Deep Sea/Text






第10章




「部長、大丈夫っすか?あともうちょっとだと思いますから」

 このわけのわからない大会も、二日目の昼に入ろうとしていた。真昼の太陽が照りつける中、手塚、桃城、勝野の3人はあたりを警戒しながら、固まって移動していた。周囲に気を配っているためだけでなく、3人の歩みは遅かった。理由は、手塚の足の捻挫である。
 柳沢に襲われた時に捻った手塚の足の腫れは、時間の経過と共にますますひどくなってきていた。水で濡らしたハンドタオルで簡単に冷やしてはいるものの、そんなものは気休めにしか過ぎず、次第に歩行にも障害をきたしはじめていた。
 桃城が手塚達と合流する前に見かけた島の案内板によれば、東の海岸付近に集落があるらしい。そこまで行けば病院なり診療所なり、とにかく湿布薬のひとつでも探せるにちがいない。このままでは誰かに襲われた時に逃げることすらままならないため、3人はその集落へ行くことに決めたのだった。

「手塚部長、僕、荷物持ちましょうか?」
「大丈夫だ。多少引き摺るが、大したことはない…気にするな」

 相変わらずの無表情でカチローに告げる手塚を見て、桃城はやれやれといった顔をした。手塚の性格上、よほどの事がない限り苦痛を訴えはしないであろうことは明白で、となると一刻も早く手塚が休める場所へたどりつかなければ、足の状態は悪くなる一方だと桃城は判断した。そのために多少の危険を押してでも近道をと、この周囲に遮蔽物の少ない道を選んだのだった。しかし幸い誰にも出くわすことなく、あと数百メートルで集落、という地点まで辿り着いた。

「うしっ、ここを抜けたらもうすぐだぜ…勝野、大丈夫か?」
「は、はい、僕は平気です!」
「いつ誰が襲ってくるとも限らない。油断せずに行こ…」
「なんだと、もう一度言ってみろ!」
「え?」
「…今の、桃ちゃん先輩ですか?」
「いや、俺じゃねえ…どこからだ?」

 突然聞こえた怒鳴り声に3人は歩みを止めて顔を見合わせた。少し離れた木立の向こうから、それは聞こえてきたようだ。声の主を確かめようと、3人はそろそろと足音をたてないように移動した。木の影からそっと伺ってみると、木立の向こうはどうやら小さな農場のようで、納屋のような建物がいくつか並んでいる。
目を凝らした桃城は、その納屋のしっくいの壁に半身を隠すようにして対峙している二人の人物を認めた。

「あ、あれって…ルドルフの…」

 そこにいたのは、聖ルドルフ学院中学3年、赤澤と観月であった。

「あいつら、何してるんだ」

 観月と赤澤は、少し離れた二棟の納屋の壁に身を隠し、顔だけを出すようにして向かい合っている。が、手塚達の位置からだとお互いが丸見えであった。二人ともそれぞれラケットと支給のバッグを持っている。何やら、言い争っているらしい。

「おや、聞こえませんでしたか?ええ、それじゃあ何度でも言いますとも」

 観月のやや神経質な高い声が、はっきりと手塚の耳に届いた。

「あなたとの付き合いも長くなりましたけれど、それも今日で終わりです。ええ、あなたにはほとほと愛想がつきましたよ、『馬鹿澤』君!」
「て、てめえ一度ならず二度までも…!」
「おやおや、もう一度言えっておっしゃったのはあなたでしょう」
「く、くそう…!」

 赤澤はラケットを握る手に力を込めた。頭に血が昇っているせいか、顔も心なしか赤いようだが、もともと浅黒い赤澤の顔でははっきりとはわからない。
 二人はなおも言い争っていたが、途中から聞いている三人には原因がはっきりと読み取れない。だが、二人が一触即発といった状態であるのは間違いなかった。

「桃城、止めに入るぞ」
「え?でも部長…」
「同じチームの仲間同士で争いなんて、愚かなだけだ」

 そう言って、手塚は痛む足を引きずりながら、木立を抜けて二人から見える位置に移動した。

「お前達、やめるんだ!」
「…何っ?」
「君は…手塚君!?」

 二人は驚いた様子で突然現れた手塚のを見た。

「争うのはやめろ!ましてや、お前達は同じ学校の仲間だろう」
「…手塚…」
「こんな時こそお互いに助け合わなければいけないはずだ…だから…」
「手塚君…」

 気勢をそがれたような形になって、二人はほぼ同時に握っていたラケットを下ろした。それを見て、手塚達三人はほっと息をついた。

「…そうでしたね…。こんな些細なことで言い争っている場合ではありませんでした。ありがとう手塚君、お陰で目が醒めました」
「まったくだぜ、俺としたことが…つい頭に血が昇っちまった」
「わかってくれたなら、よかった」

 観月と赤澤は、納屋の扉から全身を出して笑いあった。

「ところでふたりとも、一体何で喧嘩してたんすか?」
「え?ああ、本当に取るに足らないことなんですよ…。ちょっと、いびきがね…」
「…イビキ?」

 手塚、桃城、勝野の三人は同時に聞き返した。

「ええ、僕達このゲーム開始後からずっと一緒だったんですけれど、やはりこの状況では安心して眠るというわけにもいきません。で、やっと落ち着ける場所を見つけて休もうと思ったら、赤澤君がそれはそれは盛大にいびきをかいてですね、僕はちっとも眠れなかったんです」
「そ…そんなことで…?」
「本当に、取るに足らないな…」

 すっかり機嫌をなおしたらしい観月は、呆れる手塚達の様子にはお構い無しで、いつものように嫣然と笑ってみせた。だが、対する赤澤は不服そうな表情を作った。

「観月、それは大袈裟だろ?俺は今まで修学旅行でもなんでも、そんな風に言われた事ねえぜ」
「みんなあなたに気を使ってくれていたのでしょう。優しい友達ばかりでよかったですねえ。まあ、そうでなければあなたのような大雑把な人は、社会で生きてゆけませんしね」
「なっ…」
「でも僕も充分優しかったでしょう?起こしたら悪いと思って我慢してたんですから」
「寝てる人間の鼻をつまむようなやつの、どこが優しいんだ!死んだらどうする!」
「それくらいで死んだりしませんよ。それにしょうがないでしょう、だってあなたのいびきが本当にうるさ…」
「しつこいぞ!観月!」
「ふ、ふたりともやめてください!」

 険悪な空気が流れ始めたのを見てカチローは慌てて止めに入ったが、時既に遅し、二人は再び睨み合った。

「あちゃー、まいったな。おいお前ら、いい加減にしろよ。まあ、喧嘩するほど仲が良いって言う…」
「桃城君、笑えない冗談はやめて下さい」
「こいつと仲がいいだと?冗談じゃねえ!」

 苦笑混じりの仲裁は二人同時の反論にあってしまい、桃城は語尾を飲み込まざるを得なかった。
(なんだかんだ言ってやはり気があっているように見えるが…)
 手塚はそう思ったが、そうこうしているうちにも観月と赤澤の空気はますます剣呑としてきた。

「大体お前はいつもそうなんだ!些細な事をねちねちと…。こ、この間のカステラの件だって、俺は何も悪気があってやったわけじゃねえって散々言ったのに」
「ふたつに割ったお菓子を人によこす時に、あからさまに小さい方を渡すのは無神経な証拠ですよ」
「おーい…なんかいつのまにか話がずれてるぞ…」

 すでに二人の眼中に手塚達三人の姿はなく、お互いに指を突き付けあって喧々囂々である。

「困ったな…」
「部長〜、もうほっといて先行きません?腹も減ってきたし」
「でも、このままじゃ…あっ、桃ちゃん先輩、まずいですよ!」
「何…?あ、おいやめろ!」

 いつのまにか、赤澤がデイバッグからボールを取り出して構えている。本当に頭に血が昇りやすい性格のようだ。対する観月は、ふふんと余裕の笑みを浮かべて自らのラケットを握り直した。

「もう怒ったぜ!くらえ観月!」
「赤澤、やめろ!」

 手塚の制止を無視して、赤澤は観月に向けてボールを打ち込んだ…かのように見えたが、怒りのあまりコントロールが狂ったのか、ボールはガットではなく、少しずれてラケットの枠に当たった。スイートスポットを外して打つ、赤澤のもともとの癖も災いしたのかもしれない。とにかく枠に当たったボールは、その場でぱん、と軽快な音をたてて破裂した。

「し、しまった…!こ、これは、ガス…っ!ぬああああーー!!」
「やべえ、部長、離れますよ!」
「し、しかし赤澤が…!」
「駄目です、もう…!」

 ボールから流れ出たあやしい紫色のガスは、赤澤を中心に半径三メートルほどをあっという間に覆い尽くした。なおも赤澤を助けようとする手塚を無理矢理ひきずって、桃城はその場を離れた。
 数分後、ガスが拡散した頃を見計らって三人が納屋の前に戻ると、そこには大の字で倒れている赤澤の姿があった。

「く…っ。赤澤…助けられなかった…」
「あの状況じゃ仕方ないっすよ、部長…」
「あ、そういえば観月さんは…?」

 三人は辺りを見回したが、そこに観月の姿はなかった。無事に…と言っていいのかどうか、とにかく逃げたらしい。

「観月も俺達と一緒に行動できれば良かったんだが…仕方がない、行こう」

 手塚はため息と共に言い、三人は再びもと来た道へと足を向けた。
 桃城が振り返って見た赤澤の顔は、ガスによって紫色になっているような気もしたが、やはりもともとの肌色に紛れて良く分からなかった。



 聖ルドルフ学院・赤澤吉朗、敗退。



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ルドルフの子(子?)は、書いているうちにどんどん愛おしくなってきます。
赤澤の鼻をつまむ観月の姿を想像して萌えてしまってすみません。



モドル
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