『その名を怖れよと』
路地裏に、ばたばたと多くの足音が響いた。
「追え!まだそう遠くには行っていないはずだ!」
その声を耳の端で捕えながら、路地裏の奥へと壁伝いに歩く男が一人。
褐色の肌には血が伝い、苦しそうに歪められた顔には、じわりと汗がにじんでいる。
「あ…はは、下手やってもうた、なぁ……」
一人小さく呟きながら、男は、脇腹を押さえていた手を、開く。
男の手の平は、どす黒い血の色に染まっていた。
「……報い、ちゅうもんかな、これは」
荒い息の合間に言葉を零し、男は自嘲する。
――報い、と言うならば、何の報いか
武装商船船長として、数多の海賊の命を奪ったことか。
賞金首狩りとして、冤罪の者すら日々の糧の為に差し出したことか。
海賊として、他者の財産を奪ってきたことか。
商会の頭として、富を得すぎたことか。
「考えても詮無い、こと、やな……」
こほ、と咳き込めば、息と共に血を吐き出す羽目になり、男はそれにすら、苦笑する。
「――いたぞ!!」
「……あーあ」
くく、と笑い、男は声の方を向く。
急襲してきた相手の正体など、もはや男にとってはどうでもいいことだった。自分の命すら、どうでもいいものに思えてくる、この状況では、いくら満天の星が美しかろうと、それすらもどうでもいいことだ。
「…観念してもらおうか、サージルの大将よ」
「……葬式代ぐらい、出して、くれるんやったら、考えてもええ、けど?」
「はん…お前が死んでくれるなら、盛大な葬式を挙げてやるさ」
「そら…おおき、に、」
とうとう口を動かすのも辛くなってきて、男はゆるく瞼を下ろし、ずるり、と足から力を抜いた。
次には、剣を振り落とす音、が続くかと思われた。
――カンッ……
「…?」
何かが、レンガ畳に落ちる音がして、男は再び目を開いた。
その目に映ったのは、古びた懐中時計。
「……ああ、」
ふ、と口元だけで笑い、男は背に手を回した。
――だらしねーぞ、イサ!
「……言われ、んでも」
「死にぞこないが、何を笑って……」
「オレを、誰や…と、思ってんねん」
にやり、と半月の形に歪めた口から、血が流れるのも構わず、男は今一度足に力を入れ、背から手を引き抜いた。
その手に握られているのは、一対の拳銃。
「…っ!」
「"ミラーハンド"諫早・サージル……や。もうちょい、オレに付きおうて…もらおか?」
かつての海賊の如き不敵さで笑う男の足元で、月の光を浴びて、懐中時計が誇らしげに輝いた。