Deep Sea/Text






第7章




「リ…リズムに乗るぜ!」

不動峰中学2年、神尾アキラは土煙をあげて山の斜面を走り降りた。
あまり派手に音を立てたら亜久津に勘付かれるかもしれない。だが、とにかく今はここを離れなければ。
神尾は、ほんの数十秒前、地味’ズが叫んでいた展望台からわずか十数メートル下方に身を潜めていたのである。伊武とも橘とも合流できず、無我夢中であちこちをさまよい歩いた結果、ここにたどりついた。一睡もできないまま夜明けを迎え、これからどうしたものかと思い倦ねていた矢先の出来事だった。頭上から、拡声器で増幅された声が降ってきたのである。
よほど二人の前に出て行こうかと思ったが、しばし神尾は躊躇した。そして。
―亜久津が現われ、地味’ズを倒したのである。
(見つかったら、俺も狙われる。俺じゃ、亜久津に勝ち目はねえ!)
神尾は負けず嫌いではあったが無鉄砲ではなかった。自分の実力を過小評価するつもりはないが、正面切って亜久津と対峙して勝てるなどとは毛頭思っていない。大体、これはテニスの試合ではない。何でもありなのだ。ますます勝ち目などない。

「よし、なんとか逃げ切っ…と、うわっ!」

やっとふもとに辿り着いたかという矢先、足が何かにひっかかり、勢い余った神尾はそのまま前に倒れてしまった。身を起こして足下を確認すると、そこには細いナイロンの紐が張ってあった。

「畜生、罠か…っ」

こんな山の中に偶然紐が張ってあるなどとはまず考えられず、誰かが侵入者を捕らえるために設置したに違いない。神尾は素早く荷物を下ろし、ラケットとボールを構えて辺りに気を配った。その時。

「…アキラ?アキラじゃないか!」

神尾の耳に届いたその声は、一晩中神尾が探し続けていた人物のものだった。

「た…橘さん!」
「良かった、アキラ、無事だったな」
「うわーん、橘さあーん!」

一気に緊張の糸がほどけた神尾は、ラケットを放り投げて橘へと駆け寄った。

「あ、会えて良かったです!俺、もう一人でどうしようかと…」
「心配してたんだぞ、アキラ。どこか怪我はないか?」
「なんとか大丈夫です…橘さんは?」
「別になんともないさ。ところでお前、シンジに会ってないか?」
「それが…俺も探してるんですけど…」
「そうか…」

橘の顔が軽く曇り、昨晩別れたきりの伊武の事を心配しているのが見て取れた。だが、後輩を心配させてはいけないと思ったのか、次の瞬間にはいつもの笑顔になり、神尾の肩をぽんと叩いた。

「まあ、奴の事だから大丈夫だろう。それより、こんなところに突っ立っているのもなんだな、少し移動するか」
「あ、はい…と、橘さん、罠はそのままでいいんですか?」
「罠?罠とは?」
「だから、この…」

神尾がナイロンの紐を指差すと、橘は場違いな程爽やかに笑った。

「ああ、それか。それは罠なんかじゃないさ。片付けてはいくが」
「え、じゃあ…これ、何のために」
「洗濯物を干していたんだ」
「…は?せ、洗濯?」
「ああ。もう大分蒸し暑くなってきたからな。今日は天気もいい」

満足げに頷く橘の後方で、タオルらしきものがはたはたと風に揺れていた。

「た、橘さん、洗濯なんてしてたんですか?この非常時に!」
「…アキラ!」
「は、はい」

呆れる神尾にきっとした表情を向けると、橘は真面目な口調で言った。

「確かに今は非常時だ。だからこそ、平常心が大事なんだ。わかるか」
「それはわかりますけど…でも、それと洗濯と何の関係が…」
「普段通りの生活を心掛けることで心にゆとりができる。そのゆとりこそが、平常心につながるんだ」
「は、はあ…」
「というわけでアキラ、悪いが取り込むのを手伝ってくれ。それが終わったらメシにしよう」

タオルやら下着やらを一通り片付けた後、橘はどこで見つけてきたのか、古ぼけた鍋に支給の水を入れ、石で作った竈で火をおこしはじめた。

「橘さん!火はまずいですよ!」
「何故だ?お前、腹減っただろう?」
「もちろん腹は減ってますけど、でも、煙が…!」

火を起こせば煙があがる。それを見て、誰かがやってくるかもしれない。亜久津がまだ近くにいる可能性もある。神尾はキョロキョロとあたりを見回し、軽く身震いした。

「ははは、そんなに心配しなくても大丈夫だ、アキラ」
「た…橘さん…」

橘の笑顔に勇気づけられた神尾もつられて笑った。もっとも、何が大丈夫なのかはさっぱりわからないままだったが。
ほどなくして、鍋からは食欲をそそる匂いが立ち上りはじめた。

「よし、そろそろいいだろう」
「わー、なんかおいしそうですね」
「はは、まあ材料はありあわせだがな」

橘の趣味が料理であることは神尾も知っていたが、実際にその手料理を食べるのは初めてだった。これまたどこで調達したのか、橘は小さな腕を二つ並べて鍋の中身を移し、片方を神尾へと手渡した。腕の中には、何やら野菜のようなものと、あと魚の切り身らしきものが入っていた。

「熱いからな、やけどしないようにしろよ」
「はい、じゃ、いただきます」
「おう」

橘は、はふはふと息を吹き掛けて冷ましながら食べる神尾の様子を満足げに眺めていたが、やがて自分も食べはじめた。

「はひはははん」
「アキラ、食べるか話すかどっちかにしろ。行儀悪いぞ」
「ふ、ふいふぁふぇん。…っと、橘さん、これ、すっごく旨いですよ!」
「そうか?それなら良かった」
「でも、材料はどこで…?」
「ん?魚は途中で立ち寄った民家に残ってたものだ。悪いとは思ったが、どうせ放っといたら腐ってしまうし…ちょっと失敬して、な」
「そうなんですか。じゃあ、野菜も?」
「いや、それは…」

橘は、ずずっと音をたてて、腕の中身を啜った。

「さっき、そこらへんで適当に俺が採ってきたんだ。何の草かは、知らん」
「ぶへっ!」

「ん、どうしたアキラ?」
「て、適当にって…食べて大丈夫なんですか?」
「ははは、草だってある意味野菜の仲間だぞ。うまいんだから、いいじゃないか」
「は、はは…まあ、そうですね…」

(それにしても俺達、なんでこんなとこでなごやかに飯喰ってんだろ…?)

引きつった笑顔のままもそもそと残りを食べながら、神尾は思った。

残り、あと二日。



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な…何が言いたいのかもう自分でもさっぱり…。
久々に更新したのにこんなんですいまへん。
あたしの中の橘像は、「頼れるけどちょっとずれた人」なので。
そして神尾は無駄に常識があって、苦労するタイプだと思われます。



モドル
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