ。飲めない事はないが、お世辞にもうまいとは言えない。むしろまずい。
 結果、同情した赤澤の水を少し分けてもらうという、屈辱を味わわされたのだった。

「水にまで外れがあるなんて聞いてませんよ。しかも…」

 観月はバッグの中から、支給されたボールを憎々しげに手に取った。そして、おもむろにラケットで適当に打つ。
 緩い放物線を描いて飛んだボールは、空中でぽんと軽快に破裂した。すると、

『ピヨピヨー』

 可愛らしい声と共にぱっと鮮やかな紙吹雪が舞い、中から黄色いひよこが飛び出した。地面に着地したひよこは、ピヨピヨと声をあげながら、あたりをしばらく徘徊していたが、やがて小走りに草むらへと消えていった。

「こんなもので一体どうしろって言うんです!」

 観月は誰に聞かせるともなく、思わず叫んでしまう。他にもいくつか試してみたのだが、結果はどれも同じだった。中身は御丁寧にすべて違ってはいたが、うさぎもひよこも亀もハトも大差ない。要するに、武器としてはまったく使い物にならないボールなのだ。

「ええい、いまいましい!僕に何の恨みがあって…」

 地団駄を踏みながら怒っていた観月は、そこではたと我にかえった。

「恨み…ですか…」

 自らが発した言葉が、観月の思考を刺激したのだ。観月は動きを止めると、井戸のへりに腰をかけて、考え込んだ。
 テニス部強化のため聖ルドルフに引き抜かれた観月は、結果を出すためにそれこそありとあらゆる事をやってきた。それが時として、周囲の人間に良く思われなかったとしてもだ。だから、自分に恨みを持っている人間もいることはいるだろう。
 だが、観月はそんなものを意に介した事はなかった。悔しかったら陰口を叩いていないで、実力で向かってくればいいのだ。だから、誰の恨みを買っているかなど、知った事ではない。…たったひとりを除いては。

「まさか…でも、そう考えると…」

 観月はこの島に来てから得た情報を次々と巡らしはじめた。夜に入ってから出てきた風が、梢を揺らすざあざあという音があたりに響く。
 しばらく思考の淵に沈んでいた観月は、風の音の中に、ふと何かの気配を感じた。体を動かさないように気をつけながら、目だけを動かして、そっと前方を見やる。そこには、古ぼけた小さな納屋があった。むろん、納屋には誰もいない。それは、先ほど確認済みである。だが観月は、納屋の埃っぽい窓を注意深く見つめた。窓には、ぼんやりとだが観月の背後が映っている。

 ―誰か、いる。

 観月は再び視線だけを動かして、足下に置かれたラケットを確認した。それは、すぐに構えられる位置にある。ひよこボールは使い物にならないが、いざとなれば石を拾って打てばいいだろう。

(誰です…あれは)

 その人物は、背後の気の陰に隠れるようにしてこちらを伺っている。暗さも手伝って、顔は全く見えない。だが、観月が気付いていないと思ったのか、やがて猫のように音もなく、木の陰からすべりでた。

「…!」

 顔は見えない。だが、観月にはそれが何者であるか、はっきりとわかった。

「ふ、ふふ…」

 観月は不敵に小さく笑うと、ラケットを手にしながら静かに立ち上がった。
 そして、振り返りざま、素早く左へと跳んだ。背後の人物がボールを打ったのが見えたからである。ボールにどんな仕掛けがあるかわからない状態で打ち返すほど、観月は迂闊ではない。
 ボールは観月の横をすり抜けて、大きく後ろへと飛んでいった。

「んふふふふ!丸見えですよ、君の姿!さあ、どうし……んがっ!」

 だが勝ち誇った笑みを作った次の瞬間、観月の後頭部で鈍い音がして、観月は前につんのめった。そして、そのままバッタリと倒れた。

「く、くそっ…!う、うっかりしてました…僕とした事が…!」

 観月は悔しそうに唸って地面を掻いたが、やがてその手もぱたりと落ちて、動かなくなった。襲撃者は、ゆっくりと近付いてくると、しばし観月を見下ろした。観月の後頭部から落ちたボールが、ごろりと重たそうな音を立てて、その足下で止まる。やがてその何者かは、踵を返して元来た方向へと姿を消した。
 後に残された観月の頭を、どこからともなく戻ってきたひよこがぴよぴよとつついている音を、風の中に聞きながら。

 聖ルドルフ学院中学・観月はじめ、敗退。





PREVNEXT


と、とりあえずキオさんごめんなさーい!
でも観月ってほんとに書きやすいと言うかいじりやすいと言うか、
おいしいキャラです。
と、ここまで来るとオチも分かろうってものですが、もうしばらくおつきあい下さい。

「…断る!」(喜安ボイスで)



モドル
2style.net