FDNYへの友情活動報告〜WTCテロ現場にて〜


この文章は平成13年10月7日から11日までの間,ニューヨーク市世界貿易センタービル内における
ボランティア活動をするために,11人の消防官が現場へと旅立ち,行動し,感じたことの記録です。




東京消防庁
濱 弘一

横浜市消防局
志澤公一

堺高石市消防本部
武藤勝行
大阪市消防局
山東雅勝
横浜市消防局
大江道就
横浜市消防局
斎藤禎史
川口市消防本部
山本大介
横浜市消防局
牧野 暁

名古屋市消防局
水野晴夫

川崎市消防局
小玉敦司
大阪市消防局
小浜直之
<始まり>

10月3日深夜,今年1月にアメリカの消防を公式訪問し,私のアメリカの消防署訪問をサポートしてくれた川口消
防の山本さんから「NYへ仲間を助けに行く消防官たちがいます。情報をほしがっているので連絡して下さい。」と
いうメールが入りました。山本さんは,その消防官たちがニューヨークに行くことを新聞で知り,メンバーの代表で
ある横浜消防の志澤さんに「私は,自分達がお世話になったニューヨークの職員を助けに行きたいです。あと,今
年9月に研修に行ったばかりの川崎消防の小玉さんという方も同じ気持です。」と連絡をとり,その熱い思いが志
澤さんに通じ,山本さんと私は参加することになりました。
私と山本さん以外のメンバーは,『WORLD POLICE&FIRE GAMES』という大会の参加メンバーであり,その大会
で知りあったニューヨーク市消防局の職員から「Please help us」という内容のメールが横浜消防の牧野隊員に届
いたのがきっかけとなり行動を起こしたそうです。

(山本さんとの関係は,「私の研修報告」を参照)

遠くに見えるマンハッタンの風景

エンジン16・ラダ―7

庁舎内にある殉職者たちへの多くの献花

義援金を手渡す武藤氏
<10月7日>

渡航準備期間が短く慌しい日々でしたが,何とか準備を終え,成田空港に到着。次々にメンバーが到着し,先発
隊9名が集合。 私は他の8名とは初顔合わせのため緊張していましたが,目的が同じなのですぐにうちとけるこ
とができました。 成田を夕方出発し12時間後,ニューヨークに到着。途中の機内にて,機長以下搭乗員から「来
てくれて本当に感謝しています。」という言葉をいただきました。
発生から1ケ月がたったニューヨークの人々は,落ち着きを取り戻していましたが,私が訪れた平穏なニューヨー
クの街並みとは違って見えました。マンハッタンに架かる橋,通じるトンネル,高速道路等の道路ではいたるとこ
ろで検問が実施され,物々しい雰囲気がありました。
まず私たちは,私が9月5日にお世話になった知り合いがいる「レスキュー1」という署に行き,友人の安否を確認
しました。私が大変お世話になった3名の署員が殉職され,1人が行方不明でした。あの時,彼らと過ごした時間
を昨日のことのように思い出し,ほんの1ヶ月前に「 また会おう 」という彼らと交わした約束が,こんな形で実現す
るとは思いもよりませんでした。 ちょうどあの時に会った友人が2名当直しており,少しだけ話をしましたが,彼ら
から感じられる雰囲気は重く,ただ「残念に思う」という言葉を掛けるのが精一杯でした。
その日はもう時間が遅くなってしまったのでホテルへ帰り,明日からの活動方針を決めるためのミーティングをし
た後,久しぶりにベッドに入り眠りにつきました。


現場に待機中のFDNYの救急隊員
<10月8日>

今回の発端となったメールを横浜消防の牧野隊員に送ったディビッドのいるエンジン16(署)へ行きました。私た
ちは,ここの署で殉職された職員たちに献花をした後,世界警察消防競技大会の日本の会員たちが集めた義援
金を副署長に渡しました。そして,デイビッドに友人たちをどうにかしたいという気持を話し,倒壊ビルの4階から
奇跡的な生還をした彼の上司にこの話を取り次いでもらい,立ち入り禁止区域内での活動の許可をお願いしたと
ころ彼の上司は,「 できることはやりましょう。」と言い,関係者に立ち入り禁止区域内に入る手配を行い,私たち
を現場へと連れて行ってくれました。 現場に入る前には,州兵・警察などの検問を数回くぐり,やっとたどり着くこ
とができました。車を降り遠くに見えた現場に「ここがグラウンド・ゼロか〜」と思ったのもつかの間で,目の前であ
の凄まじい光景を見た隊員たちは皆,言葉を失いました。 「ここにあのビルがあったんだよね?」と思わず聞いて
しまうくらい,そこだけがポツンと穴が空いているようでした。そこでしばらく説明を聞いた後,すぐそばにあるにも
かかわらず,奇跡的に倒壊を免れたエンジン10(署)に行き,私たちの意志を伝えてもらったのですが,当日の現
場責任者から,「君たちの気持は本当に感謝していますが,認められません。」と言われたため,その日は,殉職
者の遺族のために作られた慰霊碑に献花をし,現場を後にしました。

殉職された職員の葬儀



現場の目の前にあるが奇跡的に倒壊を
免れた署


急遽、FDNYへ送られた銅像

<10月9日>

現地での活動を助けてくれたもう一人の職員のジミ−から, 「もしよかったら友人の葬儀に参列してみてはどうで
すか。 」という提案があり,ディビッドとジミ−の友人である職員の葬儀に参列しました。彼の遺体はなく,ただ彼
のヘルメットだけが彼の存在を証明できる唯一のものだと聞かされました。彼のために100人以上もの職員・他
の消防本部・沿岸警備隊・警察・一般市民が集まり,そこに私たち11人も参列し,遺族の方に花を渡しました。
現在でも毎日いたるところで葬儀が行われているため,参列者の数は普段の殉職者の葬儀に比べると少なかっ
たみたいです。
その日の午後,1日遅れて合流した2名のために再び現場へ立ち,状況を説明している時,現場で発見された殉
職者を弔うために来ていた消防局専属の牧師さんと会いました。 彼は「遠くから私たちを助けにきてくれたことに
大変感謝しています。ありがとう」と言い,私たちの気持を聞いた牧師さんは,当日の現場最高責任者に話をして
くれました。そして,責任者は私たちに活動の許可を与えてくれたのです。なぜ許可がおりたかというと,現場は,
24時間体制で作業が進められているために,数班の活動グループに分かれていて,昨日聞いた責任者とは違う
人だったからだと思います。
私たちは,工事現場の埃とアスベストの匂いがする現場で,約1200度の熱を持つ鉄骨を冷ます放水作業,瓦礫
の中での検索活動を行いました。 鉄骨が重なり合っている山の中でボンベとホースを発見しましたが, それ以上
奥に進むことは危険が伴うため,さらなる検索を断念しました。 現場は,食料・水分・資機材の搬送車が定期的に
周り,決められた時間での交代, 休息を行い,全てがシステム化されていました。 21時30分責任者から交代す
ることを伝えられ,全ての作業を終了しました。たった数時間の活動ですが,私たちにとって充分な時間でした。
一度ホテルに帰り,山本さんと私は,まだ山本さんが行っていなかった「 レスキュー1」に向かいました。事情を話
しわかってくれた署員は,遅い時間にもかかわらず入ることを許可してくれました。 以前ここに来たこと・殉職した
彼らの当時の話などの楽しい話もでましたが,やはりムリしているところも感じられました。そして帰る際, 「私たち
は国は違えども,同じ消防官精神を持ってる。仲間が殉職して悲しい。」と伝えたところ「その通り。私たち消防官
に国境はなく皆兄弟だ。もし日本での有事の際はすぐに行くよ。」と言われ,その言葉に熱い思いが込み上げてき
ました。



index