Deep Sea/Text






第12章




「ったく冗談じゃねェぜ…」

 強い午後の日射しが、地面に黒々とした陰を作っている。数時間前地味ーズが叫んでいた展望台(亜久津の爆弾ボールによって粉々に破壊されてしまったが)からやや離れた山の中で、亜久津は仰向けにねっ転がって煙草をふかしていた。忌々しいほどに青い空へ、白い煙がゆっくりと昇ってゆく。

「チッ、もう終わりかよ」

 毒づいた亜久津は、空になった煙草の箱を潰して近くに放り投げた。最後の一箱をバッグからポケットへと移してゆらりと立ち上がり、前方に見える小さな建造物へ向かって歩き出した。所謂公衆トイレである。
 辺りには誰もいないのだから適当なところで用を足してもよさそうなものだが、亜久津はそういう事をわりと気にする性格らしい。律儀に扉を開けて中に入り、薄汚れた便器に向かって小用を足し始めた。

(何か、引っ掛かる)

 用を足しながら、亜久津はこのゲームが始まって以来ずっと不自然に思っていた事を再び考え始めた。何もかもがおかしいと言ってしまえばそれまでだが、亜久津の心に引っ掛かっていた「ある事」に気がついたのは、今朝、展望台の下で眠りにつく直前だった。

―河村がいない。

 ゲーム開始前に集められていた教室で、比較的端の方に座っていた亜久津は、芝がルールを説明している間、教室をひととおり眺めてメンバーをチェックしていた。各学校は、それぞれ主催者が用意した別々のバスで会場へ向かっていたから、自分の学校以外は誰が参加しているのか知らなかったのだ。亜久津は積極的にやる気などさらさらなかったが、念のために確かめておくに越した事はない。
 ざっと眺めた感じでは、どの学校も公式試合のレギュラーで構成されていたが、学校によって人数にばらつきがあった。
 中でも青学はいつものレギュラーに加えて数人の下級生で構成されており、最も人数が多かった。だが、その青学レギュラーの中に、亜久津の幼馴染みでもある河村の姿だけが無かった。

(室町だって風邪でぶったおれたし、体調が悪いのかもしれねえが…しかし)

 実は、この島に来る2日ほど前、偶然にも亜久津は河村と街で会っていたのだ。その時河村は健康そのものだったし、この大会を楽しみにしている様子だった。たとえ急に体調を崩したとしても、彼の性格ならば、せめて応援のためにとついてくるのではないか。そう思い至った亜久津は、もしかしたら参加メンバーさえも、何者かの意図によって操作されているのではないかと思い始めたのだ。

(一体全体、このふざけたゲームは誰が何のために用意しやがったんだ…?)

 答えが出ないと知りながらも、亜久津はそう問わずにはいられなかった。
 やがて用を足し終えた亜久津がこれまた几帳面に手を洗っていると(山中のためか、ここの流しはポンプ式で、水が止まっていなかった)、ふいに背後で何かが動いた気配がした。

「誰だ!」

 亜久津はすかさず脇に抱えていたラケットを持ち替えて振り返り、ポケットに入れてあったボールをその人影へと打ち込んだ。
 力強く放たれたボールは鋭く一直線に飛んでいったが、その何者かはまるで蝶でも避けるかのように緩やかな動作でそれを躱した。

「おっと、危ないなあ。でもその体勢から今の球が打てるなんて、さすがだよねー」
「て、てめえは…!」

 目を見張る亜久津に、穏やかに笑いながらひらひらと手を振っていたのは、同じ山吹中学の最後のひとり、千石清純だった。

「うーん、見つかっちゃったか。いやあ残念残念」
「千石…てめえ、今までどこにいやがった」
「んー?どこにって言われると困るんだけどねー」

 そもそも、千石は自ら集合場所を指定しておきながら、ついにそこには現れなかった。亜久津の質問は当然のものだったが、千石はただにこにこと笑っているだけで、はっきりと答えようとはしなかった。

「それよりさあー、あっくん煙草持ってない?俺切らしちゃってんの。悪いけど一本くれる?」
「質問に答えろ。っていうかその呼び方はやめろ!」
「なんで?別にいいんじゃない。それはとりあえず置いといて、もらうよ」
「あっ、てめ…!」

 亜久津のポケットからわずかにはみだしていた煙草の箱をすかさず奪い取ると、千石は一本取り出して自分のライターで火をつけ、箱は亜久津に放ってよこした。

「はい、返すよ」
「千石…!」
「怒らない怒らない。寿命が縮むよ?で、質問、なんだっけ」
「今までどこにいたかって聞いてんだ!」

 どこまでものらりくらりとした千石に対して、亜久津は切れる寸前だった。千石はしばらく亜久津をじっと見ていたが、やがてふーっと煙を大きく吐き出して、にやりと笑った。

「ココに」
「…ああ?」
「ずっと、いたよ…あっくんの隣に、ね?」
「何…言ってるんだ、てめえは…」

 なぜか亜久津は、背筋がぞっと冷たくなるような感覚を覚えた。千石は相変わらず笑みを浮かべたまま、トイレの壁に寄り掛かって亜久津を見ている。

「隣って…どういう意味だ」
「まんまその通り。俺、ずーっとあっくんの近くにいたんだよ。本当に気がついてなかった?」

 信じられないと言った表情の亜久津を見て、千石は楽しそうに笑った。だが、やがて笑みをおさめると、急にふっと寂しそうな顔になった。

「俺…昨日、ちゃんと待ち合わせ場所に向かったんだよね。でも…」

 千石は短くなった煙草をトイレの壁に押し付けて火を消すと、指先で弾いて亜久津の足下に捨てた。

「途中でドジ踏んでさあ…やられちゃったんだよねー」
「!」
「いやー参ったよ、俺のラッキーもついにつきたかなあって感じでさ。幽霊って言うの?こういうの。実際なってみると、あっけないもんだよねえ」
「…千石、ふざけんのもいい加減にしろ。幽霊が、こんなとこでのうのうと煙草吸ってるわけねえだろ、馬鹿が」
「うーん、たしかにそうなんだけどね。でもずっと側にいたよ。証拠もあるし」
「証拠だ…?」

 千石は、全身で胡散臭いと言っている亜久津に向かって右手を突き出すと、指を折りながら話し出した。

「あっくんがあと何本水持ってるか、知ってるよ。自分のは昨日、移動しながら全部飲んじゃったよね。地味ーズのは爆発で一本どこかへ行っちゃって、残り一本と、喜多君達の分で計3本を拾った。でも、そのうち一本はさっき半分飲んだから、残りは2本半。ね、あってるだろ?」
「…け、今朝の放送で、お前の名前は呼ばれなかったぞ」
「ああそれ、俺も不思議だなって思ってたトコ。ひょっとしてやられたのは夢だったのか、なーんてね。でも」

 千石はポケットに両手を突っ込むと、視線を足下へと向けた。

「…でも、夢じゃなかったよ。だって、あっくんさあ」

 まさかとは思いながらも、亜久津は声が出なかった。壁によって作られた陰の中に全身を置いている千石の顔は、下を向いてしまうと良く見えない。

「俺に、気がつかなかっただろ?ずっと近くにいたし、声だって何度もかけたんだよ。でも、聞こえなかっただろ?だから…」

 千石は、ゆっくりと亜久津の方を見た。

「やっぱり俺、もう…死んじゃってるってことなんじゃない?」
「せ…千石…」
「まあすんだ事はしょうがないよね。いつまでこうしていられるかわかんないけど、あっくんと話が出来て一服もしたし、これで思い残す事もないかな」
「…」
「あ、でもさあ、最後にひとつだけ俺のワガママ聞いてくれる?」
「…何だ…」

 千石は壁から身を離すと、今やすっかり神妙な面持ちになっている亜久津の方へ近付いた。そして身を屈めて下から亜久津を覗き込むと、にっと笑った。

「あっく〜ん、俺にチューしてくんない?」
「……ハア!?何言ってんだてめえは、死にてえのか!」
「だから、もう死んでるんだってば」
「うっ」
「ね、俺とチューしよー?」
「な、何で俺がそんな事しなきゃならねえんだ!」
「だって俺、あっくんの事が好きなんだもーん」
「ふざけんな!気色悪りい!」

 両腕に鳥肌が立つのを感じながら、亜久津は後方へと数歩下がった。すると、千石はしゅんとしおれて下を向き、足で小石を蹴りながら鼻声で言った。

「そっかあ…そうだよね…。俺、幽霊だもんなあ…気持ち悪いよなあ」
「問題はそこじゃねえ!」
「やっぱり俺はひとりでこのまま消えていくしかないんだあ…寂しいなあ…」
「うっ…」

 そのしょんぼりと寂しそうな千石の姿を見て、流石に亜久津の心も痛んだ。だが亜久津に所謂「その気」は全くない。亜久津は自分が取るべき行動を必死に思い巡らせた。
 難解なテストを目の前にしているかのような表情の亜久津の前に、やがて千石はすっと近付いた。そして、真剣な面持ちで亜久津を見つめた。

「せ…千石…」

 亜久津の背中をだらだらと冷や汗が流れた。覚悟を決めるべきか否か。
 その時。

「…っ…くっ…」
「…え?」
「あ、あはははは!も、もう駄目、限界!ホントに死ぬ〜!」

 突然、千石は大声で笑い出した。展開についていけずに目を見張っている亜久津の前で、千石は体を二つに折って、涙を流してさらに笑い続けた。

「ま、まさか信じるとは思わなかったよお!あっくんはホント、可愛いなあ〜!ダイジョウブ、生きてるよ。ほうら、ちゃーんと影もあるしね〜」

 指で涙を拭いながら、千石は数歩下がって陽の当たる場所へと出た。その足下には、その影がはっきりと形作られている。しばらく固まっていた亜久津は、ようやくからかわれたと悟って、顔を赤くした。

「千石…!て、てめえは…っ!」
「ごめんごめん、あっくんの純情な乙女心を踏みにじっちゃって」
「乙女じゃねえ!てめえはマジで死ね!今死ね!」

 今にも血管が切れそうな勢いで、亜久津は千石の胸ぐらを掴んだ。が、相変わらず千石はにこにこと楽しそうに笑っている。

「怒らない怒らない、寿命縮むよ〜」
「黙れ!」
「だってさあ、ちょっと考えれば俺の話がおかしい事くらいわかるでしょ?今まで見えなかったのに、何で急に見えるのか、とかさ〜」
「う…」
「それとも、そんな事考えられないくらい、俺の事心配してくれた…?」
「…じゃあ何であんな細かい事知ってやがった」

 あえて千石の言葉を無視して、亜久津は聞いた。亜久津の手から逃れた千石はやれやれといった様子で肩を軽く竦めて見せたが、あっさりと言い放った。

「だからそれは、ずっと近くにいたからだよ」
「まだ言うか…!」
「いやホントに。俺、学校出てから、ずーっと後をつけてたの」
「…なんだって…?」
「ちなみに集合場所を指定したのも、あっくんの行動を把握しやすくするためだったりするんだな。どっちが先に学校出るか、あの時点では分からなかったしね。だから、集合場所に行ったのは本当だよ。隠れてただけ」

 でも壇君達には悪い事しちゃったね、とすまなそうに千石は言った。

「なんで、そんな事を…」
「それはねー」

 千石はポケットに右手を突っ込むと、ごそごそと中を漁って何かを取り出した。そして、満面に笑みを浮かべると、それを亜久津に向かって勢い良く突き出した。

「じゃ〜ん!!これなーんだ?」
「…写真?って、俺じゃねェか、それ!」
「そ、あっくんの隠し撮り生写真でーす。良く撮れてるでしょ?」

 千石の手の中にあったのは、普通の写真よりはややサイズの小さい、ポラロイド写真だった。そのどれもが、島に来てからの亜久津の写真である。
 亜久津は、島に来る前、部室や教室で買ったばかりのカメラを片手に騒いでいる千石を見た事を思い出した。

「な、なんでそんなもん撮ってるんだ!」
「だからさっき言ったでしょ、俺あっくんのコト好きだからさあ〜。あっくん、普段絶対に写真撮らせてくれないじゃん」
「そんな事のためにわざわざ後をつけてたのか」
「そうだよ。ああ、俺って健気だなあ」
「お前、どこかおかしいだろ絶対!ていうか変態ってんだ、そういうのは!」

 ―これなら幽霊の方がいくらかましだった。
 亜久津はそう思ってさらに全身を総毛立たせたが、なんとか気を取り直して写真を奪おうとした。

「ともかく、それはよこせ!捨ててやる!」
「おっとっと」

 素早く伸びてきた亜久津の手をひらりと躱すと、千石は後方へと飛び退り、そのまま走って逃げようとした。

「よこせ!」
「駄目だよ、せっかく撮ったんだから…っと、あら?」

 背後の亜久津を振り返りながら走っていた千石は、足下の木の根に躓き、バランスを崩して前方に倒れこんだ。持ち前の反射神経で受け身を取ったまでは良かったが、その拍子に地面についた左手のリストバンドを、突き出ていた石に勢い良くぶつけてしまった。
 キン、と金属性の音が響いた次の瞬間、千石のリストバンドに小さな赤いランプが点り、ピ、ピ、ピ…と不吉な電子音が流れ始めた。

「う、うっそ!ま…まさか今のショックで作動しちゃったの?」
「お、おい、千石…!」

 ピピピピピ…と電子音は徐々に早くなって来る。千石はなんとか外そうとしたが、リストバンドはびくともしない。そして、

 ピッ。

 音が止まった次の瞬間、リストバンドから高圧電流が流れ出し、千石の体を一瞬のうちに走り抜けた。

「ふぎゃっ!」
「せ、千石っ!」
「あ…アンラッキ〜…」

 千石の小柄な体は、一度大きく跳ねた後、そのままバッタリと後ろに倒れた。亜久津が駆け寄ると、千石は小さく痙攣しながらしばらくむにゃむにゃと何か言っていたが、やがて動かなくなった。数秒後、リストバンドのランプは消え、動作を完全に停止した。
 亜久津はしばらく呆然とその傍らに立っていたが、やがてポケットから煙草の箱を取り出し、中から一本抜いて千石の横に置いた。

「千石…たった今、俺は決めたぜ…」

 荷物を拾って踵を返し、その場を離れながら亜久津はつぶやいた。

「俺は、絶対にこのゲームから生きて帰ってみせる…そして…」

 亜久津は、右手をぐっと強く握りしめ、空に向かって叫んだ。

「…そして、絶対に転校してやる!!まっぴらだ、こんな馬鹿ばっかりの学校は!」

 決意を新たに、亜久津は去った。
 残された千石は、写真に囲まれて幸せそうに緩く微笑んでいた。

 山吹中学・千石清純、敗退。





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ゴクアクスキーの人(ていうか千石君ファンの人)ごめんなさ…!
ああもう、これを書き終わるまであと何回謝らないといけないんだろう(遠い目)。
千石君が変態になってしまいましたが、オカマよりいいよね(いやどっちも…)
あ、この千石君の元の役はオカマなんですよー。原作を読んでない方に、念のため。
でも、オネエ言葉の千石君もちょっと書きたかったな…!



モドル
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